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憲法を棄つると云ふか!蝉時雨 [時事]

参議院選挙の結果を受けて、どのマスメディアも「改憲勢力2/3超!」と口をそろえて報じています。でも、これっておかしくありません?インチキじゃん?
「改憲勢力」と言われるヒトたち、選挙中は憲法についての自党の姿勢をちゃんと国民に訴えて、信を問うたの?
選挙公報での公約はもとより、投票日当日の新聞広告(これ自体投票日の選挙運動を禁じる公選法に抵触するとの批判がありますが、それはひとまずさておいて)でも、また、うっとうしいほど執拗にyoutubeで流された広告でも、アベノミクス一本槍ではなかったですか。



マスコミもひどいでしょ。どの政党・政派が改憲をめざしているかいないかとか、憲法のどこをどう変えるつもりとか変えないつもりとか、今度の選挙が終わったら改憲へアクセルをふかすつもりとか、どうとかこうとか、選挙中は全くといっていいほど報道しなかったじゃありません?

こんな事を書こうと思って、材料探しのためにネット検索をしていましたら、リテラの最新記事にこんな記事を見つけました。
全くその通り!私が言いたいのもそのことです!なので、一部を引用させて戴きます。

昨日、投開票された参院選は、自公とおおさか維新の会などの改憲勢力が非改選と合わせて憲法改正の国会発議に必要な3分の2議席以上を確保した。安倍首相はこの選挙戦において、遊説で憲法改正について一度も言及することなく、「争点隠し」を行ってきたにもかかわらず、だ。
 まさに安倍首相が国民を“騙し討ち”したとしか言いようがない結果だが、しかし、そうした改憲勢力と同じように国民を騙してきたのは、テレビも同じだ。
 昨日、開票が開始された昨晩20時前からNHKおよび民放各局は一斉に選挙特番を放送したが、そこでは今回の選挙の争点が「憲法改正」であることを全面に打ち出し、出口調査結果を発表するなり「改憲勢力が3分の2議席を確保する見込み」「憲法改正発議可能に」「野党共闘ふるわず」などと伝えはじめたからだ。
 ……目がテンになるとはこのことだろう。この参院選の間、ほとんどのテレビは改憲の問題を無視していたんじゃなかったのか。そして、安倍政権の誘導に乗っかってあたかもアベノミクスが争点であるかのような報道を展開していた。いや、そのアベノミクスの検証さえ行わず、むしろ参院選のニュースを最小限に留め、今月末の都知事選のことばかりを取り上げる始末で、きちんと参院選の改憲問題をピックアップしていたのは、『NEWS23』『報道特集』などのTBSの報道番組と、テレビ朝日の『報道ステーション』くらいだったではないか。
 それを、いざ投票が終わった瞬間から「憲法改正発議可能に」などと言い出すのは、完全に視聴者に対して「争点隠し」を行ってきた証拠だ。
 しかも、である。NHKでは選挙前は参院選の話題を最小限にとどめていたのに、いまごろになって“SNSでは「憲法」や「改憲」などのトピックに注目が集まっていた”などと紹介したり、民放でも日本会議などの安倍政権をバックアップする改憲団体にスポットを当てたり、フジテレビにいたっては自民党の憲法改憲草案を解説したりしていた。そうした憲法改正の裏側や問題点を報道することは間違っていないが、でもそれは投票の前に伝えろよ、という話だ。
(中略)
そして、この安倍首相の“確信犯”に加担し、憲法改正の問題を報道せずに隠してきたテレビも、視聴者を欺いてきたことに責任など感じていない。
 その実例を示したのは、やはりフジテレビだ。選挙特番内では、前述のように自民党の憲法改正草案を紹介し、その上で改憲勢力が3分の2議席を越える結果となりそうだとしれっと解説。そしてゲストとして出演していたSEALDsメンバーの奥田愛基氏に司会の伊藤利尋アナが「奥田さんはこの結果をどう思っているのか」と話題を振った。そのとき、奥田氏はこのように発言した。
「世論調査によったら3分の2を超えたら何ができるのかわからない国民が6割以上いた。今回、結果を受けては憲法改正の発議があるんじゃないかという話が多いんですけど、でも選挙期間中に全然その話題になっていなくて、なんで終わった瞬間にこんな話になるのか、テレビをご覧のみなさんも『あれ、憲法改正が今回争点でしたっけ!?』っていう人が多いんじゃないかと」
 憲法改正の話題なんて選挙中はニュース番組でも全然出てこなかったのに、どうして選挙が終わったそばから「争点は改憲」と言い出すのか──。この発言はまさしく多くの視聴者が感じた違和感をぶつけたものだったが、しかし、対して司会の宮根誠司は、「あー。逆にね。うん、やはりアベノミクス中心ということもありましたが」と言い、すぐさま別の話題に移したのだ。
「逆にね」って、何が「逆」なのだろうか。逆ではなくて、“争点は改憲”だとわかっていたのに「アベノミクス中心」にミスリードしてきたのは、ほかならぬ宮根をはじめとして報道する側にいるテレビのほうだ。そうした視聴者への“背信”を、宮根は安倍首相と同じで悪びれる様子もない。
 この調子だと、国会で憲法の改正発議がなされ、ついに国民投票にもちこまれても、テレビは今回と同様に安倍首相の顔色を伺い、政権に不都合な改憲の問題点や、その危険な内容が検証されることはないだろう。そして、今回の参院選と同じように、国民は深く考える機会を奪われたまま投票を迎えることになる。
 ジャーナリズムの役割や責任を放り出し、視聴者ではなく政権に“有益”な報道しか行わないテレビ。参院選における安倍首相の国民への騙し討ち行為もさることながら、メディアによる犯罪的な報道姿勢もまた糾弾に値するものだ。


