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枇杷の花にメジロ、の巻 [獺祭魚]

カワウソが、捕らえた魚を岩に並べて祭りを行うという伝承に倣って、撮りためた画像を並べてひとり楽しもうというコーナーです。「伝説の名酒」とは一切関わりありません。



先日の松山行で、JR松山駅前に正岡子規の句碑を見つけました。

子規のことは、当ブログでも何度か触れていますが、その号について、ずっと以前、こんな記事を書きました。

今日も「これなあに?」






 ところで、 徳富蘆花作『不如歸』の読み方は?

そうです。ホトトギスです。




 では、次の漢字の読み方は?


1.時鳥


2.杜鵑


3.鵊


4.杜宇


5.蜀魂


6.田鵑


7.子規(子規鳥)


 そうです。すべてホトトギスです。


最後の「子規」は、近代俳句の創始者で、近代短歌の草分けでもあった正岡子規の俳号でした。彼が、ホトトギスを意味する「子規」を俳号としたのは、肺結核で喀血した彼が、血を吐きながらも歌い続けようする自負を、「鳴いて血を吐く
ホトトギス」と重ね合わせたからです。ホトトギスは口の中が赤く、鳴くと血を吐いているように見えるため、この俚諺がうまれました。


上記の徳富蘆花作『不如歸』もまた、結核に冒された浪子の悲惨を題材にしているからの命名でしょう。


漢詩・漢文の世界では、「杜鵑の吐血」という言葉もあり、そのいわれについて、ここに詳しい解説があります。


正岡子規が創刊した雑誌の名も「ホトトギス」でした。後に雑誌「ホトトギス」は子規の弟子である高浜虚子が主宰し、近代俳句の主要潮流「ホトトギス」派のよりどころとなっていきます。




正岡子規は、本名は常規(つねのり)のちに(のぼる)と改めます。

 彼は子規のほかにも多くの号(ペンネーム)を用いたことでも知られ、負け惜しみの強いことを表す漱石枕流」の故事にちなんで「漱石」を用いたこともありますが、この号は、友人の夏目金之助(夏目漱石)に譲ります。ちなみに夏目漱石の作家デビューも、虚子のすすめにより雑誌「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を連載したのがきっかけでした。


子規のペンネームで面白いのは「野球」というものです。 名前の(のぼる)をもじって「野球(のぼーる)」という洒落です。


子規は学生時代から、ベースボールを好んでプレイし、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などの訳語を作ったのも彼だと言われています。


子規が17歳まで過ごした家が復元されて「子規堂」として、松山市正宗寺内にあります。子規堂前には、「坊っちゃん列車」が展示され、子規の短歌九首を刻んだ、「子規と野球の碑」が建っています。



さらに、◇新カテゴリー『獺祭魚』の蘊蓄という記事ではこう書きました。







 その時触れずにいた「獺祭書屋主人」についての蘊蓄が今日の話題です。

ネットを探っておりますと、土井中照さんのMONDO EHIMEというサイトを見つけました。

その中に「松山の一番」というコーナーがあり、「日本一のペンネーム」というページがありました。「へえ、そうだったんだ」が満載でしたので、無断で恐縮ですが、引用させて戴きます。







 子規の本名はというと正岡常規。墓碑銘には「處之助」「升」「子規」「獺祭書屋主人」「竹ノ里人」が登場します。

 「處之助」は幼名。学校へ行く年になって「トコロテン」とからかわれてはいけない、と外祖父の大原観山が子規4・5歳のとき、易の地風から「升」と改めました。これ以降、友人や母から「のぼさん」と親しみを込めて呼ばれています。

 「子規」は明治22年、喀血した時より「啼いて血を吐くほととぎす」にちなみ使われています。明治11年、12歳の折り、初めて作った漢詩が「聞子規」というのも因縁めいています。

 「獺祭書屋主人」はかわうそ(獺祭)が捕った魚を並べる習性より、本をあたりに並べ散らかす様を号したもの。

 「竹ノ里人」は東京の住まいを呉竹の根岸と称し、そこで暮らしていたことからつけたものです。

 子規は雅号だけでも百あまり持っています。「筆まかせ」雅号の章には中の川の子規邸にあった桜の木から「老桜」と号したのが十歳ごろ。山内伝蔵より「中水」をもらったがあまり気に入りませんでした。十五・六歳の時、大原観山より桜の形容として「香雲」という号に変えています。

