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「点と線」と桜とコロナ、の巻(その2) [日録]

昨日の記事でご紹介した香椎駅の「清張ゆかりの桜」について、k子さん撮影の写真を拙ブログで使用させていただきたいと、執筆前にお願いしたところ、快諾いただいたばかりか、「明日は午前中に買い物に行くので、私の影が写らないように撮って、もう一度送りましょうか?」と親切なお返事を下さいました。お言葉に甘えて、ちゃっかりと、その旨、お願いしていたところ、早速今日はこんな言葉を添えて、写真を送って下さいました。



「買い物に行ったので、人がいない時を見計らって、桜の写真を撮ってみました。」肖像権が気になるので人物の顔がわかる写真は避けて欲しいと、わがままな注文をつけていたためです。


これが清張ゆかりの桜の木。三分咲きと?いうところでしょうか。さすがにわが地方よりは開花が進んでいるようです、


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案内板のアップです。


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碑文には、「旧西鉄香椎駅と桜 旧西鉄香椎駅に在った桜の木は、街の再開発による駅舎の移転居合わせい汚職に合わせ移植され時代の流れの中変わりゆく香椎の歴史を現在も見続けています。」と刻まれ、西鉄香椎駅の歴史が書き添えられています。


現在の駅舎の写真。近代的なたたずまいです。


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松本清張「点と線」の時代には、海岸にほど近い、寂れた土地というイメージだったのが、今では大いに変容しているようです。


「点と線」は、こんな書き出しで始まります。


鹿児島本線で門司(もじ)方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎(かしい)という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。

前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島(しかのしま)の山が海に浮かび、その左の方には残島(のこのしま)がかすむ眺望のきれいなところである。

この海岸を香椎潟(かしいがた)といった。昔の「橿日(かしい)の浦(うら)」である。太宰師(だざいのそち)であった大伴旅人(おおとものたびと)はここに遊んで、

「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さえぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)と詠(よ)んだ。

しかし、現代の乾いた現実は、この王朝の抒情趣味を解さなかった。寒い一月二十一日の朝六時半ごろ、一人の労働者がこの海辺を通りかかった。彼は、「朝菜を摘む」かわりに、家から名島(なじま)にある工場に出勤する途中であった。

朝は明けたばかりであった。沖には乳色の靄(もや)が立っていた。志賀島も海の中道も、その中に薄い。潮の匂いを含んだ風は冷たかった。労働者は外套の襟を立て、うつ向きかげんに、足早に歩いていた。この岩の多い海岸を通ることが、彼の職場への近道であり、毎日の習慣であった。

が、習慣にないことが、そこに起こった。彼のうつ向いた目が、それをとらえた。黒い岩肌の地面の上に、二つの物体が置かれていた。いつもの見なれた景色の中に、それは、よけいな邪魔物であった。


引用されている大伴旅人の歌「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さえぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)に関しては、「福岡市の文化財」のサイトで、万葉歌碑(香椎潟)についてのこんな紹介がありました。


西鉄香椎宮前駅を降り、JRの踏切を越えた南側(右側)の丘陵が香椎宮頓宮で、坂道を上った左手に歌碑が建つ。神亀五年(728)11月、大宰府の長官大伴旅人、次官小野老、豊後守宇努首男人の三人が香椎宮へ参拝し、その帰り香椎潟に駒を止めてそれぞれ歌を詠んだ。そのいきさつと、三首の歌を万葉仮名で碑に刻む。明治21年、市内では最も早く、内大臣三条実美の揮毫で建立された。『万葉集』巻6・957~959所収。
「いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さえぬれて 朝菜摘みてむ」(大伴旅人)
さあみんな、香椎潟で着物の袖までぬらして朝餉の海藻をつもう。
「時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈てな」(小野老)
風が吹きそうになった。香椎潟の潮干の浦で、海藻を刈ろう。
「往き還り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁も無し」(宇努首男人)
大宰府の生き返りにいつも見ていた香椎潟だが、(都に帰るので)明日からは見ることもありません。


そう言えば、この歌、以前拙ブログで話題にしたことがありました。


大和考その3、の巻(2018-08-03)


高市黒人にも、少し似たこんな歌があります。

いざ子ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ    巻3 280

(中略)

呼びかけの「いざ子ども」(「去来子等」「去来兒等」)は、羈旅の歌によく用いられる呪術的慣用句だそうです。「大和(やまと)」の漢字表記は、「倭」です。歌意から、この「やまと」は国号ではなく、地方名と考えられます。
こちらのサイトから、歌の解説をお借りします。
千人万首 高市黒人

【通釈】さあ皆の者よ、大和へ早く帰ろう。白菅の茂る真野の榛(はん)の木の林で小枝を手折って行こう。

【語釈】◇いざ子ども 旅の同行者に対する呼びかけ。妻がこの歌に返答しているので、一行の中には妻も含まれていたか。

(中略)

【補記】妻の答歌は、「白菅の真野の榛原往くさ来さ君こそ見らめ真野の榛原」

【主な派生歌】
いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへ濡れて朝菜つみてむ(大伴旅人[万葉])
いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ(山上憶良[万葉])


