日帰り海外旅行でアンパンマンに会う、の巻 [折々散歩]
一昨日が旧暦の元日。
中国では春節、ベトナムではテトが祝われる時期だそうですね。
だからというわけではありませんが、昨日、妻と久々の「海外旅行」をしてきました。ええ、JR割引切符で、四国松山への日帰り旅行です。妻の亡父の7回忌の法事でした。
以前は、たいてい車で移動していました。30年以上も前は、宇高航路のフェリーを使い、国道11号線をひた走る長旅でしたが、1980年代、高速道路がつながり、瀬戸大橋も架橋されてからは、気軽に行けるようになりました(料金だけは負担感がありますが、家族みんなで行くときは、一番リーズナブルですし)。
ただ、脳動脈瘤の影響で、複視(二重視)やふらつきなどの自覚症状が高じてからは、長距離の運転はひかえてきました。子どもの運転で移動したのが、何年前でしたっけ?
脳動脈瘤手術を受けて、現在の回復状況ならば、運転できなくもない思いもありますが、日帰りとなると少し億劫で、交通機関を利用することにしました。
もっともリーズナブルな方法として、高速バス利用が思い浮かびましたが、残念ながら、始発のすバスに乗っても目的の時刻に間に合いません。
仕方なく、JR利用と決め、前もって駅窓口に切符を購入しに行くと、駅員さんが「お得な切符がありますよ」と紹介してくださいました。
「特急券は自由席で、指定席には変更できませんが」とおっしゃいます。
「座れますかね」と私。
「それはわかりません」と駅員さん。
ごもっともです。
特別なシーズンでもないので、満員になることはないだろうという予想を頼みに、購入を決めました。
「松山観光きっぷ」というのだそうです。
購入後調べてみますと、岡山-松山間の運賃は、6,310円(乗車券:3,930円、特急券自由席:2,380円)のところ)松山観光きっぷの利用で、片道4,010円に割引になります。
夫婦で往復の購入ですから、しめて4,600円もオトクということになりました。ありがたいことでした。
6時30分過ぎに家を出て、茶屋町駅で電車に乗ります。駐車場が便利なのでこの駅を使います。
朝日が昇ってきました、
ここからも常山がうっすらと見えます。
そろそろ電車がやってくる時刻です。
児島駅まで快速マリンライナーに乗ります。
おや、ぶれました。
児島から松山まで、特急しおかぜで。
曇り空ながら、瀬戸内海の眺望は、見飽きません。
途中でアンパンマン列車とすれ違いました。
自分の乗った電車の座席にもこんなCMステッカーが貼ってありました。
土讃線は土佐(高知)と讃岐(香川)を結ぶ路線。
アンパンマンの作者故やなせたかしさんは、高知県と深い縁がありますから、アンパンマン列車が土讃線を走ることは自然といえば自然です。
高知県香美市立やなせたかし記念館=あんぱんまんミュージアムのHPでは、やなせさんをこのように紹介してあります。
我が家の玄関にはやなせさんの写真が飾られています。
生前に、「しんぶん赤旗」日曜版に掲載されたインタビュー記事に添えられた写真が、あまりに素敵だったので、妻が切り抜いて額に入れて飾ったのでした。
(新聞記事はこのページ参照)
調べてみると。2013年の5月5日付のしんぶん赤旗日曜版でした。こんな記事でした。
やなせさんは、この年の10月13日に亡くなられたのでした。
春節の休暇利用でしょうか、同じ列車には、中国からのお客さんも乗り合わせておられたようです。道を尋ねられましたが、お役に立てませんでした。
JR松山駅を降り立つと、子規の句碑がありました。大きな自然石にきざまれているのは、
春や昔十五万石の城下かな
の句です。
妻の実家はここから徒歩で十数分。お城の見える場所にあります。
電車通りから望むうす曇りの松山城。
登ってみる時間はありませんでした。
法事を終え、昼食をともにして、久しぶりの懐かしいよもやま話もそこそこに、帰路につきました。
松山駅構内には、こんな大ポスターが掲示されていました。
こんな列車が止まっていました。カレーパンマンですね。
そして驚いたこと入線してきたのは、この列車。
天井にもキャラクターが、、、。
いやはや、あんぱんまんのキャラクターって、何人いるのでしょうか?楽しいことです。
途中検札にやってきた車掌さん、切符にハンコを押してくれました。
拡大してみます。
せっかくのアンパンマンのハンコですが、降車時に改札で回収されてしまいます。残念なことです。
帰宅後アンパンマン列車のページを調べてみると、アンパンマン列車が走っているのは土讃線だけではないようです。
