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秋たけなわの散歩道、の巻 [獺祭魚]

9月も終わりになりました。
信じられない慌ただしさです。
カワウソが獲物を岩に並べて祭りを祝う故事に倣って、撮りためた写真を並べて一人悦に入るコーナーです。アベさんがオバマやプーチンに贈ったというあの名酒とは関係ありません。
そう言えば、この夏、こんなニュースが流れました。
朝日新聞デジタルから引用します。

 長崎県対馬にカワウソがいたのを、琉球大学などのグループが今年2月、確認し、17日映像を公開した。国内に生息していたニホンカワウソは絶滅したとされており、今回見つかったカワウソがどの種かは確認できていない。グループは対馬で生き残っていた可能性とともに韓国沿岸に生息するユーラシアカワウソが流れついた可能性もあるとみて調査する。生きている状態でカワウソが見つかったのは38年ぶりだという。
 映像を公開した伊沢雅子・琉球大教授によると、ツシマヤマネコの生態調査のために設置した自動撮影装置が1匹のカワウソが歩いているのを撮影した。映像は数秒。具体的な場所は公表しなかった。
 現在はどこにいるかわからないという。
 環境省は17日、対馬で7月以降に追加調査を行った際に、カワウソのフンを発見し、DNAを調べたところ、ユーラシアカワウソのものだと判定されたと発表した。琉球大学が撮影した個体かどうかは不明だが、今後さらにサンプルを探すなどして、詳しく調べるという。
 ニホンカワウソはかつて北海道、本州、四国、九州の沿岸や河川に生息していたが、毛皮目当ての乱獲や水質汚染で激減。高知県で1979年に姿が見られ、写真が撮影されたのが、公式の最後の確認となった。
 環境省は2012年、ニホンカワウソの二つの亜種(北海道亜種と本州以南亜種)をともに絶滅種とした。だが、その後も、「目撃」情報は続いてきた。

絶滅動物と言えば、ニホンオオカミについて、この記事で書いておられました。

両神山系にオオカミの遠吠えが響く。


更に過去記事を拝見すると、東京・落合地区に棲んでいたカワウソについての紹介もありました。

落合地域に棲息した動物たち。


どうか、その辺の川から、ひょっこりその愛嬌のある姿を見せてほしいものです。
ところで、絶滅危惧種と言えば、わが日本国憲法なんかも、いまだかつてない環境悪化にさらされています。「護憲」勢力と恃んでいたミンセートーも、すでに絶滅したらしいですし、外来種にすっかり毒されたアベジミントーのみならず、「キボーノトー」などという類似の亜種が異常繁殖しかけているらしく、心ある人たちも、「小池にはまってさあ大変」と後でほぞを噛むことのないように、しっかり監視が必要ですね。
ことほどさように、地上は何やらキツネやタヌキが大騒ぎしているようですが、秋の空は澄んで清らかです。
我が家のキンモクセイも甘い香りを漂わせています。


お隣の庭のザクロも鈴なりです。

公園のハナミズキの葉が色づき始めています。





先日花火大会が行われたのは、このタワーの付近です。

秋たけなわです。
9月28日の明月。

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薄雲の中の9月29日の月です。
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そしてこれが、今日の夕方の月。
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今夜の月。
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朝日です(9/26撮影)。

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シモツケの花。
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ツユクサの花。

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ハギの花。

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路傍の花々が、多彩に存在をアピールしています。
中でも、散歩道のコスモスの花が、今、盛りです。。
散歩道のコスモス
散歩道のコスモス posted by (C)kazg 散歩道のコスモス
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今日の付録です。
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今日はこれにて。

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秋の花火、の巻 [家族]

9月23日(日)のことです。

「児島湖花回廊」でヒガンバナの撮影を楽しんでいるところへ、長女から携帯に電話がありました。お父ちゃんが、夜遅いので、退屈しのぎに一歳児を連れて遊びに行こうかな?という相談。あり合わせのもので野菜炒めみたいなものをつくって、昼食を食べさせ、腹ごなしとお昼寝までの運動に、遊具のある近くの公園へ連れて行きました。

連休とあって、いつにない混雑で、芝生にも親子連れなどが主ぴおも意に場所を占め、遊具も順番待ちが出来るほどでした。それでも、一歳児は、存分に体を動かし、大いに野外活動を堪能できたようでした。



このあと私は、予約していた自動車の点検のため、ディーラ-に向かいます。タイヤの交換など、予定外の作業が時間を取って、二時間近くかかって帰宅した頃には、ぐっすりお昼寝したらしい一歳児は上機嫌で夕食中でした。
と、外が薄暗くなった頃、なにやら遠くでどどーんと言う音が聞こえます。雷鳴?それとも花火?
どうやらこんなイベントがあるらしい。


近所に住む孫たちの姿が見えないのは、夕方から始まるこのイベントに出かけている模様。昼間、公演周りに人影が多かったのも、あるいは、一部には、このイベントに参加する人たちの時間調整というつもりもあったのかも知れません。
一歳児も、お散歩がてら、花火を見にいくことにしました。といっても、会場近くはは混雑していて車も身動き出来ないでしょうから、会場からは少し遠いですが我が家のすぐ近くの国道越しに眺めたrどうだろう?と、試してみることにしました。

自動車のヘッドライトでてらされて、時々あたりが明るくなります。



広角系のズームレンズですので、花火が小さくしか写りません。
少しトリミングします。





時が時だけに、ミサイル発射が連想されたりして、楽しさに水が差される思いがします。

イラク空爆のニュース画像なども連想したリ、、、

迎撃ミサイルの曳光が思われたり、、、

でも、この際、野暮な連想はほどほどにして、花火を楽しむことにしました。





やはりトリミングしてみます。







花火の撮影は、どうも苦手で、まともな絵になりません。暗いのに手持ち撮影という悪条件は、私の技量を超えています。もう少し近くから写せば少しは改善されるでしょうか?むしろコンデジやスマホの方がうまく写せる気もします。
今日はこれにて。

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続「児島湖花回廊」のヒガンバナ、の巻 [折々散歩]

先日掲載の記事を分割しました。

さて、先日の記事で話題にした「児島湖花回廊」のヒガンバナは、別のカメラでも写していました。
下は、同じFUJI FINEPIXでも、S1の画像です。

「児島湖花回廊」のヒガンバナ

「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 
  「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg
そして、olympusE620とマクロレンズの組み合わせでは?


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イノシシのおこぼれ頂戴、栗拾い、の巻 [折々散歩]

うかうかしているうちに、世の中は、とんでもないことになっています。
ここ数日、世間との回路を遮断していたというわけではないのですが、パソコンや机に向かって作業をする時間が長く、落ち着いて天下国家に思いをめぐらせる余裕がありませんでした。ようやくなんとかめどが立ち、「灰色の実務」から解放されました。
退職同業者の親睦組織の会報を編集する当番を仰せつかり、それにかかりっきりで、ここ何日かは、締切間近のやっつけ作業で、青息吐息でした。
編集後記的文章に、こんなことを書きました。

突如降ってわいた解散総選挙。モリカケ隠しよりほかに、何の大義も見当たらない自己チュウ解散。あわよくば多数議席をかすめ取り、信任を得たとばかりに改憲にまで進む狙いはミエミエ。これぞ国難!許せません。市民と野党の共同の力を、大きく育てて、立憲民主主義を取り戻すチャンスにしたいもの。野党も目先の打算に囚われず、信義を貫いてほしいもの。「消費税の使い道」などに依らずとも、政治がその気になれば教育費負担の軽減は容易なはず。「百年河清を俟つ」わけにもいきません。今年も、さしあたり、「修学援助金」、「教育全国署名」のとりくみに、いっそうのご協力を。

前回記事で、栗拾いの様子を書く予告をしていました。
毬が次々に口を開き始めています。



自然落下した栗の実を、かじったあとがあります。

イノシシの仕業でしょう。夜行性ですから、夜中のうちに食い漁り、朝には残骸が残ります。人間様は、おこぼれを頂戴するしかありませんが、昼間に落ちて来た栗はこちらのものです。

こんな大きな竿を使って、枝をたたくと、熟れた毬栗が落ちて来ます。

午前中、これだけ拾って帰りました。
午後、もう一度行ってみると、少し追加が拾えました。
栗山付近からのぞくと、遠くが眺められます。

あの庭にもこの庭にもキンモクセイが咲き始めていました。

こちらの方が少し早いように思いましたが、我が家でも、一昨日頃から香りを漂わせています。秋たけなわです。
今日の付録。
物干し竿に、アマガエルがいました。

ちかづく魔の手。











しばらく一緒に遊びました。
今日はこれにて。

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ふるさとは晴れて眩しい彼岸花、の巻 [家族]

昨日は、孫たちの小学校は、秋晴れの運動会でした。

今日は、その代休です。ジイジが面倒を見ることになるのなら、田舎に栗拾いにでも行こうか、と提案しましたら、小1の女の子は歯医者に予約があり、ママが午前中休みを取っているそうです。その後、ばあばが帰ってくるまで三時間ほどは一人でお留守番ができる、というので、小4の男の子だけを連れて行くことにしました。
今朝は、珍しい朝霧で、濃霧注意報が出るほどでした。

モノトーンの朝霧の中で彼岸花の赤が鮮やかでした。
霧の朝のヒガンバナ
霧の朝のヒガンバナ posted by (C)kazg 霧の朝のヒガンバナ
霧の朝のヒガンバナ posted by (C)kazg 霧の朝のヒガンバナ
霧の朝のヒガンバナ
posted by (C)kazg
おや雲間に月?と見ましたが、それはオカシイ、先日あんなに薄い眉のようだった月が、急に満月になるはずがない、と思い返してよく見ると、霧に覆われた太陽でした。

スクラップ車がシルエットになって、不思議なムードです。




明るくなってもヘッドライトが必要なほどの濃霧でしたが、通勤ラッシュが始まる頃には、通常の見晴らしになってきましたので、孫と二人のドライブへ出発。
道々、車窓越しに見える景色は、澄んだ明るい光に包まれて、黄金色に輝いて見えます。地域によっては、すでに刈り入れの済んだ田圃も、ようやく稲穂が色づき始めた田圃もあって、多彩な秋の風景が楽しめましたが、あちらでもこちらでも、深紅のヒガンバナが朝日を浴びて輝いています。よほど車を停めてカメラに収めたい衝動に駆られましたが、孫とのドライブですので自制を働かせることにします。
でも、ここ何日か、ヒガンバナヒガンバナと繰り返し話題にしてきましたが、「灯台もと暗し」、でした。
余談ながら、このことわざについての蘊蓄は、こちらの記事で書きました。

