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86を次世代に伝える番組欄 [今日の暦]

72年目の「原爆の日」です。
去年はこんな記事を書きました。

夏が来れば思い出す、の巻(8月に寄せた学級通信3)


 1988年の、一年生のホームルーム担任をしていた頃のものが見つかりました。その25号が、8月6日付「原爆忌特集」と銘打っています。
(中略)文章部分を書き起こしてみます。
夏が来れば思い出す
8月に寄せて

♪♪夏が来れば思い出す---の歌ではないが、蝉鳴き、入道雲の湧く季節になると、8月6日、9日、そして15日のことが思い出される。戦争と平和の問題は、常に考え続けなければならない問題であって、限られた一時期だけ、年中行事のように取りざたするだけでは不足ではないかとも言えようが、でも、年に一度だけでも、考えないよりはマシというものだろう。
戦争体験の「風化」と言うことが言われて久しい。あの、敗戦の日から数えて.早や42年.戦後生まれの世代が日本人口の過半数を占めるに至り、成人として戦争を体験した人々はすでに多くは現役を退いている現在、戦争体験を語り継ぎ、聞き継ぐ機会がきわめてわずかになっていることは、否めない事実だろう。
戦後は遠くなりにけり?
♪♪戦争が終わってぼくらは生まれた、戦争を知らずにぼくらは育った----と、北山修がうたい、いわゆる「戦無派」が青春時代を謳歌していたころ、《政治的には70年安保改定とそれにひきつづく沖縄・小笠原ね返還をめぐる事態が国民世論を二分していたころ、そしてケネディ、ジョンソン、ニクソンと続いたベトナム・インドシナへの侵略が国際的批判をおしてますます泥沼化していたころ)ちょうど君たちは生まれたわけだ。
そうしてみれば、「戦争を知らない」世代のはしりである私などに比べてさえも、君たちにとってあの15年戦争が、言ってみれば明治維新や西南の役などと同様の、遠い過去の歴史上のできごとと思えるのも無理からぬことと言えるかもしれない。
(中略)
永久に”戦争を知らない子ども”でありつづけるために
しかし、それは、君らおよび、君らの後の世代の子どもたちが、永久に「戦争を知らない子どもたち」であり得ることを意味しているのだろうか。「戦争を知らない」つもりが、実は「戦争について無知である」ことであってはなるまい。現に、「何にも知らないうちに」「だまされて」無謀な戦争に駆り立てられてしまった、との痛恨は、42年前の日本国民の共通の思いであったはずだ。そして平和は他から与えられるものではなく、やすやすと自然に成立するものでもなく、主権者である国民一人ひとりが、真実をしっかりと見抜き、英知と勇気をふりしぼってみずからの手でまもりぬく以外にないという教訓もまた、切実なものであったはずだ。
地球上のすべての地域から戦火が絶え、この国を含めてどの土地からも新たな戦争の火種が消えた時に初めて、真に「戦争を知らない子どもたち」が誇らかに胸を張り”平和の歌を口ずさむことが可能なのだと私は思う。そして、願わくば、その日の近からんことを。
(中略)
今日は広島原爆忌。事態は30年近く前の、この記事の頃とどう変わったでしょうか?
(中略)アベ内閣のもとで、ついに、集団的自衛権の行使をも合憲と強弁して、戦争法(「安保法制」)を強行し、夏の参院選で得た多数議席を背景に、明文改憲への企図をむき出しにしてきています。今次の内閣改造では、公明党以外の全閣僚を、日本会議など、超右翼・タカ派の靖国派が占有し、中でも防衛大臣に、カルト的狂信性を隠さない名うてのタカ派稲田朋美を任命するなど、好戦的姿勢をむき出しにしています。

奇しくもここで話題にした稲葉サンは、日報隠匿問題や都知事選での応援演説など、不適格の上にも不適格をさらして、内閣改造を待たず辞任に追い込まれました。そのほかの面々も、失言・不祥事・不適格のオンパレードで、内閣支持率下落に「大貢献」しました。先日の「第三次安倍第三次改造内閣」では、お詫び・陳謝を口にしながら、首のすげ替えで「疑惑隠し」をはかることで、支持率回復にわずか期待をかけておられるようですが、そもそも、不支持理由の第一は、「首相が信頼できない」(読売)「人柄が信頼できない」(日経)と、はっきりしてます。疑惑の張本人がそのままでは、誰も納得しません。
今日の「原爆の日」。広島での平和式典の模様を朝日新聞digitalはこう伝えています。

 広島は6日、被爆72年目となる「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では午前8時から平和記念式典が開かれ、広島市の松井一実(かずみ)市長が「平和宣言」を読み上げた。7月に国連で採択された核兵器禁止条約に触れ、日本政府に「核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求めた。一方、続いてあいさつした安倍晋三首相は、条約に言及しなかった。
(中略)
 松井市長は平和宣言で改めて核兵器を「絶対悪」と強調。「核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です」と述べた。
 また、核兵器禁止条約が122カ国の賛同で採択された点を「廃絶に向かう明確な決意が示されました」と評価。「各国政府は『核兵器のない世界』に向けた取り組みをさらに前進させなければなりません」と訴えた。
 日本政府は「核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう深め、両者の協力を重視する我が国の立場に合致しない」(岸田文雄・前外相)などとして、核保有国とともに条約交渉をボイコットし、署名もしない方針を明らかにしている。

「平和宣言」の全文はこちらにあります。全文引用したいところですが、印象に残った部分を、少しだけご紹介させていただきます。

  平和宣言
皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝(は)がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。
このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨(むご)たらしい目に遭(あ)うのは、あなたかもしれません。
(中略)
市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。
(中略) 

今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。
(後略)

広島市長 松井 一實


この宣言は、ひとり松井市長個人の訴えではなく、原子雲の下で灼かれたヒバクシャたちと、その家族、それにつながる無数の人々の、血の叫びといえるでしょう。
峠三吉の「原爆詩集」の序が、今こころにとみがえります。

 ――一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

「被爆者の心に寄り添う」と、録音再生機械のように繰り返し口になさるアベさん。この、無数の老若男女の声が、かすかにでも聞こえていますか?
かつて、授業したことのある教え子の一人が、今広島の世界大会に参加しているとの由、Facebookに何度も投稿してくれています。その中の一つに、こんな画像がありました。
タテに読むと、(広島の)新聞人の心意気が伝わってきます。これを支えている広島市民の心意気、というべきか?アベさん、あなたの心に伝わっていますか?








今日、当初書きたいと思っていたのは別の話題でした。昨日の夜のNHKの歌番組が良かったです。
なかでも、氷川きよし君が歌った「一本の鉛筆」。美空ひばりさんが大切にしたという歌。氷川君が、その張りのある男声で心を込めて歌うと、圧倒的な説得力を感じ、じーんときました。
また、改めて書くかも知れません。
きょうはこれにて。

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