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立春も近いと言うに、、、の巻(1) [今日の暦]

冷え込んだり緩んだりしながらも、夜は零下という日々が続きます。
でもそうこうするうちに今日で一月も終わり。もうすぐ節分、そして立春がやってきます。
去年の節分にこんな記事を書きました
節分にちなんで、の巻

 留学生相手の日本語授業で、昨日は節分を題材にしたプリントを作ってみました。作成に結構時間がかかりました。
少しだけご紹介します(一部改作。また、実際には漢字の多くにふりがなを施していますが、煩雑になりますのでこのページでは省略します。)

  次の文章を読んで後の問に答えなさい。

 一年を24等分する暦「二十四節気」の中に、①「立春」②「立夏」③「立秋」「立冬」と呼ばれる日がありますが、それぞれの前日を「節分」と呼びます。「季節を分ける日」という意味です。

節分の風習は. 奈良時代頃、中国から伝来し、 平安時代に宮廷の行事として定着したと言われます。

 節分は、もともと一年に四回ありますが、なかでも「立春」が一年の始まりとして、とくに尊ばれたため、節分といえば次第に春の節分のみをさすようになったようです。
古来、季節の変わり目には鬼が出ると言われていて、節分に豆をまいて鬼を追い払う行事は、室町時代から続いています。
豆まきは、普通、「福は内、鬼は外」と掛け声をかけます。これは邪気=鬼を払って福を呼び込むということですが、場所によっては⑤「鬼は外」という言葉を言わなかったり、⑥「福は内、鬼は内」というかけ声をかけるところもあるのです。
 例えば千葉県にある成田山新勝寺では、「福は内」とだけ言って、「鬼は外」とは言いません。これはご本尊の不動明王の力がとても強力なため、あえて鬼を外に払う必要がないからだそうです。
 また奈良の元興寺や、青森県弘前市の鬼神社、埼玉県嵐山町の鬼鎮神社など各地の鬼に関連する神社でも「福は内、鬼は内」という掛け声になります。
問1 次の①~④の漢字の読み方を書きなさい。
①「立春」               ②「立夏」
③「立秋」               ④「立冬」
問2  節分の豆まきは、「鬼」を追い払って福を呼び込もうとする行事ですが、「鬼」とは何のことだと書かれていますか。漢字二文字で答えなさい。
問3 傍線部 ⑤「鬼(おに)は外」という言葉を言わなかったり、傍線部⑥「福は内、鬼は内」とむかけ声をかけるところ に当てはまるのはどこですか。文章中からそれぞれ一つ抜き出して答えなさい。
ところで、豆まきのかけ声について、こちら
https://allabout.co.jp/gm/gc/220642/) 
に興味深い記事がありましたので引用させていただきます。


昨年の授業では、あるクラスは2人、別のクラスでは10人余りの出席で、プリントづくりの『労力』が空滑りした記憶だけが残りました。
性懲りもなく、今年も同様のプリントを作り、加えて別途、「恵方巻き」も話題にしてみました。下は、その一部です。(なお、プリントでは漢字の多くにふりがなを振っていますが、煩瑣になるので、ふりがなは省略します)

次の文章を読んで後の問に答えなさい。
A 朝日新聞出版知恵蔵 より 【恵方巻き】
 節分にその年の恵方(吉方)を向いて食べると縁起が良いとされる太巻き寿司。丸かぶり寿司、恵方寿司とも呼ばれる。「縁を断ち切らない」ように切り分けず、無言で願いごとをしながら1本を丸かじりするのが習わし。七福神にちなみ7種類の具材を巻き込むことが望ましいとされる。正確な起源は不明で、江戸時代末期に大阪の船場で商売繁盛の祈願として始まった風習を発祥とする説など諸説ある。明治期や戦後に一時廃れたが、1977年に大阪海苔問屋協同組合が行った海苔の販売促進イベントで復活した。90年頃よりスーパーやコンビニで販売されるようになり、宣伝活動も活発になったことから、節分に恵方巻きを食べる風習が全国に拡大した。(出典 朝日新聞出版知恵蔵mini)

B 講談社日本の郷土料理がわかる辞典より 【恵方巻き】
大阪の名物料理で、節分の日に、その年の恵方(その年の十干(じっかん)によりめでたいと決められる方角)を向いて食べると縁起が良いとされる太巻きずし。縁を絶ちきらないように、1本を切らずに無言で丸かじりする。大阪などの慣習であるが、1990年頃からコンビニなどで販売されるようになり、一般に広まった。(出典 講談社日本の郷土料理がわかる辞典}

問1 恵方巻きについて説明した次の文章の空白部( a ) 、( b )に適切な言葉を入れ、文章を完成させなさい。
・恵方巻きとは、節分の日にその年の ( a )  (めでたいとされる方角)を向いて食べると縁起が良いとされる( b ) のこと。
問2 次の文中の(     )内の言葉として、正しい方を選びなさい。
・(ア幸福 イ縁)を絶ちきらないように、1本を(ウ一口サイズに切って エ切らずに)、(オ大きい声で カ黙って)願い事をしながら、丸かじりするのが習わし。正確な起源は不明だが、江戸時代末期に(キ京都で  ク大阪で  ケ江戸で)始まったとする説が有力である。その後一時廃れたが、1990年頃よりスーパーやコンビニで販売されるようになり、宣伝活動も活発になったことから、節分に恵方巻きを食べる風習が全国に拡大した。

