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「子どもを守る歌(最終章)」から始まった、の巻 [折々散歩]

退職同業者の今年度の総会が終わり、これに合わせて開催されていた作品展も終了しました。
去年と一昨年の総会については、↓この記事に書きました。

「一本の鉛筆」から始まった、の巻

桑畑の歌から始まった、の巻

今年の総会も、H先輩のアコーディオン伴奏で「子どもを守る歌 (最終章)」の合唱から始まりました。H先輩の紹介は、上の記事にこう書いています。
 伴奏してくださるH先輩は、実は専門は理科(生物)なのですが、美術も絵画も堪能で知られています。お噂で聞き及んだところでは、若かりし頃は、平均台の上で横転も軽々こなされたとか。天は二物も三物も与えられるものですな。

今年の作品展にも二点の絵画作品を出展されていますし、毎年欠かさず、数点ずつの作品を発表してくださっています。
ところで、「子どもを守る歌」(最終章)の歌詞は、こうです。
【作詞】上野 博子
【作曲】荒木  栄

国の隅々から 湧き上がる声は
子供を守る父母の 教師の叫び
初めて巻いたはちまきの 鮮やかな白さ
初めて組んだスクラムの力強さ

私は起ち上がった
みんなは起ち上がった
この闘いが平和を守る
「勤評反対!」
「戦争反対!」
子供達を 戦争へおくるな!  
曲の紹介で、H先輩もおっしゃっていたとおり、この作品がつくられた一九五〇年代後半の社会情勢を色濃く反映した「勤評反対!」という文言以外は、まったく現下の情勢をそのまま表現しているようではないかと、参加者一同、深く感じたところです。

ただ、念のために付け加えると、私個人としては、この最終章は、生硬なアジテーションの趣が強く、全体から切り離してこの箇所だけを取り出すと、いささか感情移入しにくいきらいがあると感じます。

やはり、この曲には、この優しくやわらかな歌い出しが、不離不可分と思えます。
子供達よ 健やかに育ちゆく 子供達よ
「先生!」と呼びかけて 今日も集まる
54人のつぶらな瞳 私の愛する 子供達よ
どう教えたらよいのだろう どう知らせたらよいのだろう
私の上に みんなの上に 覆い掛かる暗い影を
この影をこの暗い影を

一クラス54人という学級規模に、時代を感じます。108の瞳というわけです。それはさておき、子どもたちと教師とで織りなすささやかな平穏が、得体の知れない脅威によって脅かされている。その不安といたたまれなさを皮膚感覚として共感するところから、この曲は私の心に刻まれています。
過去記事で、この「子どもを守る歌」を話題にした最初は、2013年11月のこの記事だったと思います。一部引用します。

だまされも だましもせぬと 誓うた日 

 この詩(「戦死せる教え児よ」竹本源治)と重なって、しきりに頭をよぎる、歌の一節があります。

「子供を守るうた」

(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)

ねえ、みんな 

この中に一人でも 

わけも分からず 

怒鳴られたり 笑われたり


人を蹴落として 自分だけがいい子になろうとしたら 

どんなに どんなに 悲しいことだろう

御(み)国(くに)の為に 死ねと教えた昔 

命を散らした教え子の顔が 

目に浮かぶ 目に浮かぶ 

良心の呵責が弱さを支え 

平和を守る心が 私を鍛えた

明るい太陽の その下で 

すくすくと伸びる子供達よ 

笑い顔 おこり顔 おどけた顔で 

野の花のように 

美しく育てよ育て 

平和な未来を 築くために

 「勤評(キンピョウ)は戦争への一里塚」という合い言葉のもと、教師の「勤評闘争=勤務評定反対闘争」が、戦後間もない1950年代にたたかわれました。

日本が再軍備に向かう「逆コース」と呼ばれる一連の動きの中で、憲法と教育基本法(1947年版)の理想を諸改革が、次々と進められました。

その一環として、「勤務評定」により教師を序列化し、待遇に差を付け、お互いを競争に駆り立て、ひいては「お上」「御国」に盾つかない忠良な教師をつくり、子供の「人格」形成よりも 、「お上」「御国」に役立つ「人材」育成に専念させようとする動きがありました。(安倍さんと一緒やね。)

