梅か香を纏うて越えん万の乢、の巻 [折々散歩]
昨日の記事の続きです。
峠に向かう山道の途中、こんな掲示がありました。
一部引用します。
作東町指定文化財
梅か香塚
指定 亜養和57年12月1日
この句碑寛政五年(一七九三)に、当地土居の俳人妹尾有磯が近在の俳人によびかけて俳聖松尾芭蕉の百回忌の記念に建立したものである。句碑には『むめ(梅)が香にのっと日の出る山路かな』の句が刻まれているが、芭蕉のこの句は元禄七年(一六九四)に刊行された連歌集『炭俵』の巻頭の句として有名である。出雲街道の、この辺は「万の乢」(まんのたわ)として山路の景色の美しさは当時の旅人に宣伝されていた。(後略)
なるほど、苔むした句碑が建てられており、周囲は芝や草が刈り払われ、端然と整備されており、あちこちに梅の植樹なども行われているようです。
これらの若い梅の木々が甘い芳香を放つ季節に、この山路を歩いてみたい気がします。ここで一句。
梅か香を纏うて越えん万の乢
芭蕉の「梅が香に」の句について「学研全訳古語辞典」は、こう解説しています。
「梅が香にのっと日の出る山路かな」
出典炭俵 俳諧・芭蕉(ばせう)
[訳] 早春の夜明け方、山道を歩いていると、どこからか梅の香が漂って来た。折しも、山並みの向こうから朝日がぬっと昇って来た。
鑑賞
『炭俵』の巻頭の歌仙の発句。原本では「うめ」を「むめ」と表記する。春の山路の余寒の風情を詠んだ、平明な「軽み」の句。「のっと」という語の響きが句の新しさとなっているが、去来の『旅寝論』は、「師ののっとはまことののっとにて、一句の主(あるじ)なり」という其角(きかく)の言葉を記している。季語は「梅が香」で、季は春。
この句を刻んだ句碑は各地に建てられているようですし、この句がどこで詠まれたかについても、定かではないようですが、参考までに、「日本大百科全書(ニッポニカ)」の解説を一部引用しておきます。
万能峠
まんのうとうげ
兵庫県佐用(さよう)郡佐用町と岡山県美作(みまさか)市の境界にある峠。万ノ峠、万ノ峠(たわ)ともいう。近世初頭に出雲(いずも)街道の峠道として開かれ、松尾芭蕉(ばしょう)が「梅が香にのっと日の出る山路かな」の句を詠んだといい、梅ヶ香塚がある。この下を西日本旅客鉄道姫新(きしん)線がトンネルで通る。1910年(明治43)北東約500メートルに新道が開通し、現在国道179号として交通量が多い。[大槻 守]
山道を登り切って、正面のぽっかりと開けて見えるところが万能峠(万の乢)です。
右は播磨国、左と美作国。ここが国境(くにざかい)です。
この辺りに横倒しになっている標識に、「八咫鏡発掘地」とあります。
ここで発掘されたという「八咫鏡」については以前、下の記事で触れたことがありますので、今日は繰り返しません。
八咫烏と八咫鏡と平家蟹とアンパンマン、の巻
山路歩きの快い疲れとともに、駐車場所まで下山し、今度は場所を変えてメガソーラー建設工事の進捗状況を見学します。日曜日ですので人影もなく、工事の車両の動きもありません。しかし、平日は工事の騒音と、道路への土砂の散らばりなど、地元住民の生活へのしわ寄せは計り知れないようです。
痛ましい被害が続出したこの夏の豪雨に際して、どういう加減かこの地域はほとんど影響を受けなかったそうです。幸か不幸か、工事は着々と進展していて、かなりの面積にパネルが貼られています。
物々しい雰囲気の金網の内部は、立ち入り禁止になっています。
父祖伝来の土地に足を踏み入れることも手を触れることもできず、蹂躙されるに任せる士かない沖縄県民の悔しさと、あい通じる感情を押さえることができません。
パネル取り付けを待つ無数のコンクリート柱が、やはり墓標か、あるいは何か不吉なモニュメントのように見えて、仕方がありません。
これがすべてパネルで覆い尽くされたとするなら、急激な気温上昇によって激しい上昇気流が雨雲を呼び、思いがけない豪雨をまねきはしないでしょうか?そして、もし、この夏他の地域を襲ったような「災害級」の降雨が降り注いだならば、保水力を失ったこの広大な人工の丘陵は、ふもとの村にどのような抗いがたい災害をもたらすのでしょうか?想像するだけでも怖ろしいことです。
そんなことを思いながら、まずはそれは置いといて、鍋を囲みながら時を忘れて歓談したことです。念のために付記しておきますが、アルコールはありません。それでも、座は終始なごやか、堅苦しくなどないけれど、人生の知恵と栄養を補給できるのは、嬉しいことです。
今日はこれにて。
ご訪問、有難うございました。
芭蕉は諸国漫遊して句を詠んだ俳人と言われていますが、実は諸国を巡る隠密であったとか、まこしやかな噂もながれていますね。本当はどうなんでしょう?
by okko (2018-12-20 15:49)
okko様
伊賀の生まれだし、その健脚ぶりが並みでないなどを根拠に、広められたウワサのようですが、さて、どうなんでしょう?本職が隠密で、俳諧は余技、というのも、愉快な仮説ですね。
by kazg (2018-12-20 22:09)