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ブログ更新停滞の三つの言い訳、の巻 [折々散歩]

ここのところ、ブログの更新も訪問も滞りがちです。

特に多忙というわけでも、健康を害しているというわけでもなく、普通に毎日をおくっており、お散歩写真もそれなりにストックしています。

何に時間を費やしているかというと、一つは読みかけた本。そしてもう一つは、はかどらないパソコン作業。さらには、あれやこれやの孫遊び、、です。

ここ数年、目の衰えとも相まって、読書の絶対量も格段に減っていますし、字面を追ってもなかなか内容が飲み込めず、もどかしい思いをすることが多いです。

そんな私が、今、読んでみようと思い立って購入した本が何冊かあります。一つは、辺見庸著「『1★9★3★7』。京都に住む友人M君が、最近メールでこの本の感想を尋ねてきたのですが、私は読んでいませんでしたので、その旨伝えると、内容の簡単な紹介とともに、「本書の主題は、日本の現在と未来への彼の危機感のようですが、、、、、危機感は同じだし、、、、、、なにより私達の残り時間が短いから、読んでみるのも面白いのでは?暇があれば。」とありました。

辺見庸氏については、三年以上も前、◇辺見氏の記事にあれこれ思う朝という記事で触れたことがありました。それ以来、氏の動向ついても著作についても、顧みる機会がないまま、時間が経過してきました。

『1★9★3★7』については、だいだらぼっち様が、連載で紹介してくださってたのを興味深く拝読した記憶がありました。

辺見庸『1★9★3★7』を読む(1)~(4)および、辺見庸『1 9 3 7』を読む(まとめ):海神日和:So-netブログ

無断ながら、一部引用させてきます。

 1937年は、日中戦争がはじまった年、著者によれば、イクミナ、征くみな、の年だ。
 その年、「父祖たちはおびただしい数のひとびとを、じつにさまざまなやり方で殺し、強姦し、略奪し、てっていてきに侮辱した」と、著者は書いている。
 日本人はやさしい民族だとされ、そのことを自負してもいる。それがなぜ中国では、あのようなおぞましい蛮行に走ったのだろうか。
 同一人物のなかで、慈愛と獣性は共存しうるなどと、気取った言い方をしたところで、なにも意味をなさない、と著者はいう。それよりも、あのとき、あの場所に自分をおいてみること、そして「おい、おまえ、じぶんならばぜったいにやらなかったと言いきれるか」と問うてみること。

だいだらぼっち様のHP「海神歴史文学館」を拝見しますと、さらに端的に『1★9★3★7』への書評がまとめられています。全文引用してご紹介したいところですが、そうも参りませんので、一部分だけを抜粋して、ご紹介に代えさせていただきます。

 本書はそうした日中戦争のはじまった1937年に焦点を合わせている。盧溝橋事件のあと、日本軍は上海に戦力を投入し、12月に国民党の首都、南京を占領した。そこで発生するのが、いわゆる南京大虐殺である。

 いま日本では、南京大虐殺は忘れられるどころか、そんなものはなかったとされるような雰囲気すら感じさせる。最近は、事件の責任は中国にあるという開き直った主張さえ見かけるようになった。

 もっぱら論議されるのは、犠牲者の数であり、中国側が30万人と主張するのにたいし、日本では4万〜6万人という数字をあげる研究者が増え、日中双方で対立がつづいている。そんなさなか、ユネスコが南京大虐殺を世界記憶遺産に登録したことに、日本政府は強く反発した。

 しかし、中国が南京大虐殺を政治利用していると非難するだけでは、問題は解決しない。1937年に南京で、日本軍が中国人を大量に殺害したことはまちがいない事実だからである。

 虐殺の証言は、日本側からもいくつも出されている。たとえば、12月17日から18日にかけ、日本軍が南京で一万余人の捕虜を大量射殺したという、元日本陸軍伍長の信頼できる証言も残されている。その死体の山は、高さ3、4メートルになったという。軍司令部からは、「捕虜は全員すみやかに処置すべし」との命令が出されていた。殺戮に疑問をもつ兵はいなかった。

(中略)

