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年の瀬の備忘メモ(その2)、の巻 [日録]

まとめ書き備忘録の続きです


以前、こんな記事を書きました。


 


気がつけば へなちょこブログも三年目、の巻(2015-08-21)


「豚もおだてりゃ木に登る」という言葉があります。
私も、おだてには乗りやすい体質と思います。
かといって、真実味のないご機嫌取りや、見え透いた社交辞令を真に受けるほど純真でもないつもり。
そういえば、啄木にこんな歌がありました。
へつらひを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき

自負も矜恃も人一倍持ち合わせているが、自分の器を熟知しているのもまた自分。そのナイーブな内心を斟酌することもなく、むず痒いお褒めの言葉をいただいても、「へつらい」にしか聞こえず、かえって軽んじられている感じさえして、心は波立つ。というのでしょう。
よくわかります。
それとは対照的に、自分が日頃信頼を寄せる人,敬愛の念を以て畏れている人に、思いがけなく好意的なコメントをいただいたりすると、リップサービスと知りつつも舞い上がってしまい、良いところを見せたいと思ってしまうことがよくあります。はなはだ単純な性分だと思います。
最近、当ソネブロでお近づきになったmomotaro様が、その慧眼とバランス感覚の上に立った、緻密な文筆をもって、世に鋭く発信なさっていることは、皆さんよくご存じのところでしょう。
ご著書「友よ、戦争をしない世界を創ろう!」も,先般の入院騒動の後、amazonにて購入、一読させていただき、その平明,丁寧な論理に導かれながら,ともに考えを進めていくうちに,時代と生き方について深く考えさせられるという快い経験を、久しぶりに味わったことでした。

友よ、戦争をしない世界を創ろう! (ラミ叢書)

友よ、戦争をしない世界を創ろう! (ラミ叢書)

  • 作者: 桃山直太郎
  • 出版社/メーカー: 編集ラミ
  • 発売日: 2015/04/25
  • メディア: 新書

そのmomotaro様が、私の駄句や短歌のまねごとについて、望外のお褒めのコメントをくださるので、ことさら嬉しく、くすぐったく感じ、木にも登ろうか、穴にも入ろうか、という心境なのです。

ところで、私のへなちょこブログも3年目を迎えました。私にとっては、現在のところ、最も律儀におつきあいしている「趣味」はこれでしょう。

「趣味は?」と聞かれて答えに窮することは、子どもの頃からの習いでした。小中学生の頃は「読書」などと答えておりましたが、すぐに現実と離反するようになって、破綻に瀕してしまったことでした。
学生の頃「不平を言うこと」という名答を考案し(実はこれもある方からのパクリでした)、これは気に入っておりましたが、社会人になってからは自ずと出番がなくなりました。
以来、「無趣味」と答え続ける半生でした。
もちろん,一度や二度は興味を開拓せんと試みた分野がないわけではありません。
いや、結構あれこれ、入門書を買ったり、初級用グッズを揃えたり、人並みに熱中しかけたものもないわけではありませんが、,,いずれも上達思わしくなく、自然と沙汰やみとなっています。(中略)
「この人は凝り性だからね」と、中学校の頃、教師から何かの機会に批評された記憶がありますが、熱しやすく冷めやすい気質は,相も変わらずです。
さて、そんな私が、退職を前にして、内心焦りを感じた時期がありました。「~ねばならない」で生きてきて、その枠組みが外れると,自分を見失い,気力も生き甲斐も薄らいでしまう、なんてことになりかねない。「~ねばならない」から「~たい」への生き方の転換が必要だ。さしずめ「趣味をもたねばならない」と、思い至ったのです。やっぱり「~ねばならない」に縛られ続けていますが(笑)
そこで考えました。新たな趣味の必須条件は?
・やって楽しいこと。
・憂さを忘れられること。
・少しの努力で,長く続けられること。
・足跡が何か残ること。
・人と上達を比べられて落ち込まなくてもよいこと。
・出費が少なくてすむこと。
・体力、運動能力が求められなくてすむこと。
自覚的に、言語で意識したことはありませんでしたが,あえて箇条書きにすればこんな虫のいい条件がぐるぐる脳裏を回っていたのでしょう。
今思えば、「ブログ」という帰結は、結果的にですが、これらの虫のいい条件を、すべてみごとにクリアーしてますね。
私のブログ開始は、正確には、退職の瞬間から即時というわけではなく、いくらかタイムラグがありまして、癌手術を経てのリハビリ過程で、退屈しのぎのすさびごととして始めたというのが、経過です。
その時漠然と期待したのは、①忘れっぽい自分の備忘録(紙に書く日記は,続けられないので)、②日頃ご無沙汰している友人、知人への消息、安否報告、生存確認、③自分自身の何らかの存在確認、などの雑多な要素を、お気軽に満たしてくれそうだという点。今、三年目を迎えられていることをみれば、この予感は、まんざら外れてはいなかったようです。
もちろん、当初は予期してさえいなかった、「読者」の皆様や、「ブロガー」仲間の皆様方からの、閲覧、ナイス、コメントなどなど、多大な励ましをいただいたことが,継続の最大の支えでした。
何やら、「終わりの挨拶」みたいな流れになってきましたが、そんなことはありません。まだまだ、細く長く、続けるつもり、ひきつづき、よろしくお願い申します。


