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9の日のメモ、の巻 [日録]

庭の朝顔が、毎朝、とりどりの花を楽しませてくれます。


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何日か前、「朝顔に自転車取られて、になってるよ」と妻が言います。確かに長く放置するうちに、こんな状態になっています。


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昨日8月9日は、この自転車で出かけようと思い、ツルをほぐして朝顔と自転車を分離させました。両輪に空気を入れて、出かけたのですが、ほとんど目的地に着いたところで、マスクを持ってくるのを忘れていたことに気づき、取りに引き返しました(汗)


用件は?というと、地元9条の会の「9の日行動」。お世話役のQ男さんが、フェイスブックにこんな投稿をしてくださっています。こっそり盗用させていただきます(ゴメン)。


今日は我が町の9条の会の行動日です?暑さを避けて室内で学習会をしました?テーマは(夫婦別姓制度と憲法)でした。ジェンダーの問題を考えました。頭を整理するのに時間がかかりそうです。来月は9月9日9時からスタンディングです?

画像に含まれている可能性があるもの:座っている人、テーブル、画面、室内


会は、ギター伴奏による歌声で始まりました。


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森の中のこれなあに?の巻(2020-02-09)でも紹介した「あの日の授業」です。


あの日の授業

【作詞】笠木透
【作曲】安川誠

1.あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業
~語り~
「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と
戦争をしないようにと、二つのことを決めました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争を
するためのものは、いっさい持たないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨てて
しまう』ということです。しかし、みなさんは、決して
心細く思うことはありません。日本は正しいことを、
他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいこと
ぐらい強いものはありません。」
2.あの日の先生は 熱っぽかった
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた その日の授業
~語り~
「もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、
決して戦争によって、相手を負かして、自分のいい
ぶんをとおそうとないということを決めたのです。
おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。
なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の
国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争
とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすような
ことは、いっさいしないことに決めたのです。
これを戦争の放棄というのです。
そうして、よその国となかよくして、世界中の国が
よい友達になってくれるようにすれば日本の国は
さかえてゆけるのです」
3.あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業
4.あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業


参加されていたmikopon559様のオシャレなブログ「木陰な時間」(http://mikopon559.blog.fc2.com/blog-entry-693.html)から、御記事をすっかり無断借用することで、学習会の模様をお伝えします。


今日は8月9日。
毎月9日は、わが町の「9条の会」による月に1度の「行動の日」です。
長崎に原爆が投下された日と重なりました。
今回は猛暑を避けて、涼しい室内での学習会でした。
お話をしてくださったのは、まるで青年のような元高校教師(1929生・90歳)の方。
今回はどんなお話を…?と楽しみにしていたそのテーマは、意外にも?!
「夫婦同姓制度と憲法」
という、ジェンダーと憲法に関するお話でした。

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はじめに、金子みすゞ(1903?1930)のことが語られました。
「みんなちがってみんないい」「星とたんぽぽ」…目には見えない心やいのちなどの大切さをうたう500編以上の詩は、その多くが戦後になるまで埋もれたままだったんですね。
「彼女が若くて自死した1930年の前年」には、「治安維持法の死刑法への改悪に『孤塁』を守ってたたかった山本宣治(山宣)」が刺殺され、「小林多喜二の『蟹工船』は発売禁止になりました」。
「世はまさに戦争にむかい『みんな強くておなじがいい』という時代」だったとのこと。
「みんな強くておなじがいい」…
戦後になるまで埋もれていたことが意味するもの、暗黒の時代に、それでも作品を生み出し続けた若い彼女の切なる思いに初めて触れて、胸が痛く、そして熱くなりました…。
夫婦同姓制度が始まったのは明治時代のこと。1989年施行の旧民法に「家制度」が定められ、「法的無能力者」にされてしまった妻は夫の家に入りその姓を名乗ることを定められた、それが夫婦同姓制度のはじまりなのだそうです。