ざらざらとした不快な思いを抱えたまま、朝散歩に出てみました。朝の通学・通勤の時間帯なのに、すでにひどい暑さです。

この夏、蝉の姿を見るようになったのはいつ頃でしょうか。今日の散歩道は、すっかり蝉時雨に包まれていました。

過去の記事でも、しょっちゅう蝉や蝉時雨を話題にしました。

たとえば、去年の八月六日の記事にもこう書きました。

◇八日目の蝉もをるらん原爆忌








 毎年毎年、この季節になると蝉の姿ばかりをカメラで追います。ブログを始めてからも、蝉の記事も多いし、蝉の画像も見飽きるほど掲載しています。
今日の記事は、蝉を中心に載せようかと思いついて、いざ書きかけると、話題が皆、二番煎じであることに気づきます。
ちなみに、過去の記事から、蝉に関する蘊蓄を引用してみました。




「空蝉のなほ登らんとてや見上げたる」
空蝉のフォルムに惹かれます。フィルム時代から、何枚も写した覚えがあります。
すでに本体は、殻を脱ぎ捨ててはばたき、そしてわずか七日間の生命を謳歌して、もはや静かに眠っているのでしょう。でも、脱ぎ捨てられた空蝉は、今なお、樹皮や木の葉にがっしりと爪を食い込ませ、さらに上方を志すかのように、遙か高みを見据えているようにも思えます。
近所の樹林では、いつしかクマゼミの声は聞かなくなり、もっぱら、アブラゼミが鳴いたり飛び交ったりする姿を見かけます。
(中略)
「アブラゼミ」の命名は、「ジリジリ」という鳴き声が、煮えたぎる油に似ているからだとか。朝夕の蝉の声は、心なしか、ものわびしく聞こえるようになりました。秋もそこまで近づいている、、、でしょうか?




 「ツクツクホウシを見た」

ツクツクホウシは、「ツクツクホーシ」と鳴くのか、「オーシツクツク」と鳴くのか「論争」があるそうですが、どうしても聞き定めることが出来ません。
(中略)
藤沢周平氏の「蝉時雨」は、ヒグラシでしょうか。直木賞作家葉室麟 氏の「蜩ノ記」も。「カナカナカナ」と哀感を含んだ鳴き声は、涼しさと物寂しさを演出しますね。




 「蝙蝠を日傘に虫撮る夏休み」
そういえば、去年の夏もこんな記事を書いていました。
そこにも書きましたが、最近はクマゼミの姿が一番目につきます。
体格も勇ましいので、以前は、珍しい蝉だと思って珍重したものですが、今は一番ポピュラーです。
「シャンシャンシャン」と余計に暑さを増幅する鳴き声が、うるさいことです。
南方系の蝉だそうです。


