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何故(なぜ)卿(おまへ)はロミオぢゃ!の巻 [折々散歩]

賽の河原の小石積みを続けます。
書きかけていた記事は、半田山植物園の花だよりです。
ところで、近年、孫たちの要望で、NHKEテレにちゃん縁るを会わせる機会が多く、何気なく見ていると、時々興味深い番組があります。この「にほんごであそぼ」等はその最たるものです。
HPによると、そのコンセプトをこんなふうに紹介しています。

 2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作しています。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につけてもらうことをねらいとしています。それが、コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てると考えるからです。狂言の「型」など日本の伝統芸能の手法を取り入れつつ、子ども番組ならではの演出も最大限に活かしています。

十月に放送されていた番組に、こんなものがありました。

10月12・16日(木)の放送内容を拡大してみます。

シェークスピア「ロミオとジュリエット」中の名セリフを、文楽で演じます。しかも坪内逍遙訳ときては、遊び心満載です。
ずっと以前、「ロミオとジュリエットの演劇を見て、こんな記事を書きました。
お名前は? ロミオかバラか白加賀か?(2014-03-19) 

  ところで、「ロミオとジュリエット」といえば、舞踏会の夜のバルコニーの場面で、ジュリエットが口ずさむ「ロミオロミオ、あなたはなぜロミオなの?」という名セリフが、おなじみですよね。
昨夜の舞台を観て、改めて気づいたことがありました。
バルコニーの場面の英語原文と、元ジャパンタイムスの編集局長伊藤サムさんの訳が、このページに載っていますので無断で引用させていただきます。

JULIET: O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?
Deny thy father and refuse thy name;
Or, if thou wilt not, be but sworn my love,
And I'll no longer be a Capulet.
(あぁロミオ、ロミオ! どうして貴方は<わが一族の敵である>ロミオなの?
貴方の父を否定し、名前を拒否してくださいな。
お嫌ならば、私への愛を誓ってくだされば、
私はもうキャピュレットではありませんわ)

近くに隠れていたロミオは、迷います。
ROMEO: Shall I hear more, or shall I speak at this?
(もっと聞こうか、それとも返事をしようか?)

JULIET: 'Tis but thy name that is my enemy;
Thou art thyself, though not a Montague.
What's Montague? it is nor hand, nor foot,
Nor arm, nor face, nor any other part
Belonging to a man. O, be some other name!
What's in a name? that which we call a rose
By any other name would smell as sweet.
(私の敵なのは、貴方の名前だけ。
貴方は貴方、モンタギューではなくても。
モンタギューって何? 手ではないし、足でもないし、
腕でも、顔でも、その他の体の部分でもない。
あぁ、他の名前になって!
名前には、何があるというの? 私たちがバラと呼ぶものは、
他のどんな名前で呼んでも、同じように甘く香るわ)

元群馬県立女子大学教授の戸所 宏之 様の 「シェークスピア戸所研究室」というサイトのこの記事が非常に参考になりましたので 無断でリンクを張らせていただきます。
そこでも紹介してありましたが、坪内逍遙の訳は興味深いです。同じ大時代なら、いっそ、これでいかが?青空文庫から引用してみます。

 坪内逍遙訳
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故(なぜ)卿(おまへ)はロミオぢゃ! 父御(てゝご)をも、自身(じしん)の名(な)をも棄(す)てゝしまや。それが否(いや)ならば、せめても予(わし)の戀人(こひゞと)ぢゃと誓言(せいごん)して下(くだ)され。すれば、予(わし)ゃ最早(もう)カピューレットではない。

ロミオ (傍を向きて)もっと聞(き)かうか? すぐ物(もの)を言(い)はうか?

ヂュリ 名前(なまへ)だけが予(わし)の敵(かたき)ぢゃ。モンタギューでなうても立派(りっぱ)な卿(おまへ)。モンタギューが何(なん)ぢゃ! 手(て)でも、足(あし)でも、腕(かひな)でも、面(かほ)でも無(な)い、人(ひと)の身(み)に附(つ)いた物(もの)ではない。おゝ、何(なに)か他(ほか)の名前(なまへ)にしや。名(な)が何(なん)ぢゃ? 薔薇(ばら)の花(はな)は、他(ほか)の名(な)で呼(よ)んでも、同(おな)じやうに善(よ)い香(か)がする。ロミオとても其通(そのとほ)り、ロミオでなうても、名(な)は棄(す)てゝも、其(その)持前(もちまへ)のいみじい、貴(たふと)い徳(とく)は殘(のこ)らう。……ロミオどの、おのが有(もの)でもない名(な)を棄(す)てゝ、其代(そのかは)りに、予(わし)の身(み)をも、心(こゝろ)をも取(と)って下(くだ)され。