灯台もと暗きを知る散歩かな


なぜって、ふるさとの村一帯が、ヒガンバナ真っ盛りだったからです。

ヒガンバナに囲まれて、赤さを競い合っているペンキ塗りの看板には「防火水槽」と書かれています。
見覚えありませんか?
そうです。昨日の記事で、保護色のアマガエルがへばりついている写真を写したのは、この看板でした。
短時間、畑の耕耘をしましたが、土手という土手、畦という畦一面、ヒガンバナの絨毯が敷き詰められているのが眺められます。
孫も耕耘機デビューです。

ところで、画面右の方の足跡にご注目ください。

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鹿?イノシシ?
どちらもこの辺りに出没する招かれざるお客さんですが、夜のうちに賑やかに舞踏会かなんかを楽しんだようです。


朝のひんやりした空気に、長袖を羽織って作業を始めたのでしたが、強い日射しのために、気温もうなぎ登りに28℃とか。すっかり汗をかきました。

栗拾いの話題は次回に譲るとして、眩しい光に映えるヒガンバナの写真を何枚か貼っておきます。

ふるさとのヒガンバナ

ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg ふるさとのヒガンバナ
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg ふるさとのヒガンバナ
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg ふるさとのヒガンバナ
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg ふるさとのヒガンバナ
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg IMGP3047
IMGP3047 posted by (C)kazg ふるさとのヒガンバナ
ふるさとのヒガンバナ posted by (C)kazg
今日はここまで。

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古い廉価コンデジと付き合う、の巻 [折々散歩]

昨日の記事で、コンデジで写したと書いた何枚かのヒガンバナの写真は、finepix AV100という機種に依ります。このカメラは、カメラ量販店の店頭で、セール価格で販売されていた廉価・エントリーカメラで、確か新品価格1万円内外の驚きの安値で購入したものを、操作がシンプルで、日常使いにどうかと思って、田舎の父親に贈呈していたものです。実際には、携帯カメラを使うことが多いらしくて、不要なので、孫にでもやって有効活用してほしいと、先日、返してくれたモノです。カメラに挿入されていたメモリーカードには、こんな画像が記録されていました。



「がいせん桜」を訪ねた時のものらしいです。
こんな写真もありました。

自宅の庭に、春の花が咲きそろっている様子です。
庭の池の鯉も、、。

また、冬の雪の写真もありました。







雪国並みの、墨絵のようなシーンです。exifデータを見ると、2010年の冬のようです。
あと、孫たちの姿が映っている画像があって、懐かしい感じがしました。
マクロ撮影も出来ます。



真っ赤にペンキが塗られた防火用水の看板に、なんとも微妙な保護色のアマガエルがへばりついていますが、かえって目立ちますね。
今日の小学校の運動会でも試し撮りしてみましたが、十分使える感じです。

でも、イマドキのスマホカメラに比べて優劣を問われると。。。少々悩みますね。
この日の、冗長な記事を分割しました。

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児島湖花回廊のヒガンバナ、の巻 [折々散歩]

テレビのローカルニュースや地元新聞の記事にこんなニュースがありました。

 岡山市南区築港栄町の花回廊ゴルフコースに隣接する自然緑地で、ヒガンバナが見頃を迎えつつある。一帯にはDOWAホールディングス(東京)と地域住民らでつくる「児島湖花回廊サポーターズクラブ」が植えた約40万株があり、21~25日の一般公開では一面が赤く染まった風景が楽しめそうだ。
 ヒガンバナは今月上旬から咲き始め、彼岸に合わせるかのように開花の本数が増えている。台風18号の影響もほとんどなく、一般公開の期間中に見頃となる見込み。同クラブの男性事務局長(59)は「野鳥が飛び交う緑地の雰囲気とともに、年に一度の“真っ赤なじゅうたん”を楽しんでほしい」としている。
「山陽新聞」9月19日

ほとんど地元ですのに、これまで行ったことがありませんでした。25日まで一般公開ということですが、明日24日は小学校の運動会、25日も予定があるので、今年見ようと思えば今日しかチャンスがない、と思って、行ってきました。
ところで、上の記事にある「DOWAホールディングス」(旧社名「同和鉱業」)の前身が「藤田組」であり、児島湾干拓の担い手であったこと。岡山県南の「藤田」の地名もこれに由来すること。県内屈指の渡り鳥の飛来地「阿部池」も、その干拓の産物であること。現在は一部が埋め立てられてゴルフ場となっていることなどを、過去の記事でも折に触れて話題にしてきました。

岡南逆さ富士、の巻


縁は異なもの、「青頭鳥」再考、の巻


阿部池に師走の雨やミコアイサ


ムルデルの干拓堤防、の巻


ムルデルの樋門など、ご近所の干拓遺跡、の巻


縁は異なもの(2) 鉱山縮小・閉山の余波


病室雑話 2 縁は異なもの、の巻


病室雑話 藤田という地名



その「花回廊ゴルフコース」内の「自然緑地」に約40万株のヒガンバナが植栽され、見頃の時季に一般公開されているのだそうです。




まずは、コンデジ画像で概観をご覧ください。






以下、pentaxk5Ⅱ+smc PENTAX-DA 35mmF2.4ALの画像を「フォト蔵」にupしましたので、クリックして、のぞいてみてくだされば幸いです。
「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
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「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg
きょうはこれにて。

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おや、こんな日に、お久しぶり、の巻 [折々散歩]

久しぶりの雨です。

すっかり秋の雨という風情です。

半袖では肌寒く、上着を着て散歩に出ました。

雨ですから、防塵防滴を主眼に、

 finepixS1を持って出ました。

一眼カメラは、防塵防滴のボディを所有していますが、防滴レンズがありません。ナイロンカバーなどをくっつけて歩くこともありますがおっくうなので、傘の中で取り扱うことにして、olympusE3+zuiko digital 25mmという薄型レンズを久しぶりに引っ張り出して組み合わせてみました。まったくの気まぐれです。

雨に濡れたコスモス。













向こうに煙って見えるのは、常山です。



路傍のヒガンバナ。











以上、zuiko digital 25mmでした。

久しぶりにカワセミに会いました。いえ、、最近も時々は会っているのですが、写すチャンスがありませんでした。今日は、雨で悪コンディションですが、fuji finepixS1を持ってきています。

それでも、近づきすぎるとすぐに逃げられますから、遠くから写して、トリミングするコトします。



























飛びます。







最近、「どっちももどっち」という言葉が、しばしば脳裏に浮かびます。

8月12日、アメリカバージニア州・シャーロッツビルで、白人至上主義者やネオナチの大規模集会に反対する市民のデモ隊に、ヒトラー崇拝者の20代の白人男性が、車で突っ込み、32歳の女性を死亡させたのをはじめ、大勢が負傷するという事態が生じ、州知事は非常事態宣言を発令したと伝えられています。これに対し、白人至上主義者団体・KKK(クー・クラックス・クラン)のリーダー、ジャスティン・ムーアは女性が「死んでよかった」と発言。「今後もこうした事態が起こるだろう」と脅しのコメントを寄せたといいます。

これについて、トラン大統領は、て白人至上主義者と差別反対派の「両方に非がある」「どっちもどっち」とコメントしたといいます。

そんなばかな、ホロコーストを行ったナチスも虐殺されたユダヤ人も、「両方に非がある」、「どっちもどっち」等という強弁が許されるはずがありません。

そう思う反面、この応酬はどうでしょう。

トランプ 「『ロケットマン』は自身、および自身の体制に対する自爆任務に就いている」「米国は強大な力と忍耐力を持ち合わせているが、米国自身、もしくは米国の同盟国を守る必要に迫られた場合、北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はなくなる」 (9月19日、初の一般討論演説で)
金正恩 「トランプが世界の面前で私と国家の存在自体を否定して侮辱し、わが共和国(北朝鮮)をなくすという歴代で最も暴悪な宣戦布告をしてきた以上、われわれもそれに見合う史上最高の超強硬対応措置断行を慎重に考慮する」
「前代未聞で無知で粗暴」「政治家ではなく、火遊びが好きなならず者」米国の老いぼれの狂人を必ずや、必ずや火で罰するであろう。
(歴史上初の「声明})

いやあ、どっちもどっちと言いたくなりますね。

もちろん、核戦争阻止、核兵器廃絶を求める国際世論と、大きくその方向へ進みつつある世界の潮流を足蹴にして、核開発とミサイル発射を繰り返す北朝鮮の暴挙は、言語道断、どんな口実をつけても許されません。

でも、「核兵器なき世界」の目標に背を向け、核兵器禁止条約交渉を敵視するアメリカと、その尻馬に乗って条約に反対を表明する日本政府の姿勢は、まったく道理がありません。

しかもその上で、、対話拒否、制裁強化のみを強調するアベソーリの国連演説は、異様の極みと言えました。

アベソーリこのたびの危機は、独裁者の誰彼が大量破壊兵器を手に入れようとするたび、われわれがくぐってきたものと質において、次元の異なるものです。」
「冷戦が終わって二十有余年、われわれは、この間、どこの独裁者にここまで放恣にさせたでしょう。北朝鮮にだけは、われわれは結果として許してしまった。それはわれわれの目の前の現実です。
かつ、これをもたらしたのは「対話」の不足では断じてありません。
対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。
何の成算あって、われわれは三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。
北朝鮮に全ての核・弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で放棄させなくてはなりません。
そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」
対話嫌いはこの人の根深い本性なのかも知れませんが、外交場面でもそれ一辺倒とは、困ったことですね。

北朝鮮の暴走に、実際にブレーキをかけることが期待される最大の国、中国の反応は?自国の国益や立場はもちろん反映しているでしょうが、トランプ・アベコンビの言いたい放題よりは、よほど筋が通っているように聞こえますがね。

中国外務省陸慷報道局長我が国はこれまで同様、朝鮮半島の非核化ならびに核兵器不拡散の国際体制を支持しており、朝鮮半島の安定と平和を保証することが不可欠であり、この問題を解決するための唯一の効果的な方法とは、対話、協議、平和的調整だと考える」
「着実な対話によって核不拡散問題を解決するための成果を得てきた」
「制裁だけでどうにかなると考える国もあるが、現実にはそうした成功事例は見たことがない」


