SSブログ
<

中山千枚田に思う、の巻 [折々散歩]

   旅行前から、強く心に掛かっていたのは、「中山千枚田」の景観です。るるぶ&moreの紹介記事をお借りします。

中山千枚田

小豆島のほぼ中央、中山地区に広がる千枚田。県内唯一の棚田は大小約800枚にもおよび、標高200mの山腹に波状に並んでいる。田には名水百選になっている湯船の湧水が流れ込み稲を潤している。大小さまざまな形の棚田には、晴れ渡る青空や雲などの景色が映ったり、彼岸の季節には彼岸花が彩りを添えたりと四季折々の表情で楽しませてくれる。優しくて懐かしい日本の風景がそこにある。また、映画『八日目の蝉』のロケ地となり、7月初旬に虫送り行事が復活。毎年7月初旬、火手と呼ばれる松明の光の列が稲の間を揺らめく様はとても幻想的。

千枚田と言えば、私の故郷近くにも、「上山千枚田(上山の棚田)」という場所があります、そう言えば、以前、こんな記事を書きました。

秋あれこれ、の巻(2017.9.10)

帰路、少し足を伸ばして、上山の棚田(上山千枚田)と言うところを訪ねてみようと思いました。

上山の棚田/美作市ホームページから引用します。

上山の棚田

美しい棚田風景を目指して

かつては8300枚の棚田があったといわれる上山地区。減少してしまった美しい棚田を取り戻そうと、Iターン、移住者などの方々を中心に復興作業やさまざまな活動が行われています。

花咲くのどかな棚田や周辺では斜面地での里山の暮らしの息吹が感じられます。
地域おこし協力隊の活動HP:上山集楽(外部サイトへ移動)


中学生時代、友人を訪ねて、この地域へは自転車で行ったこともあります。往時の棚田も、見覚えがあります。
「自分の田を数えてみたがどうも一枚足りぬ、どうしたことかと気づいてみると、自分の笠が田を一枚かくしておった」というような、千枚田の伝承を聞いた記憶もあります。
離農や高齢化で、荒れていた土地を、地域おこしの・復興の取り組みが進んでいることは、全国ニュースやドキュメント番組でも取り上げられ、注目を浴び強う担っています。あのアベ昭恵夫人の「支援」も、鳴り物入りで喧伝されています。
というわけで、ちょっと一目見てやろうと思って山道を走ったのですが、、、。
確かに棚田めいた田圃はありましたが、これでは規模がイメージと違います。


この辺りでは、冬の訪れが早いので、稲の刈り取りが終わっているようです。
結局本格的な棚田風景にめぐりあえないまま、「和気町」という表示があらわれます。隣の行政区に到達してしまったようです。これは道を間違えたぞ、と、今来た道をあと戻り、、、したのですが、目的エリアにたどり着けず、平地まで「下山」してしまい、今回の訪問は実現しませんでした。オソマツ。    

この上山地区を、安倍昭恵夫人が応援したり訪問して、地元で歓迎されているとの由、以前、友人から教えられ驚いたことがありました。後に、モリカケ問題が発覚し、昭恵夫人の際限のないパフォーマンス に改めて思いを致したことでした。
現代ビジネス(2017.3.07)にこんな記事がありました。

昭恵夫人への忖度か?岡山県の農村に「EV車50台」の謎

「こんな田舎の田んぼに、『なんでトヨタが車を寄付してくれたんか』と思うたが、森友学園騒動を見て、なるほど『(安倍晋三首相夫人の)昭恵さんへの配慮か』と、得心が行きました」

こう感想を漏らすのは、岡山県北東部に位置する美作市の市議会関係者である。

美作市は、約2万7000人と県内で最も人口の少ない市であり、農業、林業が主な産業。1000年以上の歴史がある上山地区の棚田は8300枚もあり、日本を代表する田園風景だったが、多くが耕作放棄され、荒れ果てていた。

その棚田を、地域の産業復興、自然環境保全の観点から、都市からの移住者と地域住民と行政が協力し合って再生させようという試みが07年から始まり、NPO法人「英田上山棚田団」が活動を始めた。

山口県下関市に「昭恵農場」を持ち、田植えや稲刈りなど農作業を行っている昭恵夫人は、この運動に共感、2013年2月、初めて上山を訪れて、地域農業復活の為に一緒に活動することになった。棚田団の名誉顧問にも就き、15年3月には、上山地区の活性化や美作市の知名度向上に尽力したということで、美作市から功労表彰された。