 もう少しオーソドックスな、中野好夫さんの訳が、新潮文庫『ロミオとジュリエット』にあります。

ジュリエット「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜあなたは、ロミオ様でいらっしゃいますの? お父様と縁を切り、家名をお捨てになって! もしもそれがお嫌なら、せめてわたくしを愛すると、お誓いになって下さいまし。そうすれば、わたくしもこの場限りでキャピュレットの名を捨ててみせますわ」
ロミオ「 黙って、もっと聞いていようか、それとも声を掛けたものか?」
ジュリエット「わたくしにとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でいらっしゃらなくても、あなたはあなたのままよ。モンタギュー ――それが、どうしたというの? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前をお付けになって。名前にどんな意味があるというの? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオ様だって同じこと。ロミオ様という名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいらっしゃるに決まっているわ。ロミオ様、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、このわたくしのすべてをお受け取りになって頂きたいの」

新潮文庫 『ロミオとジュリエット』シェークスピア作 中野好夫訳

さて、いずれの訳をとるにせよ、「昨夜の舞台を観て、改めて気づいた」というのは、このセリフの説得力。

What's in a name? that which we call a rose
By any other name would smell as sweet.

 「名前に何の意味があろう、バラは、ほかのどんな名前で呼んでも、甘く香るだろう。」
実体こそがものの本質で、名前はうわべを飾る外套に過ぎない、、ということでしょうか?

たまたま最近、「名付け」の持つ世界認識のちからを話題にしただけに、それと相反するようなこの警句は、ちょっとタイミングがよくて、面白く思えました。



  昨日は、梅雨の合間の薄曇りの一日、岡山市の半田山植物園を歩いてみました。
季節の花が目を楽しませてくれましたが、今日はバラの花をアップします。
ところでバラの花といえば、以前書いたこの記事のように、シェークスピア「ロミオとジュリエット」の、このセリフを想起させます。(中略)
ところで、昨年の定年退職以降の、生活習慣の変化の一つは、「朝ドラ」を観るようになったことです。「あまちゃん」の頃はまだその習慣はありませんでしたが、「ごちそうさん」を何となく観はじめ、「花子とアン」に続いています。今年は4月から、週三日のアルバイト生活に入っていますが、出勤時間には余裕があって、ほぼ欠かさず観ることが出来ます。朝観られなくても、録画というものもありますし。
その「花子とアン」で、はなが女学校の文化祭に「ロミオトジュリエット」のシナリオ・演出を引き受ける一場面がありました。
その一こま(第26話)。
「ロミオ・モンタギュー、あなたの家と私の家は互いに憎しみ合う宿命 …
その忌まわしいモンタギューの名前をあなたが捨ててくださるなら、私も今すぐキャピレットの名を捨てますわ」
「名前が何だというのであろう ~ ロミオの名前を捨てたところで私は私だ!」
「ええ、バラはたとえほかのどんな名前でも、香りは同じ … 名前が何だというのでしょう?」

というシェークスピアのセリフが、はなには納得できず、

「もしバラがアザミとかキャベツなんて名前だったら、あんな素敵に感じられるかしら?私のお父が吉平ではなく権兵衛って名前だったら、お母は好きになってるかしら?」
と、思案します、とはいえ、にわかに書き直すいとまもなく、時間をせかされて、稽古を続けていたところ、
ロミオ訳の醍醐亜矢子の、
「名前が何だというのであろう ~ ロミオの名前を捨てたところで私は私だ!」
のセリフを受けて、
ジュリエット役の葉山蓮子(白蓮さん)が、即興でセリフをこう改変したのでした。
「ロミオ様、それはどうでしょうか …
もし、バラがアザミやキャベツという名前だったら、同じように香らないのではありませんか?
やはり名前は大事なものです」
ネット情報によると、このセリフは、本家本元モンゴメリの「赤毛のアン」のエピソードらしい。「赤毛のアン」のシリーズはもちろん、大昔、好んで読みましたが、ディテールは忘れておりました。

「そうかしら」アンは思いに耽った顔をした。「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。薔薇が薊(あざみ)とか座禅草(スカンク・キャベツ)とかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ」(第五章「アンの生いたち )

名前は大事というのは、「アン」自身もこだわったことのようでした。
ところで、このバラの名前ですが、半田山植物園には品種名の表示がされていて、いずれ劣らぬ尊いお名前。一応はメモって帰ったのですが、画像と対照する手間に耐えられず、赤いバラ、黄色いバラ、ピンクのバラ、白いバラと呼ばせてもらいます。あしからず。


過去記事の2番煎じになりますが、先日訪ねた半田山植物園のバラを、またまたご紹介します。















































































第16代アメリカ合衆国大統領の名を冠したこのバラ。高潔で気高い、端正な美しさが際立ちます。
来日中のトランプ氏は、はるか後輩に当たる第45代大統領だそうですが、その名で呼ぶべきような、どのようなバラが存在しうるだろうかと考えてみて、滑稽かつおぞましい思いに囚われたことでした。
今日はここまで。

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