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追憶の キューサンマルは 霧の朝 [今日の暦]

高校時代のある秋の日、いつものように登校してみると、校門周辺に教師達が一種こわばった空気をただよわせて三々五々佇んでいます。朝霧に包まれた光景だったかと記憶しています。


よく見ると、いつも授業を受けている親しい顔もあるし、担任の少々照れくさそうな顔もありました。

何やらわからず、とにかく教室に行き、普通通りに授業が始まったのですが、謹厳実直という形容がそのまま当てはまるような、年配の教師(といっても、今の私より遙かに若く、ひょっとすると40歳そこそこだったかも知れません)が、非常に緊張して、「実は」と話し始められました。早朝勤務時間カットのストライキに参加したとの由を、高校生に分からせようと腐心しつつ、懇切に説明しておられました。話しておられる間、手が小刻みに震えていたことを、一種厳かな瞬間に立ち会ったような気がして、不思議によく記憶しています。
別の授業では、雑談に、「君らの担任は、若いのに(ストに参加して)偉い。」とほめられ、我がことのように嬉しくくすぐったい気持ちがしました。
誰々がストに参加したか、しなかったか、と詮索する発想など、浮かぶ余地もありませんでしたが、自分の信頼するあの人・この人には参加していて欲しい、いや、きっと参加したに違いない、、、というような思いが、私のというよりも、級友たちの共通した気分であったかと思います。


後にふり返ってみると、1969年9月30日のことではなかったかと推理しています。
手元の「岡山高教組運動史-1-」をひもといてみると、こんな記述があります。
「69年(昭四四)六月には、全県下をゆるがす『校長・教頭一号アップ問題』が発生しました。”前代未聞の差別昇給”として怒りに燃えた高教組・県教組・公職組三者共闘は、のべ四〇回におよぶ大動員、、旭川原をうめつくした一万人集会、デモ行進によるアピール、徹夜交渉などをくりひろげ、9月30日にはいわゆる九・三〇実力行使を展開します」
この「九・三〇(キューサンマル)闘争」の一コマを、私は高校生として目撃したのだったと思います。
1969年というと、1月にはいわゆる東大安田講堂事件が起こり、その余波で、その年の東大入試が中止されるという年でした。正司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」が芥川賞を受け、ベストセラーになったのもこの年でした。村上龍の「69(シクスティナイン)」も、この時代の空気を伝えています。時代と格闘し、時代に対して「もの申す」ことを是とする時代、そのために自己の変革をも迫られる時代。そのような、時代の持つボルテージの中で、「九・三〇闘争」は取り組まれたのでしょう。
今、学校現場には、新しい成績評価システムが導入され、その結果を賃金とリンクさせる動きが本格化しているようです。
「物言へば唇寒し秋の風」  芭蕉
とばかりに、教師の誰もが口を閉ざし、「評価アップ」に汲々として、保身と自己擁護につとめるようになった時、教師同士の協力関係は、育つのでしょうか?「子ども一人ひとりの願いや幸せ」が、置き去りにされる懸念はないのでしょうか?そのような学校は、果たして子どもたちにとって、懐かしく愛しき「母校」たり得るでしょうか?


今朝の散歩は、久しぶりに徒歩でした。
朝焼けの空が美しかったのですが、望遠レンズしか持っていませんでした。ふと思いついて、ケータイで写してみると、なかなか見事です。いつもの苦労は何?という感じですね。

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今日のカメラシステムは、pentaxK10とDAL55-300mmに、フロントテレコンバーターをつけたもの。長くて、重くて、仰々しいスタイルです。人様に見られる勇気はありません。

【中古】 PENTAX K10D

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  • 出版社/メーカー: Pentax
  • メディア: エレクトロニクス

 

OLYMPUS テレコンバージョンレンズ 1.7倍 デジタルカメラ用 TCON-17X

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  • 出版社/メーカー: オリンパス
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  秋景色を望遠撮影しても、雰囲気があります。広角側(55mm程度)だと、ケラレ(周辺光量の低下)が見られますね。

Imgp4720.jpg

 

小鳥に会うこともできました。
さて、写りは?
やはり、イマイチですかね。がっかり。

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ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。 [趣味]

我が家の窓から覗いてみると、ムクドリが電柱や電線に止まっていました。去年撮影したのと同じポジションです。
ただ、今日はカメラの持ち合わせが、、、。
実は、私の最強コンビであるk5Ⅱとf300 4.5ED(IF)が、時折不審な露出(露出オーバーが多い)を示すことが気になるので、保証がきく間にと思って、点検・修理に出したところなのです。

PENTAX デジタル一眼レフ K-5ボディ K-5BODY

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  • 出版社/メーカー: ペンタックス
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上のカメラは、第一世代のk-5、下のカメラは、私の持っているk-5Ⅱの上位機種で、「ローパスフィルターレス」が特徴。

PENTAX デジタル一眼レフカメラ K-5IIs ボディ K-5IIsBODY ローパスフィルターレス 12052

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  • 出版社/メーカー: ペンタックス
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ですので、別の組み合わせで何枚か写してみましたが、どれも、豆粒のように小さく写るか、不鮮明な画像になるかで、がっかりでした。
中でも、まあマシで、記録としての意味はあるかと思えるものを貼ります。
これは、pentaxk10にdal55-300mmを付けて撮りました。トリミングして大きく見せていますが、300mmでは、
やはり力不足です。
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PENTAX 望遠ズームレンズ DA55-300mmF4-5.8ED Kマウント APS-Cサイズ 21720

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  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: エレクトロニクス



次は、



というお手軽カメラの撮影です。35mmカメラ換算で22.3mm~580mm相当だそうで、確かに便利です。近所に住むムクドリが、この電柱によく止まります。今日は鳥の撮影に成功しませんでしたが。

 

 


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モズの声を聞くようになりました。
「キチキチキチ」と高鳴きすれば、モズの季節だなと思うのですが、色々な鳥の声で鳴くので、「百舌」と漢字で書くのだそうです。
変わった美しいさえずりが聞こえるので、お向かいさんの屋根の上を見上げてみると、テレビアンテナの上に止まって、色々な鳥のさえずりを披露していました。
この写真は、、pentaxk10とdal55-300mmの前にテレコンバーターを付けてみました。


 

Kenko テレプラス 2倍 テレプラス MC7 DGX ニコンAF用

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  • 出版社/メーカー: ケンコー
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kenkoテレプラスなど(上のamazonの商品紹介では、PENTAXのものが出てきませんが、カメラ店では取り扱っています)、レンズとカメラの間に付けるタイプ(リアコンバータ)だと、レンズのF値が暗くなり、測距に迷い、スピードももたもたしてしまいます。

フロントタイプ(OLYMPUS製の旧いものを流用)だと、F値は変わらないはず。ただ、かなり重いので、重心が不安定になりますが、ボディがK10くらいの重さだと、違和感なく使えるかも知れません。問題は画質です。たくさん写したうちの、ましなものがこれですが、果たして許容できるかどうか?元々コンパクトデジカメ用のテレコンですが、非常に優秀な描写として定評があります。フィルター径55mmですので、径が異なる場合は、 ステップアップリングかステップダウンリングを使います。

OLYMPUS テレコンバージョンレンズ 1.7倍 デジタルカメラ用 TCON-17X

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  • 出版社/メーカー: オリンパス
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リアコンバータ(kenkoテレプラスなど)を使った場合でも、k5Ⅱとf300 4.5ED(IF)の組みあわせは、レンズが明るい上に、ボディのISO感度が稼げるので、やはり優位だと感じます。
実はレフレックスレンズのTAMRON SP500mmにも未練があって、昨日かなりの枚数写してみましたが、①マニュアルフォーカスでのピント合わせが困難、②コントラストが淡くてキリッとしない(機種のせいか、個体の特徴か分かりませんが)、③リングボケ、二線ボケの扱いにくさ、、などのため、見るべき結果が得られませんでした。
ただ、500mmレンズで覗く世界は楽しいもので、これが画像化できれば嬉しかろうにと思えます。


元職場では、廊下で出会った特など同僚のSさんと、百舌の鳴き声を確認しあうのが、この季節の習わしになっていました。Sさんは音楽にも秀でた方で、洋楽のレパートリーも豊富なのですが、「『もずが枯れ木で』が好きなんです」とおっしゃったことがありました。
私もモズを見ると、この歌を想い出します。

もずが枯れ木で
【作詞】サトウ ハチロー
【作曲】徳富 繁

もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる

みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ

兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ

ユーチューブには、岡林信康バージョン、倍賞智恵子バージョン、藤圭子バージョン、芹洋子バージョン(サトウハチローの原詩で歌っています)などがUPされていました。

岡林信康サンは、何というか我々の世代から見ると「別格」でしょうかね。心酔したわけではありませんけれど。

岡林信康URCシングル集+8(通常プラケース仕様)

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  • 出版社/メーカー: FUJI
  • 発売日: 2013/03/20
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男はつらいよ寅さんDVDマガジン vol.1

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/01
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「俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつかおまえの 喜ぶような
偉い兄貴に なりたくて
奮闘努力の 甲斐もなく
今日も涙の 今日も涙の
日が落ちる 日が落ちる」
と寅次郎が無条件に愛する妹「さくら」のイメージが強いですが、「歌手」倍賞智恵子サンを、私かなり好きです。レコード、音楽テープ、CD、、、何枚か持ってます。最初に買ったLPレコードは、この人のものだったかも知れません。買うのは、ちょっと照れくさかったのですが、クラシック好きの友人にちらりと打ち明けると、彼も評価していて、安心した覚えがあります。「島原の子守歌」が特に好きかも。

さくら貝のうた―賞千恵子抒情歌 ベスト

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2011/05/11
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倍賞千恵子全曲集

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  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2007/09/05
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倍賞千恵子 全曲集 2013

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  • アーティスト: 木下龍太郎,山田洋次,横井弘,菊地規,寺尾智沙,山川啓介,下村明彦,岩谷時子,小野寺興吉,永六輔
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2012/10/10
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倍賞千恵子 抒情歌全集

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  • 出版社/メーカー: キングレコード KICS-6220
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倍賞千恵子 叙情歌アルバム

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  • アーティスト: 喜志邦三,吉丸一昌,佐々木信綱,加藤省吾,谷村新司,荒木一郎,永六輔,東條寿三郎,東辰三,サトウハチロー
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 藤圭子さんは、ほぼ同世代。密かにファンでした。8月22日が命日ですか。痛ましいことです。

藤圭子 GOLDEN☆BEST

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  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
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GOLDEN☆BEST 藤圭子ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌

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  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックダイレクト
  • 発売日: 2010/12/08
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「兄さ」は徴兵により、凍える満州に送り出されていきました。
サトウハチローの作詞が昭和10年(1935年)、徳富繁の作曲が昭和13年(1938年)だそうです。
軍国主義華やかなりしこの頃、人為による「兄の不在」、「愛する者の不在」を、こうも切々と訴えた詩が生まれたことは、驚きです。この時代、反戦や民主主義を目指す思想や運動には徹底的な弾圧がくわえられ、ありとあらゆる芸術、文化、言説が、「戦意高揚」へと駆り立てられていきました。
石川達三の「生きている兵隊」(『中央公論』1938年3月号)が発行禁止処分を受けるなど、表立って「反戦」を唱えなくとも、少しでも戦争の悲惨を伝え、戦意喪失させるような作品は、発売禁止にされました。そんなご時世に、「鉄砲が涙で 光っただ」なんて、日本男児にあるまじき「女々しい」歌が検閲を免れ、地方の民謡として歌い継がれたことは、希有な奇跡だったかも知れません。.