その首相夫人が支援する棚田に、現在、1人乗りで小回りが利くトヨタグループの超小型EV(電気自動車)車の「コムス」が導入され、走り回っている。助成しているのは、モビリティ社会の実現とモビリティ格差の解消に貢献することを目的に設置されたトヨタ・モビリティ基金(TM基金)である。

TM基金は、14年8月の設立以来、タイやベトナムで交通渋滞緩和に関するプロジェクトに助成、15年12月、国内では初めて美作市の「上山集楽みんなのモビリティプロジェクト」に助成することになった。

助成先は棚田団とみんなの集落研究所。助成期間は約4年間で助成金額は2億2000万円。中山間地域の移動の仕組みを構築し、最大で50台のコムスを導入、カーシェアリングの要領で、住民が日常生活、農作業の「足」として利用する。

棚田の再生、農村の再構築、それを実現するための住民・農民の「足」の確保――。誰も反対することはない「良いプロジェクト」であり「望ましい助成」である。ただ、それがなぜ美作市上山地区だったのか。

TM基金は、「広くヒヤリングを行い、助成テーマを探すなかで、みんなの集落研究所の紹介を受け、上山地区の棚田の復活に取り組む英田上山棚田団の活動支援に至った」と、答えるものの、全国に数ある「過疎の村の再生事業」のなかで、なぜ上山地区か、という疑問を解消するに至らない。

冒頭の市議会関係者が続ける。

「結局、首相夫人の名前が有効だったん違うか。昭恵さんが、トヨタに頼んだかどうかは知らん。ただ、そんなことはせんでも、『首相夫人が力を入れているんやから』と、配慮するもんでしょう。森友学園で国有地が格安で払い下げられたり、小学校に認可が下りたりしたんと同じ理屈じゃないかと思う」

そう言えば、棚田に関してアベさんは、その著書「新しい国へ 美しい国へ 完全版」(2013年1月)で、地元、山口県長門市油谷後畑の棚田にについてこう書いていました。「日本海に面していて、水を張っているときは、ひとつひとつの棚田に月が映り、遠くの漁火が映り、それは息をのむほど美しい」。また、その年の施政方針演説でも、「日本は瑞穂の国です。息をのむほど美しい棚田の風景、伝統ある文化。若者たちが、こうした美しい故郷を守り、未来に『希望』が持てる『強い農業』を作ってまいります」と強調しました。

そして、今年3月7日のJA全国大会での挨拶でも、こう繰り返しています。

この棚田が海に向かってずっと続いていく。この地域に至りますと、うぐいす嬢も思わずその景色に見とれて、私の名前を呼び続けるのを忘れてしまう。これを正に息をのむほど美しいというのではないかと、こう思うわけであります。確かに美しい風景ではございますが、しかしこの美しい棚田を支えていくことは容易なことではないと思います。生産性だけでは割り切れない。しかし、この地域の皆さんが歯を食いしばって棚田を守っていくことによって、水を涵養(かんよう)し、環境を守り、伝統や文化を守ってきた。そして皆さんその誇りと共に生きてきたんだろうと、こう思うところであります。
正に日本という国は、古(いにしえ)より朝早く起きて、額に汗して田畑を耕し、水を分かち合い、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた瑞穂(みずほ)の国であります。皆で助け合いながら、この美しい田園風景を守ってきた

「生産性と収益性が高く、中長期的かつ継続的な発展性を有する、効率的かつ安定的な農業経営」への転換によって「強い農業」を作るというアベ農政によっては、美しい棚田は決して守れないでしょう。

この記事で書いたことは、今なお有効でしょう。

稲葉の露その他、 の巻(2017.7.30)

「息を呑まなくてもいいから草刈ってくれ」という揶揄も、あちらこちらから聞こえて来ます。
「月間日本」hpの鈴木宣弘 大企業による大企業のための農業改革という記事(2015/5/7)は的確にこう指摘しています。

大企業の、大企業による、大企業のための農業改革

―― 安倍政権は農業に市場原理を導入する農協改革法案を閣議決定しました。これは、昨年5月に規制改革会議の農業ワーキングループが提出した「農業改革による意見」に基づいています。そのメンバーは大企業の役員です。また産業協力会議の農業分科会では、前ローソン社長の新浪剛志氏が主査を務めています。

鈴木 そもそも、この農協改革は誰のため、何のためにやるのか。その内容を見れば一目瞭然です。「今だけ、カネだけ、自分だけ」という私利私欲に塗れた大企業の、大企業による、大企業のための農業改革だと結論せざるをえません。これは「大企業が儲かる農業」をつくるために、農協や農家を中心とする「大企業が儲からない農業」をぶち壊すという改革なのです。

