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束の間のぬか喜び、の巻 [雑話]

「喜びも束の間」と言うフレーズが頭に浮かんで。はて、「束の間」とはなんだっけ?と気になりました。


精選版 日本国語大辞典精選版にはこう説明されています。


つか【束】 の 間(ま)

(一束(ひとつか)、すなわち指四本の幅、の意から) 時間がごく短いこと。少しの間。ごく短い時間のたとえ。つかのあいだ。

※万葉(8C後)四・五〇二「夏野行く小鹿の角の束間(つかのま)も妹が心を忘れて思へや」

※徒然草(1331頃)四九「人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり」


引用歌の「小鹿の角」は、「夏は鹿の角が生えかわって、新しい角がまだ短いところから) 短い時間の意の『つかのま』『ほどなし』などを引き出す表現。 」なのだそうです。「束」は、指4本の幅だそうですが、動詞「つかむ」と同源かとも言われ、「束の間」とは、一つかみできるほどの僅かな時間、ということにもなりそうです。


ところで、この「束の間」を、「つかのあいだ」と読んで、同じ意味に用いる例もあるようです。


例えば、草壁皇子のこの歌。


大名児(おほなこ)を 彼方(をちかた)野辺(のへ)に 刈る草の 束(つか)の間も我忘れめや (万葉集 二・一一〇)


【Kazg訳 オオマイダーリン、スイートハート!愛しの大名児ちゃんのことを、あっちやこっち、野辺で刈る草の、ほんの一つかみほどの僅かな時間も、ボクは忘れられようかいやいや忘れられへんわ、ホンマ!!】


確かに「つかのあいだ」と読まないと、まったくの字足らずになって語調が悪いですね。


ところで、この歌には、こんな詞書きがあります。


日並皇子尊の、石川女郎に贈り賜ひし御歌一首。女郎、字を大名児と曰ふ。


日並皇子尊は草壁皇子で、大名児とは、石川郎女(いらつめ)のことだそうです。万葉集には石川郎女(女郎と表記するものもある)と呼ばれる女性が、五人ほども登場すると言います。詳細は不祥ですが、この草壁皇子に愛を告白された石川女郎は、大津皇子との間の相聞歌で記憶される石川郎女と同一人物であるようです。こんな歌のやりとりです。


大津皇子の、石川郎女に贈りし御歌一首   
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れし山のしづくに


【Kazg訳 足を引きずり、あえぎあえぎ登るようなキツイ山の、雫にぐっしょり濡れながら、キミを待っていて、ボクは立ったままでマジ濡れちゃったヨ、山の雫にさ! 】


石川郎女の和し奉りし歌一首。
我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを


【Kazg訳 ワタシを待つと言ってアナタが濡れたっていう山の雫に、いっそ、なれたら嬉しかったのに、ワタシ!!】


いやいや、お熱いことです。石川郎女はどうやら、草壁皇子には応答歌を返していないようですので、この三角関係、大津皇子の勝利に終わったようです。


余談ですが、その大津皇子、謀反の罪を着せられて悲運の最期を遂げるのですが、自分の過去記事を検索してみると、こんなことを書いていました。


猿沢の池かとまがう水田(みずた)かな(2014-06-14)


大津皇子は天武天皇の皇子で、お母上は、天智天皇の皇女であられた大田皇女(おおたのひめみこ)よ。父帝が崩御されたあと、讒言によって謀反の罪を着せられて捕えられ、磐余にある自邸にて自害させられたの。御年は24の若さだったわ。
これを悼んだ姉君の大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌も、哀切よね。

うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背(いろせ)とあが見む

「不本意ながらこの世に生きて残された私は、明日からは弟が葬られた二上山を弟と思うことにしますわ」

「うつそみ」は「うつせみ」 とも言うわ。「現し身」=現にこの世に生きている身という意味。「現(うつつ)」は「夢」の対義語で、「現実」を意味するし、「覚醒した状態」「正気の状態」を表すことも多いわ。夢なら良かった、酔って忘れられたらそれもいい。でも、冴えた正気の目で現実を見つめなければならないことのつらさ。せめてあの山を、あなたを偲ぶよすがと思って、心を慰めることにしましょう