これにたいする「勤評反対」のたたかいは、「再軍備反対、戦争反対」のたたかいと一体のものでした。「子どもを守る歌」はこのたたかいを題材にし、それを励ますものでした。

この歌を、今の世に再び蘇らせなければならないのは悲しいことですが、子どもたちが、「野の花のように美しく」育つためには、知る権利と言論表現の自由、平和と真実の教育の自由が死活的に必須だと、改めて思うのです。


さらに、去年の8月の記事御国のために死ねと教えた教科書、の巻 では、こんなことを書きました。 
 先日の日本よい国 きよい国 に思う、の巻の記事のつづきです。雑誌「人権21」掲載の吉永隆光先生の「戦時中の国民学校教科書の実相」という文章から、「芸能科音楽」の話題をたどります。
(中略)
 これらの歌は、なにがなんでも「国のために死する」ことを最高の美であることを知らしめ、「無言のがいせん」では「おぢさんあなたが手本です」と死をすすめるような内容にまでになっている。「特別攻撃隊」は、緒戦のハワイ真珠湾を奇襲攻撃した特殊潜航艇で戦死した乗組員が、 後に九軍神として英雄視された事を讃美したもので、歌うことによりその忠勇に感激させ忠君愛国の精神を養わせるものであった。
このように教材の多くは神国日本を礼讃し、大東亜戦争を聖戦とし児童を皇国民として錬成する役割を受けもったのが音楽科であったのである。
子どもたちにとって、最も信頼すべき学校・教師が、その権威の力を背景に、子どもたちを勇んで戦場におもむかしめる魔法の刷り込み。これこそ『洗脳』というべきものでしょう。これに疑問を覚えたり、異を唱えたものには「非国民」として排斥・迫害され、その声も消し去られてしまったのですから、『洗脳』の効果は絶大といわねばなりません。



上野博子作詞、荒木栄作曲「子供を守る歌」の一節が、脳裏をめぐります。

「御国の為に 死ねと教えた昔
命を散らした教え子の顔が
目に浮かぶ 目に浮かぶ」

過去にもこれらの記事で触れました。
◇さらにもう一つの11月3日、の巻
◇だまされも だましもせぬと 誓うた日 
◇八日目の蝉もをるらん原爆忌 

この曲の歌詞とメロディが、うたごえサークルおけらのhpに掲載されていますので、この際紹介させて戴きます。
今、このような歴史を美化し、その再現をはかろうとする勢力が勢いを増しています。くどいようですが、イナダ防衛相の過去の発言を、majyo様の記事から引用して再掲します。
ここまで来たか防衛大臣
 新聞やテレビでは伝えていないのだろう
彼女の発言を列挙するけれど 知らない方は驚く
極右のタカ派です

命を捨てて国を守れ
国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです

靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです

祖国のために命を捧げても、尊敬も感謝もされない国にモラルもないし、安全保障もあるわけがない。そんな国をこれから誰が命を懸けて守るんです

「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうですか」「草食系」といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれませんね」

どこの世界に自国を自分で守らないと宣言する国があるでしょうか

もちろん核武装論者です

 



報道によると、さすがに、次の内閣改造では、イナダさんを外すらしいですね。でも、大もとのアベさんが反省もなく頂点にある限り、国民の不安と不信は和らぐことはなく、ひきつづく支持率低下はとどめようがないでしょうが。

なお、この記事でご紹介した「戦時中の国民学校教科書の実相」(吉永隆光氏)の論文の抜き刷りも、作品展の「論文」コーナーに展示していただきましたことを付記しておきます。




さて、本題の「総会」の記事のもどります。
午前中は、活動の経過や新年度の計画、予算・決算案が提案され、承認されました。

「人生を語ることは、憲法を語ること。自分自身満州に生まれ、引き揚げ後は、憲法と共に生きてきた」(副会長開会あいさつ)「歴史に残る時代。こんなひどい政権はかつてない、国民の声を聞かないだけでなく、ウソを言う。憲法があぶない。」(会長あいさつ)という情勢のもと、日本国憲法をまもれ、政治に生かせ、戦争法の廃止と立憲主義の回復、市民と野党の共闘を拡大・発展させる、などのとりくみの大切さが強調されました。
午後は、岡山教育文化センターの田中博さんを講師に、「教育勅語と道徳の教科化」というテーマで講演を聞き、その後自由な意見交流が交わされました。
印象にのこったご意見を列記します。

