羽毛舞わせて食われる鳥を喰う鳥だ [折々散歩]
最近、尾崎放哉の句を斜め読みした影響か、リズムが移ってしまったかも知れません。
昔から、 放哉は好きです。
咳をしても一人 放哉
等は、特に好きです。どんな人生を歩んだ人だったか、など、ほとんど知りませんでした。 吉村昭の「海も暮れきる」は、克明な調査に基づいて書かれていて、彼の生活と句とが不離一体のものとして心にしみこんできます。
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放哉の句にはまた触れる機会があるとして、今朝の句。
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今朝の狙いはこの実。これなあに?
「クサギ」の実でしょうか?葉に独特の臭気があるために「臭木」と名づけられたようです。
クサギの芽は、地方によっては、料理にも使い、岡山県吉備高原では、「クサギナ懸けご飯」を郷土料理として売り出しています。
これなあに?。ホトケノザかと思うのですが、ホトケノザは春の花ですよね?わかったら教えてください。
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時雨忌や出雲八重垣ひと巡り [今日の暦]
旧暦の今日は、芭蕉忌です。時雨忌(しぐれき)という呼び方は、以前紹介しました。他に、桃青忌(とうせいき)、翁忌(おきなき)との別称もあります。桃青は、芭蕉の別号です。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 松尾芭蕉
これが辞世の句。「奥の細道」の冒頭で、
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」
と書いた芭蕉は、自身も旅の途中に亡くなったのでした。
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その芭蕉が、出雲を訪ねた際に詠んだ句として、八重垣神社に句碑が建てられているそうです。
和歌の跡とふや出雲の八重霞 芭蕉
島根県立図書館の説明によると、この句碑は昭和11年6月に松江羽扇の会が建立したもので、「句は松尾芭蕉本人のものか疑わしいことがわかった。ただ、この句碑がなぜ八重垣神社に建立されたかは不明」とありました。
八重垣神社と言えば、 素盞嗚尊(スサノオノミコト)の作と言われるこの歌に縁のある場所。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 素盞嗚尊
【通釈】幾重にも雲が立ち上るという出雲の国に、八重垣を巡らすように、雲が立ちのぼる。私は、妻を籠らすために、宮殿に幾重もの垣を作ったが、その八重垣を巡らしたように、雲が立ち上るよ。
「松江観光公式サイト」に次の記事があります。
「( 八重垣神社は、)神話「八岐大蛇(やまたのおろち)」で、大蛇を退治した素盞嗚尊(すさのおのみこと)と稲田姫(いなたひめ)が新居を構えた場所であることから、縁結びの 神社として知られています。宝物殿には、2人の姿を描いた壁画があり、神社の障壁画としては日本最古のものといわれています。稲田姫が自分の姿を映したと いわれる「鏡の池」には、硬貨を紙片に浮かべて早く沈むほど早く良縁に恵まれるというコイン占いがあります。」
紀貫之が書いた「古今和歌集仮名序」では、この歌についてこう述べています。
あらかねのつちにては、すさのをのみことよりぞ、おこりける。ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず、すなほにして、事の心わきがたかりけらし。ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。[すさのをのみことは、あまてるおほむ神のこのかみ也、女とすみたまはむとて、いづものくにに宮づくりしたまふ時に、その所にやいろのくものたつを見てよみたまへる也、やくもたついづもやへがきつまごめにやへがきつくるそのやへがきを。]
【本居宣長訳】此の国土では、素盞鳴尊(すさのをのみこと)からさはじまつたわい。神代の時分には、歌の文字の数もまだ定まつた事もなし、ことのほか古風な事で、どう云ふ事をよんだものやら、その歌の心が、今見ては、わかりにくい事であつたさうな。さて人の代になつてから、かの素盞鳴尊から始まつた歌のとほりに、三十一字にさよむ事にはなつたわい。[すさのをの尊は、天照大神の御兄ご様ぢや。してその御歌と云ふは、女と一所に御住みなされうとて、出雲の国へ御殿をおたてなさるる時に、そのあたりへ八色の雲が立つたを御覧なされて、およみなされた御歌の事ぢや。《あれ幾重の雲がたつた、あの出る雲の八重垣わいの、吾が妻を入れる宮のために、あれ雲が八重垣を作つた、あの八重垣わいの。》]
上記の本文及び訳文は、から引用させていただきました。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kanajo.html
小学校六年生の学芸会で、私はスサノオノミコトの役を当てられ、この歌を口ずさむ場面がありました。 劇の筋はとっくに忘れてしまいましたが、この歌だけは何度も反芻して覚えています。ただ、私の暗唱では、「妻籠みに」が、「妻籠めに」だったと思いますが。
この夏の、小学校の同窓会で、スセリ姫を演じたきよちゃん(幼い呼び名で失礼!)が、この劇のことを話題にしてくれました。出席いただいたS先生が担任の、六年生の時でした。
学芸会の思い出としては、低学年の時、かずちゃん(幼い呼び名で失礼!)と手をつないで、歌を歌いながら舞台を横切った記憶があります。
うっすらと「堅雪〈かたゆき〉かんこ、しみ雪しんこ。」というフレーズにも覚えがある気がしますし、かずちゃんは、「私が妹で、あなたがお兄さん」と言います から、宮沢賢治の「雪渡り」だったのでしょう。幼くて内容のかけらも残っていないのが寂しい気がします。そう考えるとかずちゃんの記憶は、ずいぶん鮮明 で、やはり女の子の方が精神的成長が早いという傾向は、こんなところからも思い当たります。
雪わたり (大人になっても忘れたくないいもとようこ名作絵本)
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そのほかの学年は、いわゆる脇役で、よく覚えていません。
「八雲立つ」は出雲にかかる枕詞とされます。そういえば、山陰本線の特急にも「やくも」があります。
そして、ギリシア出身のラフカディオ・ハーン も、この地に住み、小泉節子と結婚して日本国籍を得て、小泉八雲と名乗ります。「耳なし芳一」や「のっぺらぼう」「むじな」「おいてけぼり」などの昔話を,「怪談」として発表したのを始め。日本の風土や文化を海外に紹介する上で、功績大でした。
5年ほど前に出雲を訪ねた際の写真です。
これは、松江城。黒塗りの勇壮な城で、別名「千鳥城」と呼ばれます。
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