【参考記事】 ネット記事(jcast トレンド)より
恵方巻き予約開始もネットは冷ややか 年々高まる「悪習」「迷惑」の声
2月3日の節分を前に、早くも「恵方巻」商戦が始まった。大手コンビニ各社は12月中旬から予約受付を開始し、趣向を凝らした商品を揃える。
しかし、一部のネットユーザーからは「まだやるの?この悪習」「本部はいいかげんやめろ! 俺らは迷惑しているんだぞ」といった声が。手放しで歓迎できないワケとは?
画像はイメージ
トルティーヤやロールケーキにも波及
節分に恵方(幸運を招く方角)を向いて太巻きを食べる、「恵方巻き」の風習。もともとは関西地方で行われていたローカルな文化だったが、今では全国のスーパーやコンビニで大々的な「恵方巻きフェア」を見かけるようになった。
最近では冬の節分(立春)以外に「春夏秋」の節分にも注目し、「フェア」を年4回実施するコンビニがあるなど盛り上がりを見せている。
恵方巻きの「多様化」も進んでいる。セブン-イレブン、ファミリーマート、ローソンの18年の商品ラインアップを見ると、形が恵方巻きと似ている「ロールケーキ」や「トルティーヤ」、果てはオムライスを巻いたものまである。

今年もノルマ問題でるか?
恵方巻きで思い出されるのが、ここ数年で問題視され始めた「ノルマ」「廃棄」についてだ。
「恵方巻商戦」の裏で、大量に廃棄される売れ残り品や、社員・アルバイトに課される販売ノルマがSNSでの告発で明るみとなり、ネット上で騒動となった過去がある。J-CASTニュースでも16年、17年とこの問題を取り上げた。
「『恵方巻き』売れ残り、大量廃棄される 店員が『自腹で買い取り』強要されるケースも」(16年2月 5日)
「恵方巻ノルマに今年も『助けて!』 コンビニ『自爆営業』はナゼ消えないのか」 (17年1月27日)
こうした背景もあってか、来年の恵方巻きの予約が始まってもネットでは冷ややな反応もある。
「コンビニ店員『次は恵方巻きのノルマか』」
「また廃棄巻か」  
といったツイートが見つかった。


こんなプリントを使った授業を終えた後で、ネット上にこの記事↓を見つけました。



コンビニバイトのノルマ、もうやめませんか
去年(2017年)の1月26日付の、上西充子法政大学教授( キャリアデザイン学部)の文章です。一部だけ引用します。



 
節分に食べる「恵方巻」の販売がコンビニエンスストアなどで始まっていますが、最近、ツイッターでは、店から販売ノルマを課せられて悩んでいると訴えるアルバイトの学生などの書き込みが相次いでいます。(以下、略)
夕方16:50からのNHK「ニュース シブ5時」でも「福呼ぶ恵方巻のはずが…」という見出しで、この話題が取り上げられた。
昨年も節分の頃には、アルバイト従業員が恵方巻のノルマに悩んでいる様子や、売れ残りの恵方巻の大量廃棄の様子が、ツイッターで話題になった。同じ問題が今年も起こりつつある中で、節分より前にNHKが報じたことの意義は大きい。
給与からの天引きは違法


このコンビニにおけるノルマ問題、もしノルマの達成できなかった分が給与から差し引かれるなら、それは違法だ。
労働基準法22条は

賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。

と定めている(賃金の全額支払いの原則)。
恵方巻のノルマ未達分を給与から差し引くならば、それは給与の一部を恵方巻で支払ったのと同じになってしまう。そんなことは労働基準法で認められていない。
そのことは佐々木亮弁護士が下記の記事と記事中に収録された東京都の啓発動画で詳しく解説している。

佐々木亮「【ブラックバイト】今年もノルマで恵方巻を買わされた事例が多発したようです。」(ヤフーニュース個人 2016年2月4日)

ノルマのトラブルはコンビニで突出

ただ、多くの場合は給与からの天引きではなく(それは違法だとわかっているだろうから)、ノルマを課してその分は何とか注文を取らせる、注文が取れなければ自発的な買い取りに持っていく、というのが実態だろう。
多くのアルバイト従業員は、職場の人間関係に気を遣いながら働いている。店長に逆らうと気まずくなるだろうし、シフトの融通をつけてもらうことも難しくなるだろうと心配している。しかし、友人に無理やり買ってもらうのも気が進まないだろう。そうすると、泣く泣く自腹で購入することにも追い込まれかねない。
アルバイトにノルマを課し、その達成を求めることはどのくらい一般的なのだろう。厚生労働省が2015年に行った「大学生等に対するアルバイトに関する意識等調査」の結果によれば、下記のグラフの通り、「商品やサービスの買い取りを強要された」割合は、コンビニエンスストアが11.6%と突出している(注)。どうやらこれは、店長の属人的な問題ではない。
画像

(注)厚生労働省「大学生等に対するアルバイトに関する意識等調査結果について」資料編のp.23-24より、回答数が100件以上の職種を抜き出して上西作成。アルバイト全体の回答件数は1,961件。なお、「上記以外のチェーンの飲食店」とは、居酒屋、ファーストフード、ファミリーレストラン、カフェ、寿司屋以外のチェーンの飲食店を指している。



今国会に提出されている「働き方改革」法案は、このようなノルマ地獄、ブラックバイトの解消につながるのでしょうか?
「労働基準法70年の歴史の中で歴史的な大改革」などという大風呂敷の中身を、そっとのぞいてみれば、何のことはない。国会での野党の追及のとおり、財界側・使用者側にとって便利な「働かせ方改革」ではないかと、はっきり見えて来ちゃったのが情けない。。。。
言うに事欠いて「働き方革命」ですって?内実のない大げさな用語がお好きなアベさんらしく、「人づくり革命」「生産性革命」、、などと、「革命」という重々しい言葉が湯水のごとく漏れ出て来ますが、誇大包装を解いてみれば、チンケでケチな、「搾り取るぞ革命」「我慢しろ革命」「格差永続化革命」でしたなあ。
ちなみに、「革命」という語は、古代中国の儒家、孟子に由来します。
ウィキペディアの解説にはこうあります。

易姓革命(えきせいかくめい)は、古代中国において、孟子らの儒教に基づく、五行思想などから王朝の交代を説明した理論。
概要
天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命(天命を革める)が起きるとされた。それを悟って、君主(天子、即ち天の子)が自ら位を譲るのを禅譲、武力によって追放されることを放伐といった。

孟子は、アベさんと同じ山口出身の吉田松陰なども重んじた思想家ですから、アベさんも、きっとご存じのはずですが、それにしては理解が浅い????その眼目は、為政者がその地位にあるのは、あくまでも天命によるもので、徳を失った為政者は、すみやかに地位を降りるべし、ということです。憲法の定めでは、「天」はすなわち「民」と読み替えることができましょうから、民心の離れた為政者は、地位にとどまってはならないと言うことになるでしょう。
ああ、やっぱりアベさんは、それを百も承知でいらっしゃるから、憲法を変えようと急いでおいでなさるのじゃな?憲法の精神を理解しないお方が憲法をもてあそんではならないし、「革命」を理解しないお方が「革命」の語をもてあそぶことも、許せませんなあ。
この記事、ひとまずここまで。

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長老たちの憂慮の声を傾聴すべし、の巻 [時事]

先日元自民党幹事長・官房長官など歴任の野中広務さんが、逝去されました。晩年、アベ政権政権の危険性を再三警告しておられたこと、またアソー元首相の差別姿勢を厳しく批判しておられたことを、いくつかの記事で知り、改めてその真情に打たれています。この話題は、majyo様の先日の記事↓に詳しいので、ご紹介させていただきます。

老兵は死んだ・野中広務


最近多摩川に入水して自死した西部邁氏(保守派の評論家、元経済学者、雑誌『表現者』顧問、元東京大学教養学部教授)のニュースも、胸に刺さります。
「リテラ」の記事↓を引用します。

西部邁が自殺を予告していた!「10月22日に死ぬ気だったが、総選挙になったので延期した」


 西部氏といえば、東京大学時代に60年安保闘争に参加するも転向、その後は保守論客として活躍を続けてきた人物だ。とくに1990年代には『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)に“レギュラー”出演、改憲はもちろん、自虐史観批判、核武装や徴兵制の導入まで主張し、歴史修正主義団体「新しい歴史教科書をつくる会」にも理事として参加。“ネトウヨ”の生みの親のひとりでもあった。
 そんな西部氏だが、注目すべきは、安倍首相との“関係”だろう。第一次安倍内閣が崩壊直後には「保守とは何か?」という勉強会を定期的に開催、また『西部邁ゼミナール』(MXテレビ)にも安倍氏をゲスト出演させるなど、安倍氏を支持、支援していたはずだった。が、しかし第二次安倍政権からは一転、“安倍首相は保守でもなんでもない”“それを理解しない安倍首相は愚かなジャップ”などと安倍首相を激しく批判する側に転じていたからだ。
(中略) 
西部氏は安倍首相のアメリカ追従に苛立ち、さらに“安倍首相は最初から保守ではなかった”と批判を繰り返してきたのだ。いったい、西部氏はなぜ安倍首相をここまで批判するようになったのか。その背景には、安倍首相の対米従属路線があるのはもちろんだが、もうひとつは安倍首相の無教養で浅薄な思考を軽蔑していたからではないか。
 実際、西部氏はネトウヨを生み出したひとりではあるが、その保守思想は教養に裏打ちされたもので、ひたすら安倍首相を礼賛、安倍晋三教者と化したネット右翼とは一線を画していた。
 また、自身の思想信条と対極にある左派論客と交友し、議論をたたかわせるのも西部氏の特徴だった。姜尚中氏や佐高信氏、また16年には自らが主宰する雑誌『表現者』の座談会に日本共産党の小池晃書記局長を登場させ、安倍首相の対米従属と新自由主義についてともに批判。共産党のほうが保守に近いと高く評価していた。
 こうしたある種の深み、懐の広さをもった西部氏にとって、安倍首相の浅薄さ、無教養さは耐え難いものだったのではないか。
「今度は(自殺の決行を)何日にするか言いませんけどね。こんな狂った国にいるのは嫌だ」
 冒頭の『チャンネル桜』で、西部氏こんなことを言っていた。西部氏は4年前に妻を亡くし、自身も2013年に喉頭がんを患っていることを告白している。死を選択した理由は、こうした孤独や健康状態の可能性もあるが、改めて言論界や保守論壇からの総括も必要だろう。

その自死の真相は闇の中ですが、ある時期は支持・支援してきたアベ政治の軽薄さへの幻滅が、大きな引き金になっていることは疑いないでしょう。
みずから保守を自認する方々が、次々とアベ政治に違和を表明しておられます。また、実際に戦争を体験された方たちが、思想信条の如何を問わず、「あの戦争はひどいものだった。」「決して繰り返してはならぬ。」「その思いが憲法9条に結実し、戦後の平和を支えた。」という旨の発言を、こもごもに公にされ、共通にアベ政治の危うさを指摘しておられます。
と同時に、国際情勢の緊迫性について、かつてなく多彩な方々が、警鐘を鳴らしておられることも今日の特徴でしょうか。
1月25日付の「しんぶん赤旗」コラム「潮流」にこんな記事がありました。

