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「人づくり革命」って何よ?の巻 [時事]

しばらく前から書きかけてなかなか完成しなかった記事を、とりあえず掲載します。
アベ内閣が最近強調する「人づくり革命」なるものが、不気味です。
スポニチAnnex2017年8月6日付けが、こんな記事を載せています。
安倍改造内閣 看板政策ネーミング「人づくり革命」大不評

 政治風刺コントを手掛ける戯作(げさく)者の松崎菊也氏は「安倍政権のスローガン政治の典型だが、あまりにも厚かましい言葉。どんな人間がつくられるのか全然分からないし、そんな高慢な方々には人をつくってもらいたくない」と厳しく批判。また、日本大の岩井奉信教授(政治学)は「政治学的に言うと、革命とは支配者と被支配者が逆転すること。いわばちゃぶ台返しなのだが、なぜこの言葉を使ったのか。安倍政権は1億総活躍のころから、言葉だけが躍ってきている」と疑問を呈した。
影響は意外なところにも。都内の外資系会社で働く女性は英訳が見つからないと頭を悩ませる。「英訳できない大臣をつくらないでほしい。革命を"revolution"と訳すと、海外では体制を転覆させるような危険な印象になる。"1億総活躍"ができた時も頭を抱えたが、これはもう異次元。そもそも日本語でも趣旨がよく分からない」とため息をついた。


 まあ、こうした不評や揶揄も当然だろう。だいたい「人づくり革命担当大臣」を無理やり直訳したら“Minister in Charge of Revolution of Creation of Human”とでもなろう。まったく頭が沸いているとしか言いようがない(ちなみに、日本政府の公式訳は“Minister for Human Resources Development”に決まったが、これを訳し直すと「人材育成大臣」といったところ。さすがに「革命」はヤバいと思ったらしい)。
だが、気になったのは、安倍首相はなぜ“目玉政策”に「人づくり革命」なる噴飯モノの名称を用いたのか、ということ。そこでふと思い出しのが、しばしば極右教育の文脈あるいは日本会議周辺で「人づくり」という単語が使われてきたという事実だった。
 周知の通り、日本会議といえば日本最大の右派組織で、安倍政権の熱烈な支持層だが、その設立宣言にはこうある。
〈我々は、かかる時代に生きる日本人としての厳しい自覚に立って、国の発展と世界の共栄に頁献しうる活力ある国づくり、人づくりを推進するために本会を設立する。〉
 また、この日本会議の中心に「生長の家」元信者らがいたことは周知の事実だが、その生長の家・創始者の谷口雅春が提唱した「人類光明化運動」(第二次五カ年計画、1964年発表)なるものをめぐっても「人づくり、国づくり」という言葉が使われていた。
 さらに、この「人づくり」という言葉は、日本会議に連なる極右文化人や評論家、政治家がやたら好んで口にしている。たとえば、日本会議とも関係の深いモラロジー研究所が出した『日本再生と道徳教育』(渡部昇一、岡田幹彦、梶田叡一、八木秀次の共著)の前書きには、廣池幹堂・モラロジー研究所理事長の言葉としてこんな宣言がおかれている(なお、廣池理事長は日本会議の代表委員でもある)。
〈「国づくり」とは「人づくり」です。先人たちが長い歴史の中で育んできた「日本が世界に誇るもの」──伝統文化や勤勉・正直・礼節・質素・忍耐・倹約・親孝行などの「よき国民性」を今こそ取り戻し、二十一世紀を担う子供たちに、しっかりと伝えていかなければなりません。〉
 ということは、もしかして、今回も安倍首相がまたぞろお仲間の極右団体の影響を受けて、こんなトンデモな命名をした。そういうことなのだろうか? 

8/11付「まぐまぐニュース」の記事も興味深く読みました。
記事は、こういう書き出しで始まっています。

 捨て身の覚悟で「加計学園問題」の告発を行った前川喜平前文科省事務次官。安倍政権は当時、すぐにメディアなどを使って前川氏への個人攻撃を始めました。しかし、メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者で元全国紙社会部記者の新 恭さんは、前川氏の発言にはウソ偽りが感じられず、あの「告発」以降、国民の心が急速に安倍政権から離れ始めたのは起こるべくして起こったことだと持論を展開しています。
安倍政権の支持率を急落させた前川喜平氏の人間力
「ここだけの内緒の話ですが、2015年9月18日の夜、国会正門前に私はいたんです。シールズの連中がね、ラップのリズムで集団的自衛権はいらない、とコールしている。私も一個人としてみんなに混じって声を出してました」
前の文科省事務次官、前川喜平氏が先日、福島市内で開かれたイベント「前川さん大いにかたる─加計・憲法・夜間中学などなど」で話した内容だ。
公衆の面前で「内緒の話」もあるまいが、そう言うからには今回が初披露なのだろう。

更に興味深いのが「教育論」に関するこのくだりです。

 こと教育論に限っても、前川氏は安倍首相のアンチテーゼといえる存在だ。教育再生を謳い、「人づくり革命」と意味不明の新スローガンを繰り出した安倍首相は「国のために命を懸ける」人づくりを教育の眼目とする。
それに対し、前川氏は人それぞれの個性の違いを重視する。「いじめ」についても、道徳教育が足りないと安倍首相は考えるが、前川氏は違う。
この日のイベントで、参加者の一人が前川氏にこう質問した。
「前川さんは、いじめがひどいのであれば学校に行かなくていいと仰っていましたが、そう思ったきっかけは」
前川氏は自身の不登校体験を語りはじめた。親の仕事の都合で奈良から東京に転居した小学校三年生の時、東京の言葉や担任の先生になじめず、学校に行く直前になると吐き気や頭痛がして欠席した。
当時、奈良の学校にはプールがなく、泳げなかった。プールのある東京の学校の水泳の授業が怖かった。四年生になって、別の学校に転校し、担任の先生が優しかったこともあって、ようやく溶け込めたという。そういう児童期の体験が、前川氏の教育観をつくりあげたのかもしれない。
「学校の規則や、人間を規格にはめようとする教育には抵抗感をもっていました…そういう人間が文科省で事務次官をやってはいけないのかもしれませんが…」