これを書いてから5年超の時日が経過しました。「光陰矢のごとし」とは抗いがたい真実です。5年も経つうちには世の中も変わり自分も変わりますから、執筆のエネルギー、モチベーションといったものも、徐々に薄れていくことは否めません。というよりも、当時は病明けの身体状況から、自身の興味関心も限られ、自己の存在確認と安否報告への欲求は切実なものでしたが、喉元過ぎればの喩え通り、もとの安逸な日常生活が舞い戻り、また一方で、なにかと瑣末な所用も生起してきて、これに忙殺されるうちに、ブログ更新が二の次三の次となって、今日に至っています。そうした中での10日以上の空白、、、。これは放置してもおけません。改めて初心に立ち返るの巻、です。




カレンダーのメモをもとに備忘録を埋めておきます。


12月19日(土)、今年度の退職予定者を囲むつどいに、退職教職員の会のメンバーとして参加しました。うんと若い世代、と思っていた人がもう退職?とおどろきます。休憩時間に声をかけてくれた人が、なんと新米教師時代の「教え子」。そうなんだ、彼らももう退職か、と感慨を抑えられません。


「先輩」退職者として、Tさん、Kさんがせれぞれの退職後の生活や思いを紹介。現役時代にもまさるバイタリティに富んだ生活ぶりは、いたく刺激的でした。


この日、敬愛するHさんの訃報を聞きました。


これまで、こんな記事で紹介したことがありました。


桑畑の歌から始まった、の巻(2015-07-14)


朝のニュースを見ておりますと、政府与党は、「新安保法制」について、すでに審議を尽くしたとして、既定方針通り15日の衆議院採決企図を公言しています。そのような中ですので、我がブログも、話題はそちらに傾きます。
日曜日に参加した、退職同業者の寄り合いのことを少し書きます。
親睦・友好を旨とする、本来の会の性格や目的に関わらず、安倍政治への不安や危惧、怒りや憤りに彩られた会になりました。
開会に先だって、アコーディオン伴奏によって、皆さんで歌を歌いました。
伴奏してくださるH先輩は、実は専門は理科(生物)なのですが、美術も絵画も堪能で知られています。お噂で聞き及んだところでは、若かりし頃は、平均台の上で横転も軽々こなされたとか。天は二物も三物も与えられるものですな。

導入で紹介された歌は、「汽車ぽっぽの歌」。
誰もが知っている童謡で、歌詞はこうです。

汽車(きしゃ) 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕等(ぼくら)をのせて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓(まど)の外
畑(はたけ)も とぶ とぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋(てっきょう)だ 鉄橋だ たのしいな

(中略)

が、その元の歌詞は、こうだったと、H先輩はおっしゃいます。

(一)
汽車汽車 ポッポポッポ
シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポシュッポ シュッポッポウ
僕等も手に手に日の丸の
旗を振り振り送りませう
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん兵隊さん 萬々歳

歌の題も「兵隊さんの汽車」といい、御殿場小学校教師であった作詞者が、出征する兵士を見送る内容の歌として作ったもので、戦意を鼓舞するために歌われたが、戦後、今の歌詞に改められたのだそうです。


また、これらの記事でも。


「一本の鉛筆」から始まった、の巻(2016-07-04)


昨日は、退職同業者の親睦団体の会合に参加してきました。
去年のこの記事で書いた会合の、今年度バージョンでした。
桑畑の歌から始まった、の巻
H先輩のアコーディオン演奏と歌唱指導によって、冒頭歌ったのは、美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」。
この歌について、ウィキペディアにはこうあります。

