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檸檬と蜜柑と大正文学 [家族]


うっとうしい天気の一日で、昼頃から雨になりました、
傘を差して散歩はしましたが、これと言った被写体には出会えませんでした。
肺炎で熱を出していた孫娘も、昨日頃から回復して、退屈をもてあましているらしいところへ、長女の旦那さんの実家近辺で商工会の祭りが賑やかに催されるというのでお誘いがあり、長男一家が行ってきました。
すると、長女とはすれ違いになったけれど、旦那さんとお母さんに会場で会えて、いろいろ美味しいお土産をいただいて帰りました。
夕方、長女も、赤ちゃんに会いに短時間帰ってきましたので、長男一家も勢揃いして、賑やかな夕食になりました。
明日は、次男は大阪に帰り、次男のお嫁さんも実家に帰るので、いっぺんに、閑散とした家になることでしょう。
長女の手土産は、祭りで買った(義母さんに買っていただいたらしい)地元産のレモンとミカン。みずみずしい艶と香りが際だっています。
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レモンというと、高村光太郎「レモン哀歌」が思い出されます。
 


レモン哀歌 高村光太郎詩集 (集英社文庫)

レモン哀歌 高村光太郎詩集 (集英社文庫)

  • 作者: 高村 光太郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1991/01/18
  • メディア: 文庫
 高村光太郎

    そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
    かなしく白くあかるい死の床で
    わたしの手からとつた一つのレモンを
    あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
    トパアズいろの香気が立つ
    その数滴の天のものなるレモンの汁は
    ぱつとあなたの意識を正常にした
    あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
    わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
    あなたの咽喉に嵐はあるが
    かういふ命の瀬戸ぎはに
    智恵子はもとの智恵子となり
    生涯の愛を一瞬にかたむけた
    それからひと時
    昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
    あなたの機関はそれなり止まつた
    写真の前に插した桜の花かげに
    すずしく光るレモンを今日も置かう
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梶井基次郎の「檸檬」も鮮烈です。


檸檬・冬の日―他九篇 (岩波文庫 (31-087-1))

檸檬・冬の日―他九篇 (岩波文庫 (31-087-1))

  • 作者: 梶井 基次郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1954/04/25
  • メディア: 文庫
檸檬 (角川文庫)

檸檬 (角川文庫)

  • 作者: 梶井 基次郎
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 文庫
病気と貧困に苦しむ「私」は、心身ともに弱り切り、曰く言い難い鬱屈を抱えています。
(前略)えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖(はいせん)カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。(中略)

そんなあるとき、「私」は通りかかりの果物屋でレモンを見つけます。

(中略)いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈(たけ)の詰まった紡錘形の恰好(かっこう)も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱が、そんなものの一顆(いっか)で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖(はいせん)を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼(だれかれ)に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故(せい)だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅(か)いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲(う)つ」という言葉が断(き)れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……(中略)
 

「私」は、その足で「丸善書店」に立ち寄ります。以前には自分の心を惹きつけた香水の壜も煙管も、魅力を失ってしまっていました。様々な色彩の画本もまた、興ざめて感じられます。高く積み上げた画本の頂上に、ふと思いついて、袂(たもと)から取り出したレモンをそっとおいてみます。

(中略)変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑(ほほえ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」(後略)
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黄金色に輝き、鮮烈に香る、目が覚めるほど酸っぱい爆弾!爽快かつ愉快なイメージです。

檸檬から連想するもう一つの詩。
 
 
春夫詩抄 (岩波文庫)

春夫詩抄 (岩波文庫)

  • 作者: 佐藤 春夫
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1963/08
  • メディア: 文庫
     佐藤 春夫
   

あわれ
秋かぜよ
情(こころ)あらば伝えてよ
男ありて
夕げに  ひとり
さんまを食らひて
思ひにふける  と。

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。

さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて 
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひを  あやしみなつかしみて  女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕げにむかいけむ。
あわれ、人に棄てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかえば、
愛うすき父をもちし女の児は
小さき箸をあやしみなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(わた)をくれむと言うにあらずや。

あわれ
秋かぜよ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかのまどいを。         
いかに
秋かぜよ
いとせめて証(あかし)せよ、
かのひとときのまどいゆめにあらず  と。

あわれ
秋かぜよ
情(こころ)あらば伝えてよ、
夫に去られざりし妻と
父を失はざりし幼児(おさなご)とに
伝えてよ
男ありて
夕げに  ひとり
さんまを食らひて
涙をながす  と。

さんま、さんま、
さんま苦(にが)いかしょっぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいずこの里のならひぞや。
あわれ
げにそは問はまほしくをかし。


私はなぜか、サンマにレモンの汁をふりかけるイメージで、この詩を記憶していましたが、詩には「青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて」とありますね。

ミカンでまず思いつくのは、芥川の短編「蜜柑」です。
蜜柑

蜜柑

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/13
  • メディア: Kindle版
舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1968/10
  • メディア: 文庫

汽車に乗り合わせた「小娘」が、迷惑にも、トンネルで列車の窓を開け放つので、煙突の煤煙が車内を覆って、{私」は息もつけないほど咳きこまねばなりませんでした。トンネルを出てしばらくして、その迷惑行為の意味が、やっと「私」にはわかったのです。

 (前略)やつと隧道を出たと思ふ――その時その蕭索(せうさく)とした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思ふ程、揃(そろ)つて背が低かつた。さうして又この町はづれの陰惨たる風物と同じやうな色の着物を着てゐた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反(そ)らせて、何とも意味の分らない喊声(かんせい)を一生懸命に迸(ほとばし)らせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑(みかん)が凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴(おもむ)かうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆(いくくわ)の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
 暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮(あざやか)な蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬(またた)く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。さうしてそこから、或得体(えたい)の知れない朗(ほがらか)な心もちが湧き上つて来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るやうにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相変(あひかはらず)皸(ひび)だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。…………
 私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。

この世でもっとも美しい蜜柑はこれかと、私には思えます。
 
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