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年賀状の季節、の巻 [折々散歩]

11月ともなると、年賀状の話題があちこちで始まります。昨日ご一緒したSさんは、いつも自作の版画刷りの賀状をくださいます。いろいろな話の流れで年賀ハガキを買わなきゃ、という話題になりました。


私の場合、毎年、郵便局に縁故のある知人の紹介で、予約購入しています。ささやかながらノルマ達成に協力するつもりで、、。昨日帰宅しましたら、そのハガキの包みが届いていました。


一方、この季節は、喪中欠礼 ハガキが舞い込む時期でもあります。以前は年長の親族の喪中という報せが、一枚二枚という状況でしたが、年齢を重ねるにつれて、ご父母などが亡くなられたとの報が、数枚もまた十数枚も届くようになりました。さらに近年は、ご本人や配偶者の逝去というケースも表れるようになり、年頭には賀状を頂いたのにと驚くことが重なるようになりました。


昨日も、一通、喪中はがきが届いていました。それに目をやると、私が高一の時に担任していただいたN先生のご逝去を知らせる、奥様からのハガキでした。一瞬目を疑いました。


というのも、ごく最近、電話でお声をお聴きしたばかりだったのです。いつのことだったっけと思いをめぐらせつつ、お葉書の文面を確かめると、今年5月に亡くなられたとあります。半年も前?と仰天しつつ記憶をたどると、


一筆啓上仕り候、の巻


などの記事でご紹介した「退職教職員アピール」への賛同をお願いする手紙を、ぶしつけながら封書で差し上げていたところ、ご丁寧にお返事の電話をくださったのでした。


「身体を壊して、思うに任せないが、君たちの運動に賛同していますよ。」という趣旨のお話でした。何年ぶり、いや何十年ぶりにお聞きするお声でした。


高1時代の学級担任で、英語を習いました。温厚で、かつ厳格なジェントルマンでした。思い出は、いろいろと浮かんできます。


バス旅行の中での一コマが、不思議にしばしば思い出されます。マイクが回って、次々に歌を披露するようなとき、N先生が歌われたのは「原爆を許すまじ」でした。


度々参照させていただいている二木紘三のうた物語


「原爆を許すまじ」のページから引用させていただきます。

原爆を許すまじ:浅田石二、作曲:木下航二

1 ふるさとの街焼かれ
身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三度(みたび)許すまじ原爆を
われらの街に

2 ふるさとの海荒れて
黒き雨喜びの日はなく
今は舟に人もなし
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの海に

3 ふるさとの空重く
黒き雲今日も大地おおい
今は空に陽もささず
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
われらの空に

4 はらからの絶え間なき
労働に築きあぐ富と幸
今はすべてついえ去らん
ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を
世界の上に

《蛇足》 昭和29年(1954)3月1日、アメリカは、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で「キャッスル作戦・ブラヴォー」と名付けた水爆実験(写真)を行いました。

このとき、160キロ東で操業していた静岡県焼津のマグロ漁船・第五福龍丸が死の灰をかぶり、約7か月後の9月23日、同船の久保山愛吉無線長が亡くなりました。
第五福龍丸被爆のニュースとともに、反原水爆運動が一気に盛り上がり、5か月後、原水爆禁止署名運動全国協議会が生まれました。

この歌が作られたのは、このころです。東京・大井の町工場の工員・浅田石二が作った詞に、都立日比谷高校の社会科教師・木下航二が曲をつけました。発表は昭和29年7月28日。
亡くなった久保山無線長は、静岡県漁民葬において、静岡大生らが歌うこの歌で送られました。

時はすべてを忘れさせるといいますが、過去の傷みを忘れた、あるいはあえて無視しようとする者たちが、政府のなかにも増えてきました。

(二木紘三)


九州への修学旅行の時だったかとも思うし、その時は担任が変わっているから同じバスに乗り合わせるのはヘンだし、などと迷いますが、記憶があやふやではっきりしません。ただその静かだが胸を打つ歌声の響きと、「みたびゆるすまじげんばくを われらのまちに」という厳かなフレーズは、耳から離れません。


高校在学中から、年賀状のやりとりだけは続いていました。10年前の冬、私が動脈瘤手術を経験し、回復退院した直後、年賀状を出しそびれたご挨拶がてら、知己の方々に病気自慢めいた寒中見舞いを送ったことがありました。その時、N先生から心温まるお見舞いと励ましのお便りを頂戴しました。


あれから10年、そのN先生をはじめ、その時見舞ってくださった方の何人もが先に逝ってしまわれ、見舞われる側だった私がまだ生存していることの不思議を感じます。世の無常を思わずにはいられません。