ひばりが最初の広島平和音楽祭に出演するにあたって、総合演出を担当していた映画監督、脚本家の松山善三が作詞を、作曲を映画音楽の作曲で有名な佐藤勝が作曲をそれぞれ手がけた。なお、当初は平和音楽祭の実行委員長も務めていた古賀政男が作曲する予定であったが、古賀が体調を崩したため佐藤勝の作曲となった。『一本の鉛筆』と『八月五日の夜だった』は、ともに広島市への原子爆弾投下について描かれた作品である。
ひばりは、父の増吉が徴兵され、母の喜美枝がその間辛い思いをしていたのをそばで見て育っており、自身も横浜大空襲を体験していたこともあって、戦争嫌いだったという。そのようなこともあってひばりは広島平和音楽祭の出演依頼を快諾したという。
リハーサルでは冷房付きの控室が用意されており、広島テレビのディレクターがひばりを冷房付きの部屋に誘導したところ、ひばりは「広島の人たちはもっと熱かったはずよね」とつぶやき、ずっと猛暑のステージのかたわらにいたという。ステージの上からは「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを忘れることができません」と観客に語りかけた。
それから14年が経った1988年、ひばりは第15回の「音楽祭」に二度目の出演を果たした。当時、ひばりは大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎で入院した翌年であり、歩くのがやっとで段差を1人で上ることさえ困難な状況だった。ひばりは出番以外の時は音楽祭の楽屋に運び込んだベッドで点滴を打っていた。しかし、観客の前では笑顔を絶やさず、ステージを降りた時には「来てよかった」と語ったという。翌1989年6月に、ひばりは死去した。

一本の鉛筆があれば
私は あなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと 私は書く

一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと 私は書く


 


「子どもを守る歌(最終章)」から始まった、の巻(2017-07-11)


今年の総会も、H先輩のアコーディオン伴奏で「子どもを守る歌 (最終章)」の合唱から始まりました。(中略)(Hさんは)今年の作品展にも二点の絵画作品を出展されていますし、毎年欠かさず、数点ずつの作品を発表してくださっています。
ところで、「子どもを守る歌」(最終章)の歌詞は、こうです。

【作詞】上野 博子
【作曲】荒木 栄
国の隅々から 湧き上がる声は
子供を守る父母の 教師の叫び
初めて巻いたはちまきの 鮮やかな白さ
初めて組んだスクラムの力強さ
私は起ち上がった
みんなは起ち上がった
この闘いが平和を守る
「勤評反対!」
「戦争反対!」
子供達を 戦争へおくるな! 

曲の紹介で、H先輩もおっしゃっていたとおり、この作品がつくられた一九五〇年代後半の社会情勢を色濃く反映した「勤評反対!」という文言以外は、まったく現下の情勢をそのまま表現しているようではないかと、参加者一同、深く感じたところです。
ただ、念のために付け加えると、私個人としては、この最終章は、生硬なアジテーションの趣が強く、全体から切り離してこの箇所だけを取り出すと、いささか感情移入しにくいきらいがあると感じます。
やはり、この曲には、この優しくやわらかな歌い出しが、不離不可分と思えます。

子供達よ 健やかに育ちゆく 子供達よ
「先生!」と呼びかけて 今日も集まる
54人のつぶらな瞳 私の愛する 子供達よ
どう教えたらよいのだろう どう知らせたらよいのだろう
私の上に みんなの上に 覆い掛かる暗い影を
この影をこの暗い影を

一クラス54人という学級規模に、時代を感じます。108の瞳というわけです。それはさておき、子どもたちと教師とで織りなすささやかな平穏が、得体の知れない脅威によって脅かされている。その不安といたたまれなさを皮膚感覚として共感するところから、この曲は私の心に刻まれています。
過去記事で、この「子どもを守る歌」を話題にした最初は、2013年11月のこの記事だったと思います。一部引用します。

だまされも だましもせぬと 誓うた日

この詩(「戦死せる教え児よ」竹本源治)と重なって、しきりに頭をよぎる、歌の一節があります。

「子供を守るうた」

(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)

ねえ、みんな
この中に一人でも
わけも分からず
怒鳴られたり 笑われたり
人を蹴落として 自分だけがいい子になろうとしたら
どんなに どんなに 悲しいことだろう
御(み)国(くに)の為に 死ねと教えた昔
命を散らした教え子の顔が
目に浮かぶ 目に浮かぶ
良心の呵責が弱さを支え
平和を守る心が 私を鍛えた
明るい太陽の その下で
すくすくと伸びる子供達よ
笑い顔 おこり顔 おどけた顔で
野の花のように
美しく育てよ育て
平和な未来を 築くために