アブラゼミ。 「ジージー」という鳴き声が加熱した油の音に似ているための名付けと言います。
子ども時代は、これを捕まえると少し自慢でした。

ニイニイゼミ。小さくて地味な蝉です。樹皮の模様に隠れて、動かずにいると気づきません。
子ども時代は、この蝉が一番身近でした。そっと近づいて、手で捕まえても、幽かにばたばたと暴れますが、じきに観念して静かになります。そのまま、服やシャツに しがみつかせても逃げないので、何匹も装着して歩いたものでした。バッジか何かのように。
環境の変化によるのか、近年生息数が減少しているようです。
松尾芭蕉が山形の立石寺(りゅうしゃくじ)で詠んだ 閑さや岩にしみ入る蝉の声 の蝉はニイニイゼミだったかと思われます。
「閑かさ」は外界の静かさではなく、心の中の静謐さだ、とはいえ、クマゼミではうるさすぎましょう。アブラゼミの鳴き声も、やはり耳障りです。心を逆なでしないレベルのニイニイゼミの鳴き声が妥当でしょうか。
ハルゼミや、ヒグラシ、あるいはツクツクホウシというアイディアも浮かばなくはありませんが、芭蕉が立石寺を訪ねたのは元禄2年旧暦5月27日(新暦で1689年7月13日)だといいますから、やはりニイニイゼミの活動時期でしょうかね。




 漸(ようよ)うに姿見せたか法師蝉
ここのところ、つつつくほうしの声はしょっちゅう耳にしますが、目を凝らしても姿を捕らえることが出来ず残念な思いがしていました。
ところが今日は、孫のお供で図書館に行ったとき、玄関前の植木から、威勢のよいツクツクホウシの鳴き声が聞こえますので。じっと目を凝らすと、やっと見つけ出しました。


ほかにもこんな記事を書いています。

◇病室にあえかに聞きし蝉時雨 今朝は間近く降りしきるかな








 早朝から、蝉時雨が土砂降り状態です。

病院の窓越しに聞こえたあえかな蝉の声とは格段のかまびすしさです。7日間の生命を謳歌している必死さが伝わってきます。

よく見ると、クマゼミが多いですかね。



◇2年目も病室で聞く蝉時雨








 窓の外からしきりに蝉時雨が聞こえています。
クマゼミのようです。

気づけば、2年前の肺ガンによる入院手術の記念日です。

可笑しい事に、またまた同じ病院に入院してます。2年前は呼吸器内科→外科。今度は消化器内科ですが。念のために付け加えれば、2007年には、脳外科で検査入院しました。これも結構辛かった。




◇蝉シャワー浴びて真夏の散歩かな








 涼しいうちに散歩を、と思いつつも、家を出て歩き始めたのは7時過ぎ。
もう、真夏の陽射しです。
家を出たとたんに、蝉時雨が襲ってきます。
いや、蝉シャワー?蝉豪雨?蝉洪水?
すさまじい限りです。
被害はありませんから、ちっとも厭うものではありませんがね。

「蝉時雨」という言葉は、どちらかというと風情があって好きな言葉ですし、蝉時雨そのもののかまびすしさも、他の騒音とはちがって決して不快ではありません。でも、今朝は、何か、不安をかき立てられるように、心がざわつく思いぬぐえません。



























散歩しながら考えました。

「獰猛な縞蛇」はなかなかしぶとく、か弱きカエルたちを、なおもどん欲に飲み込まんとする勢いに見えます。

昨日歩いた県自然保護センターでも、二度も出会いました。



トリミングします。















でも、選挙結果をつぶさに見てみると、一方的・一面的にシマヘビ勢力がひとり勝ちしているわけでもなさそうです。あの「ハボマイ、えーーとなんだっけ」の島尻安伊子沖縄北方担当相(沖縄選挙区)、岩城光英法相(福島)の二人の現職大臣が、一人区で野党統一候補に敗北しました。これってすごくない?

アベ政治と国民(住民)との矛盾が集中している沖縄、福島で、はっきり民意が示されたのです。そして、野党共闘の実現があったればこそ、その意思表示の場が与えられたわけです。

参院選挙と時を同じくして実施された、鹿児島県知事選で、川内原発停止を掲げた新人の三反園訓さんが、4選をねらう現職を破って当選。これもすごい。

全国32の1人区すべてで野党共闘が実現、改選時2議席だった「非自民議員」を、11議席に増やしたことも、よく考えればすごい。

確かに、「ぎやわろッぎやわろッぎやわろろろろりッ」の合唱が、高らかに響き渡った事は間違いないのです。

正直、もっといける可能性はありましたし、内心飛躍的な大躍進を期待しましたが、まだまだ巨大なうねりにはなりきっていなかったということでしょうか。でも、決して清算主義的にとらえて悲観する必要はないと思います。

「改憲勢力2/3議席占有」という驚愕の事実がもたらすアブなさは、決して軽視できないとは思いますが、しかし、自公とその仲良し勢力に投じられた支持票が、「改憲」への賛成票でないことは、自明です。