 本書はあの時代を丁寧に追っている。盧溝橋事件が発生した翌月、近衛文麿内閣は「国民精神総動員実施要項」を閣議決定、「挙国一致」の精神によって、国家総力戦に突入せよとの号令を発した。国民は「皇運」にこぞって寄与するよう求められた。

 国民を総動員するには、マスコミの役割が欠かせなかった。1937年10月にNHKは「国民唱歌」の放送を開始し、その第1回に「海ゆかば」を流した。「なにかただごとでない空気の重いうねりと震えがこの歌にはある」と、著者は書いている。「海ゆかば」は、「大君のための死を美化して、それにひとをみちびいてゆく、あらかじめの『弔歌』」にほかならなかった。

 しかし、そのころ日本の世相は戦争でわきたっていた。マスコミも戦争をあおりたてた。日本各地で、さまざまなイベントやスポーツ大会が開かれ、百貨店や劇場もにぎわっていた。けっして、暗い時代ではない。

 金子光晴は戦争を賛美する詩を書いた。小林秀雄は「日本の国に生を享けている限り、戦争が始まった以上、自分で自分の生死を自由に取扱う事は出来ない」と高らかに宣言した。

 戦争がはじまる前から、すでに思想は統制されていた。特高警察が反逆的な思想をもつ人物を治安維持法によって逮捕し、転向を強要した。小林多喜二は1933年2月に逮捕され、築地署で拷問を受け、その日のうちに殺された。

 埴谷雄高や中野重治は転向の道を選ぶ。転向声明書はいかにも形式的だったが、それでもそれを提出するのは、天皇をいただく国家の方針に逆らわないと誓うことを意味した。国家を批判する言論は封じられ、国民精神を鼓舞する明るく元気な声だけが、メディアを通じて日々流されていた。

 武田泰淳は1937年秋に中国の戦線に送られ、一兵士として1939年まで中国各地を転戦した。南京大虐殺にはかかわらなかったが、上海、徐州、武漢の会戦に加わっている。それは人が人を殺すのがあたりまえの苛酷な戦場であり、泰淳は犯した罪とその苦しみを、戦後、「審判」や「汝の母を!」などの小説に残した。

 著者はこれらの小説を読み解くことによって、天皇の軍隊、すなわち中国で「殺・掠・姦」の代名詞をつけられた皇軍の実態に迫っていく。

(中略)

「過去の跫音に耳をすまさなければならない。あの忍び足に耳をすませ! げんざいが過去においぬかれ、未来に過去がやってくるかもしれない」



 著者はもう戦争がはじまっていると感じている。


このような内容の「衝撃作」ですので、読み進めるのが苦痛、視力・知力の衰えろとも相まって、遅々として進みません。読後も気持ちが沈みます。

気持ちが沈むのは内容の深刻さからだけでなく、もう一つの事情が影響しているようです。

「『1★9★3★7』は、「週刊金曜日」に連載されたものをまとめて、発売元の(株)金曜日から2015年10月に初版発行されたとのこと。だいだらぼっち様が上の書評で取り上げておられるのは、その初版本でしょう。

その数ヶ月後の、2016年2月に 河出書房新社から『 増補版 1★9★3★7』が、そして、2016年11月には角川書店から『完全版 1★9★3★7
イクミナ (上) (角川文庫) 』が発行されるという、異例な展開に、なにか心がざわつきます。

辺見庸公式ウェブサイトや、週刊金曜日のこれらの記事(1077号1068号)などを総合すると、どうやら、週刊金曜日の仲介で予定されていた「しんぶん赤旗」によるインタビューが、赤旗編集局側の申し出によりキャンセルされた件が発端で、著者と出版社との関係がこじれたもののようです。その背景には、SEALDsなど運動や、国会前の行動に、ブログ上で手厳しい批判を加えたことが影を落としているのではないかと、辺見氏は判断しておられるようです。

ネット上でも様々な論評が交わされているようですが、それらを読むのも気鬱で、事実の経緯や委細はあずかり知るところではありませんが、いずれにせよ心塞ぐ思いを禁じ得ません。