 「(核戦争まで)ぎりぎりの地点にきている」。フランシスコ・ローマ法王が最近示した懸念です。ハワイでのミサイル警報誤配信事故について記者団に問われ、答えました(米誌ニューズウィーク、15日電子版)▼スマートフォンにミサイル攻撃を知らせる緊急警報が配信され、大問題になった事故。問題視されているのは、警報システムのずさんさだけではありません▼ペリー元国防長官は米政治専門誌ポリティコマガジン(15日電子版)に寄稿しています。「人為ミスや故障、両者の組み合わせによって核の大惨事が起きかねない危険を示した」▼同氏がよくあげるのは自身の体験です。国防総省幹部だった1979年、空軍の当直士官からの電話で真夜中に起こされました。200発のソ連ミサイルが米国に向かっているとコンピューターが表示している。そんな報告に核戦争を覚悟しました。しかし実際はコンピューターに訓練用テープを間違ってセットしたために起きたものでした▼誤った報告が大統領にあがれば、5~10分間で大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射を判断しなければなりません。誤算から文明を滅ぼす第3次世界大戦に突入しかねない。ペリー氏の警告です▼ハワイ州選出でイラク帰還兵でもあるガバード下院議員は事故を受け「無条件で米朝対話を」と提起(CNN、14日)。ローマ法王は「だから、この(核)兵器をなくさなければならないのだ」。いずれも拒否する安倍政権。世界の流れが全く見えていないようです。

そのペリー元国防長官が、今朝の「しんぶん赤旗」に大きく登場して、インタビューに答えていました。そのこと自体驚きでしたが、その発言がまた今日の危機の重大さをリアルに浮き彫りにするもので、戦慄なしに読むことができませんでした。

立場や経歴を問わず、戦争(の実相と回避の可能性)の真実を知悉している軍事専門家、戦争体験者、有識者等の警鐘に、今こそ真摯に耳を傾けるときでしょう。(「真摯に」もアベさんがお好きな言葉のようです。その字義を、誤解なさっているのでは?という疑惑も指摘されていますがね)
さて写真は、一昨日の「雪の倉敷美観地区」の続きです。







今日はこれにて。

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前回記事の再補足と、雪の倉敷ブラ散歩補遺、の巻 [折々散歩]

「何人死んだ?」という松本発言に対して、今日の国会では自民党議員すらも批判の質疑を行うに至り、党・政府挙げての「お詫び」で沈静化をはからねばならない重大問題だと気づいてはいるようですが、、。ネット上で、写真家初沢克利さんが、「宮森小学校米軍機墜落事故」の史実を紹介しておられました。



ウィキペディアへのリンクをコピペしておきます。↓


https://ja.wikipedia.org/wiki/宮森小学校米軍機墜落事故


一部引用します。

 事故の概要
[編集]
1959年6月30日午前10時40分頃に、アメリカ空軍ノースアメリカンF100Dジェット戦闘機が操縦不能となり、パイロットのジョンシュミット大尉は空中で脱出、機体は民家35棟をなぎ倒した後、石川市にある宮森小学校(現うるま市立宮森小学校)のトタン屋根校舎に衝突、さらに隣のコンクリート校舎を直撃し、炎上した。
事故直後から軍警消の各部隊が事故現場に急行し救助活動に当たった。被害者の治療のために沖縄本島中部在住医師のほとんどが駆けつけた。
事故による火災は1時間後に鎮火したが、死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事となった。
事故当時、学校には児童・教職員ら約1000人がいた。当時は2時間目終了後のミルク給食の時間で、ほぼ全児童が校舎内にいた。特に直撃を受けた2年生の教室の被害が最も大きく、火だるまになった子供たちは水飲み場まで走り、そのまま次々と息絶えたと伝えられている。



昨日散歩した、雪の倉敷美観地区の画像を追加掲載します。







先日亡くなった星野仙一さんの記念館があります。










どの路地も、風情があります。







川沿いの小径は、夏には柳陰が涼を演出しますが、今は葉も散り、枝を落とされ手、寒々しいたたずまいです。











海外からの観光客でしょうか、雪景色を楽しんでおられます。



今日はここまで。


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前回記事の補足と雪の倉敷ぶら散歩、の巻 [折々散歩]