「もずが枯れ木で」は兄の不在を歌いました。兄を奪った者は戦争でした。

さしたる脈絡はないのですが、私はなぜか、この歌を連想します。
「おとう帰れや」は、出稼ぎで帰らない父の不在を歌います。父を奪った者は貧困でした。
そして、戦争も貧困も、国家の仕業、政治の仕業に他なりません。

「おとう帰れや」
作詞:白井道夫  
作曲:真木淑夫
作曲:すずききよし
(この歌は、別の作詞者による二つの曲があるそうです。)

1 風に追われてお父が消えた 峠の向こうににじんで消えた
  山の畑は  雪の下

2 足んねぇ足んねぇで出稼ぎ暮らし 余り物ちゅうてお父の茶碗
 主無ぇ箸の  にくらしさ

3 せめて夢でもお父に会いてぇ クレヨン抱えて伜が泣いた
 お父の顔が  書けねとよ

4 お父がいねぇで夜が長すぎる 夜なべ仕事にムシロを編もか
  ムシロ編むより  縄をなえ

5  縄がなえたらお父よ戻れ 腰を結わえて倅に持たそ
  今年しゃどこにも  行けねよに

6  峠を染めて朝日が昇る 山の向こうにもう陽が沈む
  はかの行かねぇ  野良仕事

作曲:真木淑夫の曲は、岡林信康バージョン、森山良子バージョンをユーチューブで見つけました。

森山良子フォークを歌う ベスト&ベスト KB-13

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  • 出版社/メーカー: テイチクエンタテイメント
  • 発売日: 2008/07/01
  • メディア: CD

作曲:すずききよしの曲の方は、こちらに紹介がありました。
http://bunbun.boo.jp/okera/v_suzuki/otou_kaereya.htm
高石ともやのアルバムに収められていますが、ネット上には発見できませんでした。
すずききよし さんのホームページとブログはここです。82歳で壮健です。
http://sakura.bb-west.ne.jp/spr/cam-frr/


 

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昨日の「今日の暦」---「パパママバイバイ」のこと [今日の暦]

米軍基地の話題に触れた流れで、1977年9月27日の横浜米軍機墜落事件を、一日遅れの「今日の暦」に書きかけた矢先、web上でこのページを拝読しました。簡にして要を得た記事で、これ以上には付け足すものもありませんので、そのまま紹介させていただきます。

この事件を描いた「パパママバイバイ」の原作者の早乙女勝元さんは、東京大空襲の実体験者で、学生の頃も何回か、そして就職してからも別の土地で、講演をお聞きする機会がありそのたびに感銘を受けました。静かな語り口の中にも、平和への切実な希求と楽天的な勇気がみなぎるお話が、印象に残っています。

パパママバイバイ (子ども平和図書館)

パパママバイバイ (子ども平和図書館)

  • 作者: 早乙女 勝元
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 大型本

 

米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ

米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ

  • 作者: 土志田 勇
  • 出版社/メーカー: 七つ森書館
  • 発売日: 2007/12
  • メディア: 単行本

 

パパママバイバイ (1984年) (アニメ絵本)

パパママバイバイ (1984年) (アニメ絵本)

  • 作者: 早乙女 勝元
  • 出版社/メーカー: 草土文化
  • 発売日: 1984/07
  • メディア: -

もはや、講演の内容は細切れにすら思い出せませんが、ただ一つ、確か小林多喜二を引き合いに出してでしたが、「私は、あるいは、凶暴な肉体的暴力に対して、耐え抜くことはできないかも知れない。でも、日常生活の中で求められるささやかな勇気を、自分なりに発揮することならできると思う。」というような趣旨のお話は、長い間私自身への戒めとなったことは確かです。
この事件を題材に、以前私が勤めていた高校の演劇部が、創作劇として演じたことがありました。手元の資料を探ってみると、1982年のことでした。「ハトポッポのうた」という題名で、中国大会にまで出場しています。墜落事故によって大やけどを負い、ついには息を引き取った林裕一郎君(当時3歳)がいまわの際に残した言葉が「パパママバイバイ」でしたし、弟の康弘ちゃん(当時1歳)も、「ハトポッポ」の歌を口ずさみながらあと追うようにして亡くなったのでした。「ハトポッポのうた」は、このエピソードに基づいてつけられた題名でした。
私は、当時事情により学校を離れていましたので、直接はこの演劇を観ることはできなかったのですが、手元には「鬼から鬼へ」と題する玉野高校演劇部創作脚本集(玉野高校演劇部OB会発行)という冊子がありましたので、改めてひもといてみました。若者の感受性と正義感の確かさに、深く励まされる思いがします。


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なお、冊子の「鬼から鬼へ」という標題は1979年の中国大会で優勝し、1980年の全国大会に出場した作品「鬼よさらば」と、1988年の中国大会で優勝し、1989年の全国大会に出場した作品「温羅のうら」にちなんだネーミングなのでしょう。後者は、古代吉備の国「鬼の城(きのじょう)」を本拠地とする鬼=温羅の伝説に題材を採り、平和に暮らしていた吉備王国の心優しい王が温羅(うら)であり、彼らを暴力によって滅ぼした大和朝廷の、歴史の偽造により、後に鬼に仕立て上げられたのではと問うのです。
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最近、町おこしの一環として、岡山県をあげたイベントとして賑やかに取り組まれる「うらじゃ祭り」などが、まだ始まる前のことで、整備される前の荒れ山だった「鬼の城」にも登って取材したと、当事者から聞いたことでした。

 



脈絡なく想い出す出来事があります。
1995年10月21日、米兵による少女暴行事件に抗議して、宜野湾市の海浜公園で、8万5千人が参加する「沖縄県民総決起大会」が開かれました。
演壇で、高校生を代表して発言した普天間高校3年生の仲村清子(すがこ)さんは、こう訴えました。
 「もう、ヘリコプターの音はうんざりです。私はごくふつうの高校3年生です。たいしたことは言えないと思いますが、ただ思ったことを素直に伝えますので聞いて下さい。
 私が通った普天間中学校は、運動場のすぐそばに米軍の基地があります。普天間第二小学校はフェンス越しに米軍の基地があります。
 ニュースで米軍機の墜落事故を知ると、いつも胸が騒ぎます。私の家からは、米軍のヘリコプターが滑走路に降りていく姿が見えます。それはまる 街の中に突っ込んでいくようにみえるのです。
 私は今まで基地があることをしょうがないことだと受け止めてきました。 しかし今、私たち若い世代も当たりまえだったこの基地の存在の意味を考 直しています。学校でも意外な人が、この事件についての思いを語り、 みんなをびっくりさせました。それぞれ口にはしなかつたけれども、基地への不満が胸の奥にあったことの表れだと思います。
 今日、普天間高校の生徒会は、バスの無料券を印刷して全校生徒に配り、『みんなで行こう、考えよう』とこの大会への参加を呼びかけてきました。浦添高校の生徒会でも同じことが行われたそうです。そして今、ここにはたくさんの高校生、大学生が集まっています。
 いつまでも米兵におびえ、事故におびえ、危険にさらされながら生活を続けていくのは、私は嫌です。未来の自分の子どもたちにもこんな生活はさせたくありません。
 私は戦争が嫌いです。人を殺すための道具が自分の身の周りにあるのは嫌です。次の世代を担う私たち高校生や大学生、若者の一人ひとりが、嫌なことは嫌と口に出して行動していくことが大事だと思います。若い世代に、新しい沖縄をスタートさせてほしい。沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願います。そのためにも一歩一歩行動していきたい。」
そして、彼女はこう結びます。
 「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください。」
痛切で、揺るぎのない、それだけに私たちの胸を揺さぶり、励ましと勇気を与えてくれる、若者の姿でした。

 


しかし、この訴えは、今もアメリカと日本政府によって踏みにじられ続けています。
そんなとき、この少女(元少女)の姿を、最近たまたまNHKテレビで目にしました。「地方発 ドキュメンタリー」 - 選 基地に消えた 私の村 沖縄“普天間”の戦後 -8月20日放送。

彼女は、挫けることなく、真摯に、誠実に、悩み成長し、行動し、発信しています。そのことが、私になおいっそうの励ましと勇気を与えてくれます。現在の彼女のホームページを発見しましたので、ご紹介します。



最後に、またまた脈絡なく思いだした歌。
「仏桑華 そこには咲くなそこは基地  汝(な)が紅(くれない)は沖縄のもの」 山原健二郎

仏桑華はハイビスカス。
作者の山原健二郎は、高知新聞記者、中学・高校の国語教師を歴任し、史上最年少の公選制教育委員(27歳)に当選。勤評反対闘争で懲戒免職となりますが、日本共産党の県議を経て衆議院議員(10期)。沖縄がアメリカの全面支配下にあった時期から、沖縄に自由と平和を取り戻す運動の先頭に立ちました。この歌は、1970年9月に初めて沖縄を訪れた時に詠んだものです。
当時、沖縄はアメリカの施政権下にあり、渡航するにはパスポートに準ずる「身分証明書」と米国民政府発行の渡航ビザが必要でした。

土佐の夜明け (1971年)

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さるとび日記 (1979年)

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母を恋うる歌―画文集 (1985年)

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  • 出版社/メーカー: 民衆社
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さるとび日記〈新〉 (1983年)

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  • 作者: 山原 健二郎
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わが校長讃歌―勤評をたたかった教師のプロフィール

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赤とんぼと桑畑とムクドリと。 [折々散歩]

「赤とんぼの歌」について、先日も触れました。
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いささか、旧聞に属しますが、2010年3月の朝日新聞日曜版には、「親子で歌い継ぎたい歌」として次のようなアンケート結果が示されています。(朝日新聞 2010年3月20日(土) be2面)
 
① 赤とんぼ         三木露風作詞・山田耕筰作曲、1927年。
② ちいさい秋みつけた  サトウハチロー作詞、中田喜直作曲、1955年。
③ 仰げば尊し       1884年に小学校唱歌に。
④ 荒城の月        土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲、1901年。
⑤ 夕焼小焼        中村雨紅作詞・草川信作曲、1923年。
⑥ 早春賦          吉丸一昌作詞、中田章作曲、1913年。
⑦ 大きな古時計      米国の曲。1962年にNHK[みんなのうた」で紹介され人気に。
⑧ 里の秋          斉藤信夫作詞、海沼実作曲。詩は開戦の年、曲は終戦の年末に発表された。
⑨ かあさんの歌      窪田聡作詞、作曲、1956年。
⑩ 故郷           高野辰之助作詞、岡野貞一作曲、1914年。 
⑪ 夏の思い出
⑫ 朧月夜
⑬ 海
⑭ 春の小川
⑮ 月の砂漠

主権在民の理念に抵触する「君が代」よりは、国民に愛され親しまれている「赤とんぼ」を日本の国歌に、という意見も、説得力がありますね。



「砂川闘争」(1955年から1960年代まで続いた、在日米軍立川飛行場の拡張に反対する住民運動)の際、、警官隊と対峙する住民と支援者館の中から、この、「赤とんぼの歌」がわき起こり、警官達も、ともに口ずさんだというエピソードも、前回紹介しました。
今日の話題は、「砂川闘争」にまつわるもう一つの歌について。
学生時代、仲間達がことあるたびに歌い、八月にひらかれた同窓会でも、自ずと合唱がおこった曲です。

桑畑
作詞 門倉 訣
作曲 関 忠亮
1.桑畑の しげる葉は
  亡き母の 背におわれ
  苗植えた 昔から
  とぶ鳥さえ なじんでたが
2.桑畑は 今荒れて
  爆音は ワラ屋根に
  さける程 たたきつけ
  桑畑は 吹きさらし
3.桑畑は 握りこぶし
  振り上げて ならび起ち
  畑守る この私と
  芽ぐむ春を もとめうたう
4.春になったら 枝を伐り
  かおる葉を カゴにつもう
  むく鳥よ 高く舞い
  このよろこび 告げてくれ