 「筆まかせ」に登場する雅号は他に「走兎」「風廉」「漱石」「士清」「子升」「常規凡夫」「眞棹家」「丈鬼」「冷笑居士」「獺祭魚夫」「放浪子」「秋風落日舎主人」「癡夢情史」「野暮流」「盗花」「四国仙人」「沐猴冠者」「被襟生」「莞爾生」「浮世夢之助」「蕪翠」「有耶無耶漫士」「迂歌連達磨」「情鬼凡夫」「馬骨生」「野球」「色身情仏」「都子規」「虚無僧」「饕餐居士」「僚凡狂士」「青孝亭丈其」「裏棚舎夕顔」「薄紫」「蒲柳病夫」「病鶴痩士」「無縁癡仏」「情魔癡仏」「舎蚊無二仏」「癡肉団子」「仙台萩之丞」「無何有洲主人」「八釜四九」「面読斎」「一橋外史」「猿楽坊主」。

 他には「桜亭仙人」「緩寛人」「於怒戯書生」「無茶苦茶散人」「四国猿」「弄球」「能球」など。

 子規の雅号の中に「漱石」があり、「筆まかせ」には「漱石は今友人の假名と変ぜり」とあります。また、ベースボールを「野球」と命名したのが子規と言われているのは「升(のぼる)」をもじって「野球(のぼーる)」としたからなのですね。

「名前/無用の雑学知識」(ワニ文庫)によると、名前の記録保持者は滝沢馬琴。戒名も加えて35というペンネームということで名前の横綱に挙げられていますが、これなら正岡子規が日本一多いペンネームの持ち主と言えそうですね。



今日の話題、「獺祭書屋主人」について、「獺祭書屋主人」はかわうそ(獺祭)が捕った魚を並べる習性より、本をあたりに並べ散らかす様を号したもの」と端的に解説しておられます。

「獺祭魚」と言う言葉もあり、例のごとくwikiによるとこう解説されています。

獺祭魚(だっさいぎょ、たつうおをまつる)は七十二候の一(雨水初候)。立春末候の魚上氷の後、雨水次候の鴻雁来の前にあたる。また転じて書物をよく好み、引用する人のこと。

礼記月令孟春の条に「東風凍を解き、蟄虫は始めて振く。魚冰に上り、獺魚を祭り、鴻雁来る」とあるのが出典。春になってカワウソが漁をはじめ魚を捕らえることを指した。カワウソは捕らえた魚を川岸に並べる習性があり、これが先祖を祭るときの供物のように見えたことから「魚を祭り」とされた。

晩唐の政治家、詩人である李商隠は作中に豊富な典故を引いたが、詩作の際に多くの書物をカワウソが魚を並べるように置いたため、獺祭魚と称された。ここから、多くの参考書を周囲に広げるさまを指すようになった。

正岡子規は自らを獺祭書屋主人と称したため、子規の命日である9月19日を獺祭忌と呼ぶこともある。



早くも月が変わりましたので、時期遅れになってしまわないうちに1月中に撮りためた画像をご紹介しておきたいと思います。

まずは今日のプチ散歩で会った、おなじみさん。

ヒヨドリです。





ジョウビタキ♂。



枇杷の花の蜜に集まるメジロ。













メジロは、かなり頻繁に姿を見ることができます。

先日の深山公園でも、サザンカに群がっていました。















松の木も好きなようです。







今日はこれにて。
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コメント 8

majyo

メジロがミカンのエサに遊びに来ていたのですが
ヒヨドリがきて、糞だらけになりました。
どうしよう・・・・メジロちゃんだけで良いのに
by majyo (2017-02-01 20:34) 

kazg

ヒヨドリは、体格も鳴き声も態度も大きくて、見つけた獲物は意地汚いまでに食い漁る、憎らしい鳥ですね。1羽だけをまじまじと見ると、可愛いところもあるのですが、、、。
by kazg (2017-02-01 20:59) 

hatumi30331

今日は,私も沢山の鳥たちに出会ったよ〜♪
まあ,よくいる巷の鳥たちやけど・・・・へへ;

冬の夜空はきれいやね〜
今夜も月が綺麗でした。^^
by hatumi30331 (2017-02-01 23:36) 

cyoko1112

こんばんは。
あ~~~、全然読めな~~~い!!

今日も庭に「メジロ」と「シジュウカラ」が飛来!!
早く鳥小屋作らなきゃ!!
by cyoko1112 (2017-02-02 21:56) 

美美

メジロが良い所に出てきてくれますね^^
by 美美 (2017-02-02 22:32) 

kazg

hatumi30331様
イソヒヨドリ、しょっちゅう会えてうらやましい。
冬の夜空、鋭利な刃物のようにとがった月、いいですね。寒くていつまでもは見ていられませんが、
by kazg (2017-02-02 22:43) 

kazg

cyoko1112様
庭へのお客さん、うらやましいです。

by kazg (2017-02-02 22:45) 

kazg

美美 様
木陰から、姿を見せてくれると嬉しいです。
by kazg (2017-02-02 22:46) 

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