秋の吉備路の歴史散歩、の巻(5)復元版(最終回) [折々散歩]
先週の吉備路への旅の記事の続きです(最終回)。
国分寺、国分尼寺の散策のついでに、その近くにある「こうもり塚古墳」も訪ねました。
全長100mの前方後円墳です。
総社観光ナビのこの記事に、紹介があります。
ほとんど無数といえるほど、古代遺跡が吉備路のあちらこちらに横たわっています。もとより、すべてを訪ね尽くす訳にもいきませんので、次の見学地として、作山古墳(つくりやまこふん)と角力取山古墳(すもうとりやまこふん)を、車で案内していただきました。
作山古墳については、総社観光ナビの紹介を引用します。
角力取山古墳(すもうとりやまこふん)とは、面白いネーミングです。
これまた総社観光ナビから引用です。
このクロマツについて、ウィキペディアにはこうあります。、
こんな巨大な松、見たことがありません。
帰り道の車窓から見る五重塔。名残は尽きません。
秋の吉備路散歩、消失記事の復元はここまでとします。
氷雨のような雨が続き、冬支度が間に合いません。(特に気持ちの上で)
土曜日の朝は、中学生の部活動で、隣の市に車で送るように頼まれて、その帰り、雨が少し上がっているようなので。深山公園を歩きました。
すると、いろいろな鳥に会いました。そのご報告は、会を改めるとして、今日は予告編。
そのまま保育園に向かい、運動会を参観しました。
先週は大阪の孫も運動会だったようですが、写真を送ってもらって満足しておきます。
こちらの二歳児(もうすぐ三歳)は、お遊戯の途中で機嫌を壊したのか、身じろぎ一つしなくなってみたり、
ママと一緒の親子競技で、上機嫌で三輪車を走らせたり、、、
なかなか楽しませてくれました。
この競技の途中から小雨が降り始め、終わった頃にはかなりの本降りになりました。自転車で来ていましたから、途中で引き揚げましたが、濡れました。
それ以来、ずっと冷たい会い目が降り続いています。昨日は郷里に帰りましたが、畑仕事などできるコンディションではありませんでした。
今日は仕事日ですが、さすがに上着を着用しないと寒いです。
秋と言うより初冬の気配です。皆様、お風邪など召しませぬよう、お達者で、、、、。
今日はこれにて。
国分寺、国分尼寺の散策のついでに、その近くにある「こうもり塚古墳」も訪ねました。
全長100mの前方後円墳です。
総社観光ナビのこの記事に、紹介があります。
こうもり塚古墳(こうもりづかこふん) 吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳で、後円部には棺を納めた横穴式石室があります。 この横穴式石室は、全長19.4mで巨大な石を組み合わせて造られており、岡山県下三大巨石墳の一つに数えられています。また、全国でも、確認されている横穴式石室の中では第4位の規模を誇ります。 玉砂利を敷き詰めた石室には、井原市産出の貝殻石灰岩で造られた家形石棺、土を焼いて作った陶棺、そして木の棺が安置されていました。盗掘を受けていましたが、須恵器や土師器などの土器のほか、大刀や馬具をはじめとした鉄器などが多数出土しています この古墳は,かつて仁徳天皇に愛された吉備のくろひめの墓とされ、くろひめ塚古墳と呼ばれていました。しかし、この古墳が6世紀後半に造られたもので、仁徳天皇の時代とは100年以上も隔たりがあることから、名前の変更が考えられ、石室内にこうもりがたくさんいたことからこうもり塚古墳と改名されました。 |
ほとんど無数といえるほど、古代遺跡が吉備路のあちらこちらに横たわっています。もとより、すべてを訪ね尽くす訳にもいきませんので、次の見学地として、作山古墳(つくりやまこふん)と角力取山古墳(すもうとりやまこふん)を、車で案内していただきました。
作山古墳については、総社観光ナビの紹介を引用します。