桑の葉を蚕の餌に利用するため、養蚕が盛んな地方では、必ず桑の木が栽培されていました。
古くは、中国の詩人陶淵明の「桃花原記」では、俗界から隔絶した「桃花原」=桃源郷=理想郷に立ち並ぶ農家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しい所だったと記述されています。養蚕と絹織物は、満ち足りて平和な自給自足の村の象徴でもあり、桑畑はその象徴でもあったのです。



桑の実は「マルベリー」と呼ばれ、西洋では、ベリーの中でも最上級の味覚として珍重されるそうですが、厳密には食用の西洋桑と、蚕のエサのにする山桑とは、品種が異なるとか。
しかし、熟した桑の実は、生食しても甘酸っぱく美味ですし、果実酒にもよく会います。かつては、子どもたちの貴重なおやつだったようです。
この写真は、去年の6月、福島県奥会津で見かけたものです。今年、近所で写した画像もあったはずなんですが、見つかりません。失礼。
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「赤とんぼ」の歌にも、「山の畑の桑の実を小篭に摘んだは幻か」と歌われています。

 


蚕の餌として桑の葉を収穫した後の、茎の部分は、姿が握りこぶしに似ているのだそうです。砂川・立川基地のある東京多摩地方には、桑畑が多く、拳を振り上げて立ち並んだ桑の木々の上空を、米軍機は爆音をとどろかせて、我が物顔で行き交ったのでした。

「ムクドリよ高く舞いこの喜び告げてくれ」という結びの歌詞を、私は好きでしたが、ムクドリがどんな鳥かを知ったのは最近のことです。
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これは去年の撮影画像ですが、冬になると、我が家の目の前の電柱や電線にもよくやってきます。

 


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今朝の「これなあに?」 教えて下さい。 [今日の「これなあに」?]

今朝の散歩で出会った小鳥。
スズメとは違う!つもりだったのに、スズメにも見えてくる、、、??
去年までは、職場に「鑑定士」とも「博士」とも「教授」とも「師匠」とも呼びたい専門家が近くにおられたので、いざとなったら画像を示して教えを請うことができたのですが、なにぶん、私が退職してしまいましたので。
図鑑を見ても、ネットで検索しても、識別できません。
オオジュリン、コジュリン、カシラダカ、ホオジロ、オオヨシキリ、コヨシキリ、セッカ、、、。みんな同じに見えて、まるで見分けがつきません。そして、オス、メス、若鳥、成鳥、成鳥、夏羽、冬羽etc.混乱してしまいます。
とりあえず、「可愛い小鳥」と分類しておきましょう。
なお、この写真は、pentax k5Ⅱに、kenkoテレプラス×1.4とF300mm ED4.5(IF)を装着。物々しい三脚座もつけ、コンパクトな一脚を使って、気合いを入れて撮影しました。実は、昨日の場所でカワセミを待ったのですが、待ちぼうけ。代わりに河原のオギ・ススキの中を見え隠れして遊んでいる小鳥に出会ったので、記念撮影。かなり近づいても、逃げずにいてくれました。
画像は、トリミングしています。
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青い鳥に会えました。でも遠い。 [折々散歩]

今朝目覚めると、モズの鳴き声が聞こえてきました。2~3日前、今年のモズに初対面しましたが、カメラをもっていませんでした。もう、そんな季節かと感慨を覚えます。
しばらくしたら、カメラに納めることができるだろうと、胸が踊ります。
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今朝の散歩も自転車で。先日、シラサギを見かけた川へ行ってみました。
今朝の伴侶は、k-10とお手軽ズームのDA55-300。それに、kenkoのテレプラス×1.4を装着して見ました。これで。AFスピードはかなり落ち、多少画質もおちるでしょうが、最大300mm×1.4倍の望遠撮影ができます。35mmサイズのフィルムカメラに換算すれば、300×1.4×1.5=630mmのレンズに匹敵することになります。
本当は、例のF300mm 4.5ED(If)を連れ出したいところですが、K10もかなり重いので、今ひとつ気合いが足りず、軽いシステムで妥協しました。
それが、結局後悔を生む結果になるのですが。
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早朝からよく晴れて、朝日が稲穂や小川の水を照らします。昨日、県北の田舎を通ったときには、すでに稲刈りを終えている田んぼや、今を盛りと黄金色に輝いている田んぼを、多く目にしましたが、こちらの地方はほんの少し遅いようで、やっと色づき始めたところでしょうか。
まさしく「里の秋」の田園風景ですね。
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正面に写っている山のフォルム、いつも気になります。
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今朝も、白鷺たちが優雅に舞いながら朝の漁をしていました。
ちょっと気に入った画像もとれたのですが、その紹介はまたの機会にして、今日の賓客は、、、。
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今朝も、また会えました。一昨日一瞬見かけた杭の先に、どこからか飛んできて、無心に獲物を狙っています。
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満を持して水中にダイビングする様子も、今日は見せてくれたのですが、なにぶん遠くて、鮮明な姿を写せません。
翡翠という宝石があります。ヒスイと読みます。「翡」はカワセミのオスの意味で、「翠」はメスの意味だそうです。ですから、カワセミのことも、漢字で翡翠とも書きます。朝日を浴びて輝くメタリックな光沢。見飽きることがありませんが、まさしく宝石のように、点の小ささにしか写りません。
掲載の写真は、相当トリミングして、大きく見せかけています。
カワセミと雀のツーショット。
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欲張って近づこうとすると、こちらの気配に気づいて、すぐに逃げてしまします。農家の方が、至近距離で作業していても、それは、全く気にしないくせに!
もしも、K5Ⅱと、F300mm 4.5ED(If) に、テレプラスもつけてきていたら、まだマシな絵がとれたでしょうか?
K5Ⅱは、①画素数が大きい、②ISO感度が稼げるので、早いシャッターがきれる、F300mm 4.5ED(If)は、①レンズが明るい、②精細度が高い、③ぼけ味が好ましい、、、などの点で優位かなと思うのですが、まだ実験のチャンスに恵まれません。

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美作は海遠けれど [味覚、食材]

「美作は海遠けれど吉井川---」という歌が、確か吉井勇にあったはずだと思って、ネット検索やら手持ちの書籍やらを探ってみましたが、見つかりません。大衆向けの「吉井勇歌集」に載っていたような古い記憶がぼんやりとあるのですが、最近は自分の記憶に自信が持てません。長塚節の歌だと信じていたものが若山牧水だったり、斎藤茂吉と思い込んでいたら伊藤左千夫だったり、ということが、しょっちゅうあって、ショックを受けています。単に記憶があやふやだというだけでなく、一種の確信を持ってそう思い込んでいたことが、まるで記憶違いであることに気づくことが、しばしばなのです。気づけばまだ救われるのですが、気づかないまま思い込んでいることがどれだけ多いかと思うと、暗澹とした気持ちになります。
ともあれ、「美作は海遠けれど吉井川」と詩にも歌われた(ような気がする)吉井川の、支流の吉野川という川が、私の生まれ故郷を流れています。「四国三郎」と呼ばれるあの吉野川よりは、いくらか小規模ですが、それでも蕩々とした流れは「母なる川」の懐かしさと美しさをたたえています。
私の曾祖父は、この川を往来する「高瀬舟」の船頭を生業としていた由。この高瀬舟は、室町時代以来、物流の中心を担っていたようで、流域には蔵が建ち並んだそうです。現在の林野(女子サッカーの湯郷ベルで全国に知られることになった湯郷の、やや上流の地域。作家の浅野あつこさんの地元でもあります。)は、かつては「倉敷」と呼ばれ、地名的には全国ブランドの「倉敷市」よりも先輩格に当たるようです。
いずれにせよ、「美作は海遠けれど」のフレーズの通り、海産物は稀少品でした。かつて、京の都がそうであったように、生食の魚などは手に入らず、干物や塩漬けの文化が発達したのでしょう。「京の生ダラ」とは、ありそうもないもののたとえで、京では、干ダラや棒ダラの料理が発達したことはよく知られています。
私の故郷でも、子どもの頃には生の鯖などは特別に「無塩(ブエン)」と呼んでいました(広島県北部の知人も同じような回想を漏らしていました)。つまり、鯖は、基本的に「塩鯖」として流通したわけです。
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今日、その故郷の生家に帰ってきました。といいますのは、後期高齢者の父が、先日胃ガンの精密検査を受け、今日その結果を聞いて、今後のことを考えようという訳でした。
この父は、青年時代肋膜(肺結核の一種)を患いましたが、療養の効あって今日まで健康を保ち、年齢以上に壮健でいてくれますが、四年前、胃がんの疑いありとの診断を受け、胃を部分切除しました。組織検査によればがん細胞は発見されず、今日まで経過も順調でしたが、今年の検査で、再度、疑わしい所見が見られたという次第。
結論としては、慌てて対処しなくても良さそうなので、しばらく経過を観察しましょう。ということで、まずはめでたし、でした。
病院からの帰途、美作市の「道の駅」で、名物の鯖寿司を買って帰りました。「名物」というのは、世間一般で認定されているかどうかは知りませんが、たまたま、私の友人の数人が、(別の機会に)揃って推すので、私も何度か買ってみているのです。

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子どもの頃から、鯖寿司は、好きでした。というより、滅多に口にできないご馳走でしたが、お刺身の握り鮨よりは、なじみがありました。そもそも、美作地方の特産品ということになっています。現在では、「新鮮な生鯖を塩と酢でしめて、、、」というグルメなレシピも出回っていますが、塩鯖を塩抜きして、酢でしめるという製法が本来の姿なのでしょう。「海遠ければ」の土地ならではの名産物と言えるでしょう。
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裏山の栗が熟れて、イガごとぼとりと落ちてきています。聞くと、タイミングよく栗拾いしないと、イノシシにすっかり食われてしまうそう。
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固くとがって皮膚に鋭く突き刺さるイガを、上手にかき分けて、「旬」の美味しいところを召し上がるイノシシ殿、噂に違わぬグルメでござるな。ただ、昨今、人間様との異常接近と紛争が頻発している様子、お互いに、住みにくい世になったものですな。
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栗と言えば、童謡「里の秋」が思い出されますね。

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す

さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
今夜も 母さんと 祈ります

wikiには、こう記載されています。
「1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で、引揚援護局のあいさつの後、川田正子の新曲として全国に向けて放送された。
放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。
1番ではふるさとの秋を母親と過ごす様子、2番では夜空の下で遠くにいる父親を思う様子、3番では父親の無事の帰りを願う母子の思いを表現している。」
そして、小学校の教師だった作詞者斎藤信夫が、昭和16年、この「里の秋」のもとになる「星月夜」という作品を書いていたことも紹介されています。

こちらのブログに、詳しい解説がありますので、参照させていただきます。 
http://blogs.yahoo.co.jp/gojukara11/2540856.html

「星月夜」の1・2番は、「里の秋」と全く同じですが、3・4番は、こうなっていたそうです。

 きれいなきれいな 椰子の島 しっかり護って 下さいと 
 ああ父さんの ご武運を 今夜も一人で 祈ります

 大きく大きく なったなら 兵隊さんだよ うれしいな 
 ねえ母さんよ 僕だって 必ずお国を 護ります

日本が、太平洋戦争に突入する時期であったことを反映して、子どもたちに戦意の高揚を煽る内容になっていました。自らもそう固く信じて、子どもたちを戦争に送った教師の一人として、斎藤は深い悔悟にとらえられたと言います。「教え子を再び戦場に送るまい」という、戦後教師の共通の悲願は、この作者の思いでもあったでしょう。
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これは、スーパーとか果物屋さん等では、余り見かけることのない品種の柿です。田舎では「ヤヘイ」と呼んでいましたが、「弥平」さんにちなんだ命名でしょうか?
富有柿などの、ポピュラーな柿に比べて、あっさりしてイヤミのない味。私は子どもの頃から、この柿、好きでした。でも、お隣さんの柿の木なのです。
「桃栗三年、柿八年」のことわざとか、猿蟹合戦等の昔話とか、柿も栗も、生活に密着した果実だったのでしょう。
でも、甘くて上等なフルーツやスゥイーツが容易に口に入る現代、地味な上に手間のかかるこれらの果実は、子どもたちにとってイマイチ人気薄のようですが。