ドイツのメルケルさんも、トランプの北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はなくなる」等の脅迫に対して反発してこう述べています。

「こうした警告には賛同できない」
「いかなる軍事行動も完全に不適切であると考えており、ドイツは外交的な解決を主張する」と


また、フランスのマクロンさんの国連演説を、「毎日新聞」は、こう報じています。

 マクロン仏大統領は19日、国連総会で初めて演説し、国際的な対話と、世界的な問題への対処で各国が連携する多国間主義の必要性を訴えた。「米国第一主義」を強調したトランプ米大統領と対照的な国連デビューとなった。AP通信は「危機への取り組みで深い相違」と指摘するなど、両氏の違いに焦点を当てた。
 マクロン氏はトランプ氏が離脱を表明している地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」について、「米国の決断は尊重し、ドアは常に開いている」としながらも、すべての政府や自治体、企業などと協力して履行する考えを示した。
 トランプ氏が強硬姿勢を見せる北朝鮮の核・ミサイル開発やイランと米欧などの主要6国が2015年に締結した核合意についても、対処方針に違いが際立った。マクロン氏は北朝鮮への対応について「緊張を高めることを拒絶する。対話の道を閉ざすことはしない」と強調し、外交による解決を探るべきだとした。イランが核開発を大幅に抑制する見返りに経済制裁を解除する内容の核合意を、トランプ氏は「最悪で一方的」と批判するが、マクロン氏は「平和に不可欠だ。破棄は大きな間違いだ」とけん制した。
 さらに、国連を「官僚主義」だと批判するトランプ氏を念頭に、「多国間主義は、外交官によるゲームだという考えが広まっている」と述べ、「テロや気候変動などは多国間主義を通じてしか乗り越えられない」と強調した。トランプ氏は「他国不干渉主義」で国益を優先するが、マクロン氏は多国間主義による国際協調を訴えた。
 国連本部でマクロン氏の演説を聞いたアフリカ連合(AU)スタッフの米国人、サバンナ・メリウスさん(34)は「力を誇示するトランプ氏と正反対で、対話を重視する。問題解決にはマクロン氏の姿勢が必要だと思う」と語った。

そもそも、この国連総会の冒頭演説で、グテレス国連事務総長はこう指摘していたそうです。

「怒りがこもった対話は、取り返しがつかない誤解につながる」

どうやら、この言葉を理解できなかった人が、約二名おられたようですね。「自分ファースト」の盟友、トランプ・アベコンビの特異さが際だった国連総会だったようです。ああ、日本国民として、はずかしい。

内政でも、「自分ファースト」の本領発揮、勝手放題の解散総選挙。モリカケ疑惑も不問に付して、アベ改憲に弾みをつける多数議席をまたもや許しました、、、とあっては、二重三重に恥ずかしい。ごめんこうむりたいものですね。

今日はこれにて。


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こんなご近所に、、、の巻 [獺祭魚]

カワウソが、捕らえた魚を岩に並べて祭りを行うという伝承に倣って、撮りためた画像を並べてひとり楽しもうというコーナーです。「伝説の名酒」とは一切関わりありません。
今日は仕事日で、散歩する余裕もなかったので、ストック写真のご紹介です。
先日タマシギを観察したエリアに、また何回か行ってみました。
ほぼ、日常の生活圏内ですので、わざわざ出かけると言うより、ついでにちょっと寄ってみるという感覚です。
いつでもバンが見られるようです。



ヒナ(若?)と一緒に行動しています。



トリミングしてみます。







それから、こんな鳥の姿も、、、。





















タカブシギ?でしょうか?
今日はここまで。

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彼岸の入りあれこれ、の巻 [今日の暦]

今日は「彼岸の入り」だそうです。
「暑さ寒さも」というとおり、涼しさが心地よい季節になりました。
今日は、自転車で数キロ走りましたが、さわやかな汗でした。
ここ2~3日の朝の散歩の写真です。
涼しくなって、コスモスが、ようやく生気を取り戻したようです。

路傍の朝顔が、まだまだ元気です。

こんな品種も咲いています。

カボチャの葉に、雨露が宿っていました。

約束したように、ヒガンバナが咲いています。







過去記事で、ヒガンバナは度々取り上げていますが、一番古い記事はこれのようです。
続 今日の「これなあに?」
少し引用して再掲します。

  ヒガンバナというと新美南吉の「ごんぎつね」のワンシーンが浮かびます。「ごんぎつね」は南吉の17歳の時の作品といいます。

「ああ、葬式だ」
と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
お昼が過ぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵さんの陰に隠れていました。いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根瓦が光っています。墓地には、彼岸花が、赤い布のように咲き続いていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
やがて、白い着物を着た葬列の者たちがやって来るのが、ちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。葬列は墓地へ入って来ました。人々が通った後には、彼岸花が踏み折られていました。
ごんは、伸び上がって見ました。兵十が、白い裃をつけて、位牌を捧げています。いつもは赤いさつま芋みたいな元気のいい顔が、今日は何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
ごんは、そう思いながら、頭を引っ込めました。(「ごんぎつね」より)

彼岸の時期に咲くこと、墓地の周辺に群れ咲くことが多いなどから、死人花、地獄花、幽霊花などの不吉な別名も与えられています。剃刀花、狐花、捨子花、はっかけばばあなどの名も、wikiでは紹介されています。
その妖しい不吉さを北原白秋はこう歌います。

曼珠沙華  北原白秋
GONSHAN.(ゴンシャン). GONSHAN..何処へゆく
赤い御墓(おはか)の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。

GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数(かず)。

GONSHAN. GONSHAN.気をつけな。
ひとつ摘(つ)んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。

GONSHAN. GONSHAN. 何故(なし)泣くろ。
何時(いつ)まで取っても、曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐(こは)や赤しや、まだ七つ。 (「思ひ出」より)
仏典に由来する「曼珠沙華」の名も一般に普及しています。法華経が説かれるとき天から訪れる「天上界の花、赤い花」をサンスクリット語で「マンジューサカ」と呼ぶそうです。

曼珠沙華と書いてマンジュシャゲと読むと思っていたら、山口百恵ちゃんは、マンジュシャカと謳いました。


去年の秋、lこのブログ記事とともに、私が写した彼岸花の写真をカラー印刷して、アジア人留学生に配った上で、新美南吉「ごんぎつね」を教材として読んでみました。(ほとんど期待した反応は得られ、空振りでしたが)。そのとき印刷に使ったのは、NEC5600cという激安のカラーレーザープリンタでした。

そのプリンタが、ちょっと前からエラー表示が続き、どうやっても直りません。これまで何度もトナーの交換を行い、最近はずっと互換トナーを使っていて、そのことが原因かも知れないトラブルは数多く経験しましたが、今回はどうも駄目のようです。
インクジェット機が他に一台あるにはあるのですが、試験問題用に、鮮明な印刷をとしたいと思って、レーザープリンタを使おうとしたのですがこのような次第で、思い切ってモノクロレーザープリンタを新調しました。
たちまち明日の授業プリントの印刷に必要なので。


モノクロとは言え、レーザープリンタが一万円で買える時代です。ほとんどインク代や、トナー代の値段です。
というわけで、今日、これを買ってきたのです。早速快適に印刷できています。
それにしても、台風が去ったと思うと解散風。なんとも気まぐれな 自分勝手な解散ですね。
「第3次安倍第3次改造内閣」なるものを「仕事人内閣」などと鳴り物入りで発表したのは、8月。この閣僚たちは一度も閣僚として国会に出席して大臣答弁に臨む機会がないままに、早くも解任ですって。なんともお気の毒なことです。
なぜこのタイミングで解散?と、いちばん腹に据えかねているのはこの方たちかも?と同情します。
素人考えでも、このタイミングでの解散判断は、次のような思惑によるもの?
①モリ・カケ疑惑をはじめ、政府・自民党内の一連の不祥事・「劣化」にフタをする。
②北朝鮮のミサイル騒動を奇貨として、不安と危機意識を煽って、日米軍事同盟と現政権への支持をつなぎ止める。
③世論調査でわずかに支持が回復したと見て、これを好機に議席をかすめ取る。
④民進党のごたごた、野党共闘の未成立状況を最大限利用する。
⑤解散総選挙を強行することで、党内での「安倍一強」体制を回復する。
でも、そうだとすると、余りにミエミエで、余りに安直、余りにご都合主義と言わないわけにはいきません。いや、まさかね。いやしくも、国のトップリーダーたるお方が、そんな見え透いた打算で解散に踏み切るはずがない。きっと、もっと高尚な、奥深い、天下国家の行方に関わる、抜き差しならない大義があるはずだ、、、等と思いかえしてみるのですが、私などの凡庸な頭では、どうにも思い至りません。
いずれにしても、選挙中は「消費税の使い道」「経済優先・国民生活優先」などを目いっぱい喧伝し、選挙が終わるや否や、得意のてのひら返しで、改憲・軍事化への道を進んでいく魂胆でしょう。柳の下のドジョウを狙う、見え透いた手口。これまた、ミエミエ過ぎますね。
くよくよ考えていても埒があきませんので、その野望を打ち砕く方策を練らねばなりませんね。ただし、「共謀罪」でとがめられないやり方で、、、。つくづく、物騒な世の中ですね。
今日はこれにて。

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金星と月寄り添ふや野分晴 [折々散歩]

さんざん大荒れして、台風18号が通り過ぎました。
わが地方は、盛大に各種の警報は発せられましたが、幸いに甚大な被害らしいものはなく、今朝は台風一過の晴天に恵まれました。
夜明け頃、ふと空を見あげると、、、、、。

トリミングしてみます。
丸く囲ったあたりに注目です。

どんどん、ズームしてみます。





たまたま、FUJI FINEPIXS1を持っていましたので、望遠能力は高いです。
月はわかりますが、その近くに明るい星が寄り添っています。金星(ビーナス)のようですね。一晩吹き荒れた大風を、寄り添い合って耐えていたかのように、晴れやかな未明の空に、明るく輝いていました。
山肌の柿の木が、葉を吹き散らされ、青柿を振り落とされていました。



