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「Iさんを偲ぶ会」のあらましメモ、の巻 [折々散歩]


今朝は町内会の草取り掃除。そのあと、郵便局へ行ったついでに、その足で深山公園に寄ってみました。

いつもの赤松池。

カモたちが、見物客が与えるパンくずなどのエサを、競い合ってたべています。























この池では、ヒドリガモ、オナガガモの個体数が多いですが、コガモもいました。我が家近くの小川には、コガモしか見えませんが、、。



ジョウビタキ♂も見参です。











メジロ、オナガ、ヒヨドリ、キジバトなどを見ましたが、珍しい鳥には会えませんでした。今日は、本格的な大きなレンズのカメラを携えた方を大勢見かけましたが、何を求めておられたのでしょう?


なにやらこの記事↓の展開と似てきました。
見知らぬ鳥となじみの鳥と、の巻(その2)


ところで、↑この日、郵便局へ行った用件は、一週間先の12月1日(金)、「年金者組合」の地元支部主催で、長年この活動に中心的役割を果たしてこられ、10月逝去された故Iさんの追悼会の案内を投函することでした。

偲ぶ会は、予定通り一昨日の12月1日、10数人の出席で、しみじみと故人の人柄と歩みを偲びました。
かつて、「年金裁判」は何に貢献するか?の巻(2015-09-26)で、こう書きました。
 一昨年、ブログを始めたばかりの頃、こんな記事を書いたことがありました。
マクロスライド?なんのこと?---消えた傑作の巻?
また、今年の春のこの記事でも書きましたように、私、年金受給者となってから、「年金者組合」というお仲間とおつきあいしています。
若いころには、自分が「年金受給者」となる姿を、リアルにイメージすることなどできませんでしたが、漠然と、悠々自適の平安な暮らしを想い描いていたように思います。それを励みに、現役時代、多少しんどくても頑張ろう、と思えたものでした。
しかし、案に相違して、「老後」の見通しは暗い。しかも、若い世代になればなるほど、将来の暗しに不安が募ってくる。こんな未来は、思ってもみなかった事です。

この記事の外にも、「年金者組合」や「年金裁判」について、何度かご紹介したことがありました。そもそも、私が、年金者組合に参加するようになり、地元支部のお手伝いをさせて頂くようになったのは、ほかでもない、このIさんからお誘いいただいたからでした。

Iさんは、かつて数学教師として高校で教鞭をとられ、1960年代後半から70年代初頭、教職員組合の重要な役割を担われたと聞きます。ご退職後は、長く、私たちの退職同業者の会の代表を務めてくださり、その縁で面識を得ることになりました。たまたま居住地が近い縁もあって、自宅に訪ねて頂いたり、肺癌手術の後で行動が思うに任せない私を、お車に同乗させていただいたりした際の雑談など、あれこれの思い出がふとした機会に蘇ります。

私自身の備忘のために、偲ぶ会での出席者のお話をあらましメモしておきます。

Oさん「40数年前の教え子。当時は、若き貴公子のようであこがれの的。数学が苦手で、授業が終わって今日もわからなかったと思っていたら、先生が心なしか済まなさそうな顔をしておられたように見えた。年金者組合などでご一緒する機会はあっても、数学が苦手という負い目から、教え子であることは長く伏せていた。ある時、年金者組合の分会で花見を催した際に、『千の風になって』をみんなで歌った。初めて打ち明けたのはその日。」

Sさん「その花見の場所は、私が紹介した。先生は、『千の風になって』の曲をテープに録音して、参加者分用意してこられた。市民劇場におさそいしたら、忙しい中、時間を割いて、バイクで観劇にこられた。畑作業がお好きで、ご近所さんに頼まれて、畑で子供に数学を教えておられた。」

Sさん「娘が担任していただいた。進路を巡って、父親の強硬な反対で対立していたとき、先生に相談すると、家庭訪問して話してくださった。すると、たった5分で父親が折れた。」

Nさん「若い頃、労働争議の当事者だった。Iさんが高校教職員組合の書記長をしておられたころで、全面的に支援していただき、文章なども書いてくださった。おかげで争議は勝利できた。その後、地域で年金者組合や9条の会のとりくみをご一緒した。思い出は尽きない」

Tさん「職場差別撤廃のたたかいの支援を訴えて、いろいろの団体を訪ねた。そのときI先生は、初対面なのに親身になって受け止めてくださり、大きな励ましを得た。いろいろな労働組合を訪ねた中には、敷居が高くはいりづらいところもあったが、Iさんの人柄も影響してか、入りやすく、ほっとできる雰囲気で、いつでも気軽に訪ねたくなる組合だった。」
Kさん「退職者の会の仕事で、先生の跡を継いでいる。私が青年教師の頃、Iさんは組合書記長、理路整然として分かりやすい弁舌に感銘。あこがれた。退職者の会の仕事も、一〇分の一も継げないが、近づけるようがんばりたい」

Sさん、Nさん「退職者の会の支部で、責任者をつとめている。遠隔の地域だが、Iさんは、行事には必ず足を運んでくださった。理路整然、緻密な準備、心遣いの細やかさが印象に残る。高齢になって始められたパソコンのスキルの高さにも驚いた」


奥様によると、「年金者組合、高校退職者の会、畑仕事、そして写真、が好きで、これらには一所懸命でした。
体中、悪いところだらけで、入院手術も数えきれず、心臓カテーテルだけでも何度もやって、その手術痕で時代がわかると医師が言うほどでした。でも、退院した午後には畑に出ていました。畑仕事をしているといやなことは全部忘れられると言うのです。
退職者の会では、備北、備西、美作など、遠隔の支部の行事も細かくメモして、必ず出向くようにしていました。過ぎたことは全部忘れるが、先の予定は大事にする、といっていました。
パソコンも、七〇歳を過ぎて始め、独学で身につけました。いつもパソコン机に向かって、ものを書いたり、写真を印刷したりしていました。
最近体調を崩してからは、それもできなくなりました。

毎年五人ほどで写真展を開いていましたが、今年は出展できませんでした。」

まだまだ記録しておきたいお話がありますが、今日はこれまでといたします。

夜も晴れて月が見事でした。

FUJI FINEPIXS1で写しました。



デジタルズームでここまで大きく写ります(ノートリミング)




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