またまた、蓮にまつわる蘊蓄話、の巻 [文学雑話]
降り敷くは唐紅の錦かな(語彙貧困、安直無類、真情不在、拙劣至極)
夕映えの倉敷川に澪標(みおつくし)
この本の40ページに、澪標の写真が掲載されています。
よくよく過去記事を探ってみると、この記事に該当の歌を少し紹介しておりました(2016年1月)。
ヨシガモでした、の巻
わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ 元良親王(20番) 『後選集』恋・961 〔解釈〕 どうしてよいか行きづまってしまったのだから、今となってはもう同じことだ。難波にある澪標ではないが、身を尽くしても逢おうと思う。 |
21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな 素性法師 |
有明の月 たそがれの月 散歩かな (字余り)
以下は、いずれも小倉百人一首に歌われた「有明の月」です。 21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな 素性法師 30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑 31 朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪 坂上是則 81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
「有明の月」とは、十六夜以降、明け方になっても空に残っている月を言います。 |
21番の歌の作者、素性法師は、僧正遍照の子です。
この本の30ページに、僧正遍照の次の歌が載っています。
12 天つ風(あまつかぜ) 雲の通ひ路(かよいじ) 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ 僧正遍照 【歌意】空吹く風よ 雲の通ひ路を閉ざしておくれ天与の舞姿をしばらくこの地上にとどめておくことにしよう。 |
ウィキペディアにはこんな記述もあります。
在俗時代の色好みの逸話や、出家に際しその意志を妻にも告げなかった話は『大和物語』をはじめ、『今昔物語集』『宝物集』『十訓抄』などに見え、霊験あらたかな僧であった話も『今昔物語集』『続本朝往生伝』に記されている。江戸時代に製作された歌舞伎舞踊『積恋雪関扉』では良岑宗貞の名で登場。 |
小野小町とも交流があり、歌の贈答があったとされます。
『 後撰和歌集』巻17 雑 にこんな記事があります
石上(いそのかみ)といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けてまかり帰らむとて、とヾまりて、「この寺に遍照あり」と人の告げ侍りければ、物言ひ心見んとて、言ひ侍りける (遍昭からの)返歌 出家したわたしの僧衣はただ一重だけですが、貸さないのも失礼ですから さあ一緒に二人で寝ましょうか? |
僧侶の身でありながら不謹慎ともいえるプレイボーイのセリフですが、 歌の贈答につきものの、大人の戯れ、一種の洒落であったようです。
二人の関係は決して深刻な男女の関係とは思われませんが、この僧正遍照を、小野小町に恋い焦がれて99日間通い続けた深草少将のモデルとする説もあるようです。深草少将の百夜通い(ももよがよい)について、ウィキペディアにはこう紹介してあります。
百夜通い(ももよがよい)とは、世阿弥などの能作者たちが創作した小野小町の伝説。 小野小町に熱心に求愛する深草少将。小町は彼の愛を鬱陶しく思っていたため、自分の事をあきらめさせようと「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになろう」と彼に告げる。それを真に受けた少将はそれから小町の邸宅へ毎晩通うが、思いを遂げられないまま最後の夜に息絶えた。 中世以降、百夜通いは小野小町の恋愛遍歴を象徴するエピソードとして民間にまで広く流布した。(後略) |
昨日の蓮の葉の記事に、僧正遍照のこの歌を付け加えておきたかったのです。
蓮葉のにごりに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(巻三夏歌165) (はちすばのにごりにしまぬこころもてなにかはつゆをたまとあざむく ) 【解釈と鑑賞(学研全訳古語辞典より)】 [訳] はすの葉は、周りの泥水の濁りに染まらない清らかな心を持っているのに、どうしてその上に置く露を玉と見せかけてだますのか。 【鑑賞】 仏教では清浄な心を持っているはずの蓮が人を欺くという、機知的な趣向に妙味がある歌。「欺く」は係助詞「か」の結びで、動詞「欺く」の連体形。 |
蓮は汚い泥の中でも、清らかな花を咲かせることから、汚れた環境の中にいても、それに染まらず清く正しく生きるさまのたとえとして用いられます。(出典:『維摩経』 }
清らかなはずの蓮が、どうして玉と見せかけてだますのか?と恨み言を言いながら、蓮の葉の露への愛着を率直に表明した歌といえるでしょう。
去年の写真です。
雨の日のハスの花 posted by (C)kazg
今日はここまで。