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またまた、蓮にまつわる蘊蓄話、の巻 [文学雑話]

以前こんな記事を書きました(2014年12月)。

降り敷くは唐紅の錦かな(語彙貧困、安直無類、真情不在、拙劣至極)


 今日、仕事から帰って見ると、ゆうメール便で書籍が届けられていました。教科書、参考書、辞典等教育系の出版物を発行している出版社B堂からでした。
思えば、私自身も、中学・高校生時代この出版社の問題集のお世話になりました。
中身は、特にお正月シーズンを目当てに、各社から例年のように発行される百人一首の解説書です。 百人一首のすべての歌が、過不足のない、わかりやすい解説とともに歌ごとに美しい写真も添えられて、あたかもミニ写真集という趣の冊子です。

付録には朗詠のCDも付いていて、至れり尽くせりです
なぜこんな書籍が送られてきたかというと、実はこの中に、ずっと以前に私の撮影した澪標の写真が、無償ですが(笑)、1枚採用され、その記念に献本をいただいたという次第です。

ご縁のはじまりは、このブログの写真を編集者の方が見つけてくださり、使用を打診してこられたのでした。澪標などという題材は、よほどレアなものであるようです。

妻に自慢していますと、「早速、ブログに載せたら?」とからかいます。

自慢話になるのも気が引けますし、個人情報の問題もあって、いったん躊躇はしましたが、ブログネタの一つとして紹介させていただく事にしました。。


事の発端は、こちらの記事のこの写真でした(2013年8月)。

夕映えの倉敷川に澪標(みおつくし)


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自慢ついでに、その書籍もご紹介させていただくことにします。

原色 小倉百人一首 (シグマベスト)

原色 小倉百人一首 (シグマベスト)

  • 作者: 鈴木 日出男
  • 出版社/メーカー: 文英堂
  • 発売日: 2014/12/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

この本の40ページに、澪標の写真が掲載されています。
よくよく過去記事を探ってみると、この記事に該当の歌を少し紹介しておりました(2016年1月)。

ヨシガモでした、の巻


 わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる  みをつくしても 逢はむとぞ思ふ    元良親王(20番) 『後選集』恋・961

〔解釈〕 どうしてよいか行きづまってしまったのだから、今となってはもう同じことだ。難波にある澪標ではないが、身を尽くしても逢おうと思う。

その隣の41ページには、素性法師(そせいほうし)の歌が紹介されています。

 21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな    素性法師

この歌は私の過去記事でも話題にしたことがありました(2013年10月)。

有明の月 たそがれの月 散歩かな (字余り)


 以下は、いずれも小倉百人一首に歌われた「有明の月」です。

21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな    素性法師
30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし       壬生忠岑
31 朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪        坂上是則
81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる      後徳大寺左大臣


【解釈とコメント】
21 「すぐに会いに行きます」とあなたが言ったばかりに、秋の夜長をひたすら眠らずに待っているうちに、夜明けまで空に浮かぶ有明の月が出てくるのに出会ってしましまし他よ。あなたには会えないのに。
長月は旧暦の9月。7・8・9月が秋ですから、晩秋になります。

30 男女の逢瀬の終わりの時間を告げるかのように、有明の月がそっけなく空に浮かんでいたあの別れの時以来、
有明の月がかかる夜明けほどつらいものはありません。
この歌は、「2001年度センター試験 国語Ⅰ・Ⅱ 追試験」で、長野義言(よしこと)『歌の大むね』の文章の一部として出題されましたね。長野義言は、この歌の主は、「後朝(きぬぎぬ)の別れ」を恨めしく思う心で空の有明の月を眺めたとする通説を批判して、有明の月を見て女性に会わないまま、帰ったと解釈すべきだと主張していました。

31 明け方、有明の月かと思うほどに明るく、吉野の里に降っている白雪であることよ。
この歌では、有明の月は実際には出ていません。

81 ホトトギスが鳴いたと思って、そちらの方を見るとすでに鳥の姿は、どこにもなく、ただ、夜明けの空に月が残っているだけであった。
古典の文章では、ウグイスと並んで愛された鳥ですが、ホトトギスは夜鳴くことで珍重されました。

「有明の月」とは、十六夜以降、明け方になっても空に残っている月を言います。
月齢を見ると、今夜の月が16日。昨日の月は15日ですから、今朝空に輝いていた月を『有明の月』と呼ぶのは厳密には正しいかどうかわかりませんが、見事な月でした。

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さてここまでが長い長いマクラで、今日の記事の主題はやっとここからです(汗)
21番の歌の作者、素性法師は、僧正遍照の子です。
この本の30ページに、僧正遍照の次の歌が載っています。