きょうの付録は、以前この記事で書いたレンズの一件の顛末。


相も変わらぬガラクタ較べ、の巻


最近、カメラ量販店の中古コーナーに、「L」のつかないDA55-300mmが、税別九千円台で陳列されていて目を疑いました。フード、フロントキャップ、リアキャップ、ソフトケースと、最低限の付属品は揃っています。「レンズ内ゴミ多し、並品」と表示されています。さすがに理性が働いて、衝動買いはしませんとも。
それから一週間ほどは、忘れようとしていました。が、昨日、通りがかりに立ち寄ってみると、まだありました。外観は「並」とは言うものの十分綺麗です。店員さんに言ってレンズの中も覗かせてもらいましたが、ゴミぐらいなら写りに影響はないだろうと思い、定めに従って購入することにしました。


読み返すと、この記事の「定め」の意味が不明でしたね「運命」と書きかえた方が良かったかも知れません。


が、それほどの惚れ込みようにもかかわらず、レンズ内の汚れは予想以上で、写りにも影響があると言う感じが拭えません。これを我慢して使い続けるか、それとも返品を申し出るか、という二つの順当な選択肢を尻目に私が選んだのは、泥沼的、自滅的な修理依頼という処置でした。一応修理見積もりは出してもらいましたが、カメラ店に修理を依頼したのが10月17日、それから2週間もしてから示された見積もりは約12,000円。なんと本体購入価格を上回る金額です。いやしかしこれも想定内。毒をくらわば皿まで、行け進め!!!の世界です(とほほ)。


その修理ができあがったとの報せがあって、昨日受け取りました。


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やはり、精細度不足は気のせいではなかったようです。


昨日は、PENTAX KxにsmcPENTAX-DA 50mmF1.8を装着して家を出て、帰りにカメラ屋に立ち寄って DA55-300mmへ換装して試し撮りをしてみるつもりでした。



旭川の眺め。


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岸辺に桜が咲いていました。


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smcPENTAX-DA 50mmF1.8は、新品でも1万円強。



今回の修理代金とトントンです。新たなレンズ購買層をくすぐるための「撒き餌レンズ」と呼ばれるらしいですが、そのコストパフォーマンスは、なかなかのものです。


一方、DA55-300mmの写りは?



PENTAX 望遠ズームレンズ DA55-300mmF4-5.8ED Kマウント APS-Cサイズ 21720

PENTAX 望遠ズームレンズ DA55-300mmF4-5.8ED Kマウント APS-Cサイズ 21720

  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: エレクトロニクス
昨日は、確かめるチャンスがなかったので、今日の散歩で実験してみました。あいにくの雨~曇りの天気でしたが、、、



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写りに破綻はないようです。


このモズのピンぼけは、正面でとらえられなかったためのご愛敬です。


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今日はこれにて。


 


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コメント 8

kenro okada

年賀状の季節になりましたね。ここ2年間は母親や義父の喪中で出すことができませんでした。今年は3年ぶりに出すことができますが、少し面倒だなと思ったり、やっぱり出そうかなと思ったり・・・       東京へ行ったときに、第五福竜丸を見に行ったことがあります。予想外に大きな船だったことに驚きました。当時他にも被爆した船や人がいたにもかかわらず、全く手がさしのべられなかったとか。今に通じているような気がします。
by kenro okada (2018-11-09 21:27) 

yakko

こんばんは。
「原爆を許すまじ」の歌は歌えます。
写真 ! 良いですね〜(^ ^)
by yakko (2018-11-09 21:37) 

風船かずら

原爆許すまじ、心に深く籠めて歌いたい歌ですね。でも知らない人もおおくなっているのではないでしょうか。原爆許すまじという思いがあったから、再び使われることがなく来ましたがこの歌を忘れないでほしい、若い世代も知って世界を守ってほしいです。
by 風船かずら (2018-11-10 09:08) 

majyo

喪中のハガキ、昨日頂いたものはショックを受けました。
やはりそれなりに元気な時、お会いしているからです。

by majyo (2018-11-10 15:01) 

kazg

kenro okada 様
年賀状、出すのは億劫ですが、頂くのは嬉しいものですね。
第五福竜丸、私も見学したことがあります。
操業中の漁船や、現地住民への被害を顧みることなく、被害予想不能の水爆実験を強行したアメリカ。決して自国民にたいしては、そんなまねはできなかったでしょうに。根強い差別・蔑視が根底にはあり、いまなおそれは脱することができてない課題でしょうね。
by kazg (2018-11-10 18:46) 

kazg

yakko様
「みたびゆるすまじげんばくを」が、いつまでも有効性を持つ世の中であって欲しいですね。
by kazg (2018-11-10 18:48) 

kazg

風船かずら様
仰るとおりですね。永遠に知らないで済ませることができるならそれに越したことはありませんが、みたび目を引き起こしかねない動きには、若い人こそ敏感であって欲しいです。そのためにも、過去の国民的体験・史実を、知性と感性を動員して受け止めてほしいものですね。
by kazg (2018-11-10 18:59) 

kazg

majyo 様
よくわかります。そんな報せが妙に重なります、、、。
by kazg (2018-11-10 19:17) 

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