「森友学園問題を契機に教育勅語がクローズアップされ、学校でこれを教えてもよいという閣議決定がなされたことを逆手にとって、子ども・国民を戦争に駆り立てるために教育勅語がいかに利用されたかをきちんと教えることが大切だ。ある意味、これはチャンスだ、とある機会に発言したところ、年配の参加者から、教育勅語はそんなに甘いものではないと、強い反論があった。」(HT氏)

「教育勅語の刷り込みは、背後に暴力を伴う強制がつきものだった。」(ST氏)

「戦時中、自分が通っていた小学校では、暗唱教育を受けていなかったが、空襲を受けて転校した先では、熱心に暗唱指導がなされており、自分以外は全員暗唱でき、肩身の狭い思いをした。」(ST氏)

「教育勅語は、日本語としても美文と言え、言語のちからとして、その浸透力は侮れないのではないか。」(HM氏)

「教育勅語は、古来の大和ことばによるのではなく、もったいぶった響きのある漢文訓読の文体。アベの大嫌いな中国で生まれた儒教を元に、明治政府が考案したものだ。」(CS氏)

「『一旦緩急あれば』以下の部分が本質だと、切って捨てることはできない。日本人に色濃く存在する、義理・人情的な情緒を刺激する面があるのではないか?」(HM氏)

「義理人情は自分も否定しない。」(HI氏ほか)

「教育勅語を中心とする戦前の道徳教育は批判してきたが、私たち自身の道徳教育はどうあるべきかの論議は足りなかったのではないだろうか?」(EK氏)

「我々の道徳は、憲法の理念に基づく人権・民主主義を基本にした、近代的市民道徳だ」(CW氏ほか)

「生徒に与謝野鉄幹の『妻をめとらば(人を恋ふる歌)』を教える時、『友を選ばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱 』に着目し、『侠気』とは、世のため人のためにはたらく精神だと語る。」(SI氏)

などなど、多彩な意見が相次ぎ、予定の時間があっという間に経過するほどでした。



ところで、満州で終戦を迎え、無事引き揚げることができたことを僥倖だったと話されるAN女史は、教育勅語の暗唱は、国民学校の5年生から始められたと教えてくださいました。私にとって、それは意外で、驚きでした。これまで私は、教育勅語は、森友学園の幼稚園児さながらに、年端もいかない幼児に、無理矢理頭ごなしに暗唱させたのだと思い込んでいました。しかし、戦前の軍国教育は、もう少し手強い存在だったのではないかと思い知らされたことでした。つまり、「洗脳」教育が最も有効に機能する発達段階を待って、確実に忠君愛国の少国民を育てるシステムが周到に用意されていたのだと、改めて戦慄を覚えたのでした。

今朝は雨が上がっていましたので、短時間散歩しました。

芙蓉の花が咲いています。















稲苗がますます元気です。



朝食を済ませて、ちょっとパソコン作業をしてから、思い立って畑へ行ってみました。

雑草で、大変なことになっていました。



草取りに挑戦しましたが、暑さに負けて、諦めました、

ビフォア&アフターの写真をお見せしたいところですが、アフターはまだ途中やめです。

草の間から、トウモロコシとスイカを収穫して帰りました。





実は娘の嫁ぎ先から、立派なスイカを二つもいただき、一つはほとんど食べきりました。大きくて甘いスイカです。

残りの一つを並べて大きさ比べをしてみます。



我が家のスイカも、小玉スイカというわけではなく.ちゃんと大玉の苗を植えました。やはり雑草の陰では大きくなれなかったようです。

切ってみると、真っ赤に熟れてはいました。





庭のトマトはこんな具合。雨に打たれて実がはじけてしまいます。




収穫の喜びは十分味わっていますが、素人農園も、なかなかむずかしいものです。

今日はここまで。


フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA