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縁は異なもの 早島弥次喜多旅、の巻 [折々散歩]

10月にM君のお供として楽しんだ弥次喜多道中の続きです。
私の居住地近くの彦崎貝塚と、その出土品が展示されている灘崎歴史文化資料館を見学した記事は、前回書きました。



次の目的地は早島でした。
ここも縄文遺跡や貝塚が存在し、「歴史民俗資料館」という施設もあるのでそこを訪ねてみれば概要がわかるのでは、というのがM君の動機であった由。
「地元民」である私が、助手席でナビをつとめますが、どうもスムーズにはたどり着けません。
早島町は、これまでに行ったことがないというわけではありません。核兵器廃絶を求める「原水爆禁止国民平和大行進」の一環として、何度か、早島町役場から倉敷市役所までのコースを歩いたこともありました。真夏の焼けつく日射しと、道路脇の稲葉の青々としたうねりが、印象深く記憶されています。
でも、経路や方角の細部がアイマイで、いざナビを試みようとすると、いつも通りに行き当たりばったりに終始します。
とにかく町役場にたどり着き、通りすがりの人に、これこれの資料館をご存じないかおたずねしたところ、親切にも、たぶんこれかな、と自動車で先導して案内してくださいました。
そこは、予想だにしない、 「戸川家記念館・戸川家陣屋跡」という場所でした。

案内板の表示を拡大してみます。







まったく予備知識なしの見学でした。
早島町hpに、次のようなページがあります。
青色文字をクリックすると、リンク先が別ウィンドウに開きます。
 早島町の歴史
いずれも興味深い記事が掲載されていますので、一読をおすすめしますが、旗本のまち、早島 というページを 引用してご紹介させていただきます。

戸川家

江戸時代、早島を治めたのは旗本の戸川家でした。戸川家の家祖、戸川達安(みちやす)は父秀安の代から宇喜多家の重臣として常山の城を預かっていましたが、お家騒動のため関東に下り、関が原合戦には東軍に加わりました。そして合戦では、敵将石田三成の懐刀と言われた島左近を討ち取ったと伝えられ、その功により備中庭瀬2万9200石の大名として賀陽、都宇の二郡を与えられました。

旗本戸川家六流

その後庭瀬藩を継いだ達安の嫡子正安は、寛永5年(1628)弟の安尤(やすもと)に3400石を安利(やすとし)に3300石を分地し、旗本として早島知行所、帯江知行所をおこさせました。その後も戸川家は分家を繰り返し、庭瀬・撫川・早島・帯江・妹尾・中島の6家となりましたが、本家の庭瀬は絶家したため、撫川の戸川家が名跡を継ぎ4000石を加増され交代寄合に叙せられました。

早島戸川家

寛永5年、早島知行所をおこした安尤は、旗本として江戸木挽町築地に屋敷を拝領し、慶安2年(1649)領主として初めて早島に入りました。元禄6年(1693)二代安明は、陣屋を早島の塩地に定め、17年の歳月をかけ宝永6年(1709)三代安貞の時に完成させました。安貞は日蓮宗への帰依が厚く、本町の妙法寺に自筆の陀羅尼品一巻を奉納しています。また、鶴崎神社には四代安晴が正徳6年(1716)に奉納した江戸上野寛永寺の絵馬が伝わり、九代安悌(やすちか)は文化5年に国鉾神社へ見事な石灯篭を寄進しました。
早島戸川家最後の領主となった13代戸川安宅(やすいえ)は、元治元年(1864)の長州征伐に出兵した後、明治元年には兄に代わり上洛し、朝廷に忠勤を誓い、早島に入部しました。明治7年、安宅はキリスト教に入信、牧師として伝道に従事しました。また明治36年には「文学界」に新体詩『桂川』『明智光秀』を発表するなど、文学にも深い関心を示しました。

突如「戸川達安(みちやす)は父秀安の代から宇喜多家の重臣として常山の城を預かっていました」などという記述に出くわすと、面食らいます。
話題は次回に続きます。
これは先日、ムルデルの干拓堤防付近から眺めた常山です。

今日は、結膜炎のために登園禁止・自宅待機となっている1歳9ヶ月の保育園児を、じいじ一人で夕方までお預かりしました。
機嫌がよい時は良いのですが、ちょっとむずかり始めると、へそを曲げて、「ママ、ママ」の連呼。あるいはまた「バアバ、バアバ」と泣き叫びます(泣きたいのはこちらです)。
車に乗せて走るのが好きで、泣いていても機嫌がなおる、という情報を得ていましたので、おだてすかして外出の服装を着せ、靴も履かせて、いざチャイルドシートに座らせようとしたら、また突然に前身で抵抗を始めます。「拒否権発動」というヤツですか。
万事窮して、乳母車に乗るかと打診してみましたら、イエスだそうです。
濃霧注意報の出されている朝でした。
いつもの宮川用水路が、霧に覆われています。

田園の中のこちらの用水路には、コガモの群れ。姫の機嫌も直って、ちょっと興奮気味です。




五里霧中で、ちょっと先が見通せません。
いつもなら、向こうに常山が見えるはずなのですが。





乳母車におとなしく乗っていてくれたのもこのあたりまででいったんスイッチが入ると、敢然として抱っこをせがみます。このあと帰り道の2kmほど、片腕に姫を抱っこ、片手に乳母車押手を支えて、ブラブラと帰るのは、体力的消耗も並一通りではありません。
そのくせ、気が向くと俄然ハイテンションです。
今日は比較的寒気がゆるみ、11月並の暖かさだそうで、軽装で走り回ることができました。








ところで、年長組の姉も、目が赤いので、午後、眼科を受診しました。
常山がこんなに近くにあります。







診察結果は、やはりウイルス性の結膜炎で、一週間は保育園のお休みが必要とか。
こういう次第で、明日からは、姫二人をお預かりすることになります。ますます、ブログ更新・訪問がおろそかになりそうですが、あしからずお許しください。
今日はここまで。
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コメント 4

majyo

うちの孫姫もマイコプラズマ肺炎とか
今日行きましたがおとなしい。
小さい子が熱出したりすると可哀そうですね
by majyo (2016-12-22 19:22) 

kazg

majyo様
マイコプラズマ、咳が苦しい病気ですね。
騒いでいる時は憎たらしいが、ぐったりしていると痛々しいですよね。
by kazg (2016-12-22 21:49) 

momotaro

大変でしたねぇ、よくわかります、ジイジの苦労・・・
by momotaro (2017-01-02 07:19) 

kazg

momotaro様
先輩ジイジのありがたきお言葉、身に沁みます。
by kazg (2017-01-03 18:01) 

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