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先達はありがたきものなり、の巻 [折々散歩]

一昨日の記事をご覧くださったM師が、こんなお写真を添えて、クロヅル、カナダヅル情報の続きをメールで教えてくださいました。

M師ご夫妻は、ご自宅から70kmの道のりを、早朝出発で5回もお出かけになったこと、四国から高速料金2万円以上かけておいでになるお友達もいらっしゃること、兵庫から二日続けておいでになるお知り合いのこと、等をご紹介くださり、観察ポイントへの、詳細な経路や、鶴たちの行動のタイミングなど、細かくアドバイスが添えられていました。そして「場所についてはTVでも紹介されましたからオープンにして結構です。」とありました。
場所は、笠岡干拓地内の笠岡空港近くです。
笠岡放送(ゆめネット)のこの記事にも、こう報じられています。

 日本では珍しいクロヅルとカナダヅルが、笠岡市の干拓地に飛来し、野鳥愛好家などの間で話題になっています。 飛来したツルはヨーロッパ付近に生息しているクロヅル1羽とカナダ、アメリカ付近に生息しているカナダヅル2羽です。 3羽のツルは8日頃から目撃されており、珍しいツルを写真に収めようと県内外から多くの人が訪れています。このうちカナダヅルは、頭頂部が赤くハート形になっており、愛好家の間ではこのハートマークが幸せを呼ぶとして親しまれています。 早朝と夕方には、3羽が仲良くエサを啄ばむ姿が見られ、集まった野鳥愛好家が夢中になってシャッターをきっていました。日本野鳥の会 岡山県支部の小林健三さんによると2種類のツルは「鹿児島県の出水ツル渡来地で目撃されることはあるものの、岡山県で確認されるのは記録を取り始めた1975年以降初めて」ということです。(後略)

こんな希少なツルだと知って、空振りのまま終わらせるのが心残りで、今日、もう一度行ってみることにしました。今回は、M師に教わった道順と時間帯を参考に、ロスなく現地に到着できました。しかも、ちょうど、縦列駐車中の何台かの車の後尾に駐めて、皆さんのカメラの向かう方角を探ってみると、、どうやらそれらしい三羽の姿が見えました。

PENTAXK5Ⅱ+sigma120mm-400mmの画像ですが、対象物が豆粒ほどにしか写らず、これでは証拠写真にもなりません。大幅にトリミングします。




PENTAXK10D+AFBORG ED60mmも携行していました。

遠すぎる被写体には、力が及びません。相当枚数撮影しましたが、ボツ写真の山です。
最も健闘したのが、FUJIFINEPIX S1でした。(実は、M師のお写真も、このカメラで撮影されたそうです。恐るべしFINEPIX S1)



しばらく観察しているうちに、三羽は不意に飛び立ち、悠々とどこかへ飛び去っていきました。




トリミング画像です。



以前、こんな記事を書きました

吾、まさに「非公式」主義者なりき。


 正しいやり方」知りません。損な性分だと思います。素直じゃないのです。小学校の時、先生に「聞くは一時の恥、聞かぬは一生(または、末代)の恥」という金言を教わり、まさに自分に当てはまると自覚したものの、生来、自分から問うたり、手ほどきを受けたりすることが、大の苦手というか、とにかく億劫なのです。できれば人に聞かずに、自分で見つけたいのです。 (中略)ところで私、中学校の頃から、急に数学が苦手になりました。 「公式」を覚えることに抵抗があったからです。 どうやってその公式が生み出されたかの原理をわかろうと思ううちに、スピードに追いつけず、努力を放棄しました。 ですが、後に、この文章を読んで、痛く後悔しました。戦前の軍国時代、科学的精神を守り抜こうとした唯物論哲学者の戸坂潤の、「ひと吾を公式主義者と呼ぶ」という文章です。
筆者は、学生時代、師から「数学には、判り切ったことをわざわざ一遍々々繰り返すのを避けるために、公式というものがある。君はその公式そのものから論証しようとするから無駄な時間がかかるのだ。公式位いは覚えておかなくてはいけない。」と諭されたというエピソードをもとに「公式主義」を論じています。
(中略)
「先達はあらまほしきものなり」(徒然草 第52段 仁和寺にある法師)と、兼好法師も言っていました。 でも、「後悔先に立たず」と言いますが、今となってはまったく「後の祭り」で、「習い性になる」という言葉通り、いったん身についた性分は、なかなか矯正はききません。




今回もつくづく身に沁みました。
『徒然草』 第52段 「仁和寺にある法師」を引いて、戒めとしたいと思います。
 (原文)
仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

(地方語訳)
仁和寺におるお坊さんが、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがなかったもんで、情けなく思えて、ある時決心して、たった一人で歩いて参詣したんじゃと。ふもとの極楽寺(ごくらくじ)と高良(こうら)神社を参拝して、「これで全部じゃ」と思い込んで帰ったそうな。そして、傍らの坊さん仲間に向って、「長年、心に思っていたことを果たしましたわい。八幡様は、聞いておった以上に、尊くていらっしゃいましたぞ。それにしても、お参りする人という人が、みんな、山へ登っていったのは、何事があったのかしらん?気がかりには思うたけれど、八幡様にお参りすることがもともとの目的であるからと思うて、山上までは見なかった。」と言うたそうな。
小さなことにも、案内者は欲しいことじゃのう。
きょうはこれにて。

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