今日は、祝日ですが、孫宅のパパは仕事。ママも本来は休みのはずが、台風の影響で急遽勤務が入りました。バアバもパートの仕事日です。
というわけで、子守の仕事が舞い込みました。
中学生の部活動は、試合の予定でしたが、朝7時の段階で警報が出ていたら中止、となっていました。でも、警報は残っているものの影響が薄れていく見通しなので、にわかに実施となりました。車で⑳婦鉛のところですので、私が送る役を仰せつかりました。残った小学生二人と保育園児たちは、しばらく子どもたちだけでおとなしく留守番をしていましたが、保育園児のウンチの処置で機嫌が悪くなったというので、ジイジの出動となりました。
おにぎりを持って公園で遊びました、よく晴れて、さわやかでした。





夜は、演劇鑑賞に行きました。
劇団「青年座」の公演「ブンナよ木から降りてこい」です。

劇団のHPにはこんな紹介がありました。

作品について


この世にはもっともっと広く、平和で、仲間の殺されない未知の国がある。
そんな思いを胸にトノサマ蛙の子ブンナは
住みなれたお寺の境内にそびえ立つ椎の木に登ります。
やっとの思いでてっぺんまで這い上がったブンナ。
そこには、ブンナがもぐり込むことの出来る土のたまった空間があった。
太陽が輝き、風に草花がそよぎ、うまい虫までが飛んでいる。
天国だ――!
しかし、そこは鳶の餌ぐらだったのです。
次々と連れてこられる傷ついた雀、百舌、鼠、蛇たち。
彼等は「死」を前に壮絶な戦いを繰り広げる。
天国から地獄に突き落とされたブンナ。
土の中で怯え、慄きつつ、なを生きることを考える。
季節は秋から冬へ、そして長い長い冬眠――。
春がやってきた。
眠りから覚めたブンナは鼠から生まれ出てきた虫たちを食べ、
仲間が住むお寺の庭へと降りて行くのでした。


少し引用します。

 水上勉氏に「ブンナよ木から降りてこい」という児童向けの作品があります。ブンナは、釈迦の悟りの遅い弟子ブンナーガにちなんだ名前を持つトノサマガエル。木登りが得意です。
ある時ブンナは高いシイの木のてっぺんに登るが、そこは、実は鳶の巣であり、逃れがたい「生命の連鎖」の諸相に直面する場所だったのです。
、「生命の連鎖」の重みや、いのちを繋いで生きることの尊さを、子どもたちと一緒に考えさせるこの作品は、舞台演劇やアニメーション映画にもなりましたね。私は残念ながら、観てませんけれど。

抜き書きメモ
「弱いってことは、わるいことではないよね、かなしいことだけど……わるいことではないよね」(雀の言葉)
「ブンナよ、おまえはいつでも死ぬ覚悟ができているか。この世は弱肉強食の世界だ。かえるにうまれたおまえは、いつへびにみつかっても、鳶にみつかっても、みぐるしくなく、つれていゆかれる心ができていなければならない。ブンナよ、覚悟はできているか」(老蛙の言葉)
生老死悟り顔なる夏蛙より

ここで「私は残念ながら、観てませんけれど。」と書いていましたが、その残念さは、ここで晴らすことが出来ました。ところで、観劇の感想は?またの機会に譲ります。
今日はここまで。

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「蓮」と「漣」の関連と区別についての考察???の巻 [折々散歩]

昨日の記事のタシギは、ハス田で撮影しました。
セキレイはたくさんいました。

コサギも。

上の2枚は、finepixs1です。
したはPENTAXk10d+タクマ-300mm+テレプラスの画像ですが、色が見劣りしましたので、モノクロに変換してみました(トリミング)。そもそも白黒フィルムの時代ですから、カラー画質を期待してはいけないのかも知れません。ピンぼけは、ご愛敬、、、。

ハスは、もちろん、漢字で「蓮」と書きます。
明治安田生命の名前ランキングによると、男の子の名前として「蓮」は2000年以降人気があり、2014年には1位を獲得。2015年は3位。2016年は2位と、高い人気を維持しているそうです。「ハス」でのも「ハチス」でもなく、ましてや「ロータス」でもなく、多くは「レン」君とお読みするのでしょうね。
ところで、よく似たこの字は?

難読漢字のひとつでしょうか?
音読みでは、これまた、「レン」と読むのでしょうね。
これを、訓読みで「さざなみ」と読むのだそうです。
知りませんでした。
昨日の朝、中学生の孫を部活動の練習会場に送った帰り道、偶然、宇野港付近をとおりかかったら、巨大な船舶が停泊しているのが見えました。近づいてみますと、海上自衛隊の護衛艦「漣(さざなみ)」だそうです。
記念写真だけでも写して帰ろうと、車を止められる場所を探しながらゆるゆる走っておりますと、「臨時駐車場」の表示があり案内の人が立っておられます。一度通りすぎて、Uターンしてみますと、「護衛艦艇さざなみ一般開放」の見学者のための臨時駐車場だそうです。
はじめは、遠くから何枚か写すだけのつもりでしたが、せっかくの駐車場なので、成り行きで敷地内に入ってみましたら、かなり奥まった場所まで案内されました。ちょうど台風の影響で雨が降る中でしたので、傘を差して埠頭まで歩きます。よほど遠くから写さないと、広角28mm相当でも、巨大な全身が収まりません。

時刻は午前9時前でしたでしょうか?9時半乗船開始だそうで、もうすでに行列ができています。そうか、一般開放ということは、外から見るだけでなく、乗船体験ができるということなのですね。

元来、そういうのは、あまり気が進まない性分なのですが、ちょっとした気まぐれで、行列の後尾について順番待ちすることにしました。

見あげたところに救命ボートが装備されていますが、これがかなりのサイズです。しかし艦艇全体の大きさに比べると小さく見えます。

近くを、フェリーが通りかかりました。日頃は大型フェリーと思えるこの船が、なんと小さいこと。



行列に従って艦内を見学して回ります。
いろいろな装備や武器が展示され、自由に触れたり内部を見学したり出来ます。隊員の方が丁寧に接客、説明してくださいます。



















メカニックな計器類が、時代の先端を思わせます。





艦内のいくつかの部屋も公開されています。




記念撮影コーナーもあります。

制服や装備を試着できるコーナーもあり、記念写真におさまる子ども連れ家族の姿もありました。
さりげなく、掲げられているこんな掲示が目につきました。

やはり、命がけのお仕事です。
若くて精悍な、気持ちの良い海の男たち=乗組員の皆さん。常日頃から、いざという場合への心構えは固めておられることでしょう。でも、この方たちが、いたずらに「いざという場合」に直面しなくてすむように、細心の注意を払う責任は、政治にあります。
北朝鮮の愚行を最大限利用して、国民の不安と敵愾心を煽り、「異次元の圧力を科す必要がある」。「圧力をかけていかなければ、彼らは対応を変えていかない」「今のまま国際社会に挑戦を続けていけば、未来がないと北朝鮮に理解させないといけない」などなど、ますますヒートアップして、行け行けどんどんで好戦的気分を駆り立てるアベ内閣。大変困ります。
日刊ゲンダイがこんな記事を書いていました。まったく、もっとも至極です。

 元中国大使の丹羽宇一郎氏も7日付の朝日新聞で、北朝鮮情勢を口実に先鋭化する安倍政権に対してこう懸念を示していた。
〈最近、北朝鮮や中国への強硬論がまかり通っています。危ないことを格好いいことだと思っている。戦争の真実を知るべきです〉〈戦争の真実とは何か。それは、「狂う」ということです〉〈北朝鮮問題の解決については、すべての核保有国が2年間、核開発と使用を一切凍結する。その間に、唯一の被爆国日本が仲介し、米朝、米中で話し合う。これが唯一の道だと私は考えます〉


見学を終えて駐車場に向かいますが、相当歩かないと全容がカメラに収まり切りません。
s-S0303078.jpg

思いがけない体験でした。
今日は、台風接近のため一般公開中止と、朝方、TVのテロップが流れていました。
偶然の出会いも、何かの縁。護衛艦「さざなみ」について、次回また改めて、お話が続きます、、。

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ムナグロには遭へざりしかど、、、の巻 [折々散歩]

私の居住地エリアに、こんな鳥が来ていると、先日M師が教えてくださいました。





ムナグロだそうです。
ノドグロは、テニスの錦織圭さんの好物だと聞き知っていましたが、あれは魚ですし、、、。
ハラグロは?もちろん、言わずと知れたあの連中ですな。誰とは言いませんがね。
ムナグロは?面識ありません。是非会いたいです。
詳しい観察スポットまで教えてくださいました。私の日頃の行動エリアの範囲内です。
「タマシギのように巣を作っているわけではなく、移動の途中の休憩ですから2.3日しか滞在しませんので、行かれるのでしたら早いほうがいいでしょう。」とありました。
あいにく、アルバイトの仕事やら、保育園の祖父母向け行事やらが続きましたので、すぐ近くの場所なのに、なかなか出かけることが出来ません。何とか、隙を見付けて夕方や朝に出かけてみましたが、残念ながら、対面はかないませんでした。
今日も台風の雨の中、のぞきに行ってみましたが、やはり見つかりません。
残念なので、少し足を伸ばして別の場所をのぞいてみました。
雨が降っていましたので、濡れても惜しくない機材ということで、防塵防滴のPENTAXK10Dに、超オールドレンズのタクマー300mmf4+テレプラスを用意してみました。
あたりが薄暗い上に、マニュアルフォーカスによるピンぼけと、オールドレンズの不鮮明さと、色収差等など悪条件が重なって、はっきりしませんが、トリミングしてみます。
どうやら、タシギでしょうか?二羽います。





もう一台用意していたのは、防塵防滴のコンパクトカメラFUJIファインピクスS1です。





このカメラ、あなどれません。
ところで、M師からの次の便りに「私どもも翌日の朝行きましたが、いませんでした。秋の渡りはシベリアあたりから一気に南洋諸島まで渡るようで、日本への滞在は短時間のようです。」とありました。しぶしぶ納得した次第です。
とともに、この動画を広めてほしいと、依頼がありました。
先日書いたこの記事、小鳥の森がアブナイ?の巻の続きです。是非、ご覧ください。

https://youtu.be/eisNYSchODI
取り急ぎご紹介まで。
今日はこれにて。

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今日の月、の巻 [折々散歩]

留学生相手の日本語授業の前期試験が近づいていて、これまでの授業プリントの中からセレクトして、試験対策プリントを用意しようと思っていました。A4裏表5枚ほど、午前中に仕上げました。辛気くさい作業なので、朝散歩の後で取りかかることにしました。

