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賽の河原の小石積み、の巻 [折々散歩]

昨日ほとんど書き終えていた記事が、最後の詰めのところで編集ソフトがフリーズし、何十分待っても回復しないままPC自体が使えなくなったので、業を煮やしてタスクマネージャーを使って強制終了しました。賽の河原の石積みさながらに、また、ゼロから積み上げるのかと思うとがっくりして、さっさと寝てしまいしました。
ちなみに「賽の河原」について、小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)はこう解説しています。

 賽の河原さいのかわら
親に先だって死んだ子供が苦を受けると信じられている冥土(めいど)にある河原。西院(さいいん)(斎院)の河原ともいう。ここで子供が石を積んで塔をつくろうとすると、鬼がきてそれを崩し子供を責めさいなむが、やがて地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が現れて子供を救い守るという。このありさまは、「地蔵和讃(わさん)」や「賽の河原和讃」などに詳しく説かれ、民衆に広まった。賽の河原は、仏典のなかに典拠がなく、日本中世におこった俗信と考えられるが、その由来は、『法華経(ほけきょう)』方便品(ほうべんぼん)の、童子が戯れに砂で塔をつくっても功徳(くどく)があると説く経文に基づくとされる。また名称については、昔の葬地である京都の佐比(さい)川や大和(やまと)国(奈良県)の狭井(さい)川から出たという説、境を意味する賽から出たという説などがある。[松本史朗]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

先日、台風22号のさなかに訪ねた広島・帝釈峡にも、賽の河原洞という鍾乳洞があるそうです。

「賽の河原洞」は、観光マップの上の方、「帝釈峡」の名前の由来となった帝釈天を祀っている永明寺の、すぐ上流部にあります。ただ、今回のツアーでは、帝釈第2駐車場から南へ雄橋まで歩いて往復するコースで、永明寺方面まで足を伸ばすことはしていません。
でも、雄橋のほとりには、こんな石積みが無数にありました。賽の河原の石積みと、無縁ではないかも知れません。





昔この地に住む鬼たちが、競い合って橋を作り、雄橋をつくった鬼が勝ち、雌橋をつくった鬼が負けたと言い伝えられています。付近には、鬼の唐門、鬼の供養塔、鬼の岩屋など、鬼に縁のある墓所がいくつもあります。鬼の岩屋には、心優し鬼たちが暮らしていたという言い伝えもあるそうです。心優しい鬼は、幼子が積んだ小石の塔を壊すことをせず、そのまま残したのかもしれません。
(こちらのhpを参考にさせていただきました↓)
http://www1.plala.or.jp/CUE/cave_00.html#HIROSIMA

一方私の方は、もう一度小石を積み上げる気力が、まだまだ回復しそうにありませんので、今日は脱線したまま復旧せず、ということで、あしからずごめんください。
今日は自転車で走り、出会った鳥を写しました。
PENTAXK10D+kenko500mmミラー-レンズ)。
ピントあわせに難儀します。
ジョウビタキ♂(トリミング)



ジョウビタキ♀
ミラーレンズ特有のリングボケ・・少々うるさいですね。

FUJIFINEPIXS1も持って出ました。
ジョウビタキの個体数が例年より多いという情報もありますが、どうもそのようです。



ムクドリ。



コガモ。

冬の鳥が

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