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あるバラード 第二章 (1) 木下透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

詩「あるバラード」の続きである。第二章は、(1)~(3)まであるが、今回は(1)回想 を掲載する。


 あるバラード     木下透
第二章
(1)回想
ああ俺はどれだけ歩いて来たろう。
俺が歩き始めたのは 確か 柔らかい陽射しが
小さな生命をはぐくみ、
あらゆる物質が目覚め 行動を開始した
そんな春の朝だったようだ。



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甘くほのかに漂うエーテルに
俺は そこはかとないなつかしさをおぼえ
しばし子供っぽい涙を流したものだった。

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しかし いつまでも そんな感傷にふけってばかりはいられなかった。
すぐそこに、全力で立ち向かわなければならない障壁が俺を待ち構えていたのだった。
 それはなんと物憂い季節だったろう。
俺の肉体はすっかりかびてしまい
あらゆる気力を失っていた。
そして 宿命的な 懐疑の芽ばえ。
--------俺は一体-------何故に----------。
ああ 虚無。虚偽-------逃避---------。
-------快楽-------官能---------。
-------------------そして 退廃----------。
--------そうしたうつろな単語が
混乱した俺の意識をかけ巡り
疲れ果てた俺の大脳を
いやが上にも打ちのめすのだった。

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以下 次回に続く 。

 

 


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あるバラード 第一章  木下透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

ところで、ここしばらく気持ちの片隅に引っかかっていて、居心地の悪かった「探し物」が、今朝見つかった!

私は、高2の時、運動部の活動を続けられず、あてどのない「自分探し」の彷徨の過程で、「文芸部」というものの数少ない男子部員になった。その男子部員の一人は、静岡で教師を退職し、今自然保護に関わる施設で働いている。もう1人は、全国的にも有力な教育系複合企業?の社長として、忙しく活躍している。

彼らも含めて、その作品を発表する場として、自作の冊子を発行していた。ガリ版刷りのものと、活字印刷のものに、それぞれ別の作品を載せた。活字印刷の冊子は、漆黒の表紙に「ゆずり葉」と白抜き印刷をしている。これを2年分(高2、高3の時代のもの)、私は所持しているのだが、何処に紛れたか、見あたらなくなっていた。

それを、今朝、発見したのだ。

高2の時代の冊子から一編、転載する。


あるバラード 木下透
第一章
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旅人があった。
暮れかけた曠野を
一人行く旅人があった。
遠く連なる山々が 夕焼けた空に
黒く黒く盛り上がっていた。
うっすらと白い一筋の道が、
ゆるやかなうねりをえがいて地を這い
ついには黒の世界へ
溶け込んでいる。
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旅人は いつ どこで
生まれたのだったか
いつから 旅を
はじめたのだったか。
---------忘れてしまった。
気づいた時には すでに
歩み始めていた。
彼の父も 旅する人だったかも知れない。
彼はあるいは 母の背におぶさって
旅をしたのだったかもしれない。
しかし 気づいたとき
彼は一人だった。


 
 
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俺は一体 何をしているのかと
暁の空にどなったこともあった。
ぎらぎらと まばゆい太陽の下で
快楽を求め さまよったこともあった。
緑のオアシスに遊ぶ小鳥たちを
羨望したこともあった。

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しかし 旅人は
こうつぶやいて 先を急いだ。
「それはそれで楽しかろう。
しかし俺は進まねばならぬ。
引き返すことは許されぬ。」
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何処から来て何処へ行こうとするのか。
それは彼自身にも わからない。
ただひたすら 歩みつづけるのだ。
決して急ぎはしない。
同じ足取りで 一歩一歩
歩みつづけるのだ。
夜が最後の安らぎを
与えてくれるまで、
旅人は 休むことなく
この一筋の道を 歩みつづける。
幾多の悩める人々の通った
果てしないこの一筋の道を。
 
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高校時代、ほとんど最初に書いた詩のうちの一つだ。
年齢相応の感傷に彩られてはいるが、ポエジーよりもロゴスが勝っていて、「詩」と称するのは気が引けるけれども、私にとっては一つの忘れがたい作品といえる。
読み返してみて、60歳を超えた今も、これを超えていない、というか、これに縛られている、と感じることがある。その意味では、これは、他でもないこの私のアイデンティティそのものだといえるかもしれない。
念のために付け加えておくが、作品の成立は1969年である。
海援隊「母に捧げるバラード」も、「狼のバラード」(五木ひろし)も1973年発表。平井和正に同名の小説作品があるそうで、確認はできないでいるが、70年代の成立と思える。
従って、私の詩の題は、これらの模倣ではない。
また、丸岡秀子の「ひとすじの道 ある少女の日々」は 1971年、彼女をモデルとした映画「丸岡秀子 ひとすじの道」(根本銀二監督・長野映研製作)は2006年制作だ。瀬戸内寂聴「一筋の道 (集英社文庫) 」は1997年。
美空ひばりの歌に「ひとすじの道」(作詞:吉田旺 作曲:井上かつお)があり、この成立年代は未確認だが、彼女の晩年の作品に属するのではないか。
また、日本共産党が創立五〇周年を記念して募集した「党を主題とする歌」に入選したのが、「一筋の道」(作詩 たけいしふもと 作曲 相馬公信)だった。これは、1972年のことである。
若い人のために、その歌詞を紹介しておく。
「ひとすじの道」

ひとすじの道
未来へつづく道
うけつごう
はげしい弾圧に
たえぬいた誇りが
人民の胸から胸へ
刻みつづけた道
その伝統に
新しいたたかいをかさね
いまこそ すすもう
ひとすじの この道を

ひとすじの道
平和をきずく道
忘れまい
たたかいのなかばに
倒れた同志たちが
大空にはばたく自由と
愛をたくした道
そのねがいに
新しいたたかいをかさね
いまこそ すすもう
ひとすじの この道を

ひとすじの道
解放への道
かちとろう
限りなき戦列が
祖国のやまなみに
朝あけの太陽を呼ぶ
勝利へつづく道
そのたたかいに
新しいたたかいをかさね
いまこそ すすもう
ひとすじの この道を


私は、これら繰り返し登場する「一筋の道」というフレーズを、半ばくすぐったく、半ば感慨深く聞いたが、私の詩が、決して、これらの「ぱくり」でなく、発表年代が先行していることからも、オリジナリティの所在を敢えて断っておくことにする。
なお、第二章は、次回に譲る。


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