昨日付の記事は、日付が変わるまでに書き上げようと焦ったため、尻切れトンボでまとまりの悪い結末でした。とはいえ、再度推敲して完成稿を仕上げる気力もありませんので、いくつか付け加えて、オシマイとします。
「それで何人死んだんだ」と、言語道断のヤジを飛ばして、「「誤解を招く発言」と「引責辞任」した松本文明内閣府副大臣の問題で、言い落としたことがありました。
1)この人物、きわめてレベルの低い政治家で、もともと「住民目線」というものをかけらも持ち会わせてないお方らしい。2016年4月の熊本地震の際、内閣府副大臣として現地対策本部長を務めた折に、配給がおにぎりのみだったことについて、県職員に「こんな食事じゃ戦はできない」などと、待遇の不満を再三口にするなど、大ひんしゅくだったと、当時の「週刊文春」が報じていました。罪科はそれにとどまらないようです。「青空避難」解消という被災者感覚無視の「対策」を、政府代表としてごり押しした当事者が彼だったらしい。の西日本新聞の2017年04月15日付記事「熊本激震…最前線ドキュメント(1) 首相指示 「青空避難を解消せよ」」を引用します。
首相の安倍晋三(62)は、熊本地震の「前震」が発生した昨年4月14日夜、都内のフランス料理店にいた。車を飛ばして首相官邸に戻り、直後に発した一言が混乱の始まりだった。
 「なぜ、避難者が寒空の下にいるんだ」
 危機管理センターのモニターにはNHKや民放の臨時ニュースが流れていた。熊本県益城町役場の駐車場に避難者が詰め寄せ、毛布にくるまる姿を映し出していた。
 鶴の一声は側近、官僚を通じて瞬く間に熊本県庁に届いた。新館10階の災害対策本部で、県総務部長木村敬(42)の携帯電話が鳴った。「青空避難者をただちに収容せよ」。木村は知事蒲島郁夫(70)の東大教授時代の教え子で、総務省から派遣された最側近の一人だ。
 間断なく余震が続いていた。一晩で震度5以上の地震だけでも7回を数えた。「皆、屋内にいるのが怖くて外にいるんです」。木村は電話口で何度も叫んだ。東京からの電話は一晩中鳴り続けた。
 15日、政府現地対策本部長として内閣府副大臣の松本文明(68)が県庁に入った。普段は温厚な蒲島が目をつり上げた。「現場が分かっていない」
 次々に舞い込む被害情報と救急要請。現地は救命率が急落するとされる災害発生から「72時間」を意識した対応を最優先していた。そこに各省庁から優先度の低い指示や問い合わせが相次ぐ。「住民基本台帳システムはどうなっているのか」「県の災対(災害対策)本部に官邸とのテレビ会議用の大型モニターを置かせてくれ」-。
 指揮に当たった県幹部は「上から目線の指示に苦慮した」と顔をしかめる。ぎくしゃくした国と県の関係。16日未明、再び最大震度7の「本震」に襲われ、混乱に拍車が掛かる。 (赤字強調は引用者) 
2)この人、2015年の改造内閣で、例の島尻安伊子沖縄北方担当大臣の下で副大臣を務めたこともある由。よりにもよって、県民・国民感情から遊離したお粗末な「人材」をそろえたものです。ついでながら、島尻氏の後釜が、あのスキャンダル満載の鶴保庸介氏ですから、うんざりです。
3)この人に限らず、品性下劣、傲岸不遜、狐借虎威の小人物ばかり、寄り集まっては不善を為す現政権の本質的特徴を浮き彫りにする一例にすぎないというべきなのでしょう。
リテラの↓この記事が、的確に指摘しています。参考までにご紹介しておきます。

松本内閣府副大臣スピード辞任はただの選挙目当て! 沖縄米軍機事故に「何人死んだんだ!」卑劣ヤジは安倍自民の本音だ

寒い日が続きます。

アッシーとして、妻を倉敷まで送りました。もう少し足を伸ばして見るつもりですが、かなりの勢いで雪が降って来ましたので、遠出は控えて、せっかくですので倉敷美観地区を短時間歩いてみました。

雪花の舞う倉敷美観地区も、また格別の風情です。


日曜日とあって、寒い中も散策の客が、大勢行き来しています。


軒下の、赤い和傘が目を引きます。



倉敷川の向かい側。中央あたりの洋風建築は、旧倉敷町の町役場跡で、現在観光案内所兼休憩所として使われていいます。


三々五々、歩く人たちのかなりの人は、アジアからの観光客と見えます。






雪の中の川船遊覧も、粋ですね。











雪が、視界を遮るほどに、かなり強く舞う時もありました。



よちよち歩きの観光客親子でしょうか?ほほえましい光景です。



人力車が客待ちをしています。外国人観光客の注目も高いようです。





残りの写真はまた機会を改めてご紹介する予定です。今日はここまで。



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「それで何人死んだんだ?」、の巻 [時事]

「それで何人死んだんだ?」
25日、共産党志位委員長が行った沖縄米軍機事故に関する国会質問に対して、松本文明内閣府副大臣が浴びせたヤジ。信じがたい暴言です。チンピラまがいの恫喝以下の品のなさ。辞任は当然ですが、辞任して済む問題でもないでしょう?
沖縄タイムズの1月27日付け社説(ウェブ版)の記事に、まったく同感です。

 米軍ヘリの不時着が相次いでいることについて、米海兵隊のネラー総司令官は25日、事故を未然に防ぐための予防的着陸だったとして「非常に素直に言って良かった」と述べた。
 ワシントンで開かれたシンポジウムでの発言である。「誰も負傷しなかったし、機体も失わなかった。私は心配していない」とも語った。
 ハリス米太平洋軍司令官も9日、ハワイで小野寺五典防衛相と会談した際、「一番近い安全な場所に(機体を)降ろす措置に満足している」と述べている。
 2016年12月、オスプレイが大破した名護市安部海岸での事故は、「クラスA」に分類される重大事故だった。ところがニコルソン四軍調整官は、集落を避けて海岸に「不時着」させたパイロットの技量をたたえ、県民をあぜんとさせた。
 04年8月、米軍ヘリが沖縄国際大構内に墜落炎上したときは、ワスコー在日米軍司令官が「ベストな対応」だと言い放った。
 これらはすべて「軍の論理」である。米軍高官の共通認識だと言っていいだろう。
事故やトラブルが多発し住民に大きな不安を与えているにもかかわらず「軍の論理」で正当化するのは、占領者意識というしかない。

