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大和考その2、の巻 [文学雑話]

万葉集における「やまと」の漢字表記(万葉仮名表記)の件。雑学的興味がそそられましたので、少々確かめてみたくなりました。私の手元にある本で、さしあたり、すぐに取り出せるのは、土橋寛編『作者別万葉集」(桜楓社)、武田祐吉著「萬葉集全講」(明治書院)でした。
前者は、学生時代の教科書で、昭和46年重版発行、定価680円と奥付にあります。学生用に、万葉集の「代表的な作家・作品」を収め、所収の作家についてはできるだけ全作品を紹介してあるそうですが、当然収められていない作品もたくさんあります。
後者は、上中下三巻本で、昭和55年23版発行、各巻定価2800円とあります。安月給の青年教師時代に思い切って購入した本ですが、あいにくすぐに見つけ出せたのは、上と下の2冊だけでした。
このように、不十分な資料を基にものを考えようというのですから、大雑把、無責任、行き当たりばったりの最たるもので、決して科学的・研究的態度とは言えません。そもそも、最初からそのつもりもない、興味本位ののぞき見趣味と笑って見過ごしていただければ幸いです。
さて、「やまと」から思いつく歌は、と考えて、まず浮かんできたのはこれでした。
巻2 105
【原文】
大津皇子竊下於伊勢神宮上来時大伯皇女御作歌二首

吾勢●乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之  
(注●は左「示」+右「古」) 

【訓読】
大津皇子、竊(ひそ)かに伊勢の神宮(かむみや)に下(くだ)りて、上(のぼ)り来る時に、大伯皇女(おほくのひめみこ)の作らす歌二首

我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我立ち濡れし
(わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに わが(われ)たちぬれし)
作者の大伯皇女( おおくのひめみこ)天武天皇の皇女。大津皇子の同母姉。
少女の頃より、十三年間伊勢斎宮として奉仕。
弟の大津皇子は、父帝が没すると間もなく。謀反の罪でとらえられ処刑されます(24歳)。事件の直前、姉を伊勢に訪ねた大津皇子が、深夜、大和に帰るのを見送る歌です。
この歌についつい深入りしそうになっている自分ですが、待てよ、いつか過去記事に書いたことがあったけ?とググってみると、ありました、ありました。忘れてました。

『枕草子』に「池は」という章段があります。

「池は」
 池は かつまたの池。磐余(いはれ)の池。贄野(にへの)の池。初瀬に詣でしに、水鳥のひまなくゐて立ちさわぎしが、いとをかしう見えしなり。
水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて問ひしかば、「五月など、すべて雨いたう降らむとする年は、この池に水といふものなむなくなる。またいみじう照るべき年は、春の初めに水なむおほく出づる」といひしを、「むげになく乾きてあらばこそさも言はめ、出づるをりもあるを、一筋にもつけけるかな」と言はまほしかりしか。
 猿沢の池は、采女(うねべ)の身投げたるを聞こしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「ねたくれ髪を」と人麻呂がよみけむほどなど思ふ に、いふもおろかなり。
 御前の池、また何の心にてつけけるならむと、ゆかし。鏡の池。狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるならむ。こひぬまの池。
 はらの池は、「玉藻な刈りそ」といひたるも、をかしうおぼゆ。

【とことん勝手な解釈。(ちょっと古い桃尻語訳風)】
池と言えば、かつまたの池ね。
この池は、奈良西の京の唐招提寺と薬師寺の近くにあったそうよ。
万葉集に 「 かつまたの池は我知る蓮(はちす)なし然(しか)言ふ君がひげなきごとし/婦人(をみなめ)」と歌われているわ。新田部皇子(にいたべのみこ)が勝間田(かつまた)の池をご覧になり、とても感動なさって、あるお方にお話になると、その女性は、「あら、あの池に蓮なんかなかったわよ。あなたのお顔におひげがないのと同じに。ホントにかつまたの池にお出かけになったか怪しいものね。どこか別のところで、美しい女の方をご覧になったのじゃなくって?」とからかったという話があるわ。
後には、池の所在は不明になって、美作(みまさか)・下野(しもつけ)・下総(しもうさ)など、諸説が生まれたそうよ。美作の勝間田なら、昨日と一昨日の記事の舞台は、すぐ近くだわ。
磐余(いわれ)の池もいいわ。
同じく万葉集に大津皇子のこの辞世の歌があるわね。

ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ

「いつものように今日も磐余の池に鳴く鴨を、私は今日を最後の見納めにして あの世に旅立っていくのだろうかなあ。」という、痛切な歌だわ。
大津皇子は天武天皇の皇子で、お母上は、天智天皇の皇女であられた大田皇女(おおたのひめみこ)よ。父帝が崩御されたあと、讒言によって謀反の罪を着せられて捕えられ、磐余にある自邸にて自害させられたの。御年は24の若さだったわ。
これを悼んだ姉君の大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌も、哀切よね。

