SSブログ
<

蓮の露あれこれ、の巻 [折々散歩]

レンコン田のハスの花を、これまで何度もご紹介しています。
一番最近には、サナエでしょうか?の巻の記事で一枚だけ画像を載せましたが、その時写した水玉を宿した蓮の葉と花の写真です。
土の中の蓮根(レンコン)を食用にするために栽培されている蓮ですから、観賞用の花ではありませんが、純白で清楚です。



ほんのりピンク色の花も咲いています。









更に濃いピンクもあでやかです。















ハスの花にまつわる蘊蓄もあれこれ書き散らしたような気がします。2013年8月の「蓮の花あれこれ」という記事の一部を引用させていただきます。

 最近では栽培農家も減少しているようです。
Imgp0375.png
この写真は、蓮の実。姿が蜂の巣に似ていることから「ハチス」と呼ばれ、転じて「ハス」となったとされますね。この蓮の実、昔から食用に供され、今でも東南アジア等では一般的な食物らしい。
「源氏物語」にも、「あの世でも、きっと蓮の葉の上で一緒に暮らしましょ」なんて台詞がよく出てきます。「蓮の実」も、薫と匂宮という二人の貴公子との愛の板挟みとなって入水自殺を図った「浮舟」が、横川の僧都の妹(尼君)のもとに身を寄せていた時、来訪した中将(尼君の死んだ娘の夫)を尼君がもてなす場面で「人びとに水飯などやうの物食はせ、君にも蓮の実などやうのもの出だしたれば、馴れにしあたりにて、さやうのこともつつみなき心地して」 などとありました。にわかな来客へのとっさのご馳走という感じですかね。ドライフルーツだったのでしょうかね。
Imgp0391.png
蓮の葉に羽を休めるヤンマトンボ。ギンヤンマでしょうか?
来む世にも 逢うこともがも ギンヤンマ



「蓮の露」と書いて「はちすのつゆ」と読む作品があります。良寛和尚の晩年の弟子で、淡い恋愛関係にあったかとも言われる女性貞心尼(ていしんに)の自筆の歌集です。

良寛和尚については、こんな記事を書いたことがありました。

マクロスライド?なんのこと?---消えた傑作の巻?

 「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(良寛)という境地が、私の目下の心境に近いのですが、時には「世の中にまじる」のも、「アリ」だと感じたひとときでした。

この歌は、ずっと昔、M師から教えられ心に残っている歌です。

良寛和尚、ほかにも、軽妙で、それでいてしみじみとした歌や句を、沢山残しておられます。

この記事でも少し触れました。

散る桜残る桜も放哉忌(意味不明)


  今朝の地元紙『山陽新聞』のコラム「滴一滴」は、〈散る桜残る桜も散る桜〉という句を引いて、「美しく輝く命にも、終わりは等しくやって来る。そんな思いを桜に託したのだろうか▼出撃した兵士たちがしきりに口にしたのが、この句だったという。」と紹介し、終戦四ヶ月前の1945年の今日、帰るあてのない「水上特攻」として、沖縄へ向かう途中の戦艦「大和」が、米軍の猛攻を受けて沈んだエピソードに触れています。(web上の新聞記事はこちら)
コラムは、
犠牲者は大和の乗組員約3千人、護衛艦を含め約4千人に上る。大和は今も東シナ海の深さ350メートルの海底に眠っている▼先月は、フィリピンの海に沈ん
だ戦艦「武蔵」とみられる映像を無人潜水機が中継して話題になった。戦後70年。空襲、原爆、終戦…と節目の鎮魂が続く。悲劇を忘れてはならない。

 と、結んでいます。

 この記事で、改めて意識したのですが、この〈散る桜残る桜も散る桜〉という句は、倉敷市玉島の円通寺ゆかりの禅僧・良寛の句だと言います。

円通寺には、これまでも幾度か訪れたことがあります。

正確には、円通寺に近い国民宿舎「良寛荘」を利用したことが、何度かあり、そのついでに、円通寺と、それを中心とする円通寺公園も、ぶらりと見学したことがあります。

そこには、いくつもの記念碑が建てられており、良寛の辞世の歌とされる「形見とて 何かのこさん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」や、いかにも良寛さんらしい「霞立つ 長き春日を 子供らと 手毬つきつゝ この日暮しつ」の歌碑もあります。

思い返せば、一昨年の4月に亡くなった畏友H氏の案内で、西行ゆかりの地を訪ねるツアーで訪れたのが、一番最近の訪問だったかも知れません。


その良寛和尚を敬愛していた貞心尼は、初めて歌を贈ります。(「蓮の露」)