 住民は、憲法第13条で保障された平穏な日常を求める権利(幸福追求権)を脅かされているのである。
 事態は極めて深刻なのに日米双方から伝わってくるのは県民感情を逆なでする「不適切発言」ばかりだ。
■    ■
内閣府の松本文明副大臣は25日、共産党の志位和夫委員長が衆院本会議の代表質問で米軍機事故などに触れた際、「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばした。
 開いた口が塞(ふさ)がらない。まるで問題を起こした米軍よりも県民を責めるような口ぶりである。
この程度のことで大騒ぎするなと言いたかったのか。

 村営ヘリポートにAH1攻撃ヘリが不時着したばかりの渡名喜村の桃原優村長は記者団に語った。
「もし人が死んでいたら、あなたはどうするのだと聞きたい」
共産党が記者会見でこの発言を取り上げ問題が広がったため、松本氏は26日、急きょ安倍晋三首相に辞表を提出し、受理された。
あっという間の辞任劇の背景にあるのは、28日に告示される名護市長選である。
■    ■
米軍高官の発言といい、松本氏の国会でのヤジといい、両者には共通する点がある。
代々そこで暮らしてきた人びとの生活感情や米軍基地を巡る歴史の記憶、基地被害の実態にあまりにも無頓着で、住民目線を決定的に欠いている点だ。
 政府に対する不信感と失望感は広がる一方だが、絶望している場合ではない。日米は地元沖縄の動きを注意深く観察しており、「まだこの程度」と思っている間は、大きな変化は起こらないだろう。
政治を動かすには大きなうねりをつくり出すことが必要だ。
(赤字強調は、引用者)


この「何人死んだんだ」というヤジについて、共産党の小池書記局長は会見で、「死者が出なければ事故が起きてもいいと意図しているなら重大な暴言だ」 と強く批判したそうです。もっともです。
が、それにとどまらないのではありますまいか?「何人死んだんだ」というセリフは、仮に犠牲者が出ても、「そんなにわずかな犠牲者数で、四の五の抜かすな、今は国難の時、国家危急の時であるぞ」と言ってのける時にも用い得るセリフでもあるでしょう。
日本共産党発行の「しんぶん赤旗」2017年2月15日付記事(web版)にこんな記事がありました。

 在日米軍の兵士や軍属らによる事件・事故が、1952~2016年度(11月30日現在)に21万件を超え、日本人の死者は1092人に上ることが、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員の要求に防衛省が14日までに提出した資料で明らかになりました。 
資料によると、旧日米安保条約が発効した52年度からの事件・事故の総数は21万750件。このうち公務中(勤務時間内)が4万9699件、公務外(勤務時間外)が16万1051件で、これらによる死者は、公務中521人、公務外571人です。16年度は、昨年4月に沖縄県うるま市で20歳の女性が暴行・殺害され、遺体を遺棄された事件を含め、公務内外合わせて293件、死者1人となっています。
件数と死者数は、防衛省が日米地位協定18条に基づく損害賠償の関係上、把握しているもの。52年度以前と、米軍の施政権下に置かれていた本土復帰前の沖縄は含まれておらず、実際はこれを大きく上回るとみられます。


日米同盟の重要性に鑑みれば、それしきの被害に騒ぎ立てることなく、、ひたすら甘受すべきだ、いや、日本の安全保障のために注がれているアメリカの献身的努力に感謝すべきだ。なんて、すぐにでも言い出しそうではありませんか。
その意味では、松本氏、いささかも反省も改悛もしておられるわけではなく、ただ、上述の沖縄タイムズの記事の通り、「あっという間の辞任劇の背景にあるのは、28日に告示される名護市長選」ということに尽きるのでしょう。
4年前の名護市長選挙結果を受けて、こんな記事を書いていました。



  大寒や沖縄に春いちはやく
固き土破りて名護に春来たり
大寒や辺野古のジュゴン安くあれ
暦の上では、今日が大寒。
名前の通り、寒い朝でした。
その厳しい寒さとは裏腹に、昨日投票の、名護市長選の結果は、一足先の春の訪れを告げるものでした。いや、人々の燃える希望と熱気を、全国に伝えるものでした。
日米政府の強圧や、県知事の心変わりにも関わらず、住民は圧倒的多数で現職稲峰さんを選び、「辺野古の海を基地に渡すな」「ジュゴンの海を守れ」という決断を、繰り返して示しました。
ニュースを聞いていますと、今朝、いつもと同じように交通安全指導に立った稲峰さんに、通学途上の小学生や通行中の市民が「当選おめでとう」と声をかけると、稲峰さんはにこやかにそれに応えていました。
いや、比喩ではなく、実際に沖縄は、もう桜が満開なのでしょう。


今回の市長選挙は、明日が告示。「オール沖縄」、「オール名護」の力を結集して、日米の支配層が「まだこの程度」と高をくくってはいられない大きなうねりを作り出すことによって、政治の大変化への一歩が踏み出されることを祈っています。一休みすることもなく、たたかいの明け暮れを奮闘してこられた沖縄の皆様、もうひとがんばり、どうかよろしくお願いします。心から応援しております。

本土のスズメも、同じ思いで、沖縄のスズメにエールを送っていますよ。

今日はこれにて。

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青い鳥揃い踏み、の巻 [折々散歩]