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背(いろせ)とあが見む

「不本意ながらこの世に生きて残された私は、明日からは弟が葬られた二上山を弟と思うことにしますわ」

「うつそみ」は「うつせみ」 とも言うわ。「現し身」=現にこの世に生きている身という意味。「現(うつつ)」は「夢」の対義語で、「現実」を意味するし、「覚醒した状態」「正気の状態」を表すことも多いわ。夢なら良かった、酔って忘れられたらそれもいい。でも、冴えた正気の目で現実を見つめなければならないことのつらさ。せめてあの山を、あなたを偲ぶよすがと思って、心を慰めることにしましょう

磯のうへに 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありと言はなくに

「岩の上に生える馬酔木(あせび)の花を手折って、あなたに見せようと思うけれど、見せたいあなたが健在だとは誰も言ってくれないの」
大伯皇女は、伊勢神宮の斎宮で、神様に仕える身の上でいらっしゃったのよ。父帝が亡くなられたあと、謀反の罪で捕らえられるまでのある日、弟の大津皇子が皇女を伊勢まで秘かに訪ねたことがあったわ。姉皇女は、男子禁制の斎宮の身でありながら、弟皇子を懇ろに迎え、親密に一夜を語らい、まだ空が暗いうちに旅立つ弟を、姿が見えなくなってもずっと見送ったのよ。それが最後の別れとなる予感があったのかどうか、知る由もないけれど。次の二首は、そのときの歌。

わが背子を大和へ遣ると小夜更けて あかとき露に我が立ち濡れし

「私の愛するあなたが、奈良の都に帰るというので、夜も更けてからその無事を祈って見送り続けていると、私の身体は明け方の露にぐっしょりと濡れてしまったことですわ。」

二人行けど行きすぎ難き秋山を いかにか君が一人越えなむ

「二人で行っても越えるのが難儀な秋山を、愛するあなたはどうやって一人で越えているのでしょうか」  

実の姉弟の間柄なのだけど、同時にこの世で最も信頼できる相手、心の通いあう相手、互いに恋人同士のような思慕を抱いていたのかしら。

ところで、大津皇子憤死の知らせを聞いた妻の山辺皇女(天武天皇の皇女)は、半狂乱になり、裸足で墓まで駆けつけて、大津の皇子の跡を追って殉死したそうよ。なりふり構わず、その愛を貫いた山辺皇女さまもおいたわしいけれど、神に仕える斎宮の身故にそうすることもかなわなかった大伯皇女さまは、いついつまでも悲しみが晴れることなく、さぞやお辛いことだったであろうと思われますわ。

全くの余談になるけれど、『日本書紀』によると、「御船西に征き、初めて海路に就く。甲辰(8日)に御船大伯海(おおくのうみ)に到る。時に大田姫皇女(おおたのひめみこ) 女子を産む。よりて、是の女を名づけてを大伯皇女(おおくのひめみこ)という」とあるわ。斉明7年1月のことよ。
つまり、大伯皇女さまは、お父様の大海人皇子(後の天武天皇)やお母様の大田姫皇女さまも乗り込んで、朝鮮出兵のため難波を出航した船団が、岡山県邑久(おく)郡の海=小豆島の北方=大伯の海の上を通りかかったとき、つまり船上でお生まれ遊ばしたのね。「大伯」は「邑久」の古名なのね。今は平成の大合併で「瀬戸内市」なんて無個性な名前になってしまっているのが、ひどく残念に思えるわ。話をもとに戻しまあす。

(中略)

いろいろな池が数え上げられていますが、清少納言の連想は、いつでも「わが道を行く」流儀ですので、どういう内的脈絡があるのか、よくわかりません。

今日は、猿沢池をネタにしたかっただけです。あしからず。

またまた、予定外の回り道をしてしまいました、今日の結論は---?
冒頭の歌で「倭」と表記されているのは、国号ではなく、伊勢から見た「大和」をさすものと考えるのが自然だと思われます。
これを読み下すときは「やまと」が相応でしょうし、書き下すときは「大和」の漢字を当てるのが一般だと思われます。つまり、原文の万葉仮名をそのまま書き下さないことも、十分一般的で、責められるべきではないのではないか?という仮説です。

早朝散歩で思わぬ出会いがあります。

ミシシッピアカミミガメ。道路の上で涼を取っていたのでしょうか?コチラの気配に気づき手、ゆっくりと歩いて逃げました。

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シラサギが、たくさんいます。
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栗の毬が大きく肥え始めています。
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稲葉の朝露です。
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玄関の朝顔。
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これはお出かけ先に通りかかったお寺の蓮の花。
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今日はこれにて。続きは回を改めて、、、。

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コメント 4

kenrou okada

万葉集、いいですね。昔を思い出します。涼しくなったら読んでみようかな?
by kenrou okada (2018-08-03 09:52) 

美美

万葉集、枕草子は高校時代に学びましたが
今ではすっかり忘れてしまいました(^^;
田んぼの白鷺、私には夏の風物詩です。
by 美美 (2018-08-03 19:07) 

kazg

kenrou okada様
滅多にひもとくことがありませんよね。
by kazg (2018-08-03 19:34) 

kazg

美美様
シラサギ、近づくと飛んで逃げてしまいます。やはり長いレンズを持ってくれば良かったかなと悔やみます。軽いカメラで歩きたいし、、、。
by kazg (2018-08-03 19:40) 

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