「勤評(キンピョウ)は戦争への一里塚」という合い言葉のもと、教師の「勤評闘争=勤務評定反対闘争」が、戦後間もない1950年代にたたかわれました。

日本が再軍備に向かう「逆コース」と呼ばれる一連の動きの中で、憲法と教育基本法(1947年版)の理想を諸改革が、次々と進められました。

その一環として、「勤務評定」により教師を序列化し、待遇に差を付け、お互いを競争に駆り立て、ひいては「お上」「御国」に盾つかない忠良な教師をつくり、子供の「人格」形成よりも 、「お上」「御国」に役立つ「人材」育成に専念させようとする動きがありました。(安倍さんと一緒やね。)

これにたいする「勤評反対」のたたかいは、「再軍備反対、戦争反対」のたたかいと一体のものでした。「子どもを守る歌」はこのたたかいを題材にし、それを励ますものでした。

この歌を、今の世に再び蘇らせなければならないのは悲しいことですが、子どもたちが、「野の花のように美しく」育つためには、知る権利と言論表現の自由、平和と真実の教育の自由が死活的に必須だと、改めて思うのです。


とりとめもなく思いが湧き出て、語り尽くせません。ご冥福をお祈りします。




このペースでは、一向に先へ進めませ。思い切って端折ります。


この間、何に時間を費やしたかというと、第一に年賀状づくりです。


着手は例年に後れを取ってはいないのですが、プリンターの不調に悪戦苦闘。モノクロレーザープリンターは、尋常に使えるので、宛名印刷は可能なのですが、デザイン面はカラー印刷したいのに、一台はインクトラブルで、何度もノズルクリーニングしても、インク交換してもらちがあきません。もう一台、以前使用していてトラブルが多いので予備役に引退させていたプリンタを試してみると、最初の何枚かは印刷できたのですが。紙詰まりが表示されてどうやっても解消されません。


このプリンター、コロナの影響で、一時期純正インクが店頭から消えて、入手できなくなっていたので、廉価な互換インクをネット注文し、年賀状印刷時期に備えていたのですが、インク交換が認識はされ、残量表示もされるのですが、先ほど述べたような印刷のかすれ、ノズルのつまりが頻出し、何枚もハガキをムダにしてしまいました。残量は大量にあるのに、思い切って新品と交換してもムダでした。


思い余って、プリンタを新調するしかないかと、パソコンショップ、電器店を何軒か梯子し、またネットでも色々と検索してみました。が、どうせ新調するならA3印刷可能なものがよかろうと物色するのですが、値段が折り合いません。結局、新調は断念して、ダメ元でインクを純正に変えてみることにしました。


すると、不思議なことにあのしつこいトラブルが解消したのでした。それにしても、どのメーカーも、純正インキは高額で、インクの売り上げで利益を上げようという戦略に、消費者は泣き寝入りするしかないのでしょうか(涙)


プリンターのトラブル対応もさることながら、住所録に沿って一気に印刷しきることをができなかったせいもあって、何十枚もダブリが出てしまいました。最寄りの郵便局ではクレジットの使用ができないといわれ、本局まで出かけましたが、窓口が長蛇の列。とても行列に加わる元気はありません。近くの銀行ATMで現金を引き出そうかと思って財布を探ると、なんとキャッシュカードが見当たらず青ざめて一端帰宅。めぼしい場所をしらみつぶしに探しても発見できず、またまた銀行と警察への紛失手続きが必要かと覚悟しました。


こんな記事をたびたび書いています。


トホホも積もれば山となる、の巻(2019-10-04)


トホホの話題はこれまで何度も書きましたし、読んで楽しい話題でもなく、我ながら執筆動機が疑われるところですが、詮ずるところ、愚痴を垂れ、鬱憤を晴らしたいのでしょうね。でも、今回ほどに重なると、鬱憤が晴れるどころか、気落ちして自己不信が募るばかりですが、「反省文」「始末書」のつもりで最近のトホホを箇条書きにします。

(中略)

倉敷に出かけた日、駅前の銀行に寄り、念のために資金を調達しておこうと、キャッシュコーナーに立ってカバンを探るに、カードケースにキャッシュカードが入っていません。あれ、またかと自己嫌悪にとらわれます。この日に限って、いつもと違うバッグを持ってきていたので、中身の入れ替え時に置き忘れてきたのだろうと思いながらも、あるいはどこかに落としはしなかったかと気が気でなく、せっかくの楽しいお酒の味が減殺されてしまいました。(トホホ)

