有明の月 たそがれの月 散歩かな (字余り) [折々散歩]
雨が上がり、朝から快晴です。
西の空を見上げると、月が浮かんでいます。
以下は、いずれも小倉百人一首に歌われた「有明の月」です。
21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな 素性法師
30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑
31 朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪 坂上是則
81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
【解釈とコメント】
21 「すぐに会いに行きます」とあなたが言ったばかりに、秋の夜長をひたすら眠らずに待っているうちに、夜明けまで空に浮かぶ有明の月が出てくるのに出会ってしましましたよ。あなたには会えないのに。
長月は旧暦の9月。7・8・9月が秋ですから、晩秋になります。
30 男女の逢瀬の終わりの時間を告げるかのように、有明の月がそっけなく空に浮かんでいたあの別れの時以来、
有明の月がかかる夜明けほどつらいものはありません。
この歌は、「2001年度センター試験 国語Ⅰ・Ⅱ 追試験」で、長野義言(よしこと)『歌の大むね』の文章の一部として出題されましたね。長野義言は、この歌の主は、「後朝(きぬぎぬ)の別れ」を恨めしく思う心で空の有明の月を眺めたとする通説を批判して、有明の月を見て女性に会わないまま、帰ったと解釈すべきだと主張していました。
31 明け方、有明の月かと思うほどに明るく、吉野の里に降っている白雪であることよ。
この歌では、有明の月は実際には出ていません。
81 ホトトギスが鳴いたと思って、そちらの方を見るとすでに鳥の姿は、どこにもなく、ただ、夜明けの空に月が残っているだけであった。
古典の文章では、ウグイスと並んで愛された鳥ですが、ホトトギスは夜鳴くことで珍重されました。
「有明の月」とは、十六夜以降、明け方になっても空に残っている月を言います。
月齢を見ると、今夜の月が16日。昨日の月は15日ですから、今朝空に輝いていた月を『有明の月』と呼ぶのは厳密には正しいかどうかわかりませんが、見事な月でした。
今日は病院予約の日。レントゲンや呼吸機能の検査も受け、順調な回復なので、「外科は卒業」。今後は内科で経過観察。ということになりました。
その足で、少々散歩してきました。
今日持って歩いたカメラは、以前「じゃじゃ馬カメラ」の汚名をかぶせた
に、レンズは、修理に出していたsmc PENTAX-F ☆ 300mm F4.5 ED[ IF]。
実は、露光のトラブルが気になり始めて、k-5Ⅱ本体と、smc PENTAX-F ☆ 300mm F4.5 ED[ IF]を修理・点検を依頼していたところ、やっと帰ってきました。経過は省いて、結論、カメラには異常なし。レンズは、絞りが損傷しているが、古い製品なので部品がなく、修理不能。マニュアルモードで使用してください。とのこと。
ダイアルをマニュアルモードに合わせ、絞りリングを適切に設定し、AFと同時に、グリーンボタンを押すと適切なシャッタースピードが算出され、カシャッと撮れる、はず。「グリーンボタンを押す」の手間が、少々面倒ですが、なれれば大丈夫だろう。と、練習がてら出かけてみました。なぜ、k-5Ⅱではなく、K10Dかというと、「マニュアルっぽさ」を楽しみたかったから?と、以前の「じゃじゃ馬カメラ」の汚名をそそぎたかったから。
日射しがきつく、ちょっと歩いただけで汗をかきます。
車の中から、面白い光景を見つけたので、ちょっとストップしてパチリ。
対向車も後ろの車もない農道です。
「ウ」にちなんだ駄洒落で、こんな本を思い出しました。