縁は異なもの、「青頭鳥」再考、の巻 [あれやこれやの知ったか話]
ちょっと前、こんな記事を書きました。
◇「青頭鶏」川に潜る「牛留鳥」?、の巻
この記事へのコメントで、 様が 、こう書いてくださいました。
その時、私はこうお答えしておりました。
昨日一昨日と、阿部池や児島湖周辺の散歩で、マガモの群れを確認しました。
手前が♀、向こうが♂ですね。♂はまさしく青首ですね。
手前が♂。
児島湖の景色。雨は上がっていますが、雲が厚く、風があるので、湖面が波立っています。
朝の漁をする小舟があります。
常山が見えます。
ところで、久しぶりに阿部池あたりをカメラ散歩したのは、児島湾干拓事業の話題のつながりからでした。そもそも、 病室雑話 藤田という地名でも書きましたように、このゴイサギに会う、の巻で触れた学習会が、これら一連の記事のきっかけでした。つまり、児島湾の干拓が同和鉱業(=現社名DOWAホールディングス)の前身藤田組によるものであることを再認識したのが始まりでした。
一昨日、退院の報告がてら郷里の父を訪ねた時も、この話題になり、昔、阿部池で釣りをして大釣果をあげた思い出話も出ました。県北部在住の父ですが、県最南端のこの地域一帯が、勤め先の会社の所有地であったことから、何かとなじみが深かったようです。
一昨日、父を訪ねたには、もう一つ用件がありました。
実は、父の出生地は、植民地時代の朝鮮半島でした。5才の頃までそこで育ち、冬の寒さ、松の実をよく食べた記憶、オウリョッコウが近かった記憶、など、いろいろとかすかな記憶があるようです。かねがね、一度は訪ねたいと思ってきたが、もう今となっては無理ながら、せめてどんな場所だったか、地図があったら探してほしいと、ずいぶん前、頼まれていました。
戸籍簿の記述に、朝鮮平安北道江界郡云々とあるのを頼りに、地図を参照してみますが、なかなか難渋しました。
なにしろ、国交断絶状態にある北朝鮮に属するだけに、余計に地図情報などが入手しにくい事情もあるのかも知れません。観光旅行向けの案内書や地図のようなものも見あたりません。アマゾンで、地図を入手し、中身も確かめないで送っておいたのですが、「平安北道江界郡」なる場所は見つかりません。
先月、一番下のゼロ歳児の孫とその母親(私の長女)と一緒に田舎を訪ねた際、ことの次第を話していると、長女がスマホで、ちょこちょこっと検索ながら、「オウリョッコウって、鴨という字を書く?」と尋ねます。父も私も、とっさには返答できず口ごもっているあたりで検索作業はお預け、話題が他へ移りました。
「オウリョッコウ」は「鴨緑江」。疑う余地はないはずなのに、いざ問われると、動転して迷ってしまう。
ウィキペディアにこうあります。
さらにこうもありました。
そうでした。なぜとっさに思いださないのでしょう。地理音痴、歴史音痴の面目躍如です。
「朝鮮平安北道江界郡」を地図上で確かめることにしばし難儀したのですが、結論は次の通りと考えて良さそうです。
「江界郡」をウィキペディアで調べると、「 江界市」に行き当たります。
おや?「平安北道」ではなくて「慈江道」?
ヒントは同じくウィキペディアのここにありました。
旧平安北道が、今は平安北道と慈江道に分割されていて、江界郡(現江界市)は慈江道に属するということですね。
我が家の古い「平凡社百科事典」をひもとくと、こうありました。
知れば知るほど、鴨緑江と深い縁がありました。
鴨緑江の「鴨」は、やはりマガモでしょうか?
