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花に嵐、の巻 [折々散歩]

昨日の朝の三徳園(小鳥の森)。

どこもかしこも桜が満開でした。

ソメイヨシノ。

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ヤマザクラ。

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ミツマタ。

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ヤマブキ。

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郷里の山も笑っています。

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庭のシバザクラも満開。

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スイセンもいろいろ咲いています。

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タンポポ。

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シロバナタンポポ。

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綿毛。

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タンポポの葉に、ヤマトシジミが飛んできて止まりました。

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昨日は、高校の入学式だったそうで、夕方桜の木の下で記念撮影をしました。

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この好天も昨日の夜まで。深夜から今日にかけて、強い雨と風です。

今朝は、傘差し散歩。強風に煽られて傘をジョウゴにされ、早々に引き揚げました。

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「花散らしの雨」と書きかけて、そう言えばこの言葉、いろいろと話題になっていたことを思いだしました。

気象予報士・気象解説者の森田正光(ウェザーマップ取締役会長)さんが、以前(2016年4月)こんなことを書いておられました。さすが適切な解説と感心しましたので、少しだけ引用させていただきます。

その「花散らし」という表現に対して、ある方から「花散らし」と言うのは、古来は艶っぽい表現で下品な意味を含むので、その言葉を使うのは控えたほうがいいのではとのご意見をいただきました。

では、 その「花散らし」の本来の意味はなんでしょう。

広辞苑には「三月三日を花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること。(九州北部地方でいう)」と書いてあります。まぁ、現代風に言えば、夜通しで行われた今の時代より自由な合コンのようなものでしょう。

確かにそう考えれば艶っぽいというか、あまり適切でないという意見も分からないではありません。ただ、こうした批判めいた意見を聞くと、経験の浅い気象解説者はその意見にたじろいで、つい自己規制をして無難な表現になってしまいがちです。

しかし、すでに死語と化した本来の意味を持ち出して、現在ふつうに使われている「花散らし」という表現を抑えようとするのは、いかがなものかと私は思います。

言葉は恒に変化し、我々気象解説者にとっては、季節や気象に関する言葉は語源も含めて、慎重に扱わなければならないのは言うまでもありません。

ですが、あまりに本来の意味に囚われると、自由な表現を狭めて息苦しい気象解説になってしまいます。

ちなみにNHKの気象ハンドブックによると、

「もともとの意味は、…略… 旧暦3月3日に海辺で催す男女の酒盛りのことを言ったとされている。最近は桜の花を散らす強風を指して言うこともある。」

となっています。

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もう一つ、私の頭に浮かんだフレーズ。「花に嵐」。

これは、これまで何度も書いておりました。

たとえば、2015年と2016年の4月の同じ時期に、こんな記事を書いています。

満開の花に嵐の無惨かな

毎日が花見の暮らし!雨も佳し

何の新味もありませんが、性懲りもなく、引用再掲させていただきます。

毎年毎年飽きもせず、相も変わらず、同じようなことを考えるものです。 (中略)    

こんなお天気だと、こんなフレーズを口ずさんでしまします。

この杯を受けてくれ
    どうぞなみなみ注がしておくれ
    花に嵐のたとえもあるぞ
    さよならだけが人生だ
  井伏鱒二 『勧酒』

もちろん、原詩は唐代の詩人 于武陵(うぶりょう)の五言絶句「勧酒 」。

勧酒    于武陵

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
(『唐詩選』) 
【書き下し】
酒を勧む 于武陵
君に勧む金屈巵
満酌辞するを須(もち)ひず
花発(ひら)きて風雨多く
人生別離足る

この「人生別離足る」を、井伏は「さよならだけが人生だ」と圧倒的な訳語を創出しました。

その断言の印象深さの故でしょう、 寺山修司がこれにこだわって、なんとかしてあらがおうと試みています。

    さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
    はるかなはるかな地の果てに咲いている野の百合何だろう
    さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
    やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
    さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
    さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
    さよならだけが人生ならば 人生なんか いりません。
    寺山修司 『さよならだけが人生ならば』

「花に嵐」も午後にはようやく収まり、小糠雨を残すのみとなりました。「春雨じゃ濡れて参ろう」と洒落込むには寒すぎる「花冷え」に、とうとう我慢できず、何日ぶりかでストーブ用の灯油を買ってきました。暑くなる前に使い切れるかどうか微妙なところですが、、、。

この春転勤した保育士の長女が、今日はお休みだそうで、「桜を見たくなった」と、3歳児を連れてやってきました。

東京ほか、時ならぬ雪に見舞われた地方もあったようですが、それほどではないまでも、寒い散歩になりました。

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でも、元気に大はしゃぎです。

  さよならだけが人生ならば
  また来る春は何だろう     

今日はこれにて.


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momotaro

さよならだけが人生だ
なんて思うこともあるけれど
すぐまた出逢いがあるのも人生です.
by momotaro (2019-04-29 10:18) 

kazg

momotaro 様
いただいたコメントに気づくのが遅くなり、失礼しました。
>すぐまた出逢いがあるのも人生です
本当にその通りですね。
by kazg (2019-05-05 12:11) 

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