母さん今帰ったよ秋の暮れ 透 [木下透の作品]
だが、短歌会の俵万智が世に出るよりずっと昔だ。「斬新」な表現への希求は、寛容な心で是としていただけるとうれしい。
なりゆきで、俵万智ホームページ(http://www.gtpweb.net/twr/sakuhin.htm)から、自薦の百首の最初の方を少し引用させていただく 。
砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている(『サラダ記念日』)
寄せ返す波のしぐさの優しさにいつ言われてもいいさようなら(『サラダ記念日』)
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ(『サラダ記念日』)
大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋(『サラダ記念日』)
生ビール買い求めいる君の手をふと見るそしてつくづくと見る(『サラダ記念日』)
「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君(『サラダ記念日』)
サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)
- 作者: 俵 万智
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1989/10
- メディア: 文庫
若い、気鋭の歌人。という印象があるが、わたしよりわずか(笑)十歳年下であるに過ぎない(笑)。
しかれども、「最近の短歌ってこんなのをつくるのか?」と、どこかで聞いた感想を、「サラダ記念日」が話題になった頃の私は、つぶやいていた。
しかるに、今、若者たちにとって、万智ちゃんも、若い、気鋭の歌人じゃないし、心を打つ斬新な表現でもなく、教科書に載っている既成の(古くさい)言語表現の一つに過ぎないのだろう。
ちなみに、最近続けて話題にした尾崎放哉の句を、
「文芸ジャンキー・パラダイス」http://kajipon.com
中のページ
「咳をしても一人」漂泊の俳人
【 あの人の人生を知ろう~尾崎 放哉 】
osai Ozaki 1885.1.20-1926.4.7 (享年41才)
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic42.htm
から引用させていただいて、いくつか挙げておく。
ふとん積みあげて朝を掃き出す
青草限りなくのびたり夏の雲あぱれり
堤(どて)の上ふと顔出せし犬ありけり
夫婦でくしゃみして笑った
今日一日の終りの鐘をききつつあるく
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
ホツリホツリ闇に浸りて帰り来る人々
ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる参考
月夜戻りて長い手紙を書き出す
障子しめきつて淋しさをみたす
こんなよい月を一人で見て寝る
船乗りと山の温泉に来て雨をきいてる
浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す
にくい顔思ひ出し石ころをける
雀がさわぐお堂で朝の粥腹(かゆばら)をへらして居る
犬よちぎれるほど尾をふつてくれる
何かつかまへた顔で児が藪から出て来た
雀のあたたかさを握るはなしてやる
ころりと横になる今日が終つて居る
一本のからかさを貸してしまつた
今日来たばかりの土地の犬となじみになっている
和尚茶畑に居て返事するなり
麦わら帽のかげの下一日草ひく
遠くへ返事して朝の味噌をすって居る
朝早い道のいぬころ
宵のくちなしの花を嗅いで君に見せる
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
障子あけて置く海も暮れ切る
自分をなくしてしまつて探して居る
鳳仙花(ほうせんか)の実をはねさせて見ても淋しい
入れものが無い両手で受ける
月夜の葦が折れとる
墓のうらに廻る
あすは元日が来る仏とわたくし
夕空見てから夜食の箸とる
枯枝ほきほき折るによし
霜とけ鳥光る
お菓子のあき箱でおさい銭がたまつた
あついめしがたけた野茶屋
肉がやせてくる太い骨である
一つの湯呑を置いてむせている
白々あけて来る生きていた
これでもう外に動かないでも死なれ
やはり、斬新だ。