12 天つ風(あまつかぜ) 雲の通ひ路(かよいじ) 吹き閉ぢよ   をとめの姿 しばしとどめむ            僧正遍照
【歌意】空吹く風よ 雲の通ひ路を閉ざしておくれ天与の舞姿をしばらくこの地上にとどめておくことにしよう。   

僧正遍照は、平安時代前期の歌人。六歌仙、また、三十六歌仙の一人にも数えられます。俗名を良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)といい、大納言良岑安世の子、桓武天皇の孫に当たります。従五位上蔵人頭の時、仕えていた仁明天皇の崩御を悲しみ、出家。天台宗の僧侶となりました。
ウィキペディアにはこんな記述もあります。

 在俗時代の色好みの逸話や、出家に際しその意志を妻にも告げなかった話は『大和物語』をはじめ、『今昔物語集』『宝物集』『十訓抄』などに見え、霊験あらたかな僧であった話も『今昔物語集』『続本朝往生伝』に記されている。江戸時代に製作された歌舞伎舞踊『積恋雪関扉』では良岑宗貞の名で登場。

小野小町とも交流があり、歌の贈答があったとされます。
『 後撰和歌集』巻17 雑 にこんな記事があります


石上(いそのかみ)といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けてまかり帰らむとて、とヾまりて、「この寺に遍照あり」と人の告げ侍りければ、物言ひ心見んとて、言ひ侍りける
 小野小町
 1195 岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を 我に貸さなん

 かへし   遍昭
 1196 世をそむく 苔の衣は たゞ一重 貸さねば疎し いざ二人寝ん

   【解釈】
石上という寺に参詣して、日が暮れたので、夜が明けてから退出しようと思ってそこにとどまり、「この寺に遍照法師がいる」と教えてくれる人がありましたので、言葉を交わし、気持ちを探ってみようと思って、歌を贈りました。
小野小町
 1195 石上ならぬ岩の上に、旅寝をしているのでたいそう寒いことです。あなたの苔の衣(=僧衣)を、私に貸してほしいものです。

  (遍昭からの)返歌

  出家したわたしの僧衣はただ一重だけですが、貸さないのも失礼ですから さあ一緒に二人で寝ましょうか?


僧侶の身でありながら不謹慎ともいえるプレイボーイのセリフですが、 歌の贈答につきものの、大人の戯れ、一種の洒落であったようです。
二人の関係は決して深刻な男女の関係とは思われませんが、この僧正遍照を、小野小町に恋い焦がれて99日間通い続けた深草少将のモデルとする説もあるようです。深草少将の百夜通い(ももよがよい)について、ウィキペディアにはこう紹介してあります。


 百夜通い(ももよがよい)とは、世阿弥などの能作者たちが創作した小野小町の伝説。
小野小町に熱心に求愛する深草少将。小町は彼の愛を鬱陶しく思っていたため、自分の事をあきらめさせようと「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになろう」と彼に告げる。それを真に受けた少将はそれから小町の邸宅へ毎晩通うが、思いを遂げられないまま最後の夜に息絶えた。
中世以降、百夜通いは小野小町の恋愛遍歴を象徴するエピソードとして民間にまで広く流布した。(後略)

さて、ここからがやっと本論。
昨日の蓮の葉の記事に、僧正遍照のこの歌を付け加えておきたかったのです。

  蓮葉のにごりに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(巻三夏歌165)
(はちすばのにごりにしまぬこころもてなにかはつゆをたまとあざむく

【解釈と鑑賞(学研全訳古語辞典より)】
[訳] はすの葉は、周りの泥水の濁りに染まらない清らかな心を持っているのに、どうしてその上に置く露を玉と見せかけてだますのか。
【鑑賞】
仏教では清浄な心を持っているはずの蓮が人を欺くという、機知的な趣向に妙味がある歌。「欺く」は係助詞「か」の結びで、動詞「欺く」の連体形。

「泥中の蓮(でいちゅうのはす)」という故事成語があります。
蓮は汚い泥の中でも、清らかな花を咲かせることから、汚れた環境の中にいても、それに染まらず清く正しく生きるさまのたとえとして用いられます。(出典:『維摩経』 }

清らかなはずの蓮が、どうして玉と見せかけてだますのか?と恨み言を言いながら、蓮の葉の露への愛着を率直に表明した歌といえるでしょう。
去年の写真です。
雨の日のハスの花
雨の日のハスの花 posted by (C)kazg
今日はここまで。

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