【今日の付録】
実家に向かう途中、三徳園を訪ねてみました。
ジョウビタキに会いました。
実は、違う色のヒタキに会いたいと期待していたのですが。かないませんでした.ひょっとして、チラッと姿を見かけたような気もしましたが、カメラを構えようとしているうちに飛び去ってしまいました。
大きなレンズのカメラで、木の梢を狙っておられるかたがありました。枝から枝へと、ひょいひょい飛び移る小鳥の姿がありました。とても遠いのですが.念のために写しておきました。思い切ってトリミングしてみると。
どうやらメジロのようでした。
今日はこれにて。
◇「青頭鶏」川に潜る「牛留鳥」?、の巻
足桧木之 山川水之 音不出 人之子垢 戀渡青頭鶏 【訓読】あしひきの 山川水(やまがはみづ)の 音に出(い)でず 人の子ゆゑに 恋(こ)ひわたるかも 【解釈】山の川の水の流れのように、音をたてずひそやかに、あの人は人の妻であるので、ひそかに恋し続けることですよ。 【解説】「あしひきの」は、山にかかる枕詞。「人の子ゆゑに」は「人妻ゆゑに」と同義。「恋ひわたる」の「わたる」は、時間的、空間的に同じ状況・動作が続くこと。 「青頭鶏」は「かも」と読み、詠嘆の終助詞。中国の文献に「青頭鶏者鴨也(青頭鶏は鴨なり)」と記したものがあることを踏まえています。 青い頭の鶏とは、どんな種類の鴨でしょうかね。 わが家の近くの用水路にやってきているコガモです。 これも、顔が青いと言えば青いですがね。 |
この記事へのコメントで、 様が 、こう書いてくださいました。
最初の写真に写っているコガモ,私のデコイの色になっていました。 http://classical-guitar.blog.so-net.ne.jp/2016-06-12 こちらの写真には無いですが,マガモのオスは青首とか言いますが,首から上がつるんつるんのグリーンです。それを言っているのではないでしょうか。 |
マガモはアオクビ(青首)と呼ばれますので、 もしかすると、マガモの事かもしれませんね。 |
Enrique様 精巧なデコイですね。微妙な色がそのままです。 マガモの♂、今年はまだ撮っていないので載せませんでしたが、確かに青首ですよね。納得です。 じゅんじい様 ありがとうございます。確かに青首の名のごとく、マガモのオスの頭部は目を引くの緑色ですね。今シーズンはまだマガモにお目にかかっていません。 |
手前が♀、向こうが♂ですね。♂はまさしく青首ですね。
手前が♂。
児島湖の景色。雨は上がっていますが、雲が厚く、風があるので、湖面が波立っています。
朝の漁をする小舟があります。
常山が見えます。
ところで、久しぶりに阿部池あたりをカメラ散歩したのは、児島湾干拓事業の話題のつながりからでした。そもそも、 病室雑話 藤田という地名でも書きましたように、このゴイサギに会う、の巻で触れた学習会が、これら一連の記事のきっかけでした。つまり、児島湾の干拓が同和鉱業(=現社名DOWAホールディングス)の前身藤田組によるものであることを再認識したのが始まりでした。
一昨日、退院の報告がてら郷里の父を訪ねた時も、この話題になり、昔、阿部池で釣りをして大釣果をあげた思い出話も出ました。県北部在住の父ですが、県最南端のこの地域一帯が、勤め先の会社の所有地であったことから、何かとなじみが深かったようです。
一昨日、父を訪ねたには、もう一つ用件がありました。
実は、父の出生地は、植民地時代の朝鮮半島でした。5才の頃までそこで育ち、冬の寒さ、松の実をよく食べた記憶、オウリョッコウが近かった記憶、など、いろいろとかすかな記憶があるようです。かねがね、一度は訪ねたいと思ってきたが、もう今となっては無理ながら、せめてどんな場所だったか、地図があったら探してほしいと、ずいぶん前、頼まれていました。
戸籍簿の記述に、朝鮮平安北道江界郡云々とあるのを頼りに、地図を参照してみますが、なかなか難渋しました。
なにしろ、国交断絶状態にある北朝鮮に属するだけに、余計に地図情報などが入手しにくい事情もあるのかも知れません。観光旅行向けの案内書や地図のようなものも見あたりません。アマゾンで、地図を入手し、中身も確かめないで送っておいたのですが、「平安北道江界郡」なる場所は見つかりません。
先月、一番下のゼロ歳児の孫とその母親(私の長女)と一緒に田舎を訪ねた際、ことの次第を話していると、長女がスマホで、ちょこちょこっと検索ながら、「オウリョッコウって、鴨という字を書く?」と尋ねます。父も私も、とっさには返答できず口ごもっているあたりで検索作業はお預け、話題が他へ移りました。
「オウリョッコウ」は「鴨緑江」。疑う余地はないはずなのに、いざ問われると、動転して迷ってしまう。
ウィキペディアにこうあります。
鴨緑江(おうりょくこう、北京語:Yālù Jiāng、ヤールージャン、満州語:ᠶᠠᠯᡠ ᡬᠢᠶᠠᠩ 転写:Yalu giyang、朝鮮語:압록강[2])は、中華人民共和国(中国)東北部と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国境となっている川である。白頭山(中国名:長白山)に源を発し黄海に注ぐ。水の色が鴨の頭の色に似ていると言われたことからこの名前がある。 (中略) |
さらにこうもありました。
日露戦争時には日本軍とロシア軍が激戦を繰り広げた(鴨緑江会戦)。また、朝鮮戦争時には北朝鮮軍を支援する中国軍が鴨緑江を越え、国連軍が両国を結ぶ鴨緑江沿いの要衝に爆撃を行った。 |
そうでした。なぜとっさに思いださないのでしょう。地理音痴、歴史音痴の面目躍如です。
「朝鮮平安北道江界郡」を地図上で確かめることにしばし難儀したのですが、結論は次の通りと考えて良さそうです。
「江界郡」をウィキペディアで調べると、「 江界市」に行き当たります。
江界市(カンゲし)は、朝鮮民主主義人民共和国の慈江道の道都。人口約22万人(1993年)。 |
おや?「平安北道」ではなくて「慈江道」?
ヒントは同じくウィキペディアのここにありました。
平安北道 (日本統治時代) 平安北道(へいあんほくどう、ピョンアンプクト)は、日本統治時代の朝鮮の行政区画の一つ。現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平安北道・慈江道を合わせた地域にあたる。道庁所在地は新義州。 |
旧平安北道が、今は平安北道と慈江道に分割されていて、江界郡(現江界市)は慈江道に属するということですね。
我が家の古い「平凡社百科事典」をひもとくと、こうありました。
慈江道 Jakangdo 朝鮮北部の道。鴨緑江をへだてて中国に接し,他は両江道,威鏡南道,平安南・ 北道の4道にかこまれている。 1949年新設された道で, もとは平安北道と咸鏡南道の一部に属していた。面概約15,400㎞, 首都は江界市。 〔自然〕 (中略) 鴨緑江およびその支流と清川江の流域が道のほとんどを占めており鴨緑江の本流の過半(約4ookm)は道内を流れている。気温は北部の中江で年平均3.6 ℃, 1月平均-21.1℃, 8月平均21.6℃である。南部の熙川(きせん)地方では,年平均7~8℃, 12~3月間は月平均0℃以下である。 中江は朝鮮の最低記録地で. 1933年に一43.6℃を記録した。雨量は年平均800mm以h.で, 熙川地方は年1,300一で最も多い。 〔産業〕土地利用率は7%で, そのうら水田面積の比率は10%未満である。 耕作地の大部分は火田で, 蓋馬台地, 茂山高原の火田が大きな比重を占めている。 そのうえ,生物の成長期間が短いので農業はふるわない。農作物は耐寒作物を主とし, トウモロコシ, ダイズ, アワ,亜麻.、大麻, タバコを産する。畜産業も盛んで. 慈城・満浦・中江郡には国営農牧場・種畜場があり,羊,豚, メンヨウが多い。(後略) |
知れば知るほど、鴨緑江と深い縁がありました。
鴨緑江の「鴨」は、やはりマガモでしょうか?
【今日の付録】
実家に向かう途中、三徳園を訪ねてみました。
ジョウビタキに会いました。
実は、違う色のヒタキに会いたいと期待していたのですが。かないませんでした.ひょっとして、チラッと姿を見かけたような気もしましたが、カメラを構えようとしているうちに飛び去ってしまいました。
大きなレンズのカメラで、木の梢を狙っておられるかたがありました。枝から枝へと、ひょいひょい飛び移る小鳥の姿がありました。とても遠いのですが.念のために写しておきました。思い切ってトリミングしてみると。
どうやらメジロのようでした。
今日はこれにて。
2016-12-15 14:11
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マガモに、天使の梯子。
寒そうな空。
冬やね〜
メジロ、素早くて、なかなか撮れないのよ。^^
by hatumi30331 (2016-12-16 13:43)
hatumi30331様
冷えますね.風があると余計に寒いです。
メジロは、シャッターの回数に比べて成功率が低いです。今回のは、遠くから写したので軽快はされませんでしたが、その分画像が不鮮明です。なかなか難しいですね。
by kazg (2016-12-16 14:06)