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秋の吉備路の歴史散歩、の巻(4)復元版 [折々散歩]

昨日、ほとんど仕上がっていたのに、何の弾みか、すっかり消失してしまった記事の復元を試みることにします。

木曜日から降り始めた雨の影響で、ぐっと冷え込み、昨日は終日20度弱、今日も20度そこそこの気温。上着が手放せない寒さでした。数日前の30℃前後という陽気がウソのようです。
先日の、吉備路散策も、まさにその暑さの中、汗をかきながら歩いたことでした。
造山古墳を見学後昼食を摂り、次に向かったのは備中国分寺、国分尼寺のエリア。当ブログでも過去に何度も訪ねた場所です。
◇新緑の五重塔、の巻
◇重ね来し久遠の刻や秋の塔
◇備中国分寺で青い鳥を見た
◇足守の先は吉備路の紅葉かな
◇ハッチョウトンボの他にも
◇六月の花 紫陽花 総集編
◇猿沢の池かとまがう水田(みずた)かな
◇仏塔に寒の戻りの晴れ間かな
◇春まだき鄙路ゆけば何処やらん古人のさざめく聞こゆ
一部引用します。。
 今日はちょいと足を伸ばして、万葉の昔に思いをはせ、「吉備路風土記の丘」周辺の、備中国分寺五重塔、備中国分尼寺跡などをぐるりと散策してみました。

 春まだき鄙路(ひなみち)ゆけば何処(いづこ)やらん古人(いにしえびと)のさざめく聞こゆ

万葉集の話題ですので、今日は短歌で迫ってみました。お粗末。
この五重塔は、天平13年(741)の聖武天皇の勅願を機に、8世紀後半に創建されたものが、鎌倉時代末期または南北朝時代の初め頃、兵火または落雷による火災で焼失。その後江戸時代になって宝永7年(1710)に日照山国分寺として再興されたそうです。 (◇春まだき鄙路ゆけば何処やらん古人のさざめく聞こゆ)


奈良時代に建立されたのは七重塔だったそうですが、江戸時代に五重塔として再建され、現在、岡山県内唯一の五重塔として残っています。







手前に広がる田圃には、赤っぽい穂の稲が、穂を垂れています。赤米と呼ばれる古代米のようです。
そう言えば、赤米についても、重ね来し久遠の刻や秋の塔の記事で触れていました。
 赤米は、紀元前以来、日本各地で、長い栽培の歴史を持ちながら、白米に淘汰されて、「下等米」として扱われてきたようです。しかし、病害虫に強く、低肥でもよく育つ上に、ビタミン、ミネラル、ポリフェノール、食物繊維が豊富であることが、最近注目され、美容・健康の上から関心を集めています。
赤米は、赤飯のルーツともいわれ、神聖な米とされてきたようです。長崎県対馬市の多久頭魂神社、鹿児島県種子島の宝満神社と並んで、総社市の国司神社では、今日まで、神饌米として赤米の栽培が続けられてきたそうです。 

この田んぼの赤米は、「総社赤米大使」の歌手・相川七瀬さんが、市内の親子と共に田植えイベントで植えた苗が育ったものなのですね。

た。(後略)

今年のイベント記事はこちら↓
https://faavo.jp/okayama/project/2088

チューターのSさんによると、ずっと以前は、塔にもっと自由に近づくことができ、直接手で触ることもできたそうです。そして、当内部に入ることもでき、階段で塔の上の階へものぼれたと言います。それが、落書きなど見物客のマナーの悪さのせいで、現在では立ち入り禁止の柵がめぐらしてあり、やや興ざめな感は否めません。

塔頂までの高さは、34・3メートル。

塔を見あげると、初層の頭貫の上に、十二支の禽獣彫刻がはめ込まれているのが目につきます。
寅。



辰。

己は、別の面にありますが、床下に目をおとすと、こんなものが、、、。

最初は抜け殻かと思ったのですが、抜け殻にしては色が違うと口々に言いながら、じっと目をこらして観察しますが、身動きする様子がありません。死んでるのかナ???などと思案しているうち、「脱皮中では?」と誰かが推理し、なるほどと納得した次第でした。余りに暑いので、蛇も上着を脱ぎ棄てたのですかね。
本堂。

大師堂。


続いて国分尼寺跡へ、徒歩で向かいます。

コスモスが見事に群生しています。





ウィキペディアにはこう紹介されています。
 国分寺の東方に位置する。寺域は東西108メートル・南北216メートル。南北朝時代の戦火で焼失したとされるが、多くの礎石・遺構が残っている。
伽藍は以下に示すもの(南から)で、南北の軸上に配置されている。
南門 - 小規模な3間1戸。
中門 - 礎石が見られず、詳細は不明。
金堂 - 良好な状態をとどめている。桁行5間・梁間4間。
講堂
尼坊または食堂
かつて尼僧が修行に励んだ広大な敷地が、今は蕭蕭とした松林の中にひっそりとしたたたずまいを見せており、久遠の時のながれを偲ばせます。
元の記事は、まだ続くのですが、今日の復元はここまでとします。

