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桂月誕生の地を訪ねてみた、の巻 [折々散歩]

私のブログには、お料理写真が滅多に登場しません。撮影前に、食欲に負けてしまうからです(笑)


ただ今回は、せっかくの高知。当然のことながら、鰹のたたきをいただきました。記録のために写しておきました。


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そして握り鮨も。


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でもこのあと、乾杯の音頭があり、お酒と歓談がすすみ、また、与えられた写真記録係の役目が意識を捉えるようになると、お料理を撮影する余裕がなくなってしまいます。新鮮な海の幸ばかりでなく、牛ステーキや、フルーツなど豊富に用意されていたのですが、まったく撮影してません。


一次会が熱く盛り上がり、誘われるままに二次会にも参加、あっと思う間もなく夜も更け切りました。三次会に向かう人もありましたが、そこは辞退し、ホテルに着いたのは、10時過ぎだったでしょうか?10月というのに、熱帯夜?エアコンを効かせて寝みました。


20日早朝、まだ暗いうちにホテルを出て散歩した記事は昨日も書きました。


高知城方面に向かって歩いていると。足もとに鯨がいました。


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こんな道標がありました。


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山内容堂生誕の地は、以前来たときにも、碑を写真に残しています。もう一つの矢印、大町桂月生誕の地は、学生時代に通りかかったかもしれないといううっすらとした記憶があるだけで、ちゃんと確認したことがなかったので、訪ねてみました。江ノ口川に近い民家のほとりです。


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「桂月」は「月の名所は桂浜」にちなんだ号だそうです。


「桂月」は美酒です。






大町桂月について、高知県立文学館は、HPでこう紹介しています。


高知市生まれ。作家。学生時代より、能文家として知られる。博文館に入社後、評論などを執筆。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を批判し論争を呼んだ。旅と酒を愛し「十和田湖」などを紹介するすぐれた紀行文を書いた。青森県の蔦温泉で没。

<おもな著作>『美文・韻文 花紅葉』など


与謝野晶子との論争について、ウィキペディアの解説を引用します。


1904年(明治37年)9月に『明星』に発表された与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」に対して、「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と『太陽』誌上で非難している。これに対して与謝野晶子は『明星』11月号で「ひらきぶみ」を発表し、「歌はまことの心を歌うもの」と弁明している。

現在、大町桂月の評価が低いのは、こうした当時としては「常識的」で「多数派」であった発言が、後年の目から見れば国粋主義的に写ることから来ている面もある。しかし、この騒動以前は桂月は晶子の才能を認めており、親交も深かった歌人であった。晶子は57歳で病没した桂月に「横浜貿易新報(現在の神奈川新聞)」に追憶をよせている。


少し歩くと、高知県立美術館が見えました。開館は9時からだそうですから、まだ2時間以上先です。こんな看板が見えました。


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少しズームアップしてよく見ると、、、


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「高知に縁のある、土佐日記の一節や、寺田寅彦の名言とともに、大月桂月のこの一句が書き付けられています。


「文章は人格なり、己を欺くなかれ」


早朝の高知城を散歩したりなどしているうちに、次第に明るくなってきた江ノ口川界隈です。


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このあとホテルに戻って、朝食。バイキング料理が、空腹に美味しうございました。


高知の旅日記、次回に続きます。


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