今、夫婦同姓の強制に反対する世論は高まってきているものの、最高裁では合憲の判断です。
「『家制度』によってつくられた意識や無意識、悪しき慣習、「性別役割分業観」などなど」、未だに広く私たちに降りそそぐジェンダーへの問題意識が大きくならないと憲法24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)も守られないのではないか、と語られました。
男性のみならず、私たち女性にもまた生き様が問われているのだと感じます。
そして、最後はこのように締めくくられました。
「ジェンダー平等の声が次第に高まっていく状況のなかで、感銘を受けた金子みすゞの作品と生き方はジェンダー平等の理念と通底するところがあると思ったので、あえて話題にさせていただきました。
“みんなちがってみんないい” “つよいその根はめにみえぬ / みえぬけれどもあるんだよ / みえぬものでもあるんだよ” といううたの奥底にある尊い心・命は“すべて強くておなじがいい” の軍国思想の風潮に封殺されて暗黒の時代に突き進んでいった歴史の教訓を忘れたくない思いを伝えたかった次第です」。
この国の「憲法」と、「憲法」を大切に思う人たちと、共にいられることの心強さ、ありがたさが身にしみる学習会でした。
次回は、9/9 9:00? 1hのスタンディングの予定です♪

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まったく同感なので、付け加える言葉はありません。




折しも8月9日は長崎「原爆の日」。長崎市主催の平和式典で、田上市長は、「長崎平和宣言」を読み上げ、日本をはじめ各国政府に、1日も早い核兵器禁止条約の署名と批准の実現を求めました。6日の松井広島市長の「平和宣言」と同様、強く胸を打つ訴えでした。

備忘のために、長崎平和宣言全文を書き止めておきます。


「長崎平和宣言」(全文)

私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。
4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。
人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
被爆者は、この地獄のような体験を、2度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。
新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
〈核不拡散条約の発効から50年の節目〉
ことしは、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。
しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。
それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。
その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。
地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。
核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。
そうではありません。
核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
〈ローマ教皇の2つの“鍵”〉
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、2つの“鍵”となる言葉を述べられました。
1つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。
もう1つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
〈世界に警告を発し続けた被爆者に敬意と感謝の拍手を〉
ことし、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。
被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。
きょう、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。
確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
〈新型コロナ・地球温暖化・核兵器 みんなが“当事者”〉
若い世代の皆さん。
新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。
あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。
核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
〈世界の指導者へ〉
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。
来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
〈日本政府と国会議員へ〉
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、1日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
〈すべての人々と連帯 核廃絶に力尽くす〉
東日本大震災から9年が経過しました。
長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。


それに引き換え、安倍首相の浅薄で空虚なあいさつは、相も変わらずでした。そしてこれまた、相も変わらぬことに、広島と長崎の挨拶文は、ほとんど寸分違わぬコピペだったとネットで話題になっています。「ハフポスト」のまとめをコピペしておきます(汗)


太平洋戦争で原子爆弾が投下されてから75年になる今年、広島と長崎で平和祈念式・式典が開かれた。安倍首相は例年通りあいさつに立ったが、その内容が広島・長崎とともに「ほぼ同じ」だとネットで指摘されている。

2020年を比べると

安倍首相のあいさつ全文は首相官邸がアップしている。記事作成時点では広島市で行われたもののみだが、長崎市のあいさつ全文も各報道機関が掲載している。 それを見比べてみると、類似性は明らかだ。地名や式典名を除き、読み始めから以下の部分は共通している。 『本日ここに、被爆75周年の(※式典名)が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています』 その次から、広島と長崎で異なる。

広島:『75年前、一発の原子爆弾により廃墟と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています』

長崎:『75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様のご努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です』 しかし、そこから似た文章が続く。(以下略)