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鵜の目鷹の目白鷺の目 [趣味]

今朝の散歩は、自転車で出かけました。
先日修理した前輪のパンクは、3~4日で空気が抜けてしまいました。パンク箇所がバルブの直近で、穴をふさぎきれなかったのでしょうか?チューブだけでなく、タイヤも劣化してヒビだらけでしたので、思い切ってネット販売でタイヤとチューブを購入し、前輪に取り付けました。さすがに、それ以来空気が抜けることはありません。
3~4kmの道のりでしょうか、徒歩だと少し億劫な距離ですが、自転車だとやはり気安く行ってこられます。
例のガガブタが群生している川面に、今朝は白鷺が猟をしていました。(大抵ここで、その見かけるのですが)
今日は張り切って、PENTAX K5Ⅱに、 F☆300F4.5ED(IF)を装着して行きました。このF☆300F4.5ED(IF)は、フィルム時代のスターレンズでして、重量が880gと私にとってはかなり重い。しかも、今日は、付属の鉄製三脚座も着けて、気合いを入れて出かけたのです。
最近この組み合わせを、私の手持ち中「最強のコンビ」と称するとおり、信頼感がかなり高いのですが、今朝は失敗作の量産。いささか、がっかりでした。

1.オールドレンズの露出の暴れに関して、先回、K-10を「じゃじゃ馬カメラ」とよび、こちらのK5Ⅱを全面評価しましたが、あれは一面的でした。今朝は、K5Ⅱも露出オーバー続出でした。絞りリングはA位置に設定、プログラムオートで絞りとシャッター速度が設定され、適正露出が得られるはず、、、なのに。

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測光方式を、分割測光、中央重点測光、スポット測光のいずれに設定しても、効果は見られません。少なくともデジタルカメラ世代のDAレンズですと、この設定で、はっきりと表現に違いがあらわれるのに。
M42レンズ、Kレンズ,KAレンズ、Fレンズ、FAレンズ、DAレンズと、ペンタックスレンズのいずれの世代のレンズも、未だに実用に耐える、というのは、大きなアドバンテージです。ただ、その世代間の違いをおおざっぱには飲み込んだつもりでも、いざ使う段になると微妙なところで戸惑います。「取扱説明書を読めよ。」ということなのでしょうが。トホホはまだまだ続きます。

2.AFの設定に、「フォーカス優先・レリーズ優先」の切り替えがあるのに気づき、ぴったりピントが合わないとシャッターが切れないことでチャンスを逃すことがあると感じていた私は、今朝は「レリーズ優先」に設定してみました。確かに、フォーカスが迷ったりもたついたりするじれったさもなく、小気味よくシャッターが切れます。マニュアルフォーカスレンズ並みのレスポンスは、かなりの快感です。
が、撮れた画像を見て、がっかり。ピンぼけ写真の量産、、、。手動でピント合わせをするときよりも、もっと歩留まりが低い感じです。
やはり、少々もたついても、「フォーカス優先」に設定すべきだと学びました。



上の二つの失敗を、いくらかでも免れているかと思える写真を貼っておきます。
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体つきや身のこなしの優美さに似合わず、シラサギの目は、さすがに「肉食系」の鋭さ、獰猛さを秘めているようです。特に、獲物を狙う目、見事に捕らえたときの目には、「鵜の目鷹の目」以上の殺気を感じませんか?


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断捨離に 草臥(くたび)れて候 秋の空 [雑話]

「ゴミ屋敷になる」という脅し文句、有形無形の「断捨離圧力」に、日々おびえています。
パソコンゴミ、カメラゴミの多くは、中古ショップでも引き取ってくれず、だいぶ捨てましたが、捨てた後でまた惜しくなって、割高の値段でもう一度買うこともままあります。

 


家族がパソコンを新調したと言っては、古い自作PCを返却してくるので、マザーボードやCPUは古くて使えないかも知れないが、ケースや電源やパーツの中には、使えるものもあるだろうと、結局私の部屋の隅に場所を占めています。でも、これらは、思い切りさえすれば、未練なく捨てる自信はあります。いじって遊びたい欲求が衰えれば、ガラクタに過ぎないですから。
始末に悪いのは、本。高校時代に買ったものから始まって、それぞれに愛着と思い入れのあるこれらも、他の人から見れば無用の長物でしょう。これまでにも、一念発起して、古書店に持ち込んだことはあります。何箱かの段ボール箱に詰め込んだうち、わずか数冊だけについて、合わせて数百円の値がついたものの、他は「お引き取りできません」ときたもんだ。持って帰るのもしゃくなので、「処分しておいて下さい」ということになります。
目の利かぬ世俗の衆生に、宝物の価値を不当に傷つけられたような、屈辱と義憤が入り交じった後味の悪さを感じて、それ以来、いっそ新聞や古雑誌と一緒に、処分しようと決めました。一昔前なら、ティッシュペーパー位には化けたものが、今はそれもないのですが、「断捨離」を言うのなら、いっそさばさばしていいだろう、という理屈です。
大型スーパーの駐車場に、古新聞紙や古雑誌を投げ込むと、重量で商品券と交換できるポイントがつくという「エコステーション」と称するシステムが設置されているので、これを利用することもあります。

 


そうやって何度か決行した廃棄作戦によっても、本棚がいっこうに空かなくて、段ボールに詰まった本が押し入れや廊下を占拠しているのは、確かに気鬱ではあります。開封して、中を整理しようなどと思うと、もはや収拾がつかず、本棚に戻してしまうのが落ちですので、滅多なことでは触れません。
退職後の日々は、そういうものに目をやる機会が多くなります。落ち着いたら読むとして、しばらく段ボール箱につめておいた全集ものを、もう一度本棚に並べてやらないと、読まないままに終わってしまう可能性が現実のものになりつつあります。
というわけで、本棚総入れ替え作戦を、目下展開中ですが、捨てない限り次が入らないというジレンマを持てあまし、さらなる徹底した棄本作戦を実施することにしました。
今朝、件の「エコステーション」に投入してきたところ、六〇ポイントほどがつきました。六〇円分なのでしょうか。果たして、ガソリン代がペイしたでしょうか?
すっかり草臥れました。

断捨離に 草臥れて候 秋の空
「秋の空」か「秋の水」か迷っています。
写真は、「秋の水」ですがね。
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断捨離や キンモクセイの咲き初めて
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例年、10月はじめに咲く我が家のキンモクセイの花が、開いています。花を見て、後で香りに気づきました。まだ早いという思い込みが、香りに気づかせなかったのでしょうか?



断捨離や コスモスの香の天に満つ
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お隣さんに、コスモスの花をいただきました。野原一杯に、咲き乱れ、かぐわしさが胸を満たします。



捨てかねて写真に残す断捨離か
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蔵書リストを作ることもなく、廃棄してしまった本が不憫です。棄書リストでも作るとしましょうか?


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忘れ得ぬ故郷(ふるさと)永遠(とわ)に赤とんぼ [折々散歩]

「赤とんぼ」の歌といえば、これを思い出すのは世代というものでしょうか?

あのねのね 名選集

あのねのね 名選集

  • アーティスト: あのねのね,清水国明,原田伸郎,河島英五,すぎやまこういち,瀬尾一三,東海林修
  • 出版社/メーカー: プライエイド
  • 発売日: 2009/03/25
  • メディア: CD

あのねのねのヤンニャン豪華な大全集(DVD付)あのねのねのヤンニャン豪華な大全集(DVD付)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル シグマ
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: CD

 

 



いえ、もちろん、三木露風作詞、山田耕筰作曲のこの歌が、一番に心に浮かびます。

夕焼、小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か


山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)摘んだは まぼろしか


十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた


夕焼、小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

三木露風は、数え年七歳で母と離れ、可愛がってくれた「姐や」も嫁いでゆき、寂しい幼少年時代を送ります。
この歌について、後に作者自身、こう語っています。

「思ふに、だれにとってもなつかしいのは幼い時の思ひ出であり、また故郷であらう。幼年の時故郷にいない者は稀である。幼年と故郷、それは結合している。であるから、その頃に見たり聞いたりしたことは懐旧の情をそそるとともに、また故郷が誰の胸にも浮かんでくるのである。
 私は多くの思ひ出を持っている。「赤とんぼ」は作った時の気持ちと幼い時にあったことを童謡に表現したのであった。
 「赤とんぼ」の中に姐やとあるのは、子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである。」(露風 「赤とんぼの思ひ出」 『日本童謡全集』 より)

夫の放蕩がもとで離婚し、故郷の愛児と別れて生地の因幡に去ることになった露風の母は、後に、鳥取県の生んだ女性解放運動の先駆者として知られる「碧川かた」と言う女性でした。ウィキペディアの記事


私の場合、「赤とんぼ」の歌というと、倍賞智恵子の透明な歌声が、耳に響きます。私が、初めて買ったLPレコードが、これだったからです。

抒情歌全集(4)赤とんぼ

抒情歌全集(4)赤とんぼ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 1999/11/26
  • メディア: CD

 

倍賞千恵子 抒情歌全集

倍賞千恵子 抒情歌全集

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード KICS-6220
  • 発売日: 2003/03/05
  • メディア: CD

 

倍賞千恵子 全曲集 2014

倍賞千恵子 全曲集 2014

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2013/10/09
  • メディア: CD


「赤とんぼ」の歌にまつわる、次のエピソードも忘れられません。
《「赤とんぼ」には、伝説化した話がある。56(昭和31)年、東京・立川の米軍基地拡張に反対した砂川闘争で、警官隊と立ち向かった学生や農民たちからわき出た歌が「赤とんぼ」だった。「日本人同士がなぜ戦わなければならないのか」と歌声は問いかけた、と伝えられる。
当時、動員された学生は3千人。雨の中、警官隊と肉弾戦となり負傷者が続出した。最後に向き合ったのは学生ら50人と、警官150人だった。「今だから話しましょう」と、全学連の砂川闘争委員長として現地で指揮した政治評論家の森田実さん(75)はこう語る。
「警官があと半歩出れば私たちは負ける状況で、獰猛な相手を人間的な気持ちにさせようとした。勇ましい『民族独立行動隊』を歌えば警官も勢いづける。そこで『赤とんぼ』を選び、日没までの30分、繰り返し歌った。警官隊は突撃して来なかった。私たちは人道主義で戦った。警官にも純粋な気持ちがあった」
母のぬくもりを懐かしみ、郷愁を誘う「赤とんぼ」は、自らの人間性を思い出させる歌でもあった。この美しい感性を、日本人は持ち続けられるだろうか。
「赤とんぼ みな母探す ごとくゆく」(畑谷淳二)》(朝日新聞2008.9.20記事)



ちなみに、「民族独立行動隊」は、こんな歌詞。
民族独立行動隊
【作詞】 きしあきら(山岸一章)
【作曲】 岡田 和夫
1.民族の自由を守れ
  決起せよ南部(祖国)の労働者
  栄えある革命の伝統を守れ
   血潮には 正義の血潮もて 叩き出せ
   民族の敵 国を売る 犬どもを
   進め 進め 団結固く
   民族独立行動隊 前へ前へ 進め

