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紅葉の旧閑谷学校補遺(2)、の巻 [折々散歩]

売れっ子お騒がせ作家百田尚樹氏のコピペ疑惑が話題を呼んでいます。

11月29日付けの@nifityニュースにこんな記事がありました。一部コピペします(汗)

作家・百田尚樹氏「Wikipediaからの“コピペ”」を認めて大炎上

作家・百田尚樹氏の新刊『日本国紀』(幻冬舎:11月12日発売)にまつわる“コピペ疑惑”について、新たな展開が起きた。何と百田氏本人が「コピペはある」と認めたのである。
百田氏は11月20日にYoutube上で配信している報道番組『真相深入り!虎ノ門ニュース』に出演。番組内で、「僕ね、この本書くのに、どれだけ資料そろえたかと、山のように資料そろえた。そん中にはね、Wikipediaもそりゃあるよ。そりゃWikipediaから引用したもんとか、借りたもんとかある」と“コピペ疑惑”をあっさりと認めた。
(中略)
さらにツイッターでは、
《【拡散希望】
私がウィキペディア(以下ウィキ)から大量のコピペをしたという悪意ある中傷が拡散していますが、執筆にあたっては大量の資料にあたりました。その中にはもちろんウィキもあります。しかしウィキから引用したものは、全体(500頁)の中の1頁分にも満たないものです。》
と投稿。百田氏はその後、ツイッターで『日本国紀』をコピペと中傷したアカウントについて、
《これから、ツイッター社に開示請求する予定です。すべてはその後です》
と訴訟をちらつかせた。

(中略)
すると、ネット上では、Wikipediaからのコピペはどの程度なのかを検証するサイトが立ち上がり、その結果、原稿用紙1枚では収まりきらない「1965文字」のコピペが発見されたという。
また、新聞や文庫、歴史本などからの文章丸パクリの指摘もあるのだが、こちらに関して百田氏はだんまり。
そのためネット上では、
《ただの開き直りで笑った》
《そもそも原稿用紙1枚分だろうと大問題だろ》
《引用するなら、ちゃんと引用元を記しましょうね? それすら分からないのか》
などといった批判が続出することに。
まだまだこの問題は続いていきそうだ。

  
オリジナリティが真髄の文学的(創造的)著作は言うに及ばず、かりそめにも著作物と名のつくものを世に問う際、他人の文章をつぎはぎ利用するなどは論外でしょう。引用する場合には、当然それと断った上で引用元を明記するのは常識でしょう。

と、公言した手前、と言うわけでもありませんが、引用だらけの私のブログ、せめて引用元だけは明示するよう努めております(エヘン)。

さて、先日来の「旧閑谷学校」の記事についてChinchikoPapa さまが、こちらの記事でこんなコメントをくださいました。

神田明神下にある湯島聖堂(昌平坂学問所)が、今年で328周年ですから、それよりも古い歴史があるのですね。

そうでしたそうでした。湯島聖堂(昌平坂学問所)=昌平黌も、閑谷学校も、昔、「教職教養」の参考書で覚えたものでした。

で、ウィキペディアからコピペです。

湯島聖堂
歴史

1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。翌1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。林家の学問所も当地に移転している。

大成院の建物は、当初朱塗りにして青緑に彩色されていたと言われているが、その後度々の火災によって焼失した上、幕府の実学重視への転換の影響を受けて再建も思うように出来ないままに荒廃していった。その後寛政異学の禁により聖堂の役目も見直され、1797年(寛政9年)林家の私塾が、林家の手を離れて幕府直轄の昌平坂学問所となる。これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名にもなった。

昌平坂学問所

沿革  

もともとは1630年(寛永7年)、徳川家康から与えられた上野忍岡の屋敷地で林羅山が営んだ儒学の私塾を起源とする。羅山は、ここに孔子廟を設けてその祭祀を行い、これらの維持運営はその後代々の林家当主(大学頭)が継承したが、その後1690年(元禄3年)、将軍徳川綱吉が神田湯島にこの孔子廟を移築することを命じ、この際講堂・学寮が整備され、この地は孔子の生地である「昌平郷」にちなんで「昌平坂」と命名された。

ついで1790年(寛政2年)、いわゆる「寛政異学の禁」により幕府の教学政策として朱子学が奨励され、その一環として林家の私塾であった「学問所」を林家から切り離し、「聖堂学規」や職制の制定など、1797年までに制度上の整備を進めて幕府の直轄機関とした。これが幕府教学機関としての昌平坂学問所の成立である。この時外部から尾藤二洲・古賀精里が教授として招聘され、以後は直参のみならず藩士・郷士・浪人の聴講入門も許可された。

山本周五郎や藤沢周平の作品に、登場して来たように思います。(うろ覚えですが)