コロナ対策で世界ワーストワンとみなされるアベ首相。「唯一の戦争被爆国」を標榜しながら、核兵器廃絶への本気さがまったく感じられないお粗末さです。それを、より際立たせるのが、迅速的確なコロナ対策で世界中から高い評価を得、愛と誠意に満ちた丁寧な訴えかけで、人々に勇気と励ましを与えたニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相の姿勢です。彼女が、8月6日広島の日にあたってツイッター上で語った「核兵器ゼロが広島と長崎の犠牲者への償いになる唯一のこと」とのメッセージは、ヒロシマ・ナガサキを持つ日本政府こそが率先して世界に発すべき訴えではなかったかと、切に思います。これまた。「ハフポスト」のまとめを引用します。


世界が新型コロナウイルスに対応するチャレンジに直面し続けるなか、広島と長崎への原爆投下から75年を迎え、世界で起きた出来事の破滅的な影響を思い起こさせます。 1945年8月、世界は核兵器が何をもたらすのかを初めて目にしました。 最悪の結果を生み、爆撃の衝撃で亡くなっただけではなく、その後も長く続く放射能の後遺症で、人々に想像もできない苦しみや被害をもたらしました。 それ以降も、太平洋などでの核実験による悲惨な影響を目にしてきました。 現存する1万3000個以上の核弾頭の一つ一つが、広島や長崎で目の当たりにしたよりも強大な破壊力を有しています。 たった一つの爆弾が、破滅を意味します。そして、核戦争がそこで終わるとは誰も信じてはいません。 数百万人の命を一瞬にして奪い、環境に取り返しがつかないダメージを与えます。専門家は、いかなる国家や国家の集団、国際的な組織も、核戦争の影響に備えたり、対処したりすることはできないと警告しています。 備えることができないのなら、食い止めるしかないのです。 国連のグテーレス事務総長も言うように、国際的なコミュニティは、核の非武装化に向けた取り組みを再度活性化させなければなりません。人間性を守ると呼んでいます。 他人や将来の世代に残すことのできる課題ではありません。 ですからニュージーランドは、大多数の国連加盟国とともに、核兵器禁止条約を採決したのです。 私は、核兵器根絶に向けて必要不可欠なステップとして、そして全ての核保有国の核兵器ゼロの達成を含めた地球規模の交渉を求めて、他国もこの動きに加わり、このランドマークな条約を広めることを要請します。 このことが唯一、広島と長崎への原爆投下や、太平洋などでの核実験によって苦しめられた人たちに対する報い、レガシーとなるのです。

浜田理央 / ハフポスト日本版




今日の付録。夏らしい写真を掲載しておきます。


畑で採れたスイカ。


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トンボ各種。


まずは、ウチワヤンマ。


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これはオニヤンマかな?


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ギンヤンマ。


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ツクツクボウシの鳴き声を聞くようになりました。


が、声はすれども姿は見えず、撮影を諦めるのが常です。


声のする方を凝視すると、、、


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いや、これは、クマゼミでしょうね。


ではこれは、、、?


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そう言えば5年前(2015年)にこんな記事を書きました。


八日目の蝉もをるらん原爆忌


去年は、原爆忌の前後に、続けざまにヒロシマ、ナガサキについて書いています。
「三題噺補遺 夾竹桃のこと」
「続 夾竹桃のこと」
「原爆歌集句集長崎編から(その1)」
「『原子雲の下より』 のことなど」
「原民喜『原爆小景』のことなど」
「なんと言っても峠三吉でした。
「茸(キノコ)野分して長崎の日は雨だった」

毎年毎年、この季節になると蝉の姿ばかりをカメラで追います。ブログを始めてからも、蝉の記事も多いし、蝉の画像も見飽きるほど掲載しています。
今日の記事は、蝉を中心に載せようかと思いついて、いざ書きかけると、話題が皆、二番煎じであることに気づきます。
ちなみに、過去の記事から、蝉に関する蘊蓄を引用してみました。