2.民族独立勝ち取れ
  ふるさと南部工業地帯
  再び焼け土の原と化すな
   暴力(ちから)には 団結の実力(ちから)もて 叩き出せ
   民族の敵 国を売る 犬どもを
   進め 進め 団結固く
   民族独立行動隊 前へ前へ 進め

1950年、朝鮮戦争の勃発にともない、占領下の日本は全土をアメリカの前線基地とされ、抵抗する人々は、職場や公職から追放(レッドパージ)されるなどの弾圧を受けました。
その年の11月、国鉄大井工場を追われた山岸一章(後に作家)は、32メートルの煙突に登り抗議の意志を示します。地上では3000人の支援集会が開かれ、当初「ラ・マルセイエーズ」の歌が歌われましたが、山岸は「日本のマルセイエーズを」と煙突上で即興でこの歌を作詞し、直ちに岡田和夫(後に作曲家)が作曲して合唱されたと言います。

の歌は、その後労働運動・平和運動のなかで歌い継がれます。20年以上後の、私たちの学生時代にも、愛唱された歌の一つでした。小説家としての彼の作品
は、「黙秘」「赤い月が昇る」「逆流わが面を洗え」「聳ゆるマスト」等を読みました。敢えてセンチメンタリズムを廃した、骨太の作風は、小気味よい魅力を
湛えていました。

またまたユーチューブ 初音ミクさんの歌

巡音ルカさんの歌。

舌足らずだけれど胸を打つものがありますね。
 



国民主権と相反する「君が代」に代わる国歌として、この「赤とんぼ」こそ、筆頭の候補ではないかと、主張する友人がいます。納得しながらも、「ラマルセイエーズ」のような、勇気と希望を鼓舞する面もほしいかなと思ったり、いややはり、たとえセンチメンタルと見えても、「自らの人間性」「美しい感性」こそ私たちの守り続けるべき宝だよね、と思いかえしたりしています。
   
アキアカネでしょうか、ナツアカネでしょうか?
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ヒョウモンチョウ?
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これも虫の仲間?蜥蜴も、金蛇も、名前に虫へんがつきます。
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ちょっと来い ちょっと来いとて 藪のなか [折々散歩]

今朝は、朝食前に、玉野市深山公園を散歩し、道の駅で野菜・果物を買って帰りました。
深山公園はここ何ヶ月も(一年以上?)イノシシの出没を警戒して、平地の開けた遊歩道以外は、ほとんど立ち入り禁止にされています。実際、あちこちに、イノシシが掘り返して餌を漁ったらしい跡が無数に残っていて、その掘り跡も真新しく生々しいので、敢えて山深く立ち入ってみようとは思わないのです。
でも、そのために、バードウォッチの対象も自ずと制限されて、ヤマガラ、シジュウカラ、コゲラといったなじみ深い鳥以外には、なかなか会える機会がなくなったような気がします。会えたからと言って、首尾よくカメラに納めることができるかどうかは別問題ですが、、、。
そんなわけで、今日も、「鳥撮り」は多くを望まず、むしろ秋の植物やら昆虫やらを写せたら満足することにして、一応カメラは持って歩きました。
ドングリの実も大きくなりました。もう少し冷え込めば、黄金色に変わるでしょう。
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これは先日も紹介した辛夷の実。真っ赤に熟した種子がわずかにのぞいています。
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棗の実もすっかり色づき始めています。。
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これは、イヌサフランの花。「薬草園」に栽培されています。
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ムラサキシキブの実。これはコムラサキというのでしょうか?
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紫式部と言えば、藤原道長の娘で一条天皇の中宮彰子に使えた女房で、『源氏物語』の作者。その紫色の優美さからそう名付けられたものらしい。一説には、「むらさきしきみ(紫敷き実)」や「むらさきしげみ(紫茂実)」が訛ったものも言われるそうです。


この蝶は「ヒメウラナミジャノメ」ですか?
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美しい「蛇の目」がはっきり見てとれます。
このバッタ。何齢幼虫というのでしょうか?まだ世に出たばかりのあどけなさが漂います。
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さて、今日の賓客は。
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何やら見慣れぬ鳥のように思えてカメラを向けましたが、遠くの藪陰ですので、すぐに見失います。
何枚も連写して、まず被写体が識別できそうなのがこの写真です。
きょうは、お手軽ズームのDA50-300(訂正DAL50-300です、私は上級機のDA50-300は、持っていません)だけを持ち歩いていましたので、測距ものんびりもたつきますし、コントラストのはっきりしない被写体だと、すぐに見失って,シャッターチャンスを失ってしまいます。こんな時はもっと有能なレンズを欲しくなります。『鳥撮りは泥沼の金食い虫』と言われるゆえんですね。
ヤマドリ?それともキジ?調べてみましたが、どうもコジュケイのようですね?
確かに「ちょっと来い ちょっと来い」という鳴き声を聞いたと、妻が申します。
こんなページを参照させていただきました。
http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/93.html
http://www.youtube.com/watch?v=IJIy6BaBJK8


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何らかの恩寵なるべし空の青 [折々散歩]

台風19号の影響は懸念されますが、今のところ、こちらでは澄み切った秋空を堪能できます。
この青色は、それだけで、何らかの恩寵、福音、ご褒美に違いないと思えるほどです。
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稲田も、この地方では一般にまだ緑色ですが、穂が豊かに垂れて収穫の時期を待っています。

この季節、どこでも咲いているニラの花です。個々の花もよく見ると、精緻な美しさを帯びていますが、こうして群れて咲くと、第一級の「花園」のようです。
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これまた目を惹く可憐なこの花は、インゲン豆の花のようです。
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獲物を狙うアオサギ。快適な天候のせいでしょうか、何やら上機嫌で、すまし顔です。
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久しぶりに会いました。というか、最近も時々は見かけてはいるのですが、一瞬のすれ違いばかり。カメラを向けるゆとりのある出会いは、しばらくぶりです。ただ、残念なことに、望遠向きの「装備」を省略して軽量モードで散歩していました。
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olympusE420に、sigma50-200mmというお手軽レンズと、テレコンバーターを着けて、軽さ・コンパクトさを優先させると、どうしても、こういう遠くの動く対象物には不向きになってしまいます。
(お断り:先日、標準レンズに続いてボディ、落下により破損したE420は、仕様を断念して、しばらく使っていなかったE410を復活させて使い続ける決心でしたが、やはり、どうも使い心地が良くなくて失敗が目立ちますので、業を煮やし、ヤフオクで標準レンズ付きのe420を、1万○千円で購入してしましました。修理代と天秤に掛けると、納得のゆく出費と、自分を慰めています。標準レンズと、マクロレンズを使う分には、ほぼ満足できるのですが、手持ちレンズの限界もあって、望遠撮影は高い期待ができません。)

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最近、何回か続けて熱を出している末の孫。この前、公園ではしゃいだ後にも、また熱を出したようです。それなのにまた、性懲りもなく遊びたがるので、おつきあいしましたが、エネルギー満タン。、じじばばはとてもついて行けません。
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以上は、昨日の記録。
きょうは、秋晴れのもと、小学校の運動会でした。
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日射も紫外線も強く、ほんの短時間で皮膚が赤くなるほどでしたが、空は抜けるように青く、日陰はさわやか。ほんとうにしのぎやすくなりました。
台風被害の復旧も途上という地方の方には、申し訳ない話ですが、とりあえず平凡な秋の日の記録として残しておきます。
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十六夜の蘊蓄 [今日の暦]

月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月 読み人知らず
この歌には月が8個読み込まれ、八月の月こそ最上だと洒落ています。
旧暦では、七・八・九月が秋で、それぞれ、初秋(ショシュウ)・中秋(チュウシュウ)・晩秋(バンシュウ)、あるいは、孟秋(モウシュウ)・仲秋(チュウシュウ)・季秋(キシュウ)とも呼びます。 
ちなみに、中国では、兄弟を年齢の上の者から順に孟・仲・叔・季といいいます。また、男兄弟のみの場合は伯・仲・叔・季といいいます。勢力が「伯仲する」というのは、長兄と次兄の力が互角であることから用いられた熟語です。また、父母の兄弟姉妹を、「おじ」「おば」と呼びますが、漢字で書く場合には、年上の「おじ・おば」を「伯父・伯母」と、年下の「おじ・おば」を「叔父・叔母」と書き分けるのも、ここに由来しています。
「季」は、末っ子のことで、人名でも、文芸評論家の青野季吉(あおのすえきち)の例のごとく、この字を「すえ」と読むのは、この故です。


新暦では約一月遅れて、八・九・十月が秋とされますから、「中秋」「仲秋」は九月。その満月を、「中秋の名月」として愛でる習慣は古くからありました。
ちょうど昨夜がそれにあたり、今年は快晴で見事な月を堪能することができました。
いくつかのカメラとレンズでの組み合わせで、いろいろ写してみましたが、結局、サマになったのはこの程度でした。
15ya_img0536.jpg
  ↑(この画像の貼り付けに再三失敗していましたので、新たにアップします。画像は、大幅にトリミングしています。他の月の画像も同様。最終訂正9/21am8:15)
これは、PENTAXK5Ⅱに、TAMRON SP 500mm F8 というレフレックスレンズ(ミラーレンズ)をつけて、手動ピント合わせで撮影しました。三脚は使わず手持ち撮影ですが、「手ぶれ補正」「ISO感度の高さ」が有利に働いて、他の組み合わせをしのぎました。


意外に健闘したのが、コンパクトカメラのpentax x-5。一万円そこそこのカメラで、これくらい写れば満足です。
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昨夜は、名月に誘われて、孫たちからお呼びがあり、しばらく月見の散歩としゃれた後、月見団子をごちそうになりました。我ながら、風流ですな。
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さて、秋の夜長、名月にちなんで、長広舌の蘊蓄話を一席。
まずは、中国、唐代の代表的詩人、「詩聖」=杜甫の詩から。

月 夜 (げつや)  杜甫
今 夜 鄜 州 月
閨 中 只 独 看
遥 憐 小 児 女
未 解 憶 長 安
香 霧 雲 鬟 湿
清 輝 玉 臂 寒
何 時 倚 虚 幌
双 照 涙 痕 乾

【書き下し文】
月 夜 (げつや)  杜甫
今夜、鄜州(ふしゅう)の月
閨中(けいちゅう)只だ独り看(み)るらん
遙かに憐れむ小児女(しょうじじょ)の
未だ長安を憶ふを解せざるを
香霧、雲髪(うんかん)、湿(うるお)ひ
清輝、玉臂(ぎょくひ)寒からん
何れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り
双(なら)び照らされて涙痕(るいこん)乾かん

【口語訳】
月 夜  杜甫
今夜は、鄜州の空に浮かぶ月を
妻は独りで寝室から見ていることだろう。
私は遙か遠くに残してきた幼子が、
政変に巻き込まれて、長安にいる私の身を案じることも、(幼すぎて)理解できないのを不憫に思っている。
かぐわしい夜の霧は、妻の髪をしっとりとぬらし
月の清らかな明かりは、妻の美しい腕を冷たく照らしているだろう。
いつになったら、ともにカーテンに寄り添って
二人並んで月の光に照らされながら、(別離生活のために流している)涙を乾かすことができるだろうか。