予讃線を走るアンパンマン列車の時刻表です。
車両ごとにデザインが異なるらしい。
さらに西、宇和島まで走る列車。
児島でアンパンマン列車を降り、各駅列車に乗り換えて茶屋町に向かいます。
各駅列車の車窓から、ここまで乗ってきたアンパンマン列車を見納めです。
すっかり楽しませてもらいました。
今日はこれにて。
中国では春節、ベトナムではテトが祝われる時期だそうですね。
だからというわけではありませんが、昨日、妻と久々の「海外旅行」をしてきました。ええ、JR割引切符で、四国松山への日帰り旅行です。妻の亡父の7回忌の法事でした。
以前は、たいてい車で移動していました。30年以上も前は、宇高航路のフェリーを使い、国道11号線をひた走る長旅でしたが、1980年代、高速道路がつながり、瀬戸大橋も架橋されてからは、気軽に行けるようになりました(料金だけは負担感がありますが、家族みんなで行くときは、一番リーズナブルですし)。
ただ、脳動脈瘤の影響で、複視(二重視)やふらつきなどの自覚症状が高じてからは、長距離の運転はひかえてきました。子どもの運転で移動したのが、何年前でしたっけ?
脳動脈瘤手術を受けて、現在の回復状況ならば、運転できなくもない思いもありますが、日帰りとなると少し億劫で、交通機関を利用することにしました。
もっともリーズナブルな方法として、高速バス利用が思い浮かびましたが、残念ながら、始発のすバスに乗っても目的の時刻に間に合いません。
仕方なく、JR利用と決め、前もって駅窓口に切符を購入しに行くと、駅員さんが「お得な切符がありますよ」と紹介してくださいました。
「特急券は自由席で、指定席には変更できませんが」とおっしゃいます。
「座れますかね」と私。
「それはわかりません」と駅員さん。
ごもっともです。
特別なシーズンでもないので、満員になることはないだろうという予想を頼みに、購入を決めました。
「松山観光きっぷ」というのだそうです。
購入後調べてみますと、岡山-松山間の運賃は、6,310円(乗車券:3,930円、特急券自由席:2,380円)のところ)松山観光きっぷの利用で、片道4,010円に割引になります。
夫婦で往復の購入ですから、しめて4,600円もオトクということになりました。ありがたいことでした。
6時30分過ぎに家を出て、茶屋町駅で電車に乗ります。駐車場が便利なのでこの駅を使います。
朝日が昇ってきました、
ここからも常山がうっすらと見えます。
そろそろ電車がやってくる時刻です。
児島駅まで快速マリンライナーに乗ります。
おや、ぶれました。
児島から松山まで、特急しおかぜで。
曇り空ながら、瀬戸内海の眺望は、見飽きません。
途中でアンパンマン列車とすれ違いました。
自分の乗った電車の座席にもこんなCMステッカーが貼ってありました。
土讃線は土佐(高知)と讃岐(香川)を結ぶ路線。
アンパンマンの作者故やなせたかしさんは、高知県と深い縁がありますから、アンパンマン列車が土讃線を走ることは自然といえば自然です。
高知県香美市立やなせたかし記念館=あんぱんまんミュージアムのHPでは、やなせさんをこのように紹介してあります。
1919年2月6日、東京生まれ。父母の郷里である高知県で育ちました。 終戦後に三越宣伝部に入社し、包装紙「華ひらく」のレタリングなどを手がけました。 漫画家として独立後は、ニッポンビール広告漫画「ビールの王さま」をはじめ 多数の連載漫画を手がけるようになりますが、 ストーリー漫画の興隆により漫画の仕事は徐々に減少。 1960年代にはテレビ・ラジオ番組の構成や舞台の美術監督など 多様な創作活動を行うようになり、マルチタレントと評されるようになります。 その中でいずみたく作曲、やなせ作詞による「手のひらを太陽に」を発表。 多くの作詞を手がけたやなせ最大の代表作となっています。 1969年、50歳の時に雑誌「PHP」にて「アンパンマン」を発表。 1988年にはアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送が開始され、 その登場キャラクター数(1768体)はギネス世界記録に認定されました。 以後も精力的な活動を展開していましたが、 2010年頃に目が悪くなったことを理由に引退を考えます。 しかし、東日本大震災に遭遇して引退発言を撤回。 被災地に送るポスター制作など多数の支援を行いました。 2013年10月13日、94歳で永眠。 