ところで、今朝は、久々に心に快哉を叫んだニュースがありました。朝日新聞DEGITALの記事から一部引用します。
 「九条守れ」俳句訴訟、掲載拒否は「不公正」 
地裁判決集団的自衛権の行使容認に反対するデモについて詠んだ俳句を「公民館だより」に掲載することを拒まれたのは、憲法が保障する表現の自由などに反するとして、作者のさいたま市の女性(77)が、公民館を所管する市に慰謝料を求めた訴訟の判決が13日、さいたま地裁で言い渡された。大野和明裁判長は公民館側が「思想や信条を理由として掲載しないという不公正な扱いをした」などとして原告の訴えを一部認め、市に5万円の支払いを命じた。
「一方で、表現の自由を侵害されたとの原告側主張については「公民館だよりという特定の表現手段を制限されたにすぎない」として退け、句の掲載請求も認めなかった。」などの限界はあるものの、原告勝訴は揺るぎません。
この「事件」については、↓こんな記事で話題にしたことがありました。
◇いざ子ども九条危篤夏椿
◇蜂あれこれ
後者から少し引用します。
 埼玉県のある公民館で活動する俳句サークルは、毎月、会員互選の1句を「公民館だより」に掲載してきましたが、7月号に掲載予定だった会員の互選句が、「偏った意見」だとして掲載を拒否された事件があったそうです。
70代の女性の句で、
梅雨空に『九条守れ』の女性デモ
というもの。
msn産経ニュースによると、概要は次のようです。
 
「憲法9条守れ」の俳句、掲載見送る さいたま市公民館「一方に偏った意見、ふさわしくない」  2014.7.4 12:51
さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する月報に、俳句サークルが「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という市民の句を掲載しようとして館側が掲載を見送っていたことが4日、分かった。市は「掲載すると公民館や市の考え方だと誤解される可能性があり、判断は妥当」としている。
公民館を管轄するさいたま市生涯学習総合センターなどによると、三橋公民館は毎月、「三橋公民館だより」を発行。俳句欄があり同館で活動する俳句サークルが掲載する句を決めていた。6月24日、サークルが7月号用として女性が詠んだ9条の句を選び掲載を依頼、公民館側とセンターは相談の上、掲載を断った。
センターの小川栄一副館長は「公民館は政治的に偏った特定の事業を行ってはならないと法律で定められている。集団的自衛権をめぐる句と受け取られる可能性もあり、世論が大きく二つに別れるような問題で、一方に偏った意見を載せるのはふさわしくないと考えた」と話している。
この問題に触れて、「埼玉新聞」8月17日付けweb版が、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という表題の記事を掲載しています。
その一部を引用します。 
金子さんは旧制水戸高時代の18歳の時に俳句を始め、俳句歴は今年で77年に及ぶ。加藤楸邨氏に師事し、戦後は社会に生きる人間を詠む「社会性のある俳句」を唱え、「社会性俳句の旗手」と呼ばれた。
 「それまでは、俳句は花鳥風月を詠むものという高浜虚子の影響力が強かった。それに対して、昭和初期の新興俳句運動や戦後になって私や仲間たちは『自然とともに社会に生きる人間を詠みたい』と主張した。今では自然そして社会に生きる人間を詠み取ろうとするのは、俳句の世界では当たり前になった。今回の句もそういう自由な気持ちの中で詠んだ句で、このような句は毎日、どこかで作られている」
 今回の俳句掲載拒否の問題を戦前の治安維持法による新興俳句運動弾圧と重ねる見方もあるが、金子さんは今回の方が根深い問題を含んでいると言う。
 「新興俳句運動の『現実を俳句に書く』とするリアリズムが危険視された。だから取り締まりは、新興俳句系の俳誌だったり運動を担っていた人たちで、俳句を詠む一般の人たちにはそれほど影響がなかった。今回は一庶民の一つの句をやり玉に挙げて大げさな問題にした。こんな拡大解釈のようなことが、お役人だけでなく社会で行われるようになったら、『この句は政府に反対する句だから駄目』などと、一つ一つの句がつぶされる事態になりかねない。有名な俳人だけでなく、一般の人たちも萎縮して俳句を作らなくなる。俳句を作る人の日常を脅かすもので、スケールは小さいが根深い問題だ」と警告する。
■新興俳句運動
 高浜虚子の弟子の水原秋桜子(しゅうおうし)が1931年ごろ始めた文芸運動。水原は自然だけでなく、人間の胸のうちや生活の事実を詠むことを主張した。主張に多くの俳人が共感し運動は広がっていった。この運動から、加藤楸邨(しゅうそん)、中村草田男(くさたお)ら有力な俳人が輩出した。純粋な文芸運動だったが、治安維持法によって、40年に「京大俳句」、41年に金子さんが投句していた「土上(どじょう)」など有力俳誌が弾圧され、新興俳句運動は壊滅する。
 