杜甫にはまた、離れて暮らす弟を思う詩もあります。
月夜憶舎弟     杜甫
戍鼓断人行     
辺秋一雁声     
露従今夜白     
月是故郷明     
有弟皆分散     
無家問死生     
寄書長不達     
況乃未休兵     
【書き下し文】
月夜に舎弟を憶ふ 杜 甫
戍鼓(じゅうこ) 人行(じんこう)断(た)え
辺秋(へんしゅう) 一雁(いちがん)の声
露は今夜より白く
月は是(これ)故郷の明(あか)り
弟有(あ)れど皆(みな)分散し
家の死生(しせい)を問うべき無し
書を寄(よ)するも長く達せず
況(いわ)んや乃(すなわ)ち兵を休(や)めざるをや

【解釈】
月夜に弟を思う 杜甫
兵鼓が鳴ると 人通りは絶え
辺塞の秋空に 一羽の雁の声がする
白露節を過ぎ 夜露はいっそう白くなり
月影だけが 故郷と変わらぬ清らかさ
弟はいても みなちりぢりとなり
生死を尋ねる 手がかりもない
便りを出しても 届いたかわからず
まして兵乱は 止むことなくつづいている

月は、遠く故郷や家族を思い出させるものとして、描かれることが多いのです。


つづいては、同時代の詩人、李白。李白は、その豪放磊落な詩風と浮き世離れした生き方から、「詩仙」と呼ばれて敬愛されました。

静夜思 李白
牀前看月光
疑是地上霜
舉頭望明月
低頭思故鄕

【書き下し文】
静夜思 李白
牀前月光を看る
疑ふらくは 是れ  地上の霜かと
頭(かうべ)を舉(あ)げては  明月を 望み
頭(かうべ)を低(た)れては  故鄕を 思ふ

【解釈】
静かな夜の物思い 李白
ベッドの前で月の光を見ている。
銀色に冷たく輝くその光は 地上に降りた霜かとふと疑うほどだよ。
顔を上げて 天に輝く 明るく美しい月を望み見る。
(月の光は私に故郷を思い出させるので)、私はうなだれて、遠く離れた故郷を思うよ。

酒を愛し、月を愛した李白は、その最期を伝える伝説も、浮世離れしています。澄みきった夜空の下で長江に舟を浮かべ、錦の衣に身をまとって酒を飲んでいた李白は、水面に映る月影に魅せられ、これを掴もうとして、川の中に落ちて溺死したと伝えられています。


次も同時代の詩人白居易(白楽天)の詩です。

八月十五日夜禁中独直対月憶元九(白居易)
銀台金闕夕沈沈 独宿相思在翰林
三五夜中新月色 二千里外故人心
渚宮東面煙波冷 浴殿西頭鐘漏深
猶恐清光不同見 江陵卑湿足秋陰

【書き下し文】
八月十五日夜 禁中に独り直し 月に対して元九を憶う 白居易(白楽天)
銀台 金闕 夕沈沈たり
独宿 相思うて 翰林に在り
三五夜中 新月の色
二千里外 故人の心
渚宮の東面には煙波冷かならん
浴殿の西頭には鐘漏深し
猶恐る 清光 同じくは見ざるを
江陵は卑湿にして 秋陰足る

【解釈】
銀の楼台も、黄金づくりの宮殿も、日が落ちて静まりかえっている。
私は独り翰林院に宿直して、君のことを想っている。
今出たばかりの十五夜の月の色を、
二千里の彼方にいる旧友の君も、同じ思いで眺めているだろう。
君がいる江陵の渚宮の東面では川面に夜霧が立ちこめて、冷ややかなのだろう。
私のいる宮中の浴殿の西側では時を告げる鐘の音や水時計のしたたる音が深く響いている。
私は、君がこの清らかな月の光を、私と同じように見ていないのではと気がかりだ。
江陵は土地が低く湿気が多くて、秋空は曇りがちだと聞いているから。

作者は「禁中」(宮中)に直(とのい)つまり、宿直勤務し、月を見ながら旧友を遠く思っているのです。「元九」は「元稹(ゲンシン)」白楽天の親友です。九は一族中の年齢による順による呼び方(排行)によるもので、元氏の9番目の男子というほどの意。このとき、元稹は、江陵に左遷されていました。「三五夜中」は、三五=十五という九九に基づく言葉遊びです。
白居易(白楽天)は、中国以上に平安時代以来の日本で人気が高く、「和漢朗詠集」にも取られて好んで朗唱されました。源氏物語にも、源氏が十五夜の月を見ながら「二千里外故人心」と口ずさむ場面が出てきます。(『須磨』)
私が高校時代の学習参考書に、杜甫と白楽天とが相撲を取って、どっちが勝った?というなぞなぞが紹介されていました。答えは、「ハッキョイ残った」で白居易の勝ち。チョー親父ギャグですが、「サムーイ」と冷笑を浴びせられることもない、おおらかな時代でした。


次も唐の詩人、岑参の作品。
磧中作 岑参
走馬西来欲到天
辞家見月両回円
今夜不知何処宿
平沙万里絶人煙

【書き下し文】
磧中の作
馬を走らせて西来(にしのかた) 天に到らんと欲す
家を辞して月の両回 円(まどか)なるを見る
今夜 知らず 何れの処にか宿せん
平沙万里 人煙を絶つ

【解釈】
砂漠の中で作った詩
馬を走らせて西に向かい、遙か天に到達しそうだ
家を出発してから、月が二度も満月になるのを見た
今夜は、砂漠の中、どこに野営することになるかもわからない
広大な砂漠は、万里の彼方まで、見渡す限り人の営みの気配すらない。

作者は、辺境の地である塞外(万里の長城の外側)に長く勤務し、その実景・実感を詩に残しました。このような、辺境の地に材を取る詩を辺塞詩と呼びます。この詩においてもまた、作者は、都から遠く離れ、異民族とのトラブルが絶えない西域地方に、官命を帯びて赴くのです。人家の影すらない、広漠とした砂漠の中を、何ヶ月も、孤独で不安な旅を続けながら、月の満ち欠けを深い感慨とともに眺め見ているのですが、さて、荒涼たる砂漠を照らす満月の光は、どのようなものなのでしょうか。私の想像の及ぶところではありません。


芭蕉の句にも名月を詠んだものは少なくありません。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」

「池」は芭蕉庵にあった古池。蛙が飛び込んだのも、この池だそうです。「夜もすがら」は、一晩中。飽きることなく月に見ほれて池の周りを散策する。誠に風流ですな。

弟子の向井去来の句についての芭蕉の言説もよく知られているでしょう。
「『岩鼻やここにもひとり月の客』(去来)。先師上洛の時、去来曰く『洒堂はこの句を月の猿と申し侍れど、予は客勝りなんと申す。いかが侍るや』先師曰く『猿とは何事ぞ。汝、この句をいかにおもひて作せるや』去来曰く『明月に乗じ、山野を吟歩し侍るに、岩頭又一人の騒客(風流人)を見付けたる。』と申す。先師曰く「ここにもひとり月の客、と己と名乗り出づらんこそ、幾ばくの風流ならん。ただ自称の句となすべし。この句は我も珍重して、笈の小文に書き入れける』となん。予が趣向は猶ニ三等もくだり侍りなん。先師の意を以て見れば、少しの狂者の感もあるにや」(『去来抄』 )

「月の猿」とは、決してふざけたものではありません。漢詩文や、絵画にはしばしば描かれてきた取り合わせなのです。その意味では、ある種「ベタ」な着想であり、それ故芭蕉は「猿とは何事ぞ」と斬って捨てます。
去来の句は、月を愛でて吟歩していると、岩頭に同じような風流人を見つけて、共感を覚えたというもの。だが、芭蕉の言うように、これを自称の句とすれば、月に魅入られた作者自らが、岩鼻から天の月に向かって「ここにもひとり月の客が居りますよ」と呼びかけていることになり、風流の様がいっそう際だつというのです。


月が、人を物狂おしくさせる場合があるというのは、万国共通なのでしょうか?ラテン語に起源を持つ「ルナ」という語が、”狂気”に関わる派生語を種々生んでいるのは、「狼男」の伝説も、思い出されておもしろいことです。
ユーチューブでこんなものを見つけました
www.youtube.com/watch?v=iI8uiQAXOZE

『バンパイヤ』は、手塚治虫が『週刊少年サンデー』(小学館)及び『少年ブック』(集英社)に連載した漫画作品です。特撮テレビ番組化もされ、主人公役は、あの水谷豊が演じています。

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一夜経過して、今夜は十六夜。月の出が遅れて、ためらっているように思えることから、「ためらう」という意味の「いざよふ」にちなんで、「いざよひ」と詠みます。
阿仏尼の書いた『十六夜日記』は、女流日記の系譜の中では異色で、所領相続を巡る紛争の解決のために、鎌倉幕府に訴訟を起こし、京から鎌倉まで赴くという道中記です。題名は、10月16日に旅が始まったことから、後世になって名付けられたよし。直接、十六夜の月には関係なかったですね。
明日の十七夜は、もう少し月の出が遅れるので、立って待つから「立ち待ち月」。明後日の十八夜は、さらに遅れるので座って待つ「居待ち月」。続く十九夜は、寝て待つ「寝待ち月」、、、。
「十六夜の蘊蓄」というタイトルに合致するのは、この数行だけでした。失礼。
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この写真は、今夜の十六夜の月。その気で見れば、少し欠けていますかね。

pentaxk5-Ⅱに、smc PENTAX-F ☆ 300mm F4.5 EDの最強コンビ。これも手持ち撮影。古い機種とはいえ、さすが、スターレンズの写りは鮮明ですね。AF精度も、無問題でしょうか。

 

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もっと 今日の「これなあに?」 [今日の「これなあに」?]

先日、岡山市と玉野市に接する児島湖の、堤防付近を歩いてみますと、こんな木の実がなっていました。
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去年もぎ取って持ち帰っていたものが、外皮が落ちて堅い殻が残りました。
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野生の胡桃です。
胡桃は,秋の季語ですが、未熟なまだ青いものを青胡桃といい、夏の季語だそうです。
「青胡桃雲にちかぢか学ぶ子等」 中村草田男『万緑』



広く食用に販売されているものは、栽培品種の「菓子グルミ」という品種だそうで、外殻が比較的柔らかくて、容易に割ることができます。この写真の胡桃は、殻が非常に固く、ハンマーでたたいても上手に割れず、一苦労です。日本に自生するのは、オニグルミとヒメグルミの2種類だそうですが、これは、オニグルミでしょうか?
クルミには、上質なポリフェノールが含まれるなど、アンチエイジ食品として注目されているとか。以前、ネット販売で、「ヒメグルミ」を取り寄せ購入したことがありました。小粒ながら濃厚な旨味が口に広がりますが、何しろ殻を割って白い実を取り出すのに大変苦労し、リピータ-にはならずじまいでした。
写真の胡桃は、食用に適するかの確信がもてませんので、まだ口にしていません。



さて、次の写真は、玉野市深山公園で、8/17に撮影したもの。
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サワグルミ(沢胡桃)です。別名 カワグルミ、フジグルミ、ヤマギリとも言うそうで、世界一小さい実をつけるクルミ。直径1cm未満の実を、藤の花ような花序に、無数に実らせます。今年は、格別な酷暑のせいか、多少痛みが目立ちますが、30mのもなる高木に、たわわに花序が垂れ下がる様は、絵になります。残念ながらこの実は食用にはなりませんが、染料になるそうです。

本家の胡桃の方も、アクが強いので、草木染めに用いると、味わいのある色になるそうです。


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またまた 今日の「これなあに?」 [折々散歩]

草陰に潜むこれなあに?
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おなじみイトトンボ。目玉が、愛くるしいですね。
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イノコズチの葉に止まっています。
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擬態?カモフラージュ?これなあに?
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個体は違いますが、真正面から見ると、
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横から見れば、見慣れたトノサマバッタ。仮面ライダー1号、2号のモデル。英語でGRASSHOPPER、伊坂幸太郎の小説に『グラスホッパー』があります。

題名の由来を、作者はここhttp://www.kadokawa.co.jp/sp/200407-07/cts03_2.html でこう語っています。

――タイトルに関してお聞きしたいんですが、いつ「グラスホッパー」というタイトルを思いつかれたのでしょうか?
伊坂 槿が「飛びバッタ」に関して言及しているシーンがあるんですけど、その現象というのが僕にとってすごい興味深くて。
――バッタが黒く凶暴になってしまう、というやつですよね。
伊坂 そうです。「飛びバッタ」の話を聞いたときに、それは人間にも適用されるんじゃないかっていう思いはあったんですよ。その時から、「飛びバッタ」っていうのをいつか作品に盛り込みたいと思ってて。その時に「バッタって、そういえばグラスホッパーっていうよな」と思って。「グラスホッパー」って、音の響き的にすごくいいじゃないですか。ポップな感じもするし。
――じゃあ、当初から「グラスホッパー」っていうタイトルは……。
伊坂 あったんですよ。殺し屋の話=「グラスホッパー」っていうのは、ずっと僕の中ではあったんですよね。


バッタは密集した環境で育つと、黒くて、翅が長くて、猛々しい飛びバッタとなるといいいます。また、生物界では、人間のように個体同士が接近して生活する動物は珍しいとも。密集して生きる我々人間は、生物界でもまれなほど、怒り、憤懣、苛立ちなどが醸成されやすい環境にあり、それが臨界点を超えたとき、凶暴な行動へと突き動かされるのかも知れません。その象徴的なあらわれが、作品中の裏社会なのか?

