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散歩道のモズが思い出させたこと、の巻 [折々散歩]

一昨日の記事で、散歩にpentaxQ10とともに、fujiFINEPIXS1も携行したことを書きました。そちらで写した画像を、きょうはご紹介させていただきます。

散歩道にモズを見つけました。超望遠といえども、さすがに遠いので、トリミングしています。

(ここから下の画像は、フォト蔵に掲載しているものです。クリックすると大きなサイズでごらんいただけます。別のウインドウに開きます。す)



散歩道のモズ

散歩道のモズ posted by (C)kazg

散歩道のモズ

散歩道のモズ
posted by (C)kazg 

散歩道のモズ

歩道のモズ posted by (C)kazg



散歩道のモズ

散歩道のモズ posted by (C)kazg 


このブログを始めたばかりの年の秋、こんな記事を書きました。

◇ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。

ほんの一部分引用して再掲させていただきます(途中、適宜省略があります)。

 元職場では、廊下で出会った特など同僚のSさんと、百舌の鳴き声を確認しあうのが、この季節の習わしになっていました。Sさんは音楽にも秀でた方で、洋楽のレパートリーも豊富なのですが、「『もずが枯れ木で』が好きなんです」とおっしゃったことがありました。

私もモズを見ると、この歌を想い出します。



もずが枯れ木で

【作詞】サトウ ハチロー

【作曲】徳富 繁



もずが枯木で鳴いている

おいらは藁を たたいてる

綿びき車は おばあさん

コットン水車も 廻ってる



みんな去年と 同じだよ

けれども足んねえ ものがある

兄さの薪割る 音がねえ

バッサリ薪割る 音がねえ



兄さは満州に いっただよ

鉄砲が涙で 光っただ

もずよ寒いと 鳴くがよい

兄さはもっと 寒いだろ

ユーチューブには、岡林信康バージョン、倍賞智恵子バージョン、藤圭子バージョン、芹洋子バージョン(サトウハチローの原詩で歌っています)などがUPされていました。

岡林信康サンは、何というか我々の世代から見ると「別格」でしょうかね。心酔したわけではありませんけれど。


岡林信康URCシングル集+8(通常プラケース仕様)

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  • アーティスト:

  • 出版社/メーカー: FUJI

  • 発売日: 2013/03/20

  • メディア: CD





男はつらいよ寅さんDVDマガジン vol.1

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  • 作者:

  • 出版社/メーカー: 講談社

  • 発売日: 2011/01

  • メディア: 単行本




「俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつかおまえの 喜ぶような
偉い兄貴に なりたくて
奮闘努力の 甲斐もなく
今日も涙の 今日も涙の
日が落ちる 日が落ちる」
と寅次郎が無条件に愛する妹「さくら」のイメージが強いですが、「歌手」倍賞智恵子サンを、私かなり好きです。レコード、音楽テープ、CD、、、何枚か持ってます。最初に買ったLPレコードは、この人のものだったかも知れません。買うのは、ちょっと照れくさかったのですが、クラシック好きの友人にちらりと打ち明けると、彼も評価していて、安心した覚えがあります。「島原の子守歌」が特に好きかも。


さくら貝のうた―賞千恵子抒情歌 ベスト

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  • アーティスト:

  • 出版社/メーカー: キングレコード

  • 発売日: 2011/05/11

  • メディア: CD





倍賞千恵子 叙情歌アルバム

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  • アーティスト: 喜志邦三,吉丸一昌,佐々木信綱,加藤省吾,谷村新司,荒木一郎,永六輔,東條寿三郎,東辰三,サトウハチロー

  • 出版社/メーカー: キングレコード

  • 発売日: 2012/11/21

  • メディア: CD




藤圭子さんは、ほぼ同世代。密かにファンでした。8月22日が命日ですか。痛ましいことです。


藤圭子 GOLDEN☆BEST

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  • アーティスト: 石坂まさを,阿久悠,山上路夫,山口洋子,なかにし礼,はぞのなな,六本木哲,阿木燿子,鳥井実,浅木しゅん

  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN

  • 発売日: 2005/10/26

  • メディア: CD







「兄さ」は徴兵により、凍える満州に送り出されていきました。
サトウハチローの作詞が昭和10年(1935年)、徳富繁の作曲が昭和13年(1938年)だそうです。
軍国主義華やかなりしこの頃、人為による「兄の不在」、「愛する者の不在」を、こうも切々と訴えた詩が生まれたことは、驚きです。この時代、反戦や民主主義を目指す思想や運動には徹底的な弾圧がくわえられ、ありとあらゆる芸術、文化、言説が、「戦意高揚」へと駆り立てられていきました。
石川達三の「生きている兵隊」(『中央公論』1938年3月号)が発行禁止処分を受けるなど、表立って「反戦」を唱えなくとも、少しでも戦争の悲惨を伝え、戦意喪失させるような作品は、発売禁止にされました。そんなご時世に、「鉄砲が涙で 光っただ」なんて、日本男児にあるまじき「女々しい」歌が検閲を免れ、地方の民謡として歌い継がれたことは、希有な奇跡だったかも知れません。.