磯のうへに 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありと言はなくに

「岩の上に生える馬酔木(あせび)の花を手折って、あなたに見せようと思うけれど、見せたいあなたが健在だとは誰も言ってくれないの」
大伯皇女は、伊勢神宮の斎宮で、神様に仕える身の上でいらっしゃったのよ。父帝が亡くなられたあと、謀反の罪で捕らえられるまでのある日、弟の大津皇子が皇女を伊勢まで秘かに訪ねたことがあったわ。姉皇女は、男子禁制の斎宮の身でありながら、弟皇子を懇ろに迎え、親密に一夜を語らい、まだ空が暗いうちに旅立つ弟を、姿が見えなくなってもずっと見送ったのよ。それが最後の別れとなる予感があったのかどうか、知る由もないけれど。次の二首は、そのときの歌。

わが背子を大和へ遣ると小夜更けて あかとき露に我が立ち濡れし

「私の愛するあなたが、奈良の都に帰るというので、夜も更けてからその無事を祈って見送り続けていると、私の身体は明け方の露にぐっしょりと濡れてしまったことですわ。」

二人行けど行きすぎ難き秋山を いかにか君が一人越えなむ

「二人で行っても越えるのが難儀な秋山を、愛するあなたはどうやって一人で越えているのでしょうか」

実の姉弟の間柄なのだけど、同時にこの世で最も信頼できる相手、心の通いあう相手、互いに恋人同士のような思慕を抱いていたのかしら。

ところで、大津皇子憤死の知らせを聞いた妻の山辺皇女(天武天皇の皇女)は、半狂乱になり、裸足で墓まで駆けつけて、大津の皇子の跡を追って殉死したそうよ。なりふり構わず、その愛を貫いた山辺皇女さまもおいたわしいけれど、神に仕える斎宮の身故にそうすることもかなわなかった大伯皇女さまは、いついつまでも悲しみが晴れることなく、さぞやお辛いことだったであろうと思われますわ。

全くの余談になるけれど、『日本書紀』によると、「御船西に征き、初めて海路に就く。甲辰(8日)に御船大伯海(おおくのうみ)に到る。時に大田姫皇女(おおたのひめみこ) 女子を産む。よりて、是の女を名づけてを大伯皇女(おおくのひめみこ)という」とあるわ。斉明7年1月のことよ。
つまり、大伯皇女さまは、お父様の大海人皇子(後の天武天皇)やお母様の大田姫皇女さまも乗り込んで、朝鮮出兵のため難波を出航した船団が、岡山県邑久(おく)郡の海=小豆島の北方=大伯の海の上を通りかかったとき、つまり船上でお生まれ遊ばしたのね。「大伯」は「邑久」の古名なのね。今は平成の大合併で「瀬戸内市」なんて無個性な名前になってしまっているのが、ひどく残念に思えるわ。




「ぬか喜び」という言葉も浮かんで、調べてみました。


レファレンス協同データベース


  図書館関係のこんなサイトに、下のようなレファレンス(質問・回答サービス)がありました。   


提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)
管理番号
(Control number)
M16011510377375

事例作成日
(Creation date)
2016/1/6
登録日時
(Registration date)
2016年03月28日 00時30分
更新日時
(Last update)
2019年12月19日 00時31分

質問 (Question)

「ぬか喜び」の語源が知りたい。なぜ「ぬか喜び」と言うのか。

回答(Answer)

『日本国語大辞典』の「ぬか喜び」の項をみると「あてがはずれ、あとでがっかりするような時の、一時的な喜び」とあり、『狂歌・後撰夷曲集』(1972)の用例が引用され、近世には使用されていたことが解る。

語源は資料により見識が異なっており、複数の説がある。複数の資料を確認したところ、おおむね3つの説がみられた。

(1)ぬかの形状から「こまかい、ちっぽけな」といった意味で用いられ、さらに「頼りない、はかない様子」といった意味も加わり、「ヌカヨロコビ」の語が生じた。

(2)ことわざの「糠に釘」からきている。
『大言海』には「糠ニ釘、利目ナキ意カ」とあり、また『慣用句・故事ことわざ・四字熟語使いさばき辞典』によると「糠に釘を打ち込んだと喜んだら、すぐ抜けて、がっかりした」ことから生まれたとしている。

(3)「喜びが抜けがら」の意。
『日本語源広辞典』によると語源は、「糠+喜び」とし、「喜びが抜けがら」の意として紹介している。    


語源は諸説あるようですが,なるほど「あてがはずれ、あとでがっかりするような時の、一時的な喜び」という意味は確認できました。


さて、今日タイトルの「束の間のぬか喜び」のココロは?


