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老いという豊かな世界を再認識!の巻 [雑話]

ちょっとご紹介ががおくれましたが、4月4日、退職同業者親睦組織の、最寄りの支部の交流会に参加してきました。
午前中は、県北奈義町在住の俳優で介護福祉士の菅原直樹さんを講師に、「ワークショップ」を体験しました。

俳優・介護福祉士・奈義町アートデザインディレクター・四国学院大学非常勤講師など多彩な顔を持つ菅原さんは、「老いと演劇」OiBokkeShiを主宰。演劇公演やワークショップを通して、老い、認知症、介護などの問題をともに考える活動を進めておられます。
劇団名の「OiBokkeShi(オイボッケシ)」とは、「老い」「ボケ」「死」。誰もがたどるこの道を、深刻に悲観的にのみ受け止めるのではなく、老いという豊かな世界を再認識していこうという思いからのネーミングだそうです。
HP(「老いと演劇」OiBokkeShi)には、こんな紹介があります。

「老いと演劇」OiBokkeShiとは?

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俳優で介護福祉士の菅原直樹を中心に、2014年に岡山県和気町にて設立。

「老人介護の現場に演劇の知恵を、演劇の現場に老人介護の深みを」という理念のもと、介護現場・劇場などで創作上演、一般市民向けの演劇ワークショップ等を実施。

演劇という、太古から営々と築き上げられた芸術活動によって、「老い」「ボケ」「死」の明るい未来をあぶり出し、地域社会の活性化を目指す。

■主宰者プロフィール

撮影:野田明宏
撮影:野田明宏

菅原直樹

俳優、介護福祉士。「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。青年団に俳優として所属。小劇場を中心に前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大など、新進劇作家・演出家の作品に多数出演。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として働く。介護と演劇の相性の良さを実感し、地域における介護と演劇の新しいあり方を模索している。2014年より認知症ケアに演劇手法を活かした「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。OiBokkeShiの活動を密着取材したドキュメンタリー番組「よみちにひはくれない~若き“俳優介護士”の挑戦~」(OHK)が第24回FNSドキュメンタリー大賞で優秀賞を受賞。




ここに紹介されているドキュメンタリー番組の「よみちにひはくれない」という題名は、現在91歳の「看板俳優」岡田忠雄さんが、好んで口にすることわざだそうです。

デジタル大辞泉の解説
夜道(よみち)に日は暮れない

帰る夜道にはもう日も暮れる心配はない。腰を落ち着けてゆっくりと物事をするように勧めるときの言葉。

岡田さん自身、認知症の妻を介護しながら、菅原さんとの出会いを通してOiBokkeShiの演劇活動にとりくむようになったそうで、2015年作品「認知症徘徊演劇『よみちにひはくれない』は、妻の徘徊体験を演劇化したものだとか。
その日常が、テレビのドキュメンタリー番組でも紹介されたそうです。
テレメンタリー2018「演じて看る 〜91歳 認知症介護の日常〜」

地元山陽新聞夕刊のコラム「一日一題」(2016年9月2日)に、菅原さんが、こんなことを書いておられます。



ところで、「ワークショップ」とはどんなことをするのか、いささか緊張して身構えている参加者に、菅原さんは言います。
「---みずからをすべて自由に解放して、心の中にある怒りや悲しみをありのままに表現してください---などということは言いません」---うろ覚えですが、こんな感じの一言で、ほっと場が和みます。
ワークショップの最初のプログラムは、「体を使った遊び」。身体を使って遊びながらリハビリテーションを行うという意味で、名付けて「あそびりてーしょん」。
1は頭、2は鼻、3は肩という風に、身体の部位に番号を付け、司会者(や鬼)が任意に唱える数字に合わせて、対応する身体の部位を指さします。



