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梅雨明けし日も孫守のてんやわや [折々散歩]

昨日の記事にお寄せいただいた majyo様のコメントを読んで、思い出しました。
一昨年の一〇月に、この記事とんぼのめがねで、わかりやすい紙芝居(http://www.fukutoku-group.co.jp/fukutoku-pics/10004003.pdf)の紹介とともに、「とんぼのめがね」の歌と額賀医師のことを書いてくださっていました。
一部引用させていただきます。

 額賀氏は昭和26年にお亡くなりになるまで、とんぼのめがねに代表されるように
広野町の原風景を元に日本の良さを広く伝える歌をいくつも作られました

この歌の原風景となったのは、福島県の広野町です。豊かな地域ですが
福島第一原発から20キロで避難指示となり、その後は解除されましたが、
今では原発で働く方が町民の2倍で、戻らない人も多いと言われています。
とんぼのめがねの里は、今や日本の命運を決める福島原発の最前線基地となりました。


広野町のHPを訪ねてみると、震災と原発被災の傷跡が生々しく伝わってくる気がしますが、観光情報のこの記事には、ほっとなごみます。
とんぼのめがね歌碑

 とんぼのめがね歌碑
更新日: 2014年5月10日

平成6年より童謡の里として「ひろの童謡まつり」を初めて開催し、これを記念して平成7年11月、築地ヶ丘公園(広野町大字下浅見川字築地・広野中学校東隣)内に歌碑を建立しました。歌碑の文字は、「とんぼのめがね」作曲者、平井康三郎先生により書かれています。
「とんぼのめがね」は、昭和23年に上浅見川箒平での情景を作詞されたものです。

この作品は、広野町に住む医師で、高名な童謡作家であった額賀誠志(誠)が、戦後の混乱した中でも、子供達には童謡を通し明るく育って貰いたいと願い創作したもので、NHKのラジオで全国放送され、今も子供達に愛唱されている童謡の代表作です。

二歳児の熱は上がったり下がったりで、今日の午前中はママが休みを取って子守をしましたが、午後は、終業式を終えた小中学生とともに、ジジババが見ルことになりました。一昨日38度越えの熱を出した小1の女の子は、今日は元気に小学校へ行って帰り増した。初めての通知簿をもらって帰って、ちょっと興奮気味でした。
二歳児の歌のレパートリーはどれくらいあるのでしょう。蝶を見ると「チョウチョチョウチョ菜の葉にとまれ」と歌い、夜に空を見上げては「きらきらひかる おそらのほしよ」と歌います。
そう言えば、先日、兄姉がたちが田舎塀って帰った日、ママと留守番をしていたお土産に、百円ショップでシャボン玉セットを買って帰りましたら、すぐに大喜びで遊びました。(その時は元気いっぱいだったのですが、、。)

「シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた」
の歌も、うろ覚えに口ずさみます。

wikiから引用します。

作詞に関する説

 
歌詞にはシャボン玉で子どもが遊んでいる様子が描かれているが、これに夭逝した子供への鎮魂の意を見出す説もある。
1908年、雨情は後に協議離婚に至った妻のひろとの間に、長女「みどり」をもうけた。人形のように愛らしい赤ん坊であったが、産まれて7日目に死んでしまった。当時は、乳幼児が死ぬのはさほど珍しいことではなく、2~3割の子供が学齢前に死亡していた。そのため、夫婦は子供を何人も産み、一所懸命育てた。雨情もその後何人かの子供を授かっているが、長女の死を後々まで悔やんでいたという。 雨情は後に生まれた娘・恒子も亡くしている。当時、2歳。1924年(大正13年)9月のことである。
そしてある日、村(茨城県多賀郡磯原村)の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろうと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だというのが最もよく知られる説である。しかし、これを裏付けるような決定的事実は無く、説の段階を越えていないとも言われている。
以上の鎮魂歌説は、テレビ番組において定説であるかのように放送されたため、一般に広まった。しかしその他にも、時期的な観点から実子ではなく親類の子への鎮魂歌であるという説や、特定のモデルはなく子どもの死一般を悼んだものとする説、特に鎮魂の意は無いという説など、諸説存在する。 なお、雨情自身が子どもの死との関連について触れている資料は一切無い。雨情の遺族の間でも意見が分かれており、現状では鎮魂歌説を含めいずれの説も確たる根拠を欠いていると言える。

歌詞
著作権法の規定により、1995年末に著作権が失効している。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

「鎮魂歌説」のバリエーションとして。私たちは学生時代、これは貧困のため我が子をも「間引き」せざるを得なかった農民たちの嘆きの歌だ、という説を信じていました。これは、フォークシンガー高石ともやさんが、伝聞をもとにコンサートなどで広めた野が始まりだそうですね。