「空蝉のなほ登らんとてや見上げたる」
空蝉のフォルムに惹かれます。フィルム時代から、何枚も写した覚えがあります。
すでに本体は、殻を脱ぎ捨ててはばたき、そしてわずか七日間の生命を謳歌して、もはや静かに眠っているのでしょう。でも、脱ぎ捨てられた空蝉は、今なお、樹皮や木の葉にがっしりと爪を食い込ませ、さらに上方を志すかのように、遙か高みを見据えているようにも思えます。
近所の樹林では、いつしかクマゼミの声は聞かなくなり、もっぱら、アブラゼミが鳴いたり飛び交ったりする姿を見かけます。
(中略)
「アブラゼミ」の命名は、「ジリジリ」という鳴き声が、煮えたぎる油に似ているからだとか。朝夕の蝉の声は、心なしか、ものわびしく聞こえるようになりました。秋もそこまで近づいている、、、でしょうか?

「ツクツクホウシを見た」
ツクツクホウシは、「ツクツクホーシ」と鳴くのか、「オーシツクツク」と鳴くのか「論争」があるそうですが、どうしても聞き定めることが出来ません。
(中略)
藤沢周平氏の「蝉時雨」は、ヒグラシでしょうか。直木賞作家葉室麟 氏の「蜩ノ記」も。「カナカナカナ」と哀感を含んだ鳴き声は、涼しさと物寂しさを演出しますね。

「蝙蝠を日傘に虫撮る夏休み」
そういえば、去年の夏もこんな記事を書いていました。
そこにも書きましたが、最近はクマゼミの姿が一番目につきます。
体格も勇ましいので、以前は、珍しい蝉だと思って珍重したものですが、今は一番ポピュラーです。
「シャンシャンシャン」と余計に暑さを増幅する鳴き声が、うるさいことです。
南方系の蝉だそうです。
アブラゼミ。 「ジージー」という鳴き声が加熱した油の音に似ているための名付けと言います。
子ども時代は、これを捕まえると少し自慢でした。
ニイニイゼミ。小さくて地味な蝉です。樹皮の模様に隠れて、動かずにいると気づきません。
子ども時代は、この蝉が一番身近でした。そっと近づいて、手で捕まえても、幽かにばたばたと暴れますが、じきに観念して静かになります。そのまま、服やシャツに しがみつかせても逃げないので、何匹も装着して歩いたものでした。バッジか何かのように。
環境の変化によるのか、近年生息数が減少しているようです。
松尾芭蕉が山形の立石寺(りゅうしゃくじ)で詠んだ 閑さや岩にしみ入る蝉の声 の蝉はニイニイゼミだったかと思われます。
「閑かさ」は外界の静かさではなく、心の中の静謐さだ、とはいえ、クマゼミではうるさすぎましょう。アブラゼミの鳴き声も、やはり耳障りです。心を逆なでしないレベルのニイニイゼミの鳴き声が妥当でしょうか。
ハルゼミや、ヒグラシ、あるいはツクツクホウシというアイディアも浮かばなくはありませんが、芭蕉が立石寺を訪ねたのは元禄2年旧暦5月27日(新暦で1689年7月13日)だといいますから、やはりニイニイゼミの活動時期でしょうかね。

漸(ようよ)うに姿見せたか法師蝉
ここのところ、つつつくほうしの声はしょっちゅう耳にしますが、目を凝らしても姿を捕らえることが出来ず残念な思いがしていました。
ところが今日は、孫のお供で図書館に行ったとき、玄関前の植木から、威勢のよいツクツクホウシの鳴き声が聞こえますので。じっと目を凝らすと、やっと見つけ出しました。


またまた二番煎じでした


今日はこれにて。


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momotaro

アベさんの最悪ぶり、段々ポピュラーになってきましたねぇ
いつまであのお方を担いでいると、ジミン党、大敗するぞ〜!!!
by momotaro (2020-08-16 05:17) 

kazg

momotaro様
>いつまであのお方を担いでいると、ジミン党、大敗するぞ〜!!!
まったく、当然の成り行きですね。ここに来てにわかに健康問題をクローズアップし、休みなく働いてきたためとの演出をこらしているようですが、どうぞお辞めになって健康回復に専念していただきたいものです。
by kazg (2020-08-21 01:47) 

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