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山の日にふるさとの山を思う、の巻 [今日の暦]

今日は「山の日」だそうです。
「山」と言えば、いつも啄木のこの歌が思い浮かびます。

ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな

啄木の第一歌集「一握の砂」に収められた歌です。

「一握の砂」から、他にも「ふるさとの山」を歌った歌を拾ってみましょう。


二日前に山の絵見しが
今朝になりて
にはかに恋しふるさとの山

汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来くれば
襟えりを正ただすも

かにかくに渋民村しぶたみむらは恋しかり
おもひでの山
おもひでの川





「山」に限らず、「ふるさと」は啄木にとって、格別の存在だったのでしょう。

「一握の砂」におさめられた歌だけでも、「ふるさと」を詠んだものがこんなにあります


ふるさとの父のせきするたび
咳のづるや
めばはかなし

あかじみしあはせえり
かなしくも
ふるさとの胡桃くるみくるにほひす

ふるさとのなまりなつかし
停車場ていしやばの人ごみの中に
そをきにゆく

やまひあるけもののごとき
わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし

ふと思ふ
ふるさとにゐて日毎ひごときしすずめの鳴くを
三年みとせ聴かざり

ふるさとの
かの路傍みちばたのすて石よ
今年も草にうづもれしらむ

このごろは
母も時時ときどきふるさとのことを言ひ
秋にれるなり

田もはたも売りて酒のみ
ほろびゆくふるさとびと
心寄する日

あはれかの我の教へし
子等こらもまた
やがてふるさとをててづるらむ

ふるさとをし子等の
相会あいあひて
よろこぶにまさるかなしみはなし

ふるさとの
村医そんいの妻のつつましき櫛巻くしまきなども
なつかしきかな

その名さへ忘られし頃
飄然へうぜんとふるさとに来て
せきせし男

せうしんの役場の書記の
気のれしうはさに立てる
ふるさとの秋

わが思ふこと
おほかたはただしかり
ふるさとのたよりけるあした

ふるさとの土をわが踏めば
何がなしに足かろくなり
おもれり

ふるさとにりてづ心いたむかな
道広くなり
橋もあたらし

そのかみの神童しんどうの名の
かなしさよ
ふるさとに来て泣くはそのこと

ふるさとの停車場路ていしやばみち
川ばたの
胡桃くるみの下に小石ひろへり

ふるさとの空とほみかも
たかにひとりのぼりて
うれひてくだ

ふるさとの寺の御廊みらう
みにける
小櫛をぐしてふを夢にみしかな

はたはたときびの葉鳴れる
ふるさとの軒端のきばなつかし
秋風吹けば

旅の子の
ふるさとにて眠るがに
げに静かにも冬のしかな

ふるさとの
麦のかをりをなつかしむ
女のまゆにこころひかれき


かれの「ふるさと」への思いは、この原体験によって、いっそう増幅したのだったでしょう。

 石をもて追はるるごとく
ふるさとをでしかなしみ
消ゆる時なし

以下、次回に話題は続きます。
きょうは、ふるさとの山の中腹にあるお墓参りに、都合がついて行けるものだけ行ってきました。
この前刈った草が、もう存分に伸びているので、少し草刈りもしました。
栗の毬がたわわに、ふくらんでいました。

炎天下、アマガエルの姿を複数匹見ました。







午後、にわか雨がありました。
このカエル君たち、喜んだことでしょう。
沢ガニ、今日も元気そう。

この池の鯉たちのなかには、何十年も生きているものもいます。ショップで稚魚のとき買った錦鯉のほか、老父が、ずっと以前、川で釣り上げてきた野鯉も何匹かいます。
孫たちは、餌をやるのが大好きです。
この孫たちの親も、子どもの頃、喜んで餌をやったものでした。

先日、N先輩が、朝鮮北部の「文玉面」周辺の地図(のコピー)を送ってくださった(下の記事参照)のにくわえて、新たに、満浦の航空写真についてのネット上の情報を教えてくださいました。

思いがけないプレゼント、の巻


コピーして父に渡すと、懐かしがっていました。生まれてから、わずか数年のことですが、ほかならぬ「ふるさとの山、ふるさとの川」ですから。
今日はここまで。

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