夜明けです。



朝日を浴びて露が光っている稲田に、蜘蛛の巣が不思議な美しさで輝いています。





常山の上空を彩る蜘蛛も秋の気配です。











稲田の向こうに麦飯山を望みます。













栗の実も熟し始めている様子。



柿の葉。病葉でしょうか、色づいています。











朝顔がまだ健在です。















芙蓉(アメリカフヨウ?)に露が降りています。









空を写そうと、上を見上げると、、、、。



頭の真上に、月がありました。



パソコン作業に飽きて、畑仕事を少々。30℃超えの暑さでした。

夕方、もう一度散歩しました。その際の画像は、またの機会に譲ります。

ところで、バアバによると、小4の男の子が、夜になって表に出てきて機嫌悪く空を見上げていたそうです。月の観察という宿題があったことを、母や兄に追及されて、観察に出てきたようです。「月なんか出て内」と起こっていたようです。

朝見た月の記憶がありましたから、念のために調べてみると、私の地方の、月の出月の入りはこんな具合。

年月日 方位[°] 南中 高度[°] 入り 方位[°] 正午月齢[日]
2017/09/01 15:06 114.0 20:18 35.3 0:42 246.1 10.4
2017/09/02 15:52 113.3 21:07 36.1 1:31 246.1 11.4
2017/09/03 16:36 111.3 21:56 37.9 2:23 247.4 12.4
2017/09/04 17:17 108.2 22:44 40.6 3:18 249.9 13.4
2017/09/05 17:56 104.2 23:33 44.1 4:16 253.4 14.4
2017/09/06 18:33 99.4 --:-- ---- 5:15 257.9 15.4
2017/09/07 19:09 94.1 0:22 48.2 6:16 263.0 16.4
2017/09/08 19:45 88.5 1:10 52.7 7:18 268.7 17.4
2017/09/09 20:22 82.9 2:00 57.5 8:21 274.4 18.4
2017/09/10 21:01 77.6 2:50 62.1 9:25 280.0 19.4
2017/09/11 21:43 73.0 3:42 66.4 10:30 285.0 20.4
2017/09/12 22:29 69.4 4:36 70.1 11:35 289.2 21.4
2017/09/13 23:21 67.1 5:33 72.8 12:40 292.1 22.4
2017/09/14 --:-- ---- 6:30 74.3 13:41 293.5 23.4
2017/09/15 0:18 66.4 7:29 74.4 14:39 293.2 24.4

今日の月の出は、23:21!小4生が観察出来る時間ではないようですね。

今日はここまで。


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○○補遺補遺、の巻 [折々散歩]

昨夜から明け方にかけて、激しい雨が断続的に降りました。県内でも、何カ所かJR線が運行休止になるなど、思わぬ影響が出ました。

カレンダーには、「年金裁判」とメモしていましたので、悪天候ながら裁判所まで、公判の傍聴に向かいました。

家を出発してすぐ、運転席側面の窓ガラスに、かなり巨大なゴキブリがへばりついていることに気づきました、昨夜の雨風を避けて、サイドバイザーの陰に身を潜めていたものらしいです。運転中ですので、窓ガラスを下ろして、うまく追い払える自信もありませんし、捕獲することも容易ではなさそうです。まさか、これからゴキブリホイホイを仕掛けるわけにも行きません。

走行を始めれば逃げ出すだろウト高をくくったのは大間違いでした。「エーイ振り落としてやる」と、嗜虐的な衝動に駆られて、スピードを上げたり緩めたり(もちろん周囲の車の流れに合わせてですが)してみても、長い触覚が大きく揺れていることをのぞいては、悠然として身動きもしません。走行中、ほとんどそのことばかりを意識しながら、どれくらい走ったでしょうか。朝の通勤ラッシュの中ですから、走行距離はさほどでもないのに、数十分は彼のドライブに付き合う羽目になりました。

しばらく走り続けたあと、何度目かの赤信号で停車し、信号待ちをしている途中、彼はもそもそと動き出し、サンバイザーの陰を脱して窓ガラスを伝ってボディのあたりまで足早に降りて行きました。信号が青に変わり、発車。その弾みに、やっと彼の体は車体から離れたのでした。

もちろん、運転中ではありますし、写真に撮ったりする余裕はありませんでした。というより、写真に撮りたい対象でもありませんから。

代わりと行っては何ですが、これも今日、車のフロントグラスに乗車されたお客様です。







夕方、雨上がりに、ちょっと畑に行った帰りに、乗り込んできて、我が家まで乗って帰ったバッタです。

畑の周辺の田園風景です。先日通った山田では刈り入れが終わっていましたが、この辺りはまだ稲の葉が青々としています。



よく見ると稲の花が咲いています。



昨夜は、何度も稲光、稲妻が空を走り、大きな雷鳴がとどろいて、激しい雨が降りました。

以前こんな記事を書きました。

佳き光賜(たまは)る朝や稲太る


 「稲妻(いなづま)」「稲光(いなびかり)」とは、いずれも雷光の別名です。
古来、「つま」とは、男女を問わず配偶者を呼ぶ呼称です。「稲妻」とは、「稲」の「夫(つま)」のことで、稲妻が光ると稲が実ると言うのです。古来、稲が結実する時期に雷が多いので、こんな言葉が生まれたようです。
ちなみに「雷」は古くは,「イカヅチ」と読んだようで「カミナリ」と読むのは相当時代が下って、中世以降に優勢になる読み方であるようです。
そういえば、平安初期の『伊勢物語』に「神さへいといみじう鳴り」「神鳴るさわぎ」という表現が出てきました。神様が鳴るのが雷(かみなり)なのですね。
「稲妻」「稲光」は視覚を、雷(かみなり)は聴覚を、それぞれ刺激します。ところで、『伊勢物語」「芥川」のこの場面は、以前この記事であらすじを書いたことがありますが、今日は、念のために原文を引用しておきます。
 昔、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、年を経てよばわたりけるを、辛うじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、
「かれは何ぞ」
となむ男に問ひける。行く先遠く、夜も更けにければ、鬼あるところとも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥
におし入れて、男、弓・胡?を負ひて、戸口にをり。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に喰ひてけり。
「あなや」
と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、みれば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを
「稲妻」「稲光」が稲を実らせるとの言い伝えはもっともなことですが、「稲」を明るく輝かせる朝の光も、稲を着実に太らせているのではないでしょうか?これがホントの「稲光」。---そんな説は聞いたことがありませんが。

話がそれて、なかなか本題に戻れません。

そうそう、今日の主な行動は、「年金裁判」の傍聴です。裁判所に9時18分に着いて(急に細かい数字が出てきますが、駐車券に刻印された入場時刻です)、ロビーあたりをうかがいますに、それらしい様子がありません。ソファーに座って待ちます。待ちに待ちますが、気配がありません。不安になって、受付窓口出来いてみました・

「今日は年金の裁判、入ってませんか?」

「入ってますよ」

「ああ、じゃ、もう始まってるんですか?」

「いえ、11時からです」

早く着きすぎたのでした。まあ遅れるよりはましでしょう。少し時間を潰してこようと、駐車場に向かい、車で動こうと思ったちょうどその時、同業退職者のO先輩の姿をみつけました。早速声をかけますと、曰く「10時からとメモしているけど、集合時刻だったか開始時刻だったか不確かで、早めに来た」とのこと。待つうちに、三々五々、集まってこられました。正しくは、10時半集合だったそうで、ゆったり時間が過ぎました。病院の待合で、待つことに離れてますから平気ですが。

予定のの時間までには、原告、傍聴の方たちが、県内各地から続々と詰めかけ、JR普通の影響で何人かは欠席されたにもかかわらず、傍聴席は満杯。廷外廊下で待機する方も何人も出るほどでした。

開廷前の入廷行進。ケータイ(ガラケー)で写しました。



裁判は、この記事年金裁判第2回公判傍聴雑感、の巻にも書きましたが、2013年10月の年金減額を不当として争う第一次訴訟と、2015年4月に初適用されたマクロ経済スライドを違憲・違法として追加提訴した第二次訴訟とが並行して行われています。今日の公判は、それぞれ15分ずつが割り当てられていたのですが、予想通り呆気なく終わりました。

その後場所を変えて、まとめの集会があり、弁護団からの説明や質疑、意見交流が行われました。

印象に残ったこと。

出席者から、週刊ポストの年金特集の紹介がありました。








「この裁判は、子や孫に、安心して暮らせる老後を保障するためのジジババのたたかい」(原告団長東さんの言葉)

「当面重視するのは、原告の陳述書提出の取り組み。年金削減とは、一人ひとりにとってどういうことか、具体的事実に即してありのままに語る。いわば、人生を語るとりくみ。事実の力・重さで、裁判官の心を動かす。」(弁護団)

「陳述書、長くなってもかまわないが、出来るだけコンパクトにまとめる努力を。長い文章を書くのはたやすいが、短くまとめることは難しい。」(弁護団長)

いやはや、もっともです。私のブログ、まったく当てはまりますから。

今日の記事も、さっさと終わりたいのですが、とにかく、「○○補遺補遺」という意味不明のタイトルに決着を付けねばなりません。

先日写したタマシギについて、M師が「親鳥のツタンカーメンのような顔がよくわかります。この親は♂です。メスは卵を産むとすぐに次のオスを探しに出てゆきます。タマシギ♂は究極のイクメンです。」と教えてくださいました。そして、ツツドリの写真を添えてくださいました。

赤色系(メスと言われている、珍しい)だそうです。


青色系(こちらが普通)







「ツツドリはホトトギスと同じで托卵し子育てを全くしません。」とありました。

この写真は県北の公園で撮影されたそうですが、私の最寄りの公園にもツツドリの姿が見えるという情報を、実は少し以前、M師から教えていただいておりました。そこで私は、訪ねていってみたのですが、、、。







どうもこれはヒヨドリのようですね。

代わりに、エナガを写せたので満足してます。





それと、最近の散歩で写したサギたちの写真。補遺です。







もっと補遺の追加を用意していましたが、今日はこれにて中断。ごきげんよう。


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秋あれこれ、の巻 [折々散歩]

部屋の中を、カナヘビの赤ちゃんが遊んでいるのを見つけ、驚きました。
ヤモリならわかりますが、カナへビとは。どこから入ってきたのでしょう。
壁を這って逃げようとしますが、ムリです外にはつながってませんから。

捕虫網でソオッと掬って、表へ逃がしてやりました。
ところが別の日、またまたリビングにカナヘビ。
同じような場所に逃げます。

聞くと、妻も発見して逃がしたそうです。
侵入経路が謎です。部屋の中で生まれたの?と考えるとホラー感が刺激されます。
庭には同じような大きさのカナヘビが、ちょろちょろ何匹も走り回っています。
捕まえたよと、小4生がみせてくれました。

両手に、一匹ずつ捕まえています。

いろいろな蜘蛛も、すこしはすずしそう?

