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台風の狭間にしばし散歩かな [折々散歩]

台風接近中ながら、今日一日、心配したほどの雨も降らず、風もそれほどでなかったので、外出できました。
妻が、公民館の文化祭だとかで、アッシーを命ぜられ、その手待ち時間にどこかを散歩して、また迎えに行くというパターンは、よくあることなのですが、今日はちょっと特殊事情がありました。、
というのは、次男のお嫁さんの出産予定日は、昨日だったのですが、まだ兆候がありません。彼女は、毎日一所懸命、歩いたり軽い運動をするよう心がけていますが、雨の日は困ります。売り場面積の広い大店店舗や、商店街のアーケード街などを、ウインドウショッピングがてら歩いたりしています。


さて、今日は、妻を公民館におろした後、私とお散歩デートすることにしました。家で留守番していてもらっても、もちろん結構なんですが、ひょっと産気づいて産院へ急行する必要ができたりすると心配だ、というわけで、同行してもらったわけです。
台風の激しい雨風を覚悟して、デパート、商店街、美術館、図書館などの利用を検討していましたが、思ったよりも雨風の影響がないので、岡山後楽園という庭園を歩くことにしてみました。
彼女は、小学校の行事以来だそうです。私も、単独で入園することは、今年も何回かありましたが、デートは何十年ぶりという事になります。イヤ待てよ、保育園の孫と外周を歩いて、かき氷食べたのは、去年の夏でしたか?

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小雨が降ったりやんだりの後楽園は、しっとり落ち着いていて、いい時間が過ごせました。

 

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小堀遠州が築いた庭園。あいにく、花や紅葉の季節とはずれていますが、四季折々に応じた、落ち着いたたたずまいです。

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「烏城」と呼ばれる漆黒の岡山城が遠望されます 。
 
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ちょっと休憩して、茶店で抹茶と特製吉備団子を注文。カメラに写す事を思いつく前に、吉備団子一個、食べてしまったので、個数が合いません。楊枝も一本足りません。

今日も外国人観光客の姿が多く、茶店では隣り合わせた西洋人カップルが、「tea]に関心を示していて、「ほうじ茶」を注文していたようでした。

 

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菊花展も催されていました。

たくさんの菊を写したのですが、なぜか、露出がかなり狂って、失敗作続出でした。古い世代のレンズのせいなのでしょうか?でも、これまで、pentaxistDや、pentaxKmでは、気にならなかったので、カメラとの相性がよくないのかも知れません。ちなみに今日の携行カメラは、pentaxk5Ⅱ、レンズはsigma 18-120mmでした。

そのあとも、ホームセンターの店内を歩いたり、古本屋に行ったり、いろいろしましたが、今のところお産の兆候はありません。
いとこになるはずの孫たちが、おなかに向かって「出ておいで~」と呼びかけてはいるのですがね。



夜になって、雨音が激しくなってきています。

昼間の散歩は、ラッキーなタイミングだったかも知れません


 

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それでも「これなあに?」 [今日の「これなあに」?]

「これなあに?」

 

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「マキノキ」の実です。

漢字で書くと「槙の木」。 庭木や生け垣として植栽されることの多い常緑樹です。 「高野槙(コウヤマキ)」「犬槙(イヌマキ)」「羅漢槙(ラカンマキ)」など、いくつかの種類があるようですが、これは「イヌマキ」でしょうか?

「イヌ」は、「イヌホオズキ」の項で話題にしたとおり、「似て非なるもの、似ているが劣るもの、似ているが役に立たないもの」を意味する接頭語。「高野槙」が「本槙(ホンマキ)」とも呼ばれ、一段格上扱いされているための命名でしょうが、いずれも庭木、前栽として珍重されます。

この実は、口に入れると、ほんのり甘いです。濃厚な甘さを持つフルーツがふんだんに手に入る現代では、ちょっとインパクトが弱くて、子どもたちも見向きもしませんが、かつては子どものおやつにもなったようです。