そんな思いのまま、遅々として進まぬ読書ですが、無下にも扱えぬ訴求力を感じながら、スローペースでページを繰っているところです。

他にも、別の友人に紹介されて読みたい本があり、パソコン操作で仕上げたい作業があり、、なのですが、その辺りの事情を書く気力は、もう残っていません。またの機会に。

託児所の仕事も様々ですが、昨日の20日(日曜日)は、午前中パパは仕事、ばあばもパート、ママはPTAのお仕事で、じいじひとりで、小3、六歳、二歳の孫たちのお相手をさせていただきました。(中1生は、部活です)

外遊びをしていると機嫌が良くて、仲良しなんですが、、、





















午後は、小三生のお習字のイベントの送り迎えを頼まれました。ママと一緒に、他の子どもたちのおもりがてら、会場の近くでイベントの終わりを待ちます。

ドングリを見つけて夢中で拾っています。



こんな階段も上れるよ。手に持っている袋にはドングリが一杯。







そばの木の枝には、カワラヒワがさえずっていました。






イベントが終わった小3生も合流して、もうひと遊びです。





ところで、一昨日の19日(土)は、天下の奇祭と呼ばれる「西大寺会陽(えよう)(はだか祭り)」がありました。

地元紙『山陽新聞』web版『さんデジ』(2/19付)はこう伝えています。

 日本三大奇祭の一つとされる裸祭り「西大寺会陽」が18日夜、岡山市東区西大寺中の西大寺観音院で開かれた。約1万人(主催者発表)の裸衆が福をもたらすといわれる宝木(しんぎ)を求め、激しい争奪戦を繰り広げた。
 まわし姿の男衆は肩を組み、「わっしょい」と掛け声を響かせながら、水で身を清める垢離(こり)取り場へ。本堂大床ではもみ合いで全身を紅潮させ、打ち水は蒸気となって白く立ち上った。
 五穀豊穣(ほうじょう)などを祈願する修正会(しゅしょうえ)が結願(けちがん)した午後10時。本堂の御福窓から宝木2本が投下されると「うおー」とどよめきが起こり、大床に男たちの巨大な渦が生まれた。
(中略)
 室町時代の1510年に始まったと伝わる西大寺会陽は昨年3月、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

その現場に立ち会ったのが、この女の子(一歳)でしたトサ。



今日はこれにて。


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KINYAN0829

おはようございます
ブログ更新は、自分のペースでいいと思い更新しています(^_^)
by KINYAN0829 (2017-02-21 06:40) 

momotaro

言い訳三つ、状況が似ているのでよくわかります。お孫さんもたくさんいて私以上にたいへんでしょうに、まめにブログを更新されて、凄いなぁと常々敬服しております。
裸祭りの映像はテレビで見ました。
あれを現場で見たら、それは目が点になるでしょう!
by momotaro (2017-02-21 06:54) 

majyo

辺見庸さん 好きです。サイン会へ出向き著書を買ったこともありますが
『1★9★3★7』読んでいません。読みたいですが
まとまった本が読めなくなりました。
書評を拝見し ああ逸見さんならこう書くなと思いました。
南京大虐殺は無かったというアパの社長には驚きます
とにかくアパホテル多いのです。都心に
歴史を捻じ曲げる人たちが多く、それが主流となっていますね
これでは近隣諸国と仲良くできません
お孫ちゃんが 本当に可愛いです。
by majyo (2017-02-21 20:20) 

kazg

KINYAN0829様
ありがたきお言葉。そうそうその通りとうなずきながらも、緩めるとぱたっと止まってしまいそうな強迫観念に怯えています(笑)

by kazg (2017-02-21 22:47) 

kazg

momotaro様
はだか祭り、実は私はまだ見に行ったことがないのですよ。寒いし、危険だし(笑)
孫の、こわばったような、好奇心をそそられているような表情が面白いです。
by kazg (2017-02-21 22:50) 

kazg

majyo様
辺見庸さんの本。「もの食う人々」辺りから、興味深く読ませていただいています。『1★9★3★7』も、重い力作です。歴史をねじ曲げる動きへの反駁として、貴重な仕事と思います。
ただ、SEALDsはじめ戦争法反対の運動などへの否定的、冷笑的スタンスには、戸惑いを覚えています。真意のほどは?ですが、、。

by kazg (2017-02-21 23:05) 

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