作山古墳(つくりやまこふん) 作山古墳は、全国第10位、岡山県下第2位の規模を誇る前方後円墳で、岡山市の造山古墳(全国第4位、岡山県下最大)に次いで、5世紀中ごろに築造されたものです。 丘陵を三段に整形加工した斜面と平らな面からなる墳丘は、現在草と木で覆われ一見山にしか見えませんが、築造当時は平らな面に5千本以上もの埴輪(はにわ)が立て並べられ、斜面には石が敷き詰められていました。 自然の景観の中にある巨大なモニュメントは、吉備の大首長の権力を誇示したものと思われます。 しかしながら、作山古墳は畿内の大王墓と異なり、後円部は正円ではなくだ円形で、前方部も台形状の突出がみられるなど、不整な形態をしています。また、前方部の前面には丘陵の一部が、取り除かれないまま残されていることから、作山古墳に葬られた吉備の首長は、畿内の大王ほど、古墳築造にかける余力がなかったのではないでしょうか。 造山・作山の両古墳は天皇の墓とされていないため、中に立ち入ることができる最大の古墳です。作山古墳は12月に下草刈りをするため、このころは古墳の形がよくわかります。 |
角力取山古墳(すもうとりやまこふん)とは、面白いネーミングです。
これまた総社観光ナビから引用です。
角力取山古墳(すもうとりやまこふん) 旧山陽道を北にのぞむ低丘陵上に築かれた古墳で、吉備では最大級の方墳です。 墳丘の外表構造については、斜面を覆う葺石(ふきいし)や、段の有無も明らかではありませんが、墳丘に立てられた埴輪(はにわ)が少量ながら採集されています。埴輪の形状から、5世紀後半に造られた古墳と考えられますが、内部の埋葬施設の構造については、まったく明らかになっていません。 戦前は、古墳の西側に土俵を設け、御崎宮の祭りの際に奉納相撲が行なわれていたことから、「角力取山古墳」と呼ばれているようです。なお、この古墳の上には、県指定天然記念物の樹齢約450年を経たクロマツが枝を大きく広げています |
このクロマツについて、ウィキペディアにはこうあります。、
天然記念物
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こんな巨大な松、見たことがありません。
帰り道の車窓から見る五重塔。名残は尽きません。
秋の吉備路散歩、消失記事の復元はここまでとします。
氷雨のような雨が続き、冬支度が間に合いません。(特に気持ちの上で)
土曜日の朝は、中学生の部活動で、隣の市に車で送るように頼まれて、その帰り、雨が少し上がっているようなので。深山公園を歩きました。
すると、いろいろな鳥に会いました。そのご報告は、会を改めるとして、今日は予告編。
そのまま保育園に向かい、運動会を参観しました。
先週は大阪の孫も運動会だったようですが、写真を送ってもらって満足しておきます。
こちらの二歳児(もうすぐ三歳)は、お遊戯の途中で機嫌を壊したのか、身じろぎ一つしなくなってみたり、
ママと一緒の親子競技で、上機嫌で三輪車を走らせたり、、、
なかなか楽しませてくれました。
この競技の途中から小雨が降り始め、終わった頃にはかなりの本降りになりました。自転車で来ていましたから、途中で引き揚げましたが、濡れました。
それ以来、ずっと冷たい会い目が降り続いています。昨日は郷里に帰りましたが、畑仕事などできるコンディションではありませんでした。
今日は仕事日ですが、さすがに上着を着用しないと寒いです。
秋と言うより初冬の気配です。皆様、お風邪など召しませぬよう、お達者で、、、、。
今日はこれにて。
2017-10-16 22:10
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コメント(2)
楽しい運動会の思い出ができて良かったですね。
何度も、その話をして、みんなで楽しめますね。
たった一人の孫が海外に居るので、可愛い時を共有できず、それは残念なことだぁ~と思っていますが、元気に暮らしていると思うだけで元気になります。
by 森田惠子 (2017-10-17 18:51)
森田惠子様
自分の子の時には滅多に参観したことのないいろいろな行事を、あれこれ見ることができて、愉しいことです。離れてすんでいる孫の様子は、写メで知らせてもらって成長を確かめるだけですので、ちょっと寂しい気もしますが、「 元気に暮らしていると思うだけで元気になります。」は、まったくおっしゃる通りです。海外だと、なおさら恋しさがつのりますね。
by kazg (2017-10-18 05:30)