私は、以前、この記事で、リボンプロジェクトの「せんそうのつくりかた」という絵本に触れたことがありました。(中略)
このサイトこのサイトこのサイトで実物を見ることができましたので、ご紹介させていただきます。
その 中にはこんな文章が出てきます。
 
戦争のことは、ほんの何人かの政府の人達で決めていい、というきまりを作ります。
ほかの人には、「戦争することにしたよ」と言います。時間がなければ、あとで。
政府が戦争するとか、戦争するかもしれないと決めると、テレビや新聞やラジオは、政府が発表したとおりのことを言うようになります。
政府につごうのわるいことは言わない、という決まりも作ります。
みんなで、ふだんから、戦争のときのための練習をします。
なんかへんだな、と思っても、「どうして?」と聞けません。
聞けるような感じじゃありません。
 
公民館の職員のような、住民と直に接し、その文化的要求に具体的に応えることを職務とするような役目の人までが、ヒラメのように上ばかり向いて、「お上の意向」を先取りしてそれを具現することを第一義に考えるような空気が、世の中全体に広がっていくことが、この絵本の危惧した一情景ではなかったでしょうか?
 仮に、国民の間に意見の相違があって、よしんば、それがマイノリティ(少数派)に属するものであったとしても、各人の信念によってそれを心に抱き、また表明することは、かりそめにも民主主義の社会においてはなんびとも妨げられることのない、基本的な権利です。ましてや、俳句を含めて文学や芸術の表現を、「思想」や「意見」というフィルターを通して評価する事自体、芸術・文化のなんたるかを知らない粗野なふるまいと言わざるを得ませんし、その『思想』に難癖をつけて排除するなどは、暗黒時代の再来と言うべきでしょうか?しかも、問題の俳句に詠みこまれているのは、作者自身の意見というよりは、世の中の実際の「現象」、見過ごしがたい「世相」として確実に存在する実景に他なりません。 
 作者が、「女性デモ」を題材とした時点ですでに、それに共感しているかも知れないから、そこには暗黙裏に作者の意見が表明されているという強弁を労したとしても、それは、偏った意見とは言えないでしょう。
先ほど私は、「マイノリティ(少数派)に属するものであったとしても」と書きましたが、このニュースの場合は、少数派どころか、ほかなかならぬ「九条守れ」という国民多数の「意見」です。今年の実施されたどの種の世論調査でも、九条改訂反対が賛成を上回り、その差は開く傾向にあります。自前の改憲案まで掲げて世論喚起をはかってきた『読売新聞』でさえ、その世論調査(2014年3月15日)の結果は、こんな具合です。
Q、憲法9条は改正した方がよいと思いますか
   思う  30%     思わない 60%    その他 10%
9条第1項「戦争の放棄」については
  思う 17%    思わない  76%     その他6%
9条第2項「戦力の不保持」については   
  思う 39%    思わない  52%    その他 9%
こうした状況を踏まえれば、「九条守れ」を、偏った意見と言ってのけること自体、きわめて偏った意見ではないでしょうか?
ましてや、立憲主義のもとでは、憲法は、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障するために存在するものです。ですから、「九条」に限らず、行政なり公務員は、憲法を遵守することを義務づけられているのですし、公務員はみんな、憲法遵守を誓約・宣誓して任に就いたはずではないですか?
そのような大前提を足もとから掘り崩して、憲法を擁護する「意見」が時の政府の意向に沿わないからといって「偏っている」と断じていく空気は、なんかへんです。
なんかへんだな、と思っても、「どうして?」と聞けません。聞けるような感じじゃありません。---こんな事が重なっていくと、、、怖い怖い。
今日はこれにて。

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コメント 4

majyo

当然の事を言っているのに、現政権と違うと言うだけで
取りやめになりましたが、勝ちました。
良かったです。
憲法を守るべき公務員が逸脱しているのがとても不思議ですね。
by majyo (2017-10-15 09:36) 

kazg

majyo 様
憲法をないがしろにする空気が、いかに着々と醸成されてきたか、薄ら寒い思いが否めませんが、ひとまずは司法の当然の判断。秋雨を晴らす力となりましょうか。
by kazg (2017-10-15 22:56) 

momotaro

五重塔の見える景色はいいですねぇ
コスモス畑の景色もいいですねぇ
九条俳句の件、公民館の関係者も、それを管理するセンターの関係者も、上の方針を忖度して気を利かせて、このような判断、取り扱いをするとは、全く情けない精神です。
さいたま市と言えば埼玉では文化度の高い所かと思っていたのに、がっかり、恥ずかしいところでした!
by momotaro (2017-10-16 12:35) 

kazg

momotaro様
五重塔の情景は、季節を問わず目を引きつけます。高層の建物が周囲に林立しているという状況がな意ことが、つまり田舎のままの姿でいることが、幸いしたのでしょうか。
公民館長、元教員だそうで、憲法をめぐる論争に倦んでいたとか、、。やはり、さいたま市や。広く埼玉県の文化度の高さを反映しているともいえますか。岡山県では、飽きるほど論議するといった空気は残念ながらそだっていません。
by kazg (2017-10-18 13:30) 

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