「どんな動物でも密集して暮らしていけば、種類が変わっていく。黒くなり、慌ただしくなり、凶暴になる。気づけば飛びバッタ、だ」(伊坂幸太郎『グラスホッパー』より)



じゃじゃ馬カメラもまた楽し [趣味]

私のコンセプトはけちけち路線です。
でも子供の頃に教えられた「安物買いの銭失い」の格言通りの失敗を、繰り返しても懲りることなく、後悔の連続です。こんなことなら思い切って、最初から、上等なものを張り込んでおいた方が、ストレスも後悔も少なかろう、と思って、清水の舞台から飛んだつもりで買ったカメラが、新製品の頃のpentax Z-1。レンズの予算まではなかったので、手持ちのものを流用する事で、満足しておりました。





それまで使っていた、AF機2代目のSF7という機種は、AF黎明期ならではのおっとり動作を許してさえやれば、コストパフォーマンスの高い機種だったと思います。でも、AFが効くというだけで、特に動体等に対しては測距スピードが追いつかないことに、いらいらすることも多く、何かとフラストレーションと不満が蓄積しました。
高速シャッタースピード、高速連写、AF性能の向上、ーズーム(使いませんでしたが)、ハイパーマニュアル露出、等々魅力的な宣伝文句に負けて、財布をはたいて、購入。PENTAXとしては、ちょっと大柄ですが、とても所有欲を満たしてくれる「名機」でした。あのままで、デジタル機が出たら、欲しいなと、本気で思います。





ところが、このZ-1、自動車に乗せて、キーロックをしないまま駐車中、カメラバッグごと盗難にあってしましました。涙!当時乗っていた車は、「集中ドアロック」という、今ではごく普遍的な機能がついていない車で、運転席・助手席のロックは確かめて車外に出たのですが、うっかり後部座席のキーロックを確かめ忘れたのでした。確か、1990年代の初め頃ことでした。
「羮に懲りて膾を吹く」ではありませんが、それ以来、高級機に手を出さないけちけち路線をつらぬいてきました。そして、車の買い換えに当たっては、「集中ドアロック」を最優先条件にしました。
その後は普及機のz10や、後のmzシリーズの中古を使って満足していましたが、たまたま、Canon EOS10という機種がキタム○カメラに中古で出ているのを見つけ、望遠ズームレンズとセットで手に入れました。コンパクトカメラは別として、私が所有したCANON一眼機は、これ一台。大変よくできた「ハイテク」機でした。





ただ、でかい、持ち歩くには大仰、電池の消耗が早い(個体のせいかどうかはわかりませんが)など、欠点も気になりはじめ、グリップ部、マウント部を始めプラスチック造りの脆弱さも不安で、レンズが損傷したのをシオに、ドナドナとなりました。それ以来、CANON機、NIKON機に心が傾くこともしばしばですが、なぜかまだ手を出してはいません。
それからずっと後、ハ-○オフで、Z-1(Z-1pか?)の中古が¥28,000で出ているのを見つけ、衝動買いし、大変満足して、常用していましたが、あるとき、落下させ、上部液晶割れを起こしてしましました。液晶に情報が表示されるという「ハイテク」機構が仇となったわけです。修理費をつぎ込む元気もなく、「おもちゃ箱」に眠っています)。そうこうするうちに銀塩(フィルム)時代は終わりを告げようとしていましたが、性懲りもなくネットオークションでZ-1の後継機、弟機に当たるZ-5pをゲット、MZ3の中古機とともに、今も時々持ち出しています。ただ、フィルムの購入、現像、焼き付けの費用と手間を思うと気持ちが萎え、ついつい蔵の奥深くしまい込んで居るのが現状です。
ですが、前にも書いたように、そのけちけち路線の掟を踏み破って、この春、退職記念にK5Ⅱ(これを高級機というのはおこがましいか?)を思い切って買いました。AFスピードにおいては、一般には高評価ながら、実感は「ペンタックスとしては」という注釈が必要かというレベル?迷い始めると収拾がつかず、シャッターチャンスに間に合いません。レンズに依拠する面も大きいのかもしれません。
その点をのぞけば、操作性といい、写りといい、さすがにたいしたもので、自分の腕が上がったかと錯覚するほど、ボツ写真が格段に減りました。静かなシャッター音も快適で、調子に乗って思わぬ枚数を写してしまい、パソコンに取り込んだまま、閲覧・編集が間に合わない状況が続いています。
それまでメインで使っていたのはK-mという家庭の「ママ」を意識して発売したと言われる、軽量・簡単操作の普及機。これも、istシリーズに比べると満足感の高い製品ですが、ケーブルスイッチ(レリーズケーブルが使えない、スーパーインポーズ(合焦表示ランプ)がないetc.いつも困るわけではないけれど、いざというときがっかりすることもあります。ほぼ同じような使い方をしているOlympus E410・E420には備わっているだけに、がっかり感が沈殿するのです。





ただ、K5Ⅱに比べると、Kmは小さくて軽い。これは、無視できないアドバンテージです。その意味で、Kmの出番は、まだまだあるはず。そして、OlympusE4**の出番も。もっと軽くてコンパクトという魅力に負けて、マイクロフォーサーズにも手を出しながら、レンズを揃える余力がなくて、手持ちの他企画レンズをアダプタで装着する遊びも、行き着くところを知りません。
これだけでも、その日の「コーディネイト」に悩むのですが、もう一つの「大物」の話題が、今日の本題なのです。
いや長いマクラでした。



デジタル時代のPENTAX社の「救いの神」は、言わずと知れた?K10D。ずーっと欲しかった。でも、私にとっては、でかい、重い、物々しい、、私がPENTAXを選んできた対局にあるようなカメラと言ってもいいでしょう。





141.5x101x70 mm、重量710 g。これだけでも、私の選択肢から外れるというか、外してきたのですが、マニュアルレンズを装着した場合のファインダーの視認性(ピントあわせのやりやすさ)を考えたとき、随一のようなので、(昔のフィルムカメラ時代のファインダーがなつかしい)、迷ったあげく中古で購入してしまいました。実は、k5Ⅱを買う決断がつく前の時点での、衝動買いでした。ヤフオクのお世話になりましたが、納得のゆく買い物でした。
狙いは、オールドマニュアルレンズの使用と、それから、最近、退職記念(こればっかり!)で思い切って大枚をはたいて中古で買ったF300/4.5ED(IF) ☆(あこがれのスターレンズです。ただ、世代は古い。)のためのボディとして使いたいという点。


だが、よく考えて行動しなくっちゃね。第一の狙い、OLDレンズを使うためには、ピント合わせもさることながら露出に苦労するのです。pentaxのレンズには、m42(スクリューマウント)、Kマウント、KAマウント、KAFマウント(1~3)と世代的に違いがあって、m42(スクリューマウント)は形状も異なりますのでマウントアダプタの装着が必要となりますが、それ以降のマウントは、形状的には同じバヨネット式ですので、すべて装着は可能です。
ただ、KAマウントは、全くのマニュアル露光が必要、KAマウントのレンズは、絞りリングにA位置があり、ボディ側から絞りを制御する等の違いがあります。また最近のDAレンズは絞りリングを持たず、ボディによる制御が基本となっています。
さて、k10で、oldレンズを使うとき、露光を適切に制御することは、意外にむずかしいのです。「K10DにKマウントレンズを組み合わせ、Mモードで絞りリングをA以外で撮影した場合、グリーンボタンを押せばシャッタースピードが変化し、適正露出を得ることができる。」はずですが、「露出に誤差が生じることがある」ことはメーカーも認めています。
絞りリリングにA位置があるレンズでは、すべての撮影モードで「使用できます」と説明されていますが、実際には、こんな露出オーバーの画像が量産されてしまいます。わたしがこの機種で専用に使いたかったF300/4.5ED(IF) ☆ は、A位置ではこんなになってしまいます。がっかり。
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絞りリングのA位置を外して、たとえば開放の4.5に設定すると、ほぼ適正露出になるのですが、、、。
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他の絞り値に合わせても、絞りリングは効いている様子がありません。
ちなみにこのレンズを、k5Ⅱに装着しても、Kmに着けても、絞りリングは正しく機能しているようです。
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これはKmで撮影。

逆に、k10に、DAレンズを装着した場合も、問題なく適正な露光を得られます。
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これは故障なのでしょうか、「仕様」なのでしょうか、それとも、個体の個性なのでしょうか?

ただ、露光もピントもばっちり決まったときの画像は、ほれぼれするほどの雰囲気を持っていますので、まだまだ使ってみたいカメラです。
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舞へ舞へかたつぶり 秋の雨に濡れたとて [折々散歩]

9月15日、アッシーの手待ち時間に、秋雨の後楽園外周遊歩道を、傘を差して散歩してみました。
「これなあに?」と問うまでもありませんか?
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童謡にも歌われるとおり、一般に「デンデンムシ」とも、「カタツムリ」呼ばれますが、地方によるとデデムシとももナメクジとも呼ばれるそうです。
民俗学者柳田国男は「蝸牛考」(かぎゅうこう) で、地方による呼び方のちがいを全国的に調べ、その分布が、京の都を中心とする同心円状に広がっていることを明らかにし、「方言周圏説」をとなえました。以下、wikiの要約を引用します。

近畿地方 デデムシ 最も新しい
中部地方・中国地方など マイマイ 新しい
関東・四国 カタツムリ 中間
東北地方・九州 ツブリ 古い
東北地方の北部・九州の西部 ナメクジ 最も古い
そして、この事実を一般化して、(カタツムリの名称に限らず)一般に方言というものは時代に応じて京都で使われていた語形が地方に向かって同心円状に伝播していった結果として形成されたものなのではないかとする方言周圏論を展開した。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%B8%E7%89%9B%E8%80%83

都ではすでに廃れた古語の名残りが、地方に残っている例も、ここから説明できそうです。
「きょーてー」(岡山弁)-「けうとし」の転。
「いぶせー」(広島弁)-「いぶせし」の転。
「いぬる」「しぬる」(岡山弁)-ナ変活用『往ぬ」「死ぬ」の連体形。
「え行かざった」-「え行かずありたり」=行くことができなかった。
「よういわん」(関西弁)-え言はず。
etc.