家に帰りついたのは深夜に近かったのですが。そのあと、別のカバンやズボンのポケット、思いつく場所は根限り探しましたが見つかりません。念のために、よく落とし物を見つけたことのある自動車の運転席や助手席のシートの下部を、懐中電灯で照らしながら探しましたが、やっぱり発見ならず。翌朝、もう一度念入りにあちこち探すも、皆目見当たりません。そう言えば、以前こんなことがありました。

結果オーライ?ま、いいか、の巻

クレジットカードを使用して給油し、そのあとコンビニ店内のATMを利用して現金を引き出すことにしました。行事の参加費1000円の手持ちがなかったので。

銀行営業時間外の早朝でしたので、別途手数料を取られましたが、1000円札5枚を引き出し、ついでにペットボトルのお茶を購入してクルマに戻ります。いざ会場に向かって出発。その前にもう一度、念のために忘れ物がないか点検、、、してみますと、オヤ?さっき使った銀行カードはどこへやったかな?カードケースにも、バッグにも、胸ポケット、ズボンのポケット、どこを探しても見当たりません。いつもの失敗の教訓から、座席のシートの間、ダッシュボードの小物入れなどなど、あちらこちらを何度も探しますが、徒労です。

しばらくの間そうしてジタバタした挙げ句、さっきの買い物の際に落とした置き忘れたに違いないと結論して、もう一度店内に入り、店員さんに尋ねてみると、「届いておりません」との返事。これは、客の誰かが拾得して、ネコババしたか、はたまた警察に届けるかしてくれるのかと推理し、あの人かこの人かと、老若男女の挙動を観察してみますと、どれも怪しく見えます。

これは、大変。悪用された場合のことも想定し、銀行に連絡して利用中止手続きをする必要があろうかと判断。銀行の電話番号や、通帳の口座番号を確かめるために、いったん帰宅して、銀行に電話で相談しました。

電話口のお嬢さんが仰るには、「カードの解約手続きをしますと、見つかった場合、そのカードは使えなくなります。そのようなケースがよくありますが、もう一度よくお探しになった上で、後刻もう一度お電話いただくこともできます。直ちに解約もできますがどうなさいますか?」とのこと。電話口で悩んだ私は、「もう一度探してみる」という、当てのない選択肢を選ぶことにして電話を切りました。(中略)それでも念のためにと、再探索を試み、助手席のシートの下辺りをのぞき込んでみますと、そんなところに落ちてました。な~んだ、呆気ない。

いくら何でも、柳の下にそうそうドジョウはいません。今度こそは、いよいよ覚悟を決めて、銀行の営業開始時間を待って電話し、口座ストップの手続きをお願しました。電話受付でカードをストップするが、再発行手続きのために窓口で書類を作るよう言われました。ちょうどその日は、パートタイムの仕事でしたので、仕事外終わった後窓口を訪ねようと、重たい気分で仕事を終えました。

仕事場の駐車場に駐めた車のドアを、助手席側から開けました。重い仕事カバンや持ちものを積み込むためです。その時ふと、助手席のシートの下辺りに、輝くもの見つけました。カード君でした。何気ない風に、落ち着き払って寛いでいます。昨日見たときには気づかなかったのに、日中の光の中で、姿を現したのです。白日の下にさらされる、とはこういうことを言うのでしょうか。なんとも狐につままれたような幕切れです。

銀行窓口でカードを示すと、無効の処理をしたので再発行の手続きは必要で、ただし、元のカードがあったので手数料は無料。何日後かに書留で送られてきますとのこと。

被害甚少ですみましたが。トホホ感と消耗感にさいなまれます。


またまたドジの繰り返しかと自己嫌悪が募ります。念のためにと探った、数日前にはいたズボンのポケットを探ったところ、どうしたわけかカードが一枚、裸で突っ込んでありました。もはや発する言葉がありません。


すったもんだの挙げ句、ようやく投函を終えました。


第二は、ガラケーからスマホに変えました。


実は、これまでも、「格安スマホ」は利用してきました。それで別段不足はないのですが、電話番号やアドレスの継続利用をしたいので、日常の通話やメールのやりとりは、主としてガラケーを利用していました。このまま、ガラケーで通すつもりで、3月に新機種に代えたばかりですが、使い勝手が今一つで、だんだんと不便が募ってきましたので、機種代金1万2千円に目がくらみ、衝動買いしてしまいました。格安SIMの方は、月千数百円ですが解約し、端末は自宅でのWIFI利用で使いつづけることにしました。