フォークシンガー「高石ともや」の解釈

 ただ、高石の解釈は、それともまた少し違っていた。
 彼によると、この 「シャボン玉」 というのは、日本がまだ貧しかった時代に、口減らしのために 「間引きされた子供たち」 のことだという。 
 昭和の初期まで、日本では大飢饉などに襲われたときは、産んだ子供に十分な食糧を与えることができなかった家庭では、泣く泣く、親たちが産まれたばかりの子供をぼろ布などに包んで圧死させる風習があった。
 そうしないと、一家全員が、食べていけないこともあり得たともいう。 
 「シャボン玉」 は、そのような一家の犠牲にならざるを得なかった嬰児たちを弔う歌であると、彼はいうのだ。


真偽のほどは別として、シャボン玉の儚さを、嬰児の命の儚さに重ねあわせることは、無視できないリアリティをもって心をとらえずにはいません。人間の、ことに嬰児の命は、壊れやすくもろいものであって、ささやかな暴力の前にも、ひとたまりもありません。貧困は、それ自体、抗しがたい暴力とも言えます。そして言うまでもなく、最大の暴力は、戦争です。

「風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ」

自然現象としての風や雨には、吹くな、降るな、と願うしかないかも知れませんが、人為的所為であるはずの貧困や迫害や戦争には、人知による制御をくわえることが可能ですし、また不可欠です。政治の役割が思われてなりません。

ところで、荒々しい自然の猛威を見せつけた豪雨災害の爪痕も癒えませんが、関東から中国地方で梅雨明けが発表されたようです。
文字通りの夏の雲が発達しています。

先日深山公園で撮影したアジサイの花も、そろそろ時節はずれになりましょうか?














これはペンタスでしたっけ?
ペンタス(Pentas)は、ギリシア語で数字の「5」を意味するPente(ペンテ)が語源で、ペンタスの花びらの数が5枚であることに由来しているそうです。。
そういえばペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)も、5角形、5階建てだそうですね。ーーーテナことを過去記事でも書いておりました(汗)。(懐かしの切り抜きメモ、の巻)



蟻も、活発にうごきまわっています。


これはヒメウラナミジャノメかな?


トリミングしてみます


これも?

これは、ヒメジャノメ?

二歳児も、雨の日には、
「あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン」
とうたいます。

以前、過去記事「あめあめふれふれ」のこころだ!で、こう書きました。

歩きながら、自然と「♪雨雨降れ降れ」というフレーズが、頭に浮かぶ。「♪雨雨降れ降れもっと降れ」とい八代亜紀が歌った「雨の慕情」(作詞 阿久 悠 作曲 浜 圭介)ではなく、童謡の「あめふり」だ。

「あめふり」
北原白秋作詞・中山晋平作曲

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

蛇の目傘は、傘の中央にヘビの目のような輪の模様が描かれた、おしゃれな和傘で、装飾的用途で目にすることはあるが、実用の記憶はない。私の幼少期の記憶には、番傘があるだけだ。当時でも、一般家庭では、こうもり傘が優勢だったと記憶するが、小学校に常備してあった「置き傘」は、番傘だった。小学生の手には、ずっしり重く、油紙特有のにおいが印象に残っている。

蛇の目の模様を持ったチョウ。ジャノメチョウが、イノコズチの葉にくつろいでいた。

IMGP1612.jpg

 シジミチョウも、クローズアップ撮影。

IMGP1624.jpg

「あめふり」の歌は、比較的恵まれた、小市民的な幸福に包まれた家庭で、健やかに育った子どもの、健全なヒューマニズムがにじみ出ていて、好ましい。トルストイの「幼年時代」「少年時代」などにも通う所があるかも知れない。
  (中略) 
が、同時に、私は「雨雨降れ降れ」のフレーズに対する条件反射のように、次の歌を想い出す。
 
日雇い母さんの歌


雨が降ると母さんの
「お帰り」って声聞けて
うちはうれしいけど
今日のごはんに困ります

夜もふけて母さんに
「ねなさい」ってしかられて
うちはつまんないねえ
封筒はりが手伝えない

朝も早く母さんに
「がんばれ」って手を振って
うちは考えるなぜ
働くものは貧しいの

うちは考えるなぜ
はたらくものは貧しいの

うろ覚えなので、ネットで検索してみたが、見つからない。この夏の、高知で開かれた学生時代のサークル仲間の「同窓会」で配られた、「記念歌集」に採られていたので、引用させていただいた。

作詞者も作曲者もわからないが、あるいはこの記事で「日雇いの母さん」と記述されている歌がそれかも知れないと、勝手に推測しているが、正確の所をご存じの方が会ったら、ご教示を願いたい。


百円玉二個と十円玉四個の賃金なので「ニコヨン」と呼ばれたと、小学校の社会科で習った。雨が降ると仕事がないので、暮らしに窮する。

当時は丸山明宏)の 「ヨイトマケの歌」の世界と二重写しになる。野太い美輪明宏の歌声も、迫力十分だが、意外にも?、大竹しのぶのCDに収められたそれが、情感が深くて素敵だ。  


またまた話が広がり、収集がつかなくなりました。
今日の付録です。
先日採って帰った畑の黒玉スイカ。
熟れていいい色でした。
子どもたちにも、甘いと好評。

トマトがたくさん熟れます。



出来損ないトウモロコシも、甘さではまけません。
今日はこれにて。

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


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