「もずが枯れ木で」は兄の不在を歌いました。兄を奪った者は戦争でした。

さしたる脈絡はないのですが、私はなぜか、この歌を連想します。
「おとう帰れや」は、出稼ぎで帰らない父の不在を歌います。父を奪った者は貧困でした。
そして、戦争も貧困も、国家の仕業、政治の仕業に他なりません。


「おとう帰れや」
作詞:白井道夫  
作曲:真木淑夫
作曲:すずききよし
(この歌は、別の作詞者による二つの曲があるそうです。)


1 風に追われてお父が消えた 峠の向こうににじんで消えた
  山の畑は  雪の下


2 足んねぇ足んねぇで出稼ぎ暮らし 余り物ちゅうてお父の茶碗
 主無ぇ箸の  にくらしさ


3 せめて夢でもお父に会いてぇ クレヨン抱えて伜が泣いた
 お父の顔が  書けねとよ


4 お父がいねぇで夜が長すぎる 夜なべ仕事にムシロを編もか
  ムシロ編むより  縄をなえ


5  縄がなえたらお父よ戻れ 腰を結わえて倅に持たそ
  今年しゃどこにも  行けねよに


6  峠を染めて朝日が昇る 山の向こうにもう陽が沈む
  はかの行かねぇ  野良仕事


作曲:真木淑夫の曲は、岡林信康バージョン、森山良子バージョンをユーチューブで見つけました。


森山良子フォークを歌う ベスト&ベスト KB-13

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  • アーティスト:

  • 出版社/メーカー: テイチクエンタテイメント

  • 発売日: 2008/07/01

  • メディア: CD



作曲:すずききよしの曲の方は、こちらに紹介がありました。

http://bunbun.boo.jp/okera/v_suzuki/otou_kaereya.htm
高石ともやのアルバムに収められていますが、ネット上には発見できませんでした。
すずききよし さんのホームページとブログはここです。82歳で壮健です。http://sakura.bb-west.ne.jp/spr/cam-frr/





追伸:今年の夏に書いた◇今もなおとびらをたたく音きこゆ(8月に寄せた学級通信2)の記事で紹介した二木紘三のうた物語のサイトに、「もずが枯れ木で』についての詳しい記事と、音源が掲載されていますので、勝手にご紹介させていただきます。



http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/03/post_0945.html

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/03/post_c159.html



ところで「もずが枯れ木で」の「兄さ」は、兵士として満州に渡りました。しかし満州に渡ったのは、兵士ばかりではありません。

「満州事変」後、「満蒙開拓団」と呼ばれる数十万人に及ぶ「移民」の一団が、「国策」として旧満州(中国東北部)に送り込まれたのでした。

「デジタル大辞泉の解説」を引用します。




まんもう‐かいたくだん【満蒙開拓団】
満州事変後、日本が満蒙地区に送りこんだ農業移民団。昭和7年(1932)に第一次移民が送り出され、昭和20年(1945)敗戦時には約32万人がいたといわれる。多くがソ連・満州国境地帯に入植し、中国人・朝鮮人の既耕地を収奪する結果となった。第二次大戦敗戦直前、ソ連の対日参戦で関東軍から置き去りにされ、多大な犠牲者を出した。満州農業移民。


ユ-チューブにこんな番組がupされており、見応えがあります。

↓NHKスペシャルの番組です。

◇満蒙開拓団 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=ejMaOdvvZaw

↓ 満蒙開拓青少年義勇軍を題材にしたアニメ-ション映画満開拓と少年たちを描くアニメ-ション映画です。

◇「蒼い記憶」

https://www.youtube.com/watch?v=tCeRQm0FljM

満蒙開拓団を最も多く送り出した県は長野県で、資料によっては38、000人とも3.3000人ともされますが、送出の運動は全国に及び、岡山県からも、2900名前後が送出されたといわれます。


去年(2015年)の8月24日付地元紙「山陽新聞」に「中国・満蒙開拓団跡ツアーに同行 今も残る「美作」、消える証言者」という表題の記事が掲載されており、私の郷里「美作」にも関係するので、切り抜きして保存しています。