稲苗がすくすく伸びています。







永六輔さんの訃報が伝えられました。

今日の記事は書き終えたつもりでしたが、急いで付け加えます。永さんも、人一倍憲法を愛する人でしたから。こんな記事を引いて、追悼したいと思います。







 特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 永六輔さん

◇振り向き、歩こう--ラジオパーソナリティー・永六輔さん(75)

40年以上続くラジオ番組の収録のために、永六輔さん(75)が毎週通う東京・赤坂のTBS。その1階の喫茶室に、約束時間より30分ほど前に着くと、既に永さんはそこにいた。ゆったりと椅子に腰掛けて、静かにはがきを書いている。こちらに気付くと、表情が自然にほころんだ。


「実は明治維新は終わっていないんじゃないか」

えっ? 開口一番、言われたことに戸惑った。

「女学生のセーラー服は、海軍水兵の軍服。男子の

詰め襟だって、元は軍服です。日本人は子どもの時から軍服を着ている。それを誰も不思議に思わない。小泉(純一郎元首相)も、引退するけど、せがれに後を継がせる。どこが改革?
そんなの、江戸時代じゃない。明治で新しくなり、第二次世界大戦で世の中が変わり、世界の経済大国になった。そうやって、どんどん世の中変わっていると思うだろうけれど、本当は全然変わってない。明治維新が終わっているなら、国民はもっと目覚めているよ」


永さんの目には、政治は未熟だしとてもではないが近代化された国家には見えない。だから明治維新はまだ続いているというわけだ。少し極端にも思えるその論理の背景にはもちろん、いまの政治への憤りがあるようだ。


■ 永さんは、戦争放棄を定めた憲法9条を守る会に賛同する一方で、「99条を守る会」を個人的につく

っている。まるで冗談みたいな名前だが、実際はとても論理的だ。99条は、憲法尊重擁護の義務を定めているのだ。

天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

しかし、現実は、自民党議員をはじめとする政治家は、守るどころか、憲法、特に9条を変えようと必死だ。

「99条を守っているのは天皇陛下だけなの。他の連中は守っていません。守っていないだけじゃなくて、無駄遣いはするわ、ごまかすわ」と、不愉快そうに言った後、声のトーンを変えた。「僕は天皇陛下を尊敬しています。99条を守っているから。僕はまじめに、天皇陛下が大好き」。その表情は、無邪気でうれしそうだ。


憲法条文を見ると、政府などの権力を縛り、国民の権利を守ろうとする姿勢が一貫して流れている。

永さんは、「憲法は国民には何も厳しいことは言っていないの。国民は安心して生きていれば、何もしなくていいんです」と話した後、「政治がしっかりしていれば」と、付け加えた。


でも、政治家はしっかりしていませんよね?

「していません」と、きっぱり。

その政治家を選んだのは国民......。

「そうです」

ということはやっぱり、国民が悪いということになるんですか?

「そう考えると、おしまいになっちゃう」

おちゃめな言い方に、カメラマンと3人、一同大笑い。 「投票して誰かを選ぶんじゃなくて、投票して誰かを落とす選挙にすべきだと思う。選ばれて政治家になっちゃったヤツはしょうがないけど、『こいつだけは許せない』っていう人は落とされちゃう。そこまで徹底しないとダメだよ」


■ 永さんは、東京・浅草の浄土真宗のお寺に生まれ、さまざまな立場、境遇の人たちに触れて育った。

中学生の時に習い事の月謝代稼ぎにNHKラジオに投稿した台本やコントが次々に採用され、高校生でスタッフに。20歳前後はちょうどテレビが開局する草創期。試験放送の段階から携わって現在の日本のテレビ放送の礎を築いた。


しかし、「明治維新が終わっていない」元凶の一つは、テレビだと指摘する。国民が民主主義に目覚める前に、テレビの時代が来てしまったのが問題だという。


「テレビって、『なんでこんなことやっているんだ?』っていう番組が多い。僕はそのテレビを作ってきたのね。とっても恥ずかしい」。そして、テレビが抱える問題の本質を指摘した。「危険なのはね、みのもんたでも、田原総一朗でも、怒るでしょう?
政治家を呼んでおいて『こんなこと許せないっ』なんて。国民は、怒っている人を見て『あっ、怒ってくれている』と確認すると、怒らなくなっちゃうんですよ。それが一番怖いと思う」。そして、テレビの欺まんを嘆いた。