安倍総理は「もはや、農政の大改革は、待ったなしであります。何のための改革なのか。強い農業を創るための改革。農家の所得を増やすための改革を進めるのであります」と謳っていますが、農家を殺そうとしているとしか思えない。農産物の販売価格と生産コストの赤字を補てんする「戸別所得補償制度」は撤廃する、減反政策を転換して米価は戦後最低水準に暴落する、農家を国際競争に晒すTPP参加を目指す、これで農家が潰れないわけがないではありませんか。

安倍総理は「日本は瑞穂の国です。息を飲むほど美しい棚田の風景、伝統ある文化。若者たちが、こうした美しい故郷を守り、未来に『希望』を持てる『強い農業』を創ってまいります」と謳いながら、稲作を至難の業にし、コメ農家を窮地に追い詰め、コメ農家の後継者を絶望させているではありませんか。

結局、安倍総理は本音では99%の農家は潰れてもいい、1%の企業の農業事業が儲かればいいと思っているのでしょう。「農家の所得を増やす」といいますが、その「農家」とは既存の農家ではなく、農業に参入した企業のことだというにすぎません。(後略)

現に、中山千枚田も、稲作から野菜へと転作されたり、草に覆われた耕作放棄地とおぼしき場所などが、櫛の歯が欠けたように目に入り、痛々しく感じられてなりません。それでも、幾世代にもわたって守り伝えてきた棚田は、山肌にへばりつき這いつくばるようにして、働き、暮らしてきた「民」たちの懸命な思いを集積して、見るものの胸を打たずにはいません。

IMGP3983

IMGP3985

IMGP3992

IMGP3994

IMGP3993

IMGP3997

IMGP3999

IMGP3998

IMGP3999

IMGP4000

険しい労働に明け暮れる「民」たちのほとんど唯一の娯楽は、「農村歌舞伎」であったのでしょう。

「小豆島物語」の一節を引用させていただきます。

中山農村歌舞伎は、約300年前の江戸時代中期から、現在に至るまで上演され続けている貴重な郷土芸能です。お伊勢参りへ出かけた島民たちが、上方歌舞伎の場面を描いた絵馬や衣裳を持ち帰り、旅回りの一座や振付師を招いて自分たちで歌舞伎を演じるようになったのが始まり。最盛期の明治・大正期には、島全体で歌舞伎舞台が30以上、役者が約600人いたといわれていますが、中山農村歌舞伎と肥土山農村歌舞伎の2つが現在まで伝承されています。

茅葺き屋根の珍しい舞台

中山農村歌舞伎舞台が行われる舞台は、春日神社の境内にあります。国の重要有形民俗文化財に指定されている茅葺き寄棟造りの舞台は、天保年間以前に建てられたもので、セリや回り舞台などもあります。観覧席は青天井の芝生席で上演は夕方から夜となりますので、敷物と防寒対策をお忘れなく。

IMGP3981

R0018686

300年もの間、脈々と受け継がれてきた伝統の芸能。神社の境内にしつらえられた桟敷席に立てば、年に一度、10月の夜に繰り広げられる村をあげての賑わいが、彷彿と目に浮かぶようです。

農村歌舞伎と言えば、わが郷里の近くにも、その伝統が残っていることを、この記事でご紹介しました。

鄙の里歌舞伎にしばし華やぎぬ(2014-11-23)

横仙(よこせん)歌舞伎は、江戸時代以来、地域でうけつがれてきた 伝統芸能です。
横仙歌舞伎保存協議会のホームページにその全容が紹介されています。
その中の横仙歌舞伎保存会のページには、

江戸時代の農民たちは、普段の生活の中に、着るものや、食べ物、住まいや年中行事にまで事細かに決まり(御法度)がありました。
とくに、農民の娯楽の多くは禁止され、特別な許可や多くの制限が必要でした。地歌舞伎も当然取締りの対象でした。
往時には、日本各地、岡山県内にも多くの地歌舞伎が存在しました。しかし、圧倒的に県北に多く伝わっています。それは、県南部は大名の統治する藩領で、県北、特に奈義町は幕府の直轄地「天領」でした。
天領では役人の数が少なく、取締りをほとんど受けることなく芝居ができたため、多くの地歌舞伎が生まれ、活発に繰り返されたと考えられています。(中略)

とあります

奈義町は、津山市に隣接する岡山県北の土地です。津山市と小豆島とのえにしについては、前回触れました。農村歌舞伎についても、何らかの繋がりがなかったとも言い切れないかも知れませんね。

今日はこれにて。


nice!(39)  コメント(0) 

nice! 39

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。