 中国・満蒙開拓団跡ツアーに同行 今も残る「美作」、消える証言者




「美作」の文字が残る道路標識を確かめる青木さん(左)=黒竜江省樺南県



竜爪の村に残る開拓団時代の家屋の前で話す小林さん(右)と候さん=黒竜江省林口県







 戦時中、旧満州(中国東北部)へ日本人移民が送り込まれた満蒙(まんもう)開拓団の足跡をたどるため、8月7日から12日まで、近現代史研究家の青木康嘉興譲館高講師(63)らの訪問団が中国黒竜江省などを巡った。戦後70年がたち、戦争を語る証言者や建造物が中国の地でも消えつつあることを実感した旅。一行に同行、現地の今をリポートする。



 ■  □  ■  □  ■

 トウモロコシ畑が続く地平線に日が傾き始めた。日没まで時間がない。ロシア国境に近い黒竜江省の樺南県。目的地の七虎力(しちこりき)開拓団跡を目指し、近隣村民のバイクの先導でツアーバスが広野を走る。

 「あった!」。諦めかけたころに、青木さんの声が上がった。道沿いの道路標識に今も残る「美作」の文字。同開拓団美作郷があった名残だ。



岡山県から入植 

 七虎力開拓団は、近畿中国地方から178戸626人が入植していた(西崎忠雄著「七虎力村」)。特に岡山県からの入植者が多く、美作のほか、岡山、吉備津、備前の各郷に分かれて出身地別の集落を形成していた。

 今では集落ごとなくなっている所もあり、当時の場所を特定することは難しい。だが、事前に「美作の地名が残っている」と残留孤児だった中国帰国者から証言を得られたため、訪問団として初めて入る同開拓団集落の目標にしていた。

 美作郷跡にある集落は、「七一村」と地名を変えたが、地元住民によると、今でも「美作(メイツォ)」の旧地名を使うという。当時、岡山出身の開拓団員が始めた水田の耕作も続いている。村の中には屋根が崩れかけたり、改修された旧開拓団家屋が3軒点在するのみだ。

 旧満州の開拓団は、終戦直前に参戦したソ連軍に追われ、農地を捨てて逃げ惑い難民化した。七虎力開拓団では暴徒の襲撃や集団自決が相次ぎ、400人が死亡したとされる。

 だが、村の古老・憑甲臣さん(73)は「日本人がいたことは聞いているが、当時を知る住民はもういない」と話す。

住民と交流 

 七虎力開拓団跡から100キロほど離れた林口県の竜爪(りゅうそう)開拓団跡も訪れた。岡山県出身者でつくる日の出郷は、ツアーに参加した小林軍治さん(72)=岡山市=の生まれ故郷だ。

 「満州第六次龍爪開拓団の足跡」(船越美智子著)によると、同開拓団の在籍者は、1254人。終戦当時2歳だった小林さんは、生還者575人のうちの1人。

 今でも「竜爪(ロンジャオ)」と呼ばれる村の訪問は、小林さんにとって1983年に父親と来て以来5回目。到着すると大勢の住民が集まり、開拓団時代の古い家屋に案内してくれた。

 所有者の候桂英さんは終戦直後にここで生まれた集落の最長老。「昔、日本人がここにいたことしか知らない。もう戦争を起こさずに平和が続いてほしいですね」と言う。

 今は日中友好協会岡山支部事務局長を務める小林さんは「気持ちよく迎えてもらい、里帰りした気分。お互い重い歴史を背負っているが、何度も交流して理解を深めたい」と顔をほころばせた。

現地で裏付けを 

 満蒙開拓団などの歴史研究に取り組む青木さんがかかわる中国東北部ツアーは8回目。「戦後の年月がたち、関係者の聞き取り調査の証言もあいまいになる。記録を事実に近づけるためには、現地での裏付け調査が欠かせない」と強調する。

 一行9人は、大連や牡丹江、佳木斯(チャムス)など、日本統治・支配時代の拠点都市も訪問。当時の施設や日本人街の建物が開発ラッシュで消えていくのを目の当たりにした。戦争の記憶の風化は進む。

 ツアー参加者で、終戦の年に朝鮮半島で避難生活を送った守屋八束さん(75)=倉敷市=は「現地で話をする人も、かつての様子を知る建物もなくなり、戦後70年の年月を実感した。当時をよく知る親の代がいなくなり、われわれが戦争の雰囲気を覚えている最後の世代になった」と語っていた。

 ◇ 満蒙開拓団 1931年の満州事変後、日本が実質的支配権を握った旧満州などに渡った農業移民団。国策によって強力に推し進められ、全国から約27万人が送り込まれたが、ソ連参戦によって逃避行と難民生活を余儀なくされ、死者が続出。残留孤児を生み出した。岡山県史によると、県出身の開拓団員は2907人。うち、死者775人、未帰還者213人。