「大相撲の朝青龍にしても、初日前まであれだけたたいて『2~3連敗して引退』って専門家が言っていたのに、そうならなくてもみんな謝らない。言いたい放題言っておいて、言いっぱなし。放送っていうのは、送りっ放しって書くけど、まさにそう。でも、テレビの話題だと、何でも事件になるでしょう。テレビってそれほどのものか、って思いますね」


永さんは、そんなテレビが嫌になって、昔から親交の深い黒柳徹子さんと、筑紫哲也さん(昨年11月に死去)の番組に年に1回ずつ出る以外は、ほとんどテレビには出演していないという。


「明治維新が終わっていない」という閉塞(へいそく)感漂う日本の状況を変えるにはどうしたらいいのだろうか。

「しょっちゅう旅をしているから、僕は知らない街へ行きます。そういう時、振り返るんですよ、歩きながら。どういう道を歩いてきたかを確認すると、帰りに迷わないの。でも、振り返らないで歩くと、ちょっとしたカーブで迷っちゃう。日本という国は、立ち止まって振り返って......ということをしないまま来ちゃっているからね」。だから迷っているのだという。

「『上を向いて歩こう』じゃなくて、『振り向きながら歩こう』」と、永さんは、自身が作詞した坂本九の大ヒット曲に絡めて、提案した。そのためには、新聞も本も、仲間との会話も、歴史を学ぶことも必要になってくる。


永さんの大ぶりセーター。笑顔の犬のイラストデザインが目に付く。聞けば、ファッション評論家でタレントのピーコさんがコーディネートしてくれたのだという。「女房みたいでね」なんて言って、うれしそうに笑った。元々は、02年に亡くなった妻、昌子さんの古い友人だという。多いときには1日100通以上、1年で4万通のはがきを書いてきた永さん。亡くなった妻あてのはがきも、一緒に毎日したためている。


【中川紗矢子】

■人物略歴

◇えい・ろくすけ

1933年、東京都生まれ。ラジオパーソナリティー。放送作家、作詞家、司会者、エッセイスト、語り手などの幅広い活動で知られる。作曲家の故・中村八大氏とのコンビで「こんにちは赤ちゃん」など数々のヒット曲を手がけた。著書多数。担当するTBSラジオ「誰かとどこかで」は今年、開始から42年を迎えた。


『毎日新聞』 2009年1月30日 東京夕刊より


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majyo

昔、マスゴミという言葉を知り、ずいぶんひどい言葉だなあと
思った時がありますが、ようやく少し前からわかりました
スポンサーのつくメデイアは財界の御用聞き
財界は、アメリカ寄り
最後に私たちの一票が生きるはずなのですが
詐欺集団と化した政権与党やマスコミは恥を知らないですね

永さん、本当に残念です。ラジオ聞いていた時がありますよ
上を向いて歩こうを九ちゃんと永さんの為に吹きたいです
by majyo (2016-07-11 19:50) 

kazg

majyo様
永さん、飾らない、率直な、なおかつユニークな、人柄とお話が魅力的でした。ラジオのスイッチをひねれば、今もあの声が流れてくるような錯覚を覚えます。
by kazg (2016-07-11 20:44) 

hatumi30331

コメントありがとうございます。
これからも、出来る限り・・・活動は続けて行きたいです。^^

今回の選挙・・・・
嬉しそうな首相の顔見る度にムカムカしてるけど・・・
選んだ側の責任もあるからね〜
この後、どうするのか・・・・
しっかり見極めて・・イザと言うときは・・・・
はっきりノー!と言えるようにしたい!
みんな!もっとしっかりして!!!
と・・・・心の声でした。
マスコミ・・・強い方に嫌われたくないと言う幼稚な考えが見え見えです。この国には信念のある政治家、マスコミが少な過ぎる!! お休み。
by hatumi30331 (2016-07-11 22:22) 

kazg

hatumi30331 様
>嬉しそうな首相の顔見る度にムカムカしてる
>しっかり見極めて・・イザと言うときは・・・・はっきりノー!と言えるようにしたい!
ホンマやね。そうしたいです。
by kazg (2016-07-12 21:53) 

momotaro

騙しのアベ政治批判、蝉の写真集、永さんの憲法論、色々勉強になりました。
by momotaro (2016-07-14 11:33) 

kazg

momotaro 様
永さんにしても、いろいろな著名人の発言にしても、ご存命のうちに話題にしたかったところです。これの世代の方々の思いを、もっと若い世代に語り継ぐバトンランナーとしての責任は、私たちにあるのでしょうね。
by kazg (2016-07-14 15:25) 

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