上のエピソードが念頭にありましたので、先日の記事(啄木とその父のこと)への majyo様からのコメントに、わたしはこう書きました。再掲させさせていただきます。

 前川さんは、福島市内での講演で、学校の規則や人間を規格にはめようとする教育の対極として、大阪市立大空小学校の教育を挙げ、木村泰子元校長の「スーツケースではなく、風呂敷のような学校」という言葉を紹介して、こうおっしゃったそうです。「スーツケースのような一つの型に入れようとすると息苦しくなって逃げたくなる。大空小学校はどんな問題を抱えている子でもすべて受け入れて個別に対応する。どんな形の子供でもそれぞれの個性を生かしながらやわらかく一つに包みこんで共同体をつくっていく。そのとき、守るべきルールはたったひとつ。自分がされて嫌なことは他人にしない。それだけは守りなさい、と」
こんな文科省なら、信頼します。

昨日は72年目の終戦記念日でした。
痛恨の戦争体験を経て、戦後日本は、二度とその轍を踏まないために、国家のために国民をつくる教育を改めて、民主主義に立脚した自立的な市民をつくるための教育を目指しました。
1947年に制定された教育基本法は、全文にこう謳っていました。

 前文
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

この基本法が憲法と一体のものであることを宣言し、「個人の尊厳」「真理と平和を希求する人間の育成」「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造」を特筆しました。
そして第一条では「教育の目的」をこう定式化しました。

 第1条(教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

一人ひとりの子どもを、個人として大切にし、その子その子の持ち味を生かして人格の完成をめざすのが教育であり、「平和的な国家及び社会の形成者」「真理と正義を愛し」「個人の価値をたつとび」「勤労と責任を重んじ」、「自主的精神に満ちた」を育てることが強調されたのです。
その1947年版教育基本法は、2006年12月、アベ第一次内閣のもとで、野党・国民の反対を押し切って全面改定されました。
2006年版教育基本法は、前文をこう変えられました。

 新法前文
 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

「日本国憲法の精神にのっとり」という文言が申し訳程度に挿入されていますが、旧法の特徴だった「日本国憲法との一体性」は、剥ぎ落とされています。
「真理と平和を希求する」が「真理と正義を希求し」に変えられました。
「平和」とは、一般に戦争や武力紛争のない状態をいい、より積極的には人々の基本的な人権が尊重され、飢餓や貧困や不安が除去され、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障された状態を言うでしょう。その意味で「平和」という概念には解釈の違いが存在する余地はありません。しかし「正義」となると、個々人の価値観によって、10人10色であり、これを振りかざして子どもたちを一方向に誘導することは、とても危険です。
教育の目的を述べた第1条では、真理と正義を愛し」「個人の価値をたつとび」「勤労と責任を重んじ」、「自主的精神に満ちた」が捨て去られています。

 新法第1条(教育の目的)
 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

そして、第2条に「教育の目標」を項立てし、国家が国民に求める具体的な徳目を、列挙しています。その際旧法で重んじられていた「自主的精神に満ちた……国民の育成」(前文)「自発的精神」(第1条)の文言は、消えています。

新法第2条(教育の目標)
 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

 一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

  
 二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の
   精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度
   を養うこと。

 三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。 
   

 四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

 五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
   

一人ひとりの子どもを伸ばす「人格形成」から、国家や企業の求める「人材育成」へ、教育の目標を大きくねじ曲げようとする企図が、はっきり読み取れます。

「人づくり革命」なるものも、この方向でなにか具体化をはかろうとしているのですかね?

「人づくり革命」の担当閣僚は、茂木敏充経済財政再生担当大臣の兼務だそうで、結局、経済政策の土俵の上の相撲であることは間違いないようです。


今年のお盆、大阪の次男は、一足先に我が家に帰省し、別行動だったママと姫に合流し、昨夜は我が家に一泊しました。

いとこたちたちは、入れ替わり立ち替わり再会があって、テンション高く、賑やかでした。

一昨日の夜明け頃→朝の風景です。
常山が見える場所。

















朝が涼しくなりました。



麦飯山の上空が朝焼けです。

今日はここまで。


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コメント 4

majyo

人づくり革命ですが、まあヒドイ命名だなあと思ったら
日本会議で使われているらしい。
9条3項の加憲も日本会議
どうして一団体の意見がこうも政治に反映されるのか
前川さんにですが、ネットは攻撃の嵐です。タイトル見ればわかりますが
私は講演会はインタビューを聞くのがとても好きです
人間力があるというか、本当に素晴らしい方ですよ
捻じ曲げて伝える怖さをいつも感じています

by majyo (2017-08-17 10:26) 

kazg

majyo様
>まあヒドイ命名だなあ
ホントにそうです。
>ネットは攻撃の嵐
前川さんの沈着さが光りますね
>講演会はインタビューを聞くのがとても好きです
本音や人柄が出て、興味深いですね。
by kazg (2017-08-18 06:02) 

momotaro

人づくり革命、まったく笑っちゃいますね、
「日本人改造計画」なんていうと反発を食らうから、ああ言ったんでしょうね
by momotaro (2017-08-25 20:37) 

kazg

momotaro様
>「日本人改造計画」
そのものずばりですね。
by kazg (2017-08-26 07:33) 

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