次には、自分以外の人の身体の部位を指さします。相手が固定しないように、順次違う人の身体の部位を指ささなければなりません。 からだと脳を同時に使う遊びです。なかなか思うに任せないもどかしさとともに、童心にもどった楽しさを味わいながら、心身のリフレッシュができました。
次には椅子取りゲームの変種。「鬼」は、足腰が不自由な高齢者のペースで、ゆっくっりゆっくり歩かなければなりません。空いた椅子をめざしてようやくたどり着きそうになった頃合いを見計らって、すかさず誰かが席を移動します。一度腰を上げたらその席に戻ってはいけないルールです。
「決して本気にならないでください。怪我をします。」と冗談めかしていう菅原さんの「忠告」が、むべなるかなと思えるくらい、白熱します。
菅原さんは言います。「遊びは面白い。できない人が盛り上げてくれる。世の中では、できることが良いことで、できないと反省し、練習してできるようになることが求められる。でも、以前できたことができなくなるのが老い。自分はダメだと深刻に受け止め、自分の老いを拒絶したくなるもの。だが、いまある瞬間を楽しむのが遊びの価値観。」
無邪気に笑いながら、参加者同士の親和感が高まる「遊び」です。全体の中での関係性を判断しながら、適切に行動していく「力」を、遊びを楽しみながら回復していけるのでしょう。現職の頃、「集団遊び」のネタとしてストックしておきたかったと、切に思ったことでした。
介護の現場さながらに、いくつかのシチュエーションを設定し、介護する側とされる側の両方を演じあって、トンチンカンな被介護者の応答を、拒絶するのではなくそのまま受け入れて尊重する演技を体験するメニューもあります。



菅原さんは言います。
アルツハイマー型認知症には、中核症状として記憶障害や見当識障害があり、おかしな言動をしてしまうことがある。でも、「貴方の言っていることは間違いですよ」といちいち正すと、傷つくし混乱する。こちらが見えていないものでも、見えたふり(演技)をすることも大切。箒と間違えて傘を手に持って掃き掃除している人には、「お掃除ありがとうございます。僕が使いやすい箒を持っていますから、こちらに変えてみませんか」と交換してあげるとか。客観的な事実や論理や理屈よりも感情に寄り添うことが大切。

参加者の感想を一部紹介します。

楽しかった。
「相手を受け入れることが大切だ。」とはよく聞くが、なかなか難しい。
年寄りへの対応も、意左内孫への対応も、受け入れる態度が日頃まったくとれていない自分を大いに反省。 


介護の話は観に済まされる話でした。拒否するか、受け入れるか、身内になると逃げることができないので、余裕がなくなり、受け入れると言うことはなかなか難しいと思います。あと何年か後には、自分が介護される立場になると、わがままな老人になるだろうと思うと、情けないような気がします。


おもしろかった。
楽しかった。
人に指示的なことをするのは慣れているけれど、指示されるのはめったにないことなので新鮮だった。認知症の人に寄り添うことの大切さはわかったけれど、実際には難しい気がする。


すべての人に価値がある。
すばらしい話であった。
体を動かしながらの話がよかった。


久しぶりに自分を解放する時が持てて気持ちがよかった。
介護の問題が押し迫ってくる頃なので、生活の中で自然に演じたり演じられていることがあると思った。


身近に迫っている老いについて一条の光が差し込んだ気持ちになりました。いま一瞬を大切にして行けば、だんだん、衰えることについて悲観的にならなくてすむのだと発見することができました。母を介護中の自分にとっても、視点を変えることができて、これから、いい関係を持てそうです。ありがとうございました。


老いと、介護する立場と介護される立場の気持ちは、お互いにコミュニケーションをとりながら、人間としての肯定感を保ちながrら、付き合いたいものだと思いました。施設で働く人は、利用者である老人への配慮もしつつ、演劇的な接し方を工夫してやっておられるのだろうと思いました。楽しくワークショップに参加できました。

きょうはこれにて。

追伸:「首相案件」!またまた出ました。朝日新聞第一面記事。

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