環境が変わるということは、適応するために時間も手間も費やさなければならないということで、それを上回るメリットが得られるかどうか、まことに疑問です(汗)




第三は、TV録画用のハードディスクを衝動買いしました。
というのは、あるとき、自動車運転中にトイレを催し、大通り沿いの大型電気店に立ち寄ったところ、店舗統合による店じまいセールの最中でした。見るともなくぶらりと店内を眺めてみると、4テラの録画用HDDが、1万円を切っています。現在使用中の録画装置が満杯で、次々に番組を消去しないと次が入らない状態が続き、孫たちが、アニメだとか映画だとかを録画予約するので、私の『相棒』シリーズが危うい状況になっているところから、増設への欲望が慢性的に蓄積されていたのでした。
これまでUSBハブでHDDを3台つないで使用していたのですが、さすがに4台接続というのもはばかられて、「相棒」だけでほぼ満杯になりかけている2テラ(?)のHDDの中身を新HDDにダビングして、もとのHDDは取り外してもう一台のテレビに使おうか、などと楽しい計画を夢見ていたのです。しか~し、ダビングは一回に16番組だけが可能ということで、何度にも分けてダビングしなければなりません。ワンクールが終わりきるまでの所要時間は、バカにできない長さです。その間じっと見張っているわけにも行かず、夜中とか、外出中とか、ロスが生じるのは致し方ないことです。そんなわけで、ダビングが終了したのは、ほんさっきで、取りかかってから何日が経ちましたか、、、思わぬ手間がかかりました。
第四は黒ニンニクづくり。
初夏の頃に収穫したニンニクは、炒め物、スープもの、肉料理などなど、幅広い料理に愛用して、重宝していますが、食べきらないうちに、最近次々に芽が伸びてきています。それを土に植えてやれば、また収穫が期待できるのですが、実は既に来年用の植え付けは済ませていて、それは畑で苗に育っています。有効利用のために黒ニンニク作りに挑戦してみたい思いはずっと前からあったのですが、着手できないまま既にタイミングが遅れようとしていますので、4日ほど前にとりかかりました。相当くたびれてはいるが保温機能は利用できる古い炊飯器を、捨てずに保管していましたので、これを引っ張りだし、ネット検索したレシピ通りに、保温→発酵ンいチャレンジしているところです。日に一度は上と下とを入れ替えてやる必要があるそうで、これまた手間がかかります。強い匂いが漂います。これで成功しなかったらちょっと辛いものがあります、、、。




庭の水仙が、もう大分前から咲きそろい、よい香りを漂わせています。


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今日は散歩道で、いつの間にやらロウバイの花が咲いているのを見ました。マスクをしていても芳香が鼻腔に流れ込みます。PT286277


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ハクセキレイ


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ジョウビタキ♀


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ダイサギ


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コサギ


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コガモ


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カワセミ


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今日はこれにて。


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コメント 4

YUTAじい

今年もありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
by YUTAじい (2020-12-31 08:19) 

kazg

YUTAじい 様
こちらこそありがとうございます。
ますますよい一年でありますように。
by kazg (2020-12-31 22:17) 

momotaro

5年4ヶ月前もびっくりしましたが、今回もまたびっくり。紅白を聴きながらのながら見、ながら読みしていたら、ありゃ、まあ!
そうなんですよね、温かく紹介してくださったんですよね。
私は自分の思いを表すために言葉を選び、言葉を並べているだけなのですが、kazg さんは、言葉の背景に広く深い文学の世界があるんですよね。志も、子どもを思い、平和を思い、生き物を思い・・・気高いので、ただただ敬服しているんです。おべんちゃらじゃないんですよ。おべんちゃらを言ってもなんの意味もありませんからね。
どの記事も素晴らしい。Hさんも素晴らしい方でしたね。お悔やみ申し上げます。
プリンターの件、まったく同感です。純正インクで儲けようなんて、なんとも根性が狭いですよね!
kazg さんの年賀状は凄いんですよね、A4版の新聞くらいのメッセージが載っているんですよね。ブログ公開を楽しみにしてます ^_−☆
では佳いお年を!
by momotaro (2020-12-31 23:49) 

kazg

momotaro様
温かいお言葉痛み入ります。
>おべんちゃらじゃないんですよ。おべんちゃらを言ってもなんの意味もありませんからね。
え?ホントに信じちゃいますよ(笑)
お言葉に甘え、年賀状もアップすることにします(笑)
by kazg (2021-01-01 15:17) 

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