朝日を浴びる朝顔。


飛ぶアオサギにカメラをを向けますが、ぶれます。
日中は日射しが強くなりますが、それでも涼しい風がありがたい。

この花の正体がわかりません。毎年おなじ場所に咲きます。









トンボはなおさらです。オートフォーカスは間に合いません。マニュアルで、ようやくそれらしく写ります。ギンヤンマです。
夕焼け雲がおもしろい色とかたちをみせてくれます。

昨日は、田舎に草刈りに行ってきました。栗の木や、柿の木の下草を、少しだけ刈りました。山の斜面に切り開かれた畑で、以前は麦や野菜を耕作していました。乳幼児の私を、乳母車に乗せたまま耕作していて、乳母車ごと坂道を転げ落ちたこともあったとか。子どもの頃、ここに栗の苗を植えた日の記憶がぼんやりとあります。「桃栗三年柿八年」とか言いますが、かれこれ50年もの間、毎年、実を提供し続けてくれていることになります。
後に畑の一部が削られて、公道が通ったりして、地形もすかっりわりましたし、笹や下草が思うままに生い茂って、畑だった面影はどこにもありません。それでも、栗の実を拾ったり、柿の実を少しでもぐために木に近づけるよう、下草を払う仕事を、これまでは老父がしていたのですが、足膝の痛みもあって今年は出来ませんので、代理の作業です。
草刈り機の燃料タンクが一回空になり、給油してあらかた目一杯、作業を続けました。真夏に比べると汗の量が違いますが、それでもシャツがぐっしょり濡れます。
草刈り機ではとても刈り払えない、直系10センチ以上もあるようなハゼノキも何本もはびこっているので、これをのこぎりで切り倒すなど、ちょっとした木樵作業も楽しんで、快い疲れと足腰の痛みを土産にもらってかえりました。
まだ青いイガですが、枝を揺するとぱらぱらと落ちてきましたので、持って帰ってみました。本格的には、例年だと20日過ぎかと、父は言います。

早く熟れる品種もあって、木の上で口をひらいて、すでに実を地面に落としているとしているらしい毬もあるのですが、地面に栗の実は見当たりません。毎年のことですが、夜の間に、イノシシが実をたべて帰るらしいのです。負けないように、昼間の間にこちらが拾って帰らなければなりません、
イチジクも、どんどん熟れています、これは烏との競争です。

帰路、少し足を伸ばして、上山の棚田(上山千枚田)と言うところを訪ねてみようと思いました。

上山の棚田/美作市ホームページから引用します。



 

上山の棚田

美しい棚田風景を目指して

 かつては8300枚の棚田があったといわれる上山地区。減少してしまった美しい棚田を取り戻そうと、Iターン、移住者などの方々を中心に復興作業やさまざまな活動が行われています。

花咲くのどかな棚田や周辺では斜面地での里山の暮らしの息吹が感じられます。
地域おこし協力隊の活動HP:上山集楽(外部サイトへ移動)


中学生時代、友人を訪ねて、この地域へは自転車で行ったこともあります。往時の棚田も、見覚えがあります。
「自分の田を数えてみたがどうも一枚足りぬ、どうしたことかと気づいてみると、自分の笠が田を一枚かくしておった」というような、千枚田の伝承を聞いた記憶もあります。
離農や高齢化で、荒れていた土地を、地域おこしの・復興の取り組みが進んでいることは、全国ニュースやドキュメント番組でも取り上げられ、注目を浴び強う担っています。あのアベ昭恵夫人の「支援」も、鳴り物入りで喧伝されています。
というわけで、ちょっと一目見てやろうと思って山道を走ったのですが、、、。
確かに棚田めいた田圃はありましたが、これでは規模がイメージと違います。



この辺りでは、冬の訪れが早いので、稲の刈り取りが終わっているようです。
結局本格的な棚田風景にめぐりあえないまま、「和気町」という表示があらわれます。隣の行政区に到達してしまったようです。これは道を間違えたぞ、と、今来た道をあと戻り、、、したのですが、目的エリアにたどり着けず、平地まで「下山」してしまい、今回の訪問は実現しませんでした。オソマツ。
途中、こんな滝を見ました。







今日はここまで。

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単刀直入、の巻 [折々散歩]

「単刀直入に言いますと」と、先日の朝、中二の孫が電話してきました。「弟の夏休みドリルの答えを、そっちの家忘れてませんか?」
叱られてふてている弟をかばって、兄が電話してきたもののようです。
さて、今日の記事は、単刀直入に言いますと、初めてタマシギを撮影したご報告です。
先日、「タマシギの親子が来ている」と、M師が教えてくださった場所に、何回か連続で出かけてみました。今日も朝と筆過ぎと、2回でかけ、やっと見つけることができました。
親子の散歩です。

トリミングします。

更に大きくしてみます。

あちこちにこびりついているピンク色の塊は、ジャンボタニシの卵塊です、





もっと鮮明な画像がほしかったのですが、かなり遠いので、不満は言いますまいはじめの頃、「見つけたぞ」と思って写した相手は、遠目ながら、どうも姿勢や動きが違うみたい。



どうもバンだったようです。

いつもなら、これでも十分嬉しいのですが、、。
じっと遠くの方を狙っておりますと、すぐ目の前に、ハクセキレイが飛んできました。車を停めてカメラを構えてるすぐ前の道路越しです。

少しだけトリミングします。



おまけ 今朝の月。

今朝のアベリア。

三歳児が発熱し、すわ、と身構えましたが、今日はもう保育園に登園し、帰ってきたら元気に走り回っていました。
公園に連れて行ったら夕焼けの頃まで遊んでいました。






今日はこれにて。

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沙羅双樹の花の色、の巻 [あれやこれやの知ったか話]

昨日の記事にご紹介した故Hさんが、連続18回続けたという「平家物語講座」の第一回で配付した資料に、こんなものがあったようです。


下が、昨日の記事の終わりで話題にした、釈迦入滅の時を描いた「涅槃図」です。
「小学館デジタル大辞泉」の解説を引用します。

 ねはん‐ず〔‐ヅ〕【×涅×槃図】
釈迦が沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で入滅する情景を描いた図。一般に、釈迦が頭を北、顔を西、右脇を下にして臥(ふ)し、周囲に諸菩薩(ぼさつ)や仏弟子・鬼畜類などが集まって悲嘆にくれるさまを描いたもの。涅槃絵。

「平家物語」冒頭のおなじみの一節に「沙羅双樹の花の色」とあることの解説資料と思われます。この木については過去記事にも何度か取り上げています。

故旧あい集いし森の青胡桃


 庭にはシャラ(ナツツバキ)のツボミもふくらみ始めていました。
この花は、咲いたらその日のうちに散るのだそうです。
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 先日訪ねた半田山植物園でも、シャラの木を見つけました。
 
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 平家物語冒頭の、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。」と描写されるのが、「沙羅」ですね。
釈迦入滅の時、その床の四辺にあった沙羅樹がたちまち枯れて白色に転じたと言われます。
日本ではこの「ナツツバキ」を「沙羅」と呼び、庭木として植栽しますが 、釈迦入滅を見届けた「沙羅」の木とは別種だとも聞きます。

六月の花 紫陽花 総集編


  途中、倉敷市藤戸寺を通ってみました。平家物語ゆかりの寺で、沙羅(ナツツバキ)で有名な寺ですが、六月の三日間だけ客殿を開放し「沙羅の花を観る会」が催されるのだそうですが、今年はあいにく開放期間終了との掲示がありました。
藤戸寺については機会を改めて記事にするとして、今日は朝日を浴びた紫陽花の花だけをアップします。
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ナツツバキの花の画像も、何度か掲載しました。



先日この記事で三徳園を訪れたときには、実がなっていたので、珍しいと思って写してきました。

小鳥の森がアブナイ?の巻



ところで、上の記事で、「藤戸寺については機会を改めて記事にする」と予告しながら、3年以上前のこのお約束が、まだ果たせていません。
以前も何度か記事を借用させていただいた 「岡山の風 郷土史」
の別サイト「岡山の風 風景・歴史・伝説」下津井 「源平合戦ゆかりの地」という記事があります。少し引用させていただきます。

 源平合戦ゆかりの地

 源平時代、四国の屋島を拠点に瀬戸内の制海権 (海上交通路の支配等) を掌握していた平家は、  ここ下津井に城(下津井古城:下記) を築き、当時、吉備の穴海 (現、瀬戸内海)に浮かんでいた児島を、源氏の攻撃に対峙する前線拠点にしました。

 1182年、九州大宰府を経て、四国屋島(現、屋島東町) に行宮(あんぐう:行幸時、政変時などの仮宮)を置いた平家の主君、安徳天皇の御座船が下津井に入港。

 1183年、児島半島の西、高梁川の河口にある乙島、柏島間の海峡で日食を利用した作戦により、平家が源氏に勝利。   (水島合戦)

 1184年、十数隻の船団を組み、下津井港に攻めてきた反乱軍(源氏に寝返った阿波・讃岐の兵士)を平家が、下津井港沖で撃退。(下津井合戦)

 同年、本土と児島を隔てていた吉備の穴海(現、瀬戸内海)の浅瀬を馬で渡る作戦により、藤戸(現、倉敷市藤戸町)に陣を敷いていた平家に源氏が勝利。(藤戸合戦)

 同年秋、平行盛が、ここ田之浦 (当時、備前壇ノ浦) に布陣、源氏の大軍を迎え討ちましたが、 源氏方の武将、佐々木三郎盛綱に敗れ、屋島に逃れた後に壇ノ浦の合戦で討死。


藤戸合戦と飽浦

   藤戸合戦時、藤戸の東対岸(現、岡山市南区飽浦辺り)に陣を敷いていた源氏方は、船が揃わなかった為に平家を攻めあぐねていましたが、一ヵ所だけ馬で対岸まで渡ることができる海の道が在ると、近くの漁師から教わった佐々木三郎盛綱らが先陣をきり馬で対岸へ渡り、源氏方に大勝利を納めるきっかけをつくりました。(平家物語「藤戸の渡し」)
 この後、檀ノ浦の合戦に至ります。