先日の記事黒死病異聞、の巻(2020-02-07)で、故障カメラをDIYの分解修理で、18000相当修理代金を浮かした件を、自慢げに報告しました。たしかに、しばらくは快調な働きを示してくれていて,満悦至極だったのですが、ここのところ、「黒死病」の症状とは別の、原因不明の挙動不審があらわれるようになり、ついにはAFが全く効かなくなりました。


文字通り「束の間の幸せ」「ぬか喜び』に終わったワケでした(トホホ)


仕方がありません。今の所、MF撮影は無問題でできるようですので、MF専用機として活用することにしました。


一時の季節はずれの暖かさが一転して、今日は一日、冷たい雨と激しい風ですが、朝のうちはまだそれほどでもなかったので、私にとっては最初に出会ったMFレンズsmc pentax-m 50mm f1.7(最初の個体は故障して、中古で買い換えましたが)を装着して、近所を歩いてみました。


通り道の庭に咲く紅梅です。


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白梅も見頃。


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ナズナ。


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ホトケノザ。


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ニホンスイセン。


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ピント合わせに手間取りますから、素早く動く相手には追いつけませんが、静物を写すことはまずまず可能です。最短撮影距離が45cmと、マクロ撮影のも不向きですが、それに近い使い方はできそうです。末永く活用してやりたいものです。


私が。特段の理由もなくPENTAX機と付き合ってきたいきさつは,これまでも何度か書きましたので繰り返しませんが、今手元にあるすべての個体が、不調を抱えています。


1)k5Ⅱ---メイン機で、その性能その他には何の不満もありませんが、いつの間にか視度調整レバーが取れて(折れて?)しまいました。視度調整できないのは非常に辛いのですが、我慢してAF任せで撮影することは可能なので、それに甘んじていましたが、つい最近、爪楊枝の先でレバーを動かせることが分かり、かえって不用意に触って位置が変わってしまうアクシデントも防げて、快適に使えています。


2)k30---今日の記事の通り。


3)kr---内蔵キャパシタ電池が劣化した成果、バッテリ-交換のたびに日付設定がリセットされ、いちいち設定しなおさなければなりません。そのたびに新品を買ったうれしさを味わえる、と思えば有り難いことですが、出先で撮影中にバッテリー切れで交換したような時、シャッターチャンスが失われることに怯えながら、日付設定する焦れったさは、好ましいものではありません。魚釣りで、ちょうど当たりが出て、釣れ始めた時に仕掛けがもつれて、交換している時の気持ちとダブります。


3)PENTAXQ(シリーズ)--すべて内蔵キャパシタ電池の劣化で、上と同様の症状です。


でも、だからといって、キッパリ縁を切って他社に乗り換えようとは思いません(たぶん)。


「束の間も我 忘れめや」 というほどの恋心を燃やしているというわけではありませんが、、、。


今日はこれにて。


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kenro okada

大津皇子と大伯皇女の姉弟の愛情、山辺皇女の激しい愛、心を打たれます。自分の息子、草壁を皇位に即けたいあまり、夫である天武の子であるのに母親の違う大津を死に至らしめる母親の持統。しかしその草壁も皇位に即く前に死んでしまい、自らが皇位について孫を皇位に即けようとする執念。万葉の時代を古き良き時代だという人もいますが、権謀渦巻く激動の時代であったように思います。また読みたくなってきました。
by kenro okada (2020-02-16 22:36) 

kazg

kenro okada様
>権謀渦巻く激動の時代
本当にそうですねえ。
そしていつでも、人生・運命に肯定的。あやかりたいほどタフですね。
by kazg (2020-02-17 07:55) 

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