 師つねに、手まりを、もてあそび給ふ、と、ききて奉るとて、貞心尼
  これぞこの、仏の道に、あそびつつ  つくやつきせぬ、みのりなるらん
【解釈】良寬様は常に、仏の道を学ぶ手段として手鞠をついて遊んでおられますが、いくらついてもつき終わる ことがないのが、仏道の教えというものなのでしょうか。

 これに良寬ははこう返します。

 つきてみよ、一二三四五六七八 九十 (ひふみよいむなや、ここのとお)
十(とお)とおさめて、またはじまるを
【解釈】無心に手まりをついてごらんなさい。一二三四五六七八九十で、十までついたらまた一から始めます。仏道修行も同様で、これで終わりということはなく、得られたと思ったところから、またさらに始まるでしょう。

以後、良寬和尚が亡くなるまで、二人の間には、数々の歌のやりとりがありますが、蓮に関わる部分を少し引用します。

 ある夏の頃まうでけるに何ちへか出で給ひけむ見えたまはず
ただ花瓶に蓮の挿したるがいと匂ひてありければ                  
来て見れば人こそ見えね庵守りて匂ふ蓮の花の尊さ


【解釈】ある夏の頃、良寬様をお訪ねしたところどこかへお出かけ中でしたろうか、姿がお見えになりませんでした・ただ、花瓶に蓮が咲いてあるのが大層美しうございましたので、こんな歌を残して帰りました。
来てみれば、お姿は見えませんが、庵を守って美しく咲きにおう蓮の花の尊いことです

御かへし                     
御饗(みあへ)するものこそなけれ小瓶なる蓮の花を見つつ偲ばせ
【解釈】
(良寬様からの)お返歌
貴方をもてなすご馳走もありませんが、小瓶にある蓮の花を見ては私をお偲びくださいな

                     
御はらからなる由之翁のもとよりしとね奉るとて
極楽の蓮の花の花びらによそひて見ませ麻手小襖
【解釈】
ご兄弟の由之翁から、布団をくださるということで
極楽の蓮の花の花びらになぞらえてご覧くださいませ、この夜具を

御かへし                     
極楽の蓮の花の花びらをわれに供養す君が神通
いざさらば蓮の上にうち乗らむよしや蛙と人は見るとも
【解釈】(良寬様からの)お返歌
極楽の蓮の花の花びらを私に贈ってくれる貴方の神通力は、たいしたものだ
さあそれなら、仏の蓮の台(うてな)のような布団の上に乗りましょう。たとえ人々が蓮の葉に乗る蛙のようだと見るとしても


昔、妻が、こんな絵を描いたのを思い出しました。



蓮の葉の真ん中あたりに、アマガエルがちょこんと座っています。





今日は両親もジジババも出勤で、中2と小4の兄弟は留守番。小一生は学童保育へ、二歳児は保育園へ預かってもらいました。元気回復で、ほっとしました。

今日はこれにて。



nice!(30)  コメント(8)  トラックバック(0) 

nice! 30

コメント 8

majyo

れんこんの花がこんなにきれいとは知りませんでした。
奥様の画はとても素敵です。わたしまったく描けません
画が描ける方うらやましい
by majyo (2017-07-25 07:23) 

yakko

お早うございます。
奥様の絵 ! 素晴らしいですね〜(*^_^*)
by yakko (2017-07-25 09:34) 

美美

綺麗な蓮の花ですね(∩.∩)
by 美美 (2017-07-25 16:35) 

kazg

majyo 様
雨に洗われて、いっそう美しく咲いています。
妻の絵は何十年か前の桃のです。最近描かないようです。
by kazg (2017-07-26 04:48) 

kazg

yakko 様
お恥ずかしいです。
玄関先に、何十年も飾ってあるのに、見つけられず、どこにある?と聞いてしまいました。大きすぎて目に入りませんでした(笑)
by kazg (2017-07-26 04:52) 

kazg

美美 様
水玉を狙ってみたいのですがうまくいきません。またチャレンジしてみます。
by kazg (2017-07-26 04:54) 

momotaro

ハチスからハスですか、ほほー!
隣りの行田市に古代蓮の里があるのですが、今年はもう遅いかな、行きそびれたかな・・・?
by momotaro (2017-08-01 10:26) 

kazg

momotaro様
岡山にも、古代蓮(大賀蓮)の咲く場所が何カ所かあります。ちょうど今がシーズンのはずですが、今年はまだ行けていません。65歳からのシニア割引が有効になるのを待っているうちに、タイミングが遅れてしまったのです(涙)
「行田ハス」の発見もドラマなのですね。8月上旬まで見られるとHPにありましたが、、、。
by kazg (2017-08-01 18:58) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。