 その功績として佐々木三郎盛綱は、将軍 源頼朝から児島全土と小豆島一帯に及ぶ広範囲な領地を与えられ、 佐々木氏一族は飽浦の地に居城(現、高山城跡 )を築き、 盛綱は、地名にちなみ 「飽浦三郎」と名乗りました。
 

々木三郎盛綱に関しては、「笹無山」伝説として知られる次のようなエピソードがあります。これはかつて「マンガ日本昔話」でも放送されました。
あらすじまとめサイトから引用してご紹介します。

 あらすじ

昔、備前の国藤戸という寂しい漁村に漁師の親子が住んでおりました。息子の名は「与助」と言い、大変な孝行者でした。

平穏に暮らしていた親子でしたが、源平の合戦が激化して平家が一の谷に逃げてきたことから、源氏の兵が藤戸の村に陣をかまえるようになりました。

ある冬の冷たい雨が降っていた晩のこと。与助が一人で漁にでかけ船で準備をしていると、甲冑姿の鎧武者が現れて「浅瀬の場所」など内海について詳しく聞いてきます。

与助は、丁寧に侍たちの質問に答えてやりました。浅瀬の場所を聞いた侍たちは、さらに分かりやすいように「瀬踏み」をして欲しいと頼み、与助は断るわけにもいいかずに、冬の冷たい海に裸になって入り、浅瀬に目印の竹をつける作業を手伝いました。

ところが、その作業が終わって与助が漁に戻ろうとすると、大将の佐々木は「このような下郎はどこで誰に漏らすやもしれん」と口封じのために与助を斬りつけたのです。

漁師仲間が内海に浮かんでいた与助を見つけ、母親が駆けつけた時には既に与助は冷たくなっていました。あとから与助を切りつけたのは「佐々木」という武将であることがわかりましたが、母親にはどうすることもできませんでした。

「与助が一体何をした…おのれ佐々木」
母親は何を思ったのか裏山に駆け上ると「佐々木憎けりゃ笹まで憎い。佐々木よ与助を戻せ」と言いながら笹の葉を引きちぎりはじめました。

母親は全身血まみれになっても笹の葉を引きちぎり続け、とうとう広かった裏山の笹はひとつ残らず葉を引きちぎられてしまいました。後にこの話を聞いた佐々木は、流石に己の行為を悔いたのか写経をしたり、与助の霊を慰めるためお堂を立てたりしました。

裏山の笹はそののちも全く生えることはなく、村人はこの山を誰ともなしに「笹無山」と呼んだそうです。

(投稿者: もみじ 投稿日時 2012-8-6 15:23)



 ユーチューブの動画はこちら。

22 【まんが日本昔ばなし】 笹無山 - YouTube


「笹無山」と呼ばれる山は、いまも藤戸寺近くの街道脇に存在し、案内板が掲示されています。倉敷市公式観光サイト倉敷観光webのこのページに、詳しい紹介がありますので参照ください。

藤戸寺について、ウィキペディアはこう解説しています。

 寺伝によれば、この地に寺院が建立された由来は以下の通りである。寺の周囲がまだ海であった慶雲2年(705年)に千手観音像が海中から浮かび上がり、それを安置したことに始まる。その約30年後、諸国を巡っていた行基により安置してあった千手観音像を本尊とし天平年間(729年 – 748年)に寺院を創建した。
寿永3年(1184年)12月、源平合戦の藤戸の戦いで戦功を挙げた佐々木盛綱は、戦後、この寺院の周辺である児島郷を領地として拝領し、戦乱で荒廃した寺院を修復したとされる。
盛綱は合戦の際に若い漁師が道案内をしたことで武功を立てたが口封じのために殺害したと言われる。その漁師の霊と合戦の戦没者を弔うために当寺院で大法要を営んだと伝えられている。
この伝説は謡曲「藤戸」として能の演目の一つとなっている。以後、毎年、藤戸寺土砂加持法会において盛綱とともに供養されている。(太字は引用者)

今日はここまで。

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「渦虫」と「蝸牛」の三題噺後編、の巻 [あれやこれやの知ったか話]

前回記事に「渦虫」と「蝸牛」を間違えた話題を書きました。
それがきっかけで、古い記憶が呼びおこされました。
「渦虫」でも「蝸牛」でもない「呉牛」は、過去記事(たとえば下の記事)に「畏友Hさん」「H氏」という名で何度か登場する、4年前に亡くなった友人の俳号でした。(私のブログには、別人のHさん、H氏、H君も登場しますので、混乱があったらお詫びします。)

自由なる友や何処を旅すらん


初盆や逢うて寂しき目覚めかな
西行も浮かれこそすれ花爛漫


西行の碑を抱くかに咲き初めし


亡き友を偲ぶ会あり燕来る


私は長いこと、早とちりでこれを「蝸牛」と錯覚し、句作の遅さをみずから嗤って「カタツムリ」に擬してそう名乗ったのだと思い込んでいました。彼の死後、大変な思い違いに気づきました。
辞書によると、「呉牛」とは、かくのごとし。

 《中国、呉の地方に多くいたところから》スイギュウの別名。


昔、ベトナム旅行で写したこの牛が、水牛でしょうか?
「呉牛喘月」という四字熟語があるそうです。

 ごぎゅう-ぜんげつ【呉牛喘月】の意味

新明解四字熟語辞典

  1. 過度におびえ恐れることのたとえ。また、疑いの心があると、何でもないものにまで恐れや疑いの気持ちをもつたとえ。暑い呉の地方の牛は月を見ても暑い太陽だと思い、喘あえぐ意から。▽「呉」は江南一帯の地。「喘」は息が切れて苦しそうに呼吸すること。「呉牛ごぎゅう、月つきに喘あえぐ」と訓読する。

彼は、悠揚迫らぬ大人の風格を備えた大らかな人物と、若い頃か傍目には見え、彼を知る誰しもが、そうしたなエピソードを語りつつ彼を偲んだものでしたが、彼自身は、みずからの繊細さ、ナイーブさを、深く自覚しておられたのかと、改めて感慨を覚えたことでした。
彼を亡くして程なく、彼を悼んで、県内外の多彩な方々が追悼文を寄せてくださり、彼の遺稿と合わせて「追悼・遺稿集」を編むことになり、その編集のお手伝いしたことがありました。自身もこんな追悼文を寄せました

 初盆に寄せて kazg
退職記念に始めた私のブログ記事から一部抜粋して、追悼の言葉とします。今年のお盆の記事です。(注2013年の記事です)
 (1)
今朝方の夢で、久しぶりにH氏と逢いました。
気心の知れた何人かの顔ぶれで、テーブルを囲んで、なにやら座談めいたことをしています。議論が白熱するというわけでもなく、沈滞するというわけでもなく、穏やかに、快い時間が過ぎていました。
いつものように、H氏は、要所要所で緩やかに発言し、気の利いた味のある意見を陳述します。それを、周りもいつもの通りに受け入れ、話題が快く展開していくのです。
「健在そうですね。これなら、また一緒に○○(地名ですが、どこだったか。)へもいけますね。」と私が言うと、周りも同感らしく一様に頷き、H氏自身も、まんざらではない様子。
もちろん私もみんなも、彼が癌で闘病の末、この4月に肺炎をこじらせて急逝した事実を重々承知した上で、そう思っているのです。通夜でも葬儀でも、さらぬ別れを惜しんだばかりなのに、こんなにあっけなく再会がかない、しかも、また以前のように、弥次喜多の旅さえもできそうだと、うれしく思っているときに、目が覚めたのでした。
そういえば、丁度お盆。彼にとっては初盆で、もうこの近くに帰ってきているのかもしれません。合掌  
初盆や逢うて寂しき目覚めかな

(2)
H氏への追悼の思いは、何らか書きとめておかなくちゃと思いながら、気が進みませんでした。
初盆でもあるので、少々メモを残しておきましょう。
ちょっと昔、H氏が中心になって、「平家物語」とか「西行法師」とか「小野小町」とかにちなんだ史跡や碑を探訪する「ツアー」が何度か企画されました。伝承のみで信憑性が定かでない「史跡」もふくめて「眉唾ツアー」と彼は名づけて、老若男女を楽しませてくれました。
私は、決して熱心な参加者ではなく、冷やかし半分に、一ノ谷などを訪ねた「須磨・明石の旅」に混ぜてもらって、「明石焼き」を堪能したこととか、炎天下「小町姿見の井戸」(倉敷市)とか、「小町の墓塔」(総社市清音黒田)などの埋もれた「史跡」を、汗を拭き拭き訪ねたことなど、いくつかのシーンが細切れに思い出されるに過ぎません。その旅の企画立案者であり、ツアーコンダクターであり、解説者・チューターであったH氏が、いつも一番楽しそうでした。
運転免許を持たず、車を運転しない、というのは、地方都市の住人としては、奇特な存在でしょう。(そのくせケータイは、持ってましたよね。必ずしも、文明嫌い、便利さ嫌いというわけではないんだ。いや待てよ、懐に扇子と日本手拭い、髭剃りには日本カミソリ、布団では中山式快癒器、多羅尾伴内を気取るファッションセンス、○万円という高級帽子etc.という志向は、やはり古典派ではありますね。)
車を持たない彼の機動力は、抜群でした。20代のある週末、「国鉄」の駅ホームでバッタリ出会い、どちらへ?と聞くと、京都の歌舞伎公演を観にいく途上とか。あの年齢から、歌舞伎趣味でした。東京の歌舞伎座へもひょいと足を伸ばす。前述の歴史探訪も、必ず事前の下見(これが彼にとっては本番?)を欠かさなかったそう。
旅行や遠距離移動は、苦にならなかったようです。用務で県外に出かける機会などあれば、併せて行きたい場所に足を伸ばして来るようなことが、しばしばあったようです。私などは億劫者ですので、点と線の移動で済ませてしまうことが多く、見習いたいと常々感じることでした。
1年余り前の大腸癌の手術後の、療養と抗がん剤治療の期間も、彼は隙を見ては高野山周辺を訪ねたそうで、そのポジティブな行動力には頭が下がる思いでした。
亡くなる直前、お見舞いしたときは、酸素吸入器を自分で着けたり外したりという状態ではあったものの、「重篤な大病」という様子は見て取れず、むしろ回復も間近という風にさえ感じられる気丈さで、それに油断してついつい長居してしまいました。心には密かに、次の旅の構想が広がっていたのかもしれません。文字通り「自由」になった今頃、どのあたりを愉しく旅しているのでしょうか?
病床で、彼は、冗談めかして「遺稿集」に取りかからなければならないと言っていました。目次・構想はあらかたできていて、あとは過去の「書院」(ワープロ)のデータをパソコンの文書に変換しながら、まとめたい。が、痛み止めの注射のせいで、始終うとうとしているので、この眠気と戦ってパソコンに向かうべきか、今は体力の回復を待つべきか悩んでいると、冗談半分に漏らしていました。
私は、「とにかく今はしっかり養生して、体力回復を先行させ、肺炎の治療を成功させて、あと気長に抗がん治療に向かいましょう。気長に、ゆっくりと」等と、当たり障りのない言葉を掛けるしかなかったのですが、まさかそのあと数日にして病態が急変して、帰らぬ人になろうとは思ってもみませんでした。
思い返せば、2007年の私の脳動脈瘤手術のあと、共通の友人であるUさんと自宅に見舞いに来てくれました。見舞う側と見舞われる側が、こんな風に逆転する場面など、夢想だにしませんでした。何しろ、彼の方が2歳も若いはず。お子さんもまだ学生だし、順番が違うでしょ。と、しきりに悔やまれてなりません。
彼の直接の死因は、肺炎。その背景に、転移した肺がんがありました。
彼を見送った4月の時点では、よもや私に、同じ病名が宣告されようなどと、誰が思いつくことができたでしょうか。でも、私のは、まさしく初期でしてね、あなたの苦痛や不安に比べたら、雲泥の差なのですよ。
ただ、病気が病気だけに、侮ることなく、「終活」の心構えだけは整えておきたいのですがね。なかなか、煩悩に勝てません。たとえば、きゅっと冷えたビール!(正確には発泡酒ですがね)
終活を心に期せど酒旨し