ところで蝸牛(かぎゅう)は中国語で、「荘子」を出典とする「蝸牛角上の争い」という故事成語も
知られています。ちなみに「デジタル大辞泉」の解説は次の通り。
蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)の争い

《「荘子」則陽の、かたつむりの左の角(つの)にある国と右の角にある国とが争ったという寓話から》小さな者同士の争い。つまらないことにこだわった争い。蝸角(かかく)の争い。

ところで、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』は、平安末に、当時流行の「今様」という歌謡を集めたもので、
後白河法皇によって編まれたものです。そこに印象深い歌が採録されています。

舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴(くゑ)させてむ 踏み割らせてむ  
 まことにうつくしく舞うたならば 華の園まであそばせむ

口語訳:舞え!舞え! カタツムリ。 もしも舞わないのならば、 馬の子や牛の子に蹴らせてしまうよ。 その足で踏み割らせてしまうよ。 もしも本当にかわいらしく舞うたなら、素敵な花の園まであそばせてあげようよ。
 
これに曲をつけて初音ミクさん(合成音声)が歌唱したものを、ユーチューブで発見しました。
http://www.youtube.com/watch?v=g-8tlCijZ2Q

有名な「遊びをせんとや生れけむ、戯(たわむ)れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ。」もあわせて歌唱されています。

念のため口語訳:人間って、遊びをしようとして生まれてきたのだろうか。じゃれ遊びをしようとして生まれてきたのだろうか?遊ぶ子供の声を聞くと、ひとりでに自分の体まで揺れ出してくるよ。 

最後は秋雨に濡れるツタの葉。
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続々 今日の「これなあに?」 [今日の「これなあに」?]

今日の「これなあに?」は、秋の味覚。
まずこれは、妻がお友だちにいただきました。
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艶なるオブジェ?
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文人好みの瓢箪か?
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いえ、カボチャだそうです。しばらく飾っていましたが、昨日夕食のおかずになりました。柔らかくてなめらかな舌触り、美味しくいただきました。

次は、雨に洗われて地面にちらばっています。
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岡山後楽園の銀杏の木に、ギンナンの実が熟し始めていました。(9/15写す)
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「金色の小さき鳥の形して銀杏散るなり夕日の丘に」(与謝野晶子)の季節は今しばらく先でしょう。まだ、その葉は、「緑色の小さき鳥の形」です。
台風が去り、今朝はとても寒いほど。もうすぐ色づくことでしょう。
私が通った小学校の校庭に銀杏の大樹があり、毎年秋には、黄金色にかがやいていました。そして根元には、ぎんなんの実がうずたかくつもります。それを拾ってバケツに入れ、家まで持って帰った事があります。重さと冷たさで、手がしびれていたことを覚えています。とすると、晩秋の思い出でしょうか?
その小学校も、とうに廃校になり、校庭にあった二宮金次郎の像が盗難にあったというニュースも、過去のことになりました。先日の小学校の同窓会では、そんな話題も思い返されたことでした。
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今日の「これなあに?」 訂正・追加版 [今日の「これなあに」?]

今日は「敬老の日」だからというわけでもないのですが、田舎に帰って来ました。そこで気づいたことがありましたので、前に書いた「これなあに?」の記事を訂正しておきます。
訂正その1
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このクリーム色の花、大豆だろうと思いましたが、どうも葉っぱを比べてみると、小豆かも知れませんね。田舎の畑には両方植わっていました。実が成れば分かるのですが。
念のため、大豆はダイズ、小豆はアズキです。小豆をネット検索すると、まず小豆島(ショウドシマ)がヒットするのですが---。
小豆島は、「ショウドシマ」、小豆郡は「ショウズグン」と読むのもおもしろい。weblio島嶼名辞典名には「小豆島/読み方:ショウズシマ(shouzushima)/備讃諸島に属する瀬戸内海の有人島/所在 香川県小豆郡内海町、土庄町、池田町の3町/別名 アヅキ島(アズキジマ)/位置・形状 備讃諸島の東端。カコウ岩、集塊岩、凝灰岩、安山岩からなる開析溶岩台地」とあります。古くは、「ショウズシマ」とも「アズキジマ」とも呼んだようですが、記紀(古事記・日本書紀)の時代に「阿豆枳辞摩(あずきじま)」と記されているそうですね。

訂正その2
9/15に咲いていたヒガンバナを「早咲き?」と思いましたが、もうどこも花盛りでした。
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こんな状態のものもあり、蕾も紅を垣間見せています。

「これなあに?」追加その1
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鶏頭です。よくも名づけたりで、鶏のとさかそっくり。その深紅の色彩とフォルムにみなぎる生命力、頑健さは、小気味よいほどです。
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正岡子規の句「鶏頭の十四五本もありぬべし」を、最初に目にしたのは高校生の頃でしたが、いかにもさりげない、何の変哲も感興もないつぶやきのように、平淡な句と感じたのですが、なぜか、記憶に残りました。
病床にあって、庭に立つこともままならぬ子規の心象風景に、深紅の猛々しい鶏頭が、百四十五本も屹立している様を思い見ると、決して平淡なつぶやきとは思えなくなりました。子規は重い肺結核、私は軽い肺癌、軽重の差はあれども、何やら親近感を勝手に覚えているこの頃です。

「これなあに?」追加その2
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次の写真を見れば、刺身のつまにも用いられる穂紫蘇(ほじそ)が連想されるでしょうか?そうです、青紫蘇の花でした。
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こちらは、赤ジソの花。
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「これなあに?」追加その3
最後は、我が家の庭で取材しました。
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綿の花が、やっと「綿花(メンカ)」になりました。
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続 今日の「これなあに?」 [今日の「これなあに」?]

雨の中、散歩しているとこんなものが。これなあに?
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その近くには、こんなものも、、、。ははあ、少し推理が働きます。
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てっぺんには、花が咲きそうだ。葉よりも先に、花が咲く。今の季節に咲くそんな花は?
周辺には、すっかり満開状態の花もありました。雨の中を、あでやかに、そしていつものように、何かしら哀しみをたたえて咲いていました。ヒガンバナです。
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「暑さ寒さも彼岸まで」と子供の頃から聞かされてきました。
今年の彼岸は、
彼岸入り:9月20日
お中日 :9月23日(秋分の日)
彼岸明け:9月26日
昨日は9月15日ですから、「早咲き」?これから、野道を一面に赤く彩る事でしょう。

ヒガンバナというと新美南吉の「ごんぎつね」のワンシーンが浮かびます。「ごんぎつね」は南吉の17歳の時の作品といいます。

「ああ、葬式だ」
と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
お昼が過ぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵さんの陰に隠れていました。いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根瓦が光っています。墓地には、彼岸花が、赤い布のように咲き続いていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
やがて、白い着物を着た葬列の者たちがやって来るのが、ちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。葬列は墓地へ入って来ました。人々が通った後には、彼岸花が踏み折られていました。
ごんは、伸び上がって見ました。兵十が、白い裃をつけて、位牌を捧げています。いつもは赤いさつま芋みたいな元気のいい顔が、今日は何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
ごんは、そう思いながら、頭を引っ込めました。(「ごんぎつね」より)




ごんぎつね (日本の童話名作選)

ごんぎつね (日本の童話名作選)

  • 作者: 新美 南吉
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 1986/10/01
  • メディア: ハードカバー

ごん狐

ごん狐

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/27
  • メディア: Kindle版



ごんぎつね

ごんぎつね

  • 作者: 新美 南吉
  • 出版社/メーカー: あすなろ書房
  • 発売日: 1998/06
  • メディア: 大型本



ごんぎつね・てぶくろを買いに (角川つばさ文庫)

ごんぎつね・てぶくろを買いに (角川つばさ文庫)

  • 作者: 新美 南吉
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2013/09/15
  • メディア: 単行本



ごんぎつね (岩波少年文庫)

ごんぎつね (岩波少年文庫)

  • 作者: 新美 南吉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/04/18
  • メディア: 単行本



ごんぎつね (大人になっても忘れたくない いもとようこ名作絵本)

ごんぎつね (大人になっても忘れたくない いもとようこ名作絵本)

  • 作者: 新美 南吉
  • 出版社/メーカー: 金の星社
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 大型本



彼岸の時期に咲くこと、墓地の周辺に群れ咲くことが多いなどから、死人花、地獄花、幽霊花などの不吉な別名も与えられています。剃刀花、狐花、捨子花、はっかけばばあなどの名も、wikiでは紹介されています。

その妖しい不吉さを北原白秋はこう歌います。
曼珠沙華  北原白秋
GONSHAN.(ゴンシャン). GONSHAN..何処へゆく
赤い御墓(おはか)の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。

GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数(かず)。

GONSHAN. GONSHAN.気をつけな。
ひとつ摘(つ)んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。

GONSHAN. GONSHAN. 何故(なし)泣くろ。
何時(いつ)まで取っても、曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐(こは)や赤しや、まだ七つ。 (「思ひ出」より)


思ひ出 抒情小曲集

思ひ出 抒情小曲集

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/10/01
  • メディア: Kindle版

北原白秋詩集〈上〉 (岩波文庫)

北原白秋詩集〈上〉 (岩波文庫)

  • 作者: 北原 白秋
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2007/01/16
  • メディア: 文庫

思ひ出 (愛蔵版詩集シリーズ)

思ひ出 (愛蔵版詩集シリーズ)

  • 作者: 北原 白秋
  • 出版社/メーカー: 日本図書センター
  • 発売日: 1999/10/25
  • メディア: 単行本

思ひ出―抒情小曲集 (1980年) (名著複刻詩歌文学館―山茶花セット)

思ひ出―抒情小曲集 (1980年) (名著複刻詩歌文学館―山茶花セット)

  • 作者: 北原 白秋
  • 出版社/メーカー: 日本近代文学館
  • 発売日: 1980/12
  • メディア: -



仏典に由来する「曼珠沙華」の名も一般に普及しています。法華経が説かれるとき天から訪れる「天上界の花、赤い花」をサンスクリット語で「マンジューサカ」と呼ぶそうです。

曼珠沙華と書いてマンジュシャゲと読むと思っていたら、山口百恵ちゃんは、マンジュシャカと謳いました。


曼珠沙華

曼珠沙華

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
  • 発売日: 1990/09/15
  • メディア: CD

二十才の記念碑 曼珠沙華

二十才の記念碑 曼珠沙華

  • アーティスト: 山上路夫,新川和江,阿木燿子,谷村新司,野原理香,石丸博,うさみかつみ,萩田光雄,川口真,萩田光男
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2004/07/22
  • メディア: CD

山口百恵トリビュート Thank You For・・・part2

山口百恵トリビュート Thank You For・・・part2

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2005/05/25
  • メディア: CD









山口百恵さんというと、中三でデビューし、森昌子・桜田淳子らと並んで活躍しましたが、謎を含んで大人びた魅力がありましたね。わたしは学生時代で、テレビ
などはもっていませんし、軟弱なものは排斥したい頃ですので、食堂や銭湯のテレビか、リッチな友人の部屋などで、ちらりとのぞき見する程度でした。「オジサン」になってから、音楽テープ(CDだったか?)を買いましたが、「なま歌」をもっと聞いとけばよかったと思いました。

「赤い花ならマンジュシャゲ」のフレーズも、年配者の耳には残っています。youtubeはここ


五木ひろし が歌う 懐メロ なつかしの歌アルバム 2 TJJC-19026

五木ひろし が歌う 懐メロ なつかしの歌アルバム 2 TJJC-19026

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: 株式会社 徳間ジャパンコミュニケーションズ
  • 発売日: 2013/09/10
  • メディア: CD

 


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写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


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