大変な寒さに閉口します。
夜中も、布団の足元が冷たく、何度も目が覚めて熟視できません。身動きするのもおっくうなので、布団の中で、深夜のラジオ放送をながしながらうつらうつらしているのが、半ば習慣になっています。
そんなまどろみの時間に、なにやら重大な思いつきやひらめきが浮かんだような気がして、ふっと覚醒することがあります。ですが、それは、いつも痕跡もなく消えて、喪失感まじりのもどかしさだけが残ります。そういえば、最近、孫と録画で観たアニメ「君の名は」が、深層心理に取り込まれていたのかもしれません。
そうして迎えた朝になっても、起き出すことがためらわれますが、ここ何日も散歩にも行かず,血流が滞っていることを感じていますので、パソコン仕事を早めに切り上げて、深山公園でも一歩きしてこようと出かけました。
防寒衣を着込んで整えて,リュックにカメラを突っ込んで歩きます。PENTAXK5Ⅱ+AFBORG(45ED)と、OLYMPUSE3+ZUIKO75-300と、念のためにFUJIFINEPIXs1も携行したので、結構重さがこたえます。
内心、今日の散歩のお目当てにしていた鳥があり、目星のエリアを何度か行ったり来たりしてみましたが、今日もお目にかかれませんでした。あきらめて帰りかけた頃、この鳥にあいました。
アトリです。











これはビンズイ。





そしてヤマガラも,いつものように愛嬌を振りまいてくれます。











シロハラもお出ましです。今シーズン、何回かは見かけていますが、きょうはまともに撮影できました。

深山公園のシロハラ2018

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カワセミも登場です。



トリミングします。



カメラマンさんたちが、「こっちへおいで」と口々に呼びかけていますが、遠くの石組の上を遊んでいるだけ。

少し位置を変えて、カメラもE3に持ち替えて撮影しようとしたのですが、何だかこのカメラの挙動がヘンです。不審に思っていろいろいじっているうちにわかりました。電池切れでした。とほほ。

カワセミを待ちながら、ヤマガラやシロハラの撮影に熱中していますと、私の反対側に向かってカメラを向けておられるカメラマンさんがおられます。そのレンズの先をうかがうと、な、なんと、いました。















手前の白っぽいものは、撮影中のカメラマンさんの帽子です。

今年初めてのルリビタキ♂でした。

フォト蔵にもアップしました。

深山公園のルリビタキ♂

深山公園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 深山公園のルリビタキ♂

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深山公園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 深山公園のルリビタキ♂

深山公園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg


目当ての鳥にはあえませんでしたが、青い鳥に二度会えれば満足です。

さらにこれも青い鳥。アオジでした。



雪花の舞う中でしたが,3種の青い鳥に出会った、めでたしめでたしの散歩でした。

今日はこれにて。
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凍える冬に、の巻 [折々散歩]

数年(数十年?)に一度という冷え込みだそうです。

わが地方は、わずかに雪花が舞い、屋根や草木が、うっすらと白くなったという程度で、降雪と言えるほどでもなかったのですが、子どもたちはそれでも興奮気味でした。各地で、雪による被害も様々に伝えられており、雪を喜ぶなどは不謹慎とは思えますが、、。

それにしても、冷たい風も激しくて、外出には適さない天候ですが、少しだけ深山公園でも歩いてみようかと思っていた昨日の朝、インフルエンザが治癒して登校の予定だった小4男児が行きたくないというので、我が家で一日、ジイジと過ごすことになりました。どこにも外出しないで、家に閉じこもって過ごした一日でした。

午後には、市内といっても反対側の端に住む長女が一歳児を連れて遊びに来ましたので、夕方は、帰宅した孫たちも続々寄ってきて、賑やかになりました。

どこにも出かけませんでしたが、我が家の庭でこのようなものを見つけました。











これだけ伸びた霜柱は、さすがに当地では珍しいです。

ところで、最近とても気になる言葉遣いがあります。ニュースの中でたびたび用いられる「憲法改正」の文言。「憲法改正草案」など、自民党や改憲論者の用語や、コメントをそのまま伝える場合はともかく、「地の文」で、「憲法改正」と表現するのは合点がいきません。

9条に自衛隊の存在を明記して、集団的自衛権を行使し得る自衛隊を「合憲」と明文化するという安倍改憲は、明白に「憲法改悪」です。「公器」としてのテレビや新聞が、中立の立場で客観報道をするとするなら、「憲法改悪」では一方に偏することになると配慮(忖度?)したとしても、せいぜい「改憲」「憲法改定」というべきところ。これを「憲法改正」と表現したのでは、それこそ一方の側に偏した不公正報道・偏向報道に堕してしまうはずでしょう。それを深い考えもなく(いや深慮遠望の結果として?)、「憲法改正」「憲法改正」と毎日毎日、何度も何度もメッセージを送り続けることは、一方の意見の「代弁」どころか「宣伝工作」の役目を果たしているのではないか、と気になって仕方がなかったのです。

特に、今国会をめぐる、NHKの報道は、徹底してそうねっているように思います。

ちなみに、NHKNEWSWEBの最新記事を見ても、例外ではありません。

 

”憲法9条2項”の扱い 自民 党内意見集約に時間かかるか

憲法改正の焦点となっている「自衛隊の明記」について、自民党内では、幹部から、戦力の不保持などを定めた9条2項を維持したうえで、自衛隊の存在を規定する条文を追加する案で意見を集約したいという声が出ています。ただ、党内には異論も根強く、取りまとめには、時間がかかることも予想されます。

憲法改正をめぐって安倍総理大臣は24日、衆議院本会議で「多くの教科書に、自衛隊の合憲性に議論がある旨が記述されている。そうした議論の余地を無くしていくことが、私たちの世代の責任ではないか」と述べ、自衛隊の明記に重ねて意欲を示しました。