「人生は喜ばせごっこ」という自身の言葉の通り、 「アンパンマン」を始めとする多くの創作活動、 そして自身の人柄を通してその精神を体現し続けたのです。 漫画家として 漫画家を志していたやなせたかしがその活動に本腰を入れるきっかけとなった4コマパントマイム漫画「ビールの王さま」。漫画家としての代表作を模索中に漫画賞に応募して受賞した「Mr.BŌ」。その他、「とべ!アンパンマン」や「おたすけかめん」「リトル・ボオ」などの連載漫画を手がけた。商業漫画としてではなく自身のための漫画として描き続けられた。 絵本作家として 企業グラフィックデザイナーから漫画家に転じた頃、漫画の世界は新たな時代を迎えていた。そんな中、ラジオのドラマ用に作成したシナリオ「やさしいライオン」が絵本化される。以後、絵本の出版部数が多くなり、「アンパンマン」シリーズをはじめ「チリンのすず」「そっくりのくりのき」「ガンバリルおじさん」シリーズなど現在も読み継がれている作品は多い。 詩人として 仕事や健康について悩み迷い続ける中、代表作「てのひらを太陽に」がうまれる。この時の作曲家いずみたく氏とコンビで「0歳から99歳までの童謡シリーズ」を発表。 また、代表作をおさめた詩集「こどもごころの歌」を自費出版した後も詩を書き続け、本にまとめて刊行された詩集「愛する歌」「希望の詩集」「人間なんておかしいね」などは現在も版を重ねている。 編集者として 詩と絵と漫画を絵本形式でまとめ、作品は読者からの投稿掲載を主体とした雑誌「詩とメルヘン」を創刊させる。幼少期に親しんだ抒情の世界を織り込み、大衆芸術を豊かなものにしたいという願いを込めた。また、子どもからの投稿が増えたためうまれた姉妹誌「いちごえほん」、アーティストを志す人々の手引書としてうまれた「イラストレ」を創刊させた。これらの雑誌から、多くのアーティストが育まれ活躍している。 デザイナーとして 戦後、描くために上京してグラフィックデザイナーとなる。ポスターをデザインしたり社内報に挿絵を掲載したりしていた。「mitsukoshi」のレタリングはこの頃。漫画家を志した後も、舞台美術やアニメ映画「千夜一夜物語」の美術監督・キャラクターデザインを手がける。官公庁の事業や民間の商業告知の一環としてのキャラクターデザインも担当するようになり、現在も各方面で「やなせキャラ」をみかけることができる。 歌手として 書きためていた詩をまとめて詩集を刊行した折などに、朗読会やコンサートを開催した。近年では、自作自演のミュージカルを披露することもあった。ミュージカル用に作詞作曲した作品を自身で歌いあげるCD「ノスタル爺さん」を発表し、CDデビューを果たした。 |
我が家の玄関にはやなせさんの写真が飾られています。
生前に、「しんぶん赤旗」日曜版に掲載されたインタビュー記事に添えられた写真が、あまりに素敵だったので、妻が切り抜いて額に入れて飾ったのでした。
(新聞記事はこのページ参照)
調べてみると。2013年の5月5日付のしんぶん赤旗日曜版でした。こんな記事でした。
アンパンマンは空腹の人に自分の顔を与える異色のヒーロー。また新しい顔になれば元気百倍。誕生の背景には、戦争体験がありました。やなせたかせさんは21歳で出征。終戦を中国で迎えました。日本軍は正義のために戦っている、中国の民衆を助けるといわれ、中国へいったんです。でも実際は違った。戦争はむなしいと感じました。陣地をつくったり重労働もしましたが、何よりつらかったのは空腹です。満足な食糧は与えられない。すさまじい飢えを体験しました。 ・・・本当の正義は、人を殺すことじゃない。ミサイルを撃ち込むことでもない。そこにひもじい人がいれば、それを助けることだ。これだったら万国共通だと。本当の正義を伝えたいという思いで書いてきました。 |
やなせさんは、この年の10月13日に亡くなられたのでした。
春節の休暇利用でしょうか、同じ列車には、中国からのお客さんも乗り合わせておられたようです。道を尋ねられましたが、お役に立てませんでした。
JR松山駅を降り立つと、子規の句碑がありました。大きな自然石にきざまれているのは、
春や昔十五万石の城下かな
の句です。
妻の実家はここから徒歩で十数分。お城の見える場所にあります。
電車通りから望むうす曇りの松山城。
登ってみる時間はありませんでした。
法事を終え、昼食をともにして、久しぶりの懐かしいよもやま話もそこそこに、帰路につきました。
松山駅構内には、こんな大ポスターが掲示されていました。
こんな列車が止まっていました。カレーパンマンですね。