 記事に登場する青木康嘉氏は、同行の高校教師で、世代も近く職場のご縁も浅いと言えない間柄。長く、植民地時代の日本と中国、また韓国・朝鮮の歴史を、掘り起こす活動を続けてこられました。また、小林軍治氏も先輩同業者で、若い頃から親しくしていただいていますが、中国引き揚げ者であるというご自身の体験から、退職後は、中国残留孤児・帰国者の生活・権利の問題や日中友好の運動をライフワークとしておられます。




散歩道で出会ったチョウたちをご紹介します。

コスモスの花に止まるキチョウ


コスモスの花に止まるキチョウ posted by (C)kazg 

  ヒャクニチソウの花に止まるキアゲハ

  ャクニ  チソウの花に止まるナミアゲハ posted by (C)kazg

ヒャクニチソウの花に止まるキアゲハ

ヒャクニチソウの花に止まるナミアゲハ posted by (C)kazg

  ヒャクニチソウの花に止まるキアゲハ

 ヒャクニチソウの花に止まるナミアゲハ posted by (C)kazg

ニラの花に止まるイチモンジセセリ

 ニラの花に止まるイチモンジセセリ posted by (C)kazg



  散歩道のヒメジャノメ
散歩道のヒメジャノメ posted by (C)kazg


センダングサの花に止まるキチョウ

センダングサの花に止まるキチョウ posted by (C)kazg 

ニラの花に止まるヤマトシジミ

ニラの花に    まるヤマトシジミ posted by (C)kazg 

  ニラの花に止まるヤマトシジミ

ニラの花に止まるヤマトシジミ posted by (C)kazg
昨日の快晴がウソのように、今日は午前中から天気が崩れ、ちょっと強い雨になっています。

降り出す前に、ちょっと畑に出て、野菜種をまくことができました。

きょうはこれにて。


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コメント 10

cyoko1112

こんばんは。
コメントありがとうございました。
チョコ君家の無花果の木には時々「メジロ」がやってきますよ。熟れた実をつついています。

ニラの花にチョウですね~~。

by cyoko1112 (2016-09-25 19:00) 

yakko

こんばんは。
蝶は大好きです ! 可愛いですね〜
by yakko (2016-09-25 19:05) 

kazg

cyoko1112 様
メジロ、可愛いですね。
ニラの花にはいろいろな虫が集まるようです。
by kazg (2016-09-26 06:56) 

kazg

yakko様
春と同様、この季節もチョウがたくさん姿を見せてくれますね。
by kazg (2016-09-26 06:58) 

hatumi30331

モズは大阪の鳥。
また見れる時期が来たかな?^^
楽しみです。

季節の花が変わって行く時期やね。^^
by hatumi30331 (2016-09-26 19:04) 

Enrique

kazg様,失礼します。
今回のものはナミアゲハですね。
色もさることながら,上翅の縁の部分に細い黒線が数本入っています。キアゲハはここがボカシになりますね。
by Enrique (2016-09-26 20:16) 

kazg

hatumi30331様
そうでしたね。そういえば、ゆるキャラも人気でしたね。
鳥も花も、秋の装いを濃くしてきていますね。
by kazg (2016-09-26 22:47) 

kazg

Enrique 様
あれま、ちっとも進歩がありません(汗)
意識したのにやっぱり間違うという「負のスパイラル」です、、、。
ご面倒でも、今後とも、よろしくお導きくださいませ。

by kazg (2016-09-26 22:54) 

momotaro

「もずが枯木で鳴いている」フレーズに聞き覚えはあるものの、よく聞いたことはありませんでした。兄さの満州につながっているとは・・・
岡林バージョンと賠償バージョンを聴いてきました。
サトウハチローさんは、よくぞ虐殺を免れたものですねぇ、既に慕われていたからなんですかねぇ?
by momotaro (2016-10-01 06:22) 

kazg

momotaro様
サトウハチローさんの詩、不思議なことです。
どうやら、ご自身も、当時の多くの文学者同様、基本的には戦争協力の立場で、この詩もまた戦争反対詩のつもりではなかったようです。逆に、満州の苛酷な環境に耐えて立派に従軍生活を送る兄と、それを慕ってけなげに銃後を守る弟を描いたものとして、兄弟愛をテーマとした「兄を思う」の項目に分類して発表されたそうです。
発表時の昭和10年(1935)年が、検閲・弾圧の体制がまだそれほどには徹底していなかったことなどともあいまって軍部・お上の警戒の対象とはならなかったことが想像されますが、それにしてもここまでしみじみと厭戦の思いを呼び起こす詩が黙認されたことは、不思議と言うしかありませんね。
by kazg (2016-10-01 07:42) 

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