ちなみにこの木は、私が中学校の時、13歳を対象とする「立志式」というイベントの際に、記念樹として全員に配られた苗を、現在の家の庭に移植したもので、樹形などはとうてい整えることもできませんが、かろうじて庭木として育ってくれています。



寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ   寂蓮法師

【解釈】 寂しさは、どの色のせいというわけでもないことだなあ。槙がうっそうとそびえ立っている山を、静かに静寂が包み込んで日暮れていく秋の夕暮れのたたずまいが、全体としてんとも言えない寂しさを感じさせることだよ。

「新古今集」に収められたこの歌に詠まれた「槙」は、杉・檜などの針葉樹・常緑樹一般を指す古語だそうです。紅葉した山の彩り豊かな秋景色とは違って、深い緑色をたたえているけれどもそれが、日暮れとともに、うっそうとした暗がりとなって覆い被さってきます。その気配は、心の中に抱えるなにがしかの鬱屈、なにがしかの悲哀とあい呼応して、心細くもの悲しい思いをつのらせるのです。


 ちなみに、寂蓮法師のこの歌とともに、「秋の夕暮れ」を詠んだ次の二つを併せて、古来「三夕(さんせき)の歌」と並び称されました。

見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ  藤原定家

【解釈】 辺りを見回してみると、春を彩るあでやかな桜の花も、秋を彩る鮮やかな紅葉も、これといった風情を感じさせるようなものはなんにもないことだなあ。海辺の粗末なあばらやを包んで暮れていく、寂しい秋の夕暮れであることよ。

 作者藤原定家は、父藤原俊成とともに新古今集の時代をリードした歌人です。その目指す境地は、「幽玄(ゆうげん)」(俊成)、「有心(うしん)」(定家)と名付けられた美の世界。それは、言葉による表現の外ににじみ出る「余情」たっぷりの美であり、絵画的、音楽的要素をも取り入れた芸術至上主義的世界です。



心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ  西行法師

【解釈】 すでに俗世を捨てて、人情や情趣を解することのない出家の身であるこの私にも、「しみじみとしたもののあわれ」は自然と身にしみて感じられことだなあ。鴫が飛び立つ水辺を包む秋の夕暮れよ。

作者西行法師は本名佐藤義清(さとう のりきよ)といい、もと六位の位階を持つ北面の武士(御所の北側を警護するエリート武士)で、馬や弓矢の武芸はもちろん、詩歌・管絃の道にも優れた才を持っていたと言います。

その彼が、22歳の時、突如官職を捨て妻子を捨てて、出家したのです。その動機は謎に包まれていて、諸説がありますが定かではありません。ともあれ、阿弥陀仏がおられると言う極楽浄土が、西方にあることから「西行」と号し、修行の旅をして各地を行脚し、多くの歌を残しています。

芭蕉が「古人も多く旅に死せるあり」と慨嘆しつつ崇敬した先人の一人でもありました。

保元の乱で四国の讃岐に流され、無念の内に憤死した崇徳上皇とは、若いときから深い関係にあり、その鎮魂のために四国を巡礼した事があるので、瀬戸内地方の各地にも、様々な足跡を残しています。 4月に亡くなった畏友Hさんに引きつれられて、その足跡を訪ねる「ツアー」を楽しんだのはいつのことでしたか?

我が家の直近にも、西行の歌碑が建てられており、玉野市の渋川海岸にも歌碑と銅像があります。それらを見るたびに、在りし日のHさんが偲ばれます。

また、今、突然思い出しましたが、高校時代に古典を教わり、無理矢理に頼み込んで、結婚式の媒酌人をお願いした故U先生の、大学時代の卒論は西行だったとか?授業でも、

ねがはくは花のもとにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

の歌を、ロマンたっぷりに語っていただいたことでした。


鴫は、近づくとすぐに飛び立って逃げます。足下から不意に飛び立ちますので、その羽音に一瞬驚かされ、後には静寂が残るという経験は、私自身幾度も味わうことです。

これは再度掲載します。今年写した鴫です。

 
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これは去年の写真。たまたま近くで写せました。
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これも遠くてシルエットです。でもシルエットが、ちょっとムードがある と思ったりしているのですが。
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