そして驚いたこと入線してきたのは、この列車。
天井にもキャラクターが、、、。
いやはや、あんぱんまんのキャラクターって、何人いるのでしょうか?楽しいことです。
途中検札にやってきた車掌さん、切符にハンコを押してくれました。
拡大してみます。
せっかくのアンパンマンのハンコですが、降車時に改札で回収されてしまいます。残念なことです。
帰宅後アンパンマン列車のページを調べてみると、アンパンマン列車が走っているのは土讃線だけではないようです。
予讃線を走るアンパンマン列車の時刻表です。
車両ごとにデザインが異なるらしい。
さらに西、宇和島まで走る列車。
児島でアンパンマン列車を降り、各駅列車に乗り換えて茶屋町に向かいます。
各駅列車の車窓から、ここまで乗ってきたアンパンマン列車を見納めです。
すっかり楽しませてもらいました。
今日はこれにて。
2017-01-30 22:37
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コメント(10)
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アンパンマンは子供が小さい頃にお世話になりました。
テレビやグッズが大好きな娘はバイキンマンが大好きでした^^
by 美美 (2017-01-31 19:25)
孫もアンパンマンが好きだった頃、四国でこの列車に乗っています
やなせたかしさんは 多くの事を学ばせてくれますね
何より辛かった空腹からアンパンマンは生まれました
僕らはみんな生きている とても良い歌ですね
電車の旅も良いですね。のんびりできます
by majyo (2017-01-31 20:33)
こんばんは。
アンパンマン、チョコ君家の子供たちも好きでしたね~~!
以前にはアンパンマン飛行機も飛んでましたよね。
日帰り海外旅行?うん?四国?確かに海の向こうですよねm(__)m
by cyoko1112 (2017-01-31 21:54)
美美様
バイキンマンも、個性的なキャラクターですよね。
by kazg (2017-01-31 23:36)
majyo様
この列車が通りかかるところは何度か見たことがあるのですが、乗ったのは初めてです.子ども連れだとさぞ喜ぶだろうにと思いました。
by kazg (2017-01-31 23:39)
cyoko1112様
瀬戸大橋架橋後は、陸続きになり、純粋に「海外」とは言いにくくなりましたが(汗)
by kazg (2017-01-31 23:41)
アンパンマンは素晴らしいですよ
どこかのネズミと違って思想があります、献身の優しさがあります。
これで育つ子どもたちにも知らぬ間に染み込むでしょう!
by momotaro (2017-02-05 07:26)
momotaro様
これだけ大勢の子どもたちに愛されているキャラクターが、私たちの「国民文化」に根付いていることは、貴重で、誇らしいことと、改めて感じますね。
by kazg (2017-02-05 11:17)
東京の京急電鉄と相模鉄道ではアンパンマン列車を走らせず、代わりに京急・相鉄では美少女戦士セーラームーン、京急ではフレッシュからGo!プリンセス、魔法つかいまでのプリキュアとキラキラプリキュアアラモードの電車を走らせるそうで、該当する編成の車内には「セーラームーンシート」なる座席が設置されるそうです(京阪と富士急との間で機関車のトーマスの対決はあるがアンパンマンの対決は無く、1994年と1995年に京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)で8000系や今はなき6000系を使ってセーラームーンエクスプレスを走らせていたが、京急や相鉄がアンパンマン列車を走らせる予定はない(京王や相鉄の8000系電車は特急の他に急行・快速・各駅停車としても走っている))。
理由として、京急の場合アンパンマンでは外国人観光客には通用しないことと、アンパンマンのアニメで「顔がぬれて力が」というシーンがかつての京急1500形電車や相鉄8000系電車の事故廃車を連想させて不吉・不適切なことと、京急沿線にはアンパンマンがきらいでセラムンやプリキュア、相鉄沿線にはアンパンマンがきらいでセラムンが好きな人が多いためです。
by まいんど (2017-05-05 21:41)
まいんど 様
そうなんですか。いろいろと事情があるのですね。
by kazg (2017-05-05 22:08)