ほんのついでに、「派生歌」として引用したに過ぎませんが(汗)、、、。


この記事の発端は、大和考その1、の巻で紹介した、近所に建つ旅人の歌碑の話題にありました。


ところで、私の住居から徒歩数分のところに、旅人の歌碑があり、当地にゆかりがあるというこの歌が刻まれています。
・大和道の吉備の児島を過ぎてゆかば筑紫の児島思ほえむかも(大伴旅人)
この歌は、彼が筑紫国での任を終え、大納言に昇進して都へ帰ることになった時、帰りの行列を見送る人々に混じって「遊行女婦(うかれめ)児島」という女性が、別れを惜しんで贈った歌への返歌であるようです。どうやら、ただならぬ間柄にあった女性と思われ、超俗どころか、なかなかに人間臭い旅人ですが、彼の歌に共通する率直な抒情は、しみじみと心に響きます。

さて、このたびのN先輩の電話と封書のご用件は、と言いますと、最近N先輩の元へH先輩からお便りが届き、「会誌」への感想などを述べておられる一節にこのような箇所があったので、とお知らせくださったのでした。

kazgさんの稿、 興味深く拝読しました。 ただ、 旅人の和歌ですが、 「大和道の吉備の児島を」の「大和」は、「日本」ではないでしょうか。どちらも「やまと」と読むのですが、すでに、702年?の遣唐使によって国号を「倭」から 「日本」 に変更することを唐に承認させており、 「日本」 という国号が国内で使用されている例としてこの和歌を読んだことがあるように思います。 一度調べてみてください。

そして、万葉集原典では、「日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香聞」と万葉仮名で表記されていると、原典のコピーをも添えてくださっています。その上で、確かに「やまと」は「大和」ではなく「日本」と表記されていること、ただし、kazgの文章は住居の近くにある歌碑の引用なので問題はなく、それを「日本」に直す方が問題だろうと、フォローしてくださっています。H先輩にも、そう伝えてくださったそうです。
たしかに「会誌」への寄稿文では、ブログ掲載のこの写真は掲載していませんので、誤解が生じたかも知れません。

https://kazsan.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_b10/kazsan/R0014045_R-5eebb.JPG


今日は、この件への深入りは避け、ちょうどこの碑のあたりの桜(ソメイヨシノ)が、今朝はこんな様子であったことをご報告するにとどめます。


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近所の桜(ソメイヨシノ)並木の中でも、最も早く開花する場所の一つが、このあたりです。岡山市のソメイヨシノの開花は、後楽園内の標準木によって判断されますが、それにより、ちょうど今日、開花が宣言されました。(県内では寒冷の地である津山市でも、鶴山公園の標準木が開花したとのニュースがありました。統計始まって以来の早さだそうです。)ただ残念ながら、後楽園でも鶴山公園でも、恒例の桜カーニバル、桜祭りなどのイベントは、新型コロナウィルスの影響で中止、または縮小だそうです。自然の脅威に対しては、十分に怖れ、謙虚に対処するのが良いと思います。オリパラの延期を検討するとの報道、当然過ぎるほど当然と言えるでしょう。


ところで、「点と線」で香椎海岸で発見された男女の遺体は、××省の課長補佐である佐山憲一 と、 坂の割烹料亭「小雪」の女中お時。巨悪による不正を隠匿するため、非業の死に至らしめられます。


一方、60年以上も経った現代、一字違いの「佐川」元理財局長は、公文書改ざんという不正を部下に強要しながら、国税庁長官にまで「出世」するという怪。清張の「本格推理」とは対照的に、謎とトリックがあまりにもミエミエの、出来の悪いミステリーと言わずにいられません。


昨日の毎日新聞朝刊県内版に、こんな記事が載りました。


standing


一部引用します。


森友学園に関する文書改ざん問題で、自殺した近畿財務局職員、赤木俊夫さんの妻が国と佐川宣寿(のぶひさ)・元国税庁長官を相手取って起こした訴訟を支援しようと、22日、市民グループが岡山市北区のJR岡山駅2階連絡通路でアピール行動をした。


聞くところによると、自殺に追いやられたこの赤木俊夫さんは、岡山県の出身だそうで、縁浅からざる関係に、より痛ましい思いが募ります。


真実を明らかにし、赤木さんご自身とご遺族の無念を晴らすことは、決して個人の問題ではなく、この国にまっとうな道理と正義、公正な法秩序を蘇らせることができるかどうかという、私たち国民一人ひとりの切実な重大事です。改めて支援の思いを強くしたことでした。


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momotaro

高尚な文学あやとりの御記事に敬服しつつ、些細な誤字を指摘させてください
碑文の文字紹介が
「駅舎の移転居合わせい汚職され」これは
「駅舎の移転に合わせ移植され」であろうかと推理しました。地の文でしたら誤字も愛嬌のうちで楽しんでしまうのですが、これは「 」付きなので…
by momotaro (2020-03-26 04:09) 

kazg

momotaro様
>些細な誤字を指摘
ありがとうございます.さっそく訂正させていただきました。そこで力尽きて、昨夜は眠ってしまいました(汗)
by kazg (2020-03-27 05:18) 

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