そして、閑谷学校についてもウィキペディアからコピペ。

概要

岡山藩主池田光政によって開設された日本最古の庶民学校である。藩士のための教育施設(藩校)「岡山学校」に続き、岡山藩立の学校として開かれた。

建築は2期に分けて行われ、32年の月日を費やした。他に例をみない手間隙かけた質とスケールを誇り330余年の歴史をもっている。

地方の指導者を育成するために武士のみならず庶民の子弟も教育した。また、広く門戸を開き他藩の子弟も学ぶことができた。就学年齢は8歳頃から20歳頃までであった。

カリキュラムは1と6の付く日には講堂で儒教の講義があり、5と10の付く日は休日となっているなどであった。頼山陽などの著名人も来訪し、幕末には少年時代の大鳥圭介もここで学んだ

設立時期の違いもさることながら、武士のための教育機関か、庶民学校かの違いは特筆されるべきでしょうか。その名残は、この建物にも残されています。

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例によって、旧閑谷学校HPの史跡各所案内のページから引用します。

重要文化財
習芸斎(しゅうげいさい)

農民たちも学んだ、教室として使われた施設。

毎月三と八の付く日は「五経」と「小学」、朔日(ついたち)には農民も聴講することができる「朱文公学規」の講釈が行われました。

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彼らはこの飲室門をくぐって学問に励んだのでしょう。

重要文化財
飲室門(いんしつもん)

日通いの生徒や、毎月朔日(ついたち)の朱文公学規講釈に出席する聴講者が出入りする通用門であった。

一方、藩主の通り道は、この公門だったようです。

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重要文化財
公門(こうもん)

藩主臨学の際に使用した門で御成門ともいう。
本柱の後ろに控柱二本を建てて切妻屋根をのせる薬医門様式の建物で、石塀が築かれた元禄十四年(1701)の時点で設置された。

これらの門を結んで、印象的な石塀が学校全体を取り囲んでいます。

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重要文化財
石塀(せきへい)

300年を経て今も整然たる姿をたたえる。

学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀は、備前焼瓦と並んで、旧閑谷学校に独特の景観を生み出しています。

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その先に佇むのは、「資料館」。明治38年(1905)、学房跡に「私立中学閑谷黌」の本館として建てられた建物が利用されています。

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有形文化財
資料館(しりょうかん)

明治38年の姿が残る、校舎を利用した資料館。

明治38年(1905)、学房跡に「私立中学閑谷黌」の本館として建設されました。
現在はその本館部分を資料館として公開し、旧閑谷学校の貴重な資料が展示 されています。

気がつけば12月です。アレルギー用の目薬が切れたので、今朝、眼科を受診しましたら、保険証の提示を求められました。そう言えば月替わりかと、感慨を覚えたことでした。

閑谷学校を見学したのは、11月13日でした。いまでは、もっと落葉が進んでいることでしょう。、季節はずれになってしまわないうちに、閑谷学校の紅葉をたっぷり紹介しておきます。

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今日はこれにて。


nice!(35)  コメント(6) 

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コメント 6

kenrou okada

閑谷学校、いいですね。両親が元気だった頃、この時期になると、日生でカキオコを食べて、閑谷学校の茶店で甘酒を飲む、というドライブを何度かしました。
by kenrou okada (2018-12-01 21:34) 

kazg

kenrou okada様
閑谷学校、見所が多いですね。茶店の甘酒も、誘惑的でした。
駐車料金が要らないのもありがたいし。
1人で行くのも寂しいですが(笑)
by kazg (2018-12-02 07:44) 

majyo

日本国記ですが改訂版が出たそうですが今回の断り書きが無い
当初のはとにかくあらゆるところからのつぎはぎだそうです
最近読んでいる「日本が売られる」には大量の参考文献が出ていました。百田さん、他でも裁判になりましたね。たしかたかじんさんので

by majyo (2018-12-02 09:08) 

kazg

majyo様
事実とか実証性よりも、話題になること、売れることが優先なのでしょうね。数こそすべて、結果が第一のアベ政権と、心性において繋がっていますね。
by kazg (2018-12-02 18:49) 

gonntan

閑谷学校良いところですよね
百田尚樹さんたちのHANADAやワックでしたっけ
地方紙でも下4分の一くらいの広告派手に打ってます
金にあかして売らんかな、でそれを見ただけで
本当だと信じてしまう人も多いのでしょうね
困ったことです
by gonntan (2018-12-02 23:16) 

kazg

gonntan様
閑谷学校、地元にいてもなかなか行く機会がありませんし。県外からですと交通の便が良いとは言えませんが、ゆっくり楽しむつもりで訪ねると、落ち着いた時間が過ごせます。
>金にあかして売らんかな
悪貨は良貨を駆逐するとか、、困ったものですね。
by kazg (2018-12-03 07:37) 

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