上の文章に登場する「共通の友人であるUさん」は、Hさんの幅広い文章や作品を拾って、「遺稿集」を編集する中心をになってくださいました。厳選したものを冊子に編んだのですが、冊子に収まりきらなかったものを惜しんでCDに焼き、親しい人たちに配ってくださいました。それに触れると、改めて悲しみが蘇るので、敢えて机の片隅に放置したままにしておりました。
「呉牛」を思い出したのをきっかけに、そのCDを探ってみました。
内容は、彼が精魂込めて発行しつづけていた学級通信や、教科通信、教育研究会などで発表した実践記録や報告、文化祭等の行事に向けて、生徒はもとより職場の同僚にも熱心に発行した「啓蒙」プリント、市民相手に連続講義した「平家物語」講座の資料、教職員組合の熱心なリーダーとして活動してきた彼の本領が発揮された手書き職場新聞(後に、「書院」版も)などなど、きわめて多彩で、在りし日の面影を彷彿とさせるものばかりです。
いや、それらに耽溺するのが探索の目的ではありません。お目当ては、「呉牛」の作品が収められた冊子。彼の職場で催されていたという句会での作品を集めて、彼の手書き文字で印刷製本され発行された句集がそれです。第一集から第三集までの句集から、「呉牛」の作品がすべて、CDに収められていました。
その句集は、生前、彼からリアルタイムで見せて戴いた記憶がありましたが、正直、斜めに眺めただけで、味わうこともせぬままで、感想を伝えることも論を交わすこともないままに終わりました。
第一集に、秋を詠んだ句が掲載されています。ちょうど、これからの季節と思うにつけても、また、若かりし日の「呉牛」氏の姿がありありと脳裏に思い浮かぶに付けても、感慨ひとしおの思いにとらわれました。
1ページ分だけコピーしてご紹介します。端正な手書き文字から、その人柄が偲ばれます。


句集の片隅に、次のような小文が付されていて、彼一流の含羞がほほえましく懐かしく思われたことでした。

自他共に認める完璧主義者の彼が、締切を前に、推敲に推敲を重ねて句作に励んでいる様子が思い浮かびます。歩みののろさをカタツムリに擬して「蝸牛」と号したか、との私の錯覚も、あながち的外れではないのではと、居直ってみたりもするのです。いやいや、そう言えば、「牛」も歩みののろいものの代表格でしたか?
第三集に付された次の小文は、だめ押しの感があります。

締切の間際まで、句作に励んだ彼が、実人生においては、なぜこうも早々と完結を遂げてしまったのか。締切までにはまだまだ、存分の猶予時間があたえられていたはずではなかったか、と悔やまれてなりません。
最後にもう一句。




これはわかります。
涅槃図についての蘊蓄は、以前、彼から聞いたことがあります。
孫殿の誕生待つや誕生寺の記事で、こんなことを書いています。

 4月に亡くなったH氏が企画・引率して実施していた一連の文学史跡巡り(誰言うとなく「眉唾ツアー」と呼ばれていました)の一環として、真夏の誕生寺を訪ねました。宝物館で「八百屋お七」の振り袖をみて、数奇な縁(えにし)に感嘆したものでした。Hさんは、ついでに、宝物館に展示されている涅槃図を前に、流麗な独特の口調で、釈迦入滅にまつわる蘊蓄を語ってくれたことを、今更のように思い出します。

宝物館に収められた涅槃仏

涅槃図 には 迦様 の入滅(死) を嘆き悲しむ菩薩や仏弟子たちとともに、十二支の動物のほか、鬼や象や鶴や孔雀など様々な 鳥獣が描かれており、ムカデまでが釈迦を悼むために駆けつけたというのです。
百の足に、わらじを履いて駆けつけるのは大変だったでしょうね、いやいや、これは別の落語ネタでした。
Hさんの蘊蓄話は、なお続きます。
昔から涅槃図に猫が描かれることはなく、猫は鼠にだまされて、釈迦の死に間に合わなかった。ゆえに猫は、ネズミを恨んで仇として追いかけるようになった、というのです。
十二支に猫がいない理由と、よく似た言い伝えですね。ところ変われば品変わるで、干支に猫が出てくる国もある(ベトナムではウサギの代わりに猫が登場するようです。留学生もそう言っていました)し、お寺によっては猫が描かれる涅槃図もあるそうですね。
今日はこれにて。

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「渦虫」と「蝸牛」の三題噺前編、の巻 [あれやこれやの知ったか話]

トックリヤシ 様のブログ

ナイチャーオジイの海日記


の9月2日付けの記事海のアイドル(1724) 石垣島 米原リーフ下の冒頭に、「扁形動物門 渦虫綱 ヒラムシ目」の「ニセツノヒラムシ科 で和名無し」というキュートな海中生物のお写真が紹介されていました。
この「渦虫綱」を、「カチュウ」綱と読んだ私は、軽はずみに、カタツムリのなかまかな、とひとり合点してしまっていました。念のために確かめてみますと、「渦虫」は「カチュウ」ではなく、「ウズムシ」と読むのだそうですね。
ところで、カタツムリは「蝸牛」と書いて「カギュウ」と読むのでした。
以前、こんな知ったかぶり記事を書きました。

かなしみを背負うたるらし冬蝸牛(ふゆかぎゅう)


舞へ舞へかたつぶり 秋の雨に濡れたとて


繰り返しになりますが、一部を再掲します。

 童謡にも歌われるとおり、一般に「デンデンムシ」とも、「カタツムリ」とも呼ばれますが、地方によるとデデムシともナメクジとも呼ばれるそうです。
民俗学者柳田国男は「蝸牛考」(かぎゅうこう) で、地方による呼び方のちがいを全国的に調べ、その分布が、京の都を中心とする同心円状に広がっていることを明らかにし、「方言周圏説」をとなえました。(中略)
ところで蝸牛(かぎゅう)は中国語で、「荘子」を出典とする「蝸牛角上の争い」という故事成語もられています。ちなみに「デジタル大辞泉」の解説は次の通り。
蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)の争い
《「荘子」則陽の、かたつむりの左の角(つの)にある国と右の角にある国とが争ったという寓話から》小さな者同士の争い。つまらないことにこだわった争い。蝸角(かかく)の争い。
ところで、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』は、平安末に、当時流行の「今様」という歌謡を集めたもので、白河法皇によって編まれたものです。そこに印象深い歌が採録されています。
舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴(くゑ)させてむ 踏み割らせてむ  
まことにうつくしく舞うたならば 華の園まであそばせむ
口語訳:舞え!舞え! カタツムリ。 もしも舞わないのならば、 馬の子や牛の子に蹴らせてしまうよ。 その足で踏み割らせてしまうよ。 もしも本当にかわいらしく舞うたなら、素敵な花の園まであそばせてあげようよ。

昨日、農作業の手伝いに田舎に帰りましたら、イチジクの葉にカタツムリがいました。真夏に比べるとしのぎやすいお天気で、農作業で汗をかいた体にも、涼風がこころよく感じられます。からっとして、湿度が低いためもあるのでしょう。かたつむりにとっては、酷暑の日照りに比べれば、少しは心地よい気候でしょうか?ただ、湿度が低いことは、ちょっと辛いかもしれませんが。

イチジクがちょうど食べ頃です。

耕耘機で耕した猫の額ほどの畑。
昔は、「苗代」として、稲の苗を育てるために用いていた土地です。先祖が斜面にへばりつくように耕した農地で、一種の棚田(今は水田としては使っていませんから、段々畑)状態です。右上の小高くなって草が茂っている場所も、隣家の畑(昔の苗代)ですが、しばらく前から老夫婦が入院されていて、荒れています。
背の高い草が、存分に生い茂って、自然の境界付近の草を、草刈り機で刈り取りました。なかなかの大仕事でしたが、すっきり散髪した後のように涼しそうになりました。ビフォーア&アフターを撮影する余裕はありませんでしたが(笑)。

手前は里芋、その向こうに胡麻が育っています。
数週間前に写した胡麻の花。今はこれが実を結んで収穫間近になっています。槙の枝に遊んでいました。

郷里からの帰り道、長福寺の三重塔を写して帰りました。
明るい秋の日に、塔の朱色が映えて見応えがありました。











「渦虫」、「蝸牛」の連想から、はるか横道にそれた三題噺を書きかけていましたが、長くなりましたので、続きはまた別の機会といたします。
今日はこれにて。

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