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ふと見かけたアトリ、の巻 [折々散歩]

昨日、小学生の子どもたちは、災害避難訓練で、避難場所となっている中学校まで歩いたそうです。5km超の距離がありますから、小1の女の子などはしきりに「疲れた」とアピールしていました。気持ちはよくわかります。
実は先週の土曜日、旧友との飲み会が会ったという話題を書きましたが、その日私は、飲酒に備えて公共交通機関を利用して会場まで移動したのでした。バスならば、最寄りの停留所までわずか5分ですが、出発時間に余裕がありましたので、時間つぶしと運動の一挙両得を狙おうと、JRの駅まで徒歩で行くことにしました。結構いい運動と感じましたが、その距離が2km。ところが、もうわずかで駅に着こうかという踏切のあたりで、列車が通過するのに出くわしました。駅について時刻表を見ると、ちょうど出発したばかりのその列車の次は、なんと1時間以上も後になります。ローカル線の悲哀です。
しばらくその無人駅のホームでベンチに腰掛けていましたが、それも能がないので、一念発起、もう一駅隣まで歩いてみようと思い立ちました。その距離およそ2km。合計4km余りのウォーキングに成功したのでした。飲み会でのビールが美味かったこと。
昨日、子どもたちは、その歩行距離をしのぐ距離を歩いたというのですから、驚きです。
さて今日は、久々の雨の予報です。朝起きてみると、降ったりやんだりの状態。本降りになる前に、畑の玉ねぎに追肥をやっておこうかと、まず畑仕事を済ませます。その足で、短時間のウォーキング兼バードウォッチングを楽しもうかと出かけた先は、近くの自然環境体験公園です。
駐車場に車を停めて歩き出すと間もなく、この鳥に出会いました。

トリミングします。



アトリです。
これは幸先がいいぞと、さらに何十メートルか歩いた頃、にわかに雨脚が強くなりました。今日持ち出した機材は、OLYMPUS E620+E-620+ズイコーデジタル 1.4x Teleconverter EC-14+ズイコーデジタル ED 18-180mm F3.5-6.3。軽快な散歩を期待して、雨の対策は念頭になく、雨具も持たずカメラの防水対策もしていません。というわけで、すごすごと引き返し、今日の散歩はこれにて終了です。
今日のオマケは、家の近くで出会ったジョウビタキ♀。



今日の郵便物の中に、一通の封筒がありました。差出人は、先日の飲み会でご一緒した Sさん。封建的・閉鎖的な息苦しさが濃厚な大学の某学部の助教として、民主的立場を堅持して奮闘しておられます。そのSさんが、飲み会の模様をスナップ写真に収め、またみんなの集合写真を写してくださっていたものを、早速DVDに焼いて送ってくださったのでした。
それぞれに、風格のある、にこやかな笑顔の、シニアたちがそこには写っています。お互いが知り合ったのは、十代から二十歳そこそこの学生時代でした。
この会を企画してくれたハチロークンの司会で、大学卒業以来今日までの半生を、「一人5分」で語ろうという提案に、こもごも語られる歴史は、それぞれ「山あり谷あり」がキーワードとなる、波乱に富んだ歩みでした。この日の出席者はいずれも「後輩」に当たりますが、ふかいリスペクトの思いなしに聞くことはできませんでした。
ところで、上述のハチロークンは、私のブログの常連出演者です。
たとえば、最近も、ミーハー雑感、の巻に、こんなことを書きました

ハチロークンには、以前この記事にご登場願いました。
夏の終わりの高知行、の巻(その5)
 
槙村浩について、私は、2014年12月24日のこの記事で、「槙村浩については、また、別の機会に触れたいと思っています。」と書きました。この約束の実行を何度か試みましたが、いつも挫けて、先延ばししてきました。
今日は少しだけ、書いてみたいと思います。 (中略)  NET検索してみますと、上で引用したweb記事で紹介されている 「草の家の学芸員、藤原(ふじ・はら)義一(よし・かず)さん」が、ご自身のブログのこの記事に、槙村浩関連のネット記事へのリンク集を作っておいでです。勝手に紹介させていただきます。
さっき触れた昨年12月24日のこの記事にも書いたとおり、高知のN先輩からのお便りにより、高知市にある「草の家」が、昨年秋に「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を発行されたことを知り、お願いして先だって手に入れました。 (中略)  手元に届いた冊子「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」では、上の藤原義一さんも、それからわが先輩Nさんも、また、別の先輩Mさんも、それぞれ別の角度から槙村浩に光を当てる文章を寄せておられます。
冊子が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。
I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。
部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電 話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。
これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。  同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。
卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。
最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。
その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。
そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。 今日はここまでとし、またの機会に続きを書きたいと思います。
この記事で、愛知のI君と書いたのが、今の旅の弥次喜多散歩の相棒、ハチロークンのことです。同じホテルに宿泊しましたので、午前中、待ち合わせて宿願を果たそうと思い立ったのです。

他の面々についても、詳しくご紹介したい思いは募りますが、ひとまず今日はここまで。

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