こうした中、自民党では、高村副総裁など幹部から幅広い合意を得るため戦力の不保持などを定めた9条2項を維持したうえで、自衛隊の存在を規定する条文を追加する案で、3月の党大会までに意見を集約したいという声が出ています。

(後略)


この点を指摘する批判はないのかと気になっておりましたら、枝野さんが批判しておられましたね。

 ■枝野幸男・立憲民主党代表(発言録)
「憲法改正」なんて言っちゃダメです。「改正」なら賛成だが、「改悪」だから反対。だから、(首相の)安倍晋三さんがやろうとしているのは「改悪だ」と言わないといけない。正直しんどいところがあるが、できれば国会の中で止めたい。なぜなら、国民投票で税金が700億円も800億円も使われる。そして、こんなところに政治的エネルギーを使っている場合ですか?(先に解決すべきは)貧困、格差、過労死、子どもの問題。
止めるための最大のエネルギーは、「国民投票したら否決だよ」と。安倍さんがどんなに憲法改悪がご趣味であっても貫くことができない。そのためにも「草の根の力」をしっかりと結集する新しいアプローチを前へ前と進めていきたい。(21日、神奈川県藤沢市の会合で)(朝日新聞デジタル 2018年01月21日 17時54分)

おっしゃるとおりと思います。

凍える冬に耐えながら、「冬の時代」は拒否したい。

今日はこれにて。

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PCもカメラも軽快、高性能であって欲しいものですが、、の巻 [折々散歩]

パソコンのメンテナンス作業はほぼ終わりましたが、なかなか快調ということにはなりません。そうはいっても必要に迫られたデスクワークがありますので、相応の働きはしてもらわねばなりません。実際、ワープロソフトくらいなら、まずまずストレスなく働いてくれるので、不満を言うつもりはありませんが、、、。

ところで、先日来、HDDの換装について話題にしてきました。そう言えば、以前こんな記事を書いたことがあります。(2015年4月の記事です)

今更ですが、CドライブをSSDに換装してみました、の巻

ブログ更新に関連して、最近ちょっと気がかりなことがあります。

先日のこの記事でも書きましたが、どんどん増える画像ファイル(撮影済みの写真ファイルの整理が追いつかず、無作為に蓄積しつづけているため)のため、ハードディスクが圧迫されている状態を解消するために、先月、Cドライブを2テラのものに換装しました。これを起動用のHDDにして、データ保存用はスレーブの2テラのhdd(パーティーションを二つに分けています)を使っています。ところが、このデータ保存用のHDDが、かなり窮屈になっています。

(中略)

ここ数日の思いつきで、起動ドライブを、SSDに代えてみてはと思いついたのです。かつては高嶺の花だったSSDが、昔のHDDより安価で手に入るようになっていましたので。CFD販売 SSD 256GB 2.5inch TOSHIBA製 内蔵型 SATA6Gbps CSSD-S6T256NHG6Q

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安心の国内メーカー製です。

それが、今日とどきました。早速、換装作業を行い、Cドライブをそのままコピーしました。(コピー所用時間=数十分)

無問題で起動します。めでたしめでたし。 

(中略)

「サクサク動く」パソコンなど、これまで使ったことありませんでしたが、今そんな実感がします。

この記事この記事この記事この記事などで書いたように、私のメインPCは、辛うじてwindows7を走らせるための、廉価低スペックの非力なマシンです。

それが、この操作感なら、望外の幸せ、満足至極と言わなければなりません。

まずはめでたしの一日でした。


思い返せば懐かしいことです。

事態は、2年後の今も、まったく変わりません。「どんどん増える画像ファイル(撮影済みの写真ファイルの整理が追いつかず、無作為に蓄積しつづけているため)のため、ハードディスクが圧迫されている状態」が、日々増幅されているので、ここ何日かファイルの整理を試みましたが、文字どおり「焼け石に水」。それどころか、引っ越し荷物の整理中に、床下の昔の新聞や、本棚の中の古い書籍や資料を読みふける習癖同様に、古いファイルに見入るうちに時間が過ぎます。

さて、最近の記事では、コンパクトなお散歩カメラの選定を話題にしてきたところですが、やはり、FUJIFINEPIXS1が、出色であることを、改めて感じます。

こんな広角撮影もできますし、、







望遠撮影もお手のもの。

散歩道でイタチに会いました。



散歩道のツグミです。









昨日の深山公園散歩には、このカメラも携行していました。



ヨシガモもバッチリ写ります。

カワセミも登場。



デジタルズームだとこの大きさになります。



ほんの一瞬、この枝に止まりに来て、すぐに飛び去りました。この日は大勢のカメラマンさんが並んでいましたので、怯えて逃げ出したのかも知れません。

カメラマンさんたちはトラツグミも狙っていたようですが、この日は人が多いからかあらわれないなあ、と話しておられました。

ところで、昨今の野菜の高騰は驚くばかりです。TV番組で葉酸の効能について強調されるにつけても、緑の野菜の大事さが身に沁みます。今朝は妻に命じられて、近所の産直市場で緑の野菜を物色してきました。しかし、あまりの高値に、購入意欲がそがれ、五百円程度の買い物にとどめ、少しでもでもその補充をしようと、久しぶりに畑をのぞいてみました。

育ちの悪い小松菜、蕪、大根などを葉っぱごと抜いて帰りました。それと、畑にはびこっている厄介者のカラシナが、柔らかそうな若菜の風情でしたので、ついでに持ち帰ってみました。



冷たい水で洗って泥を落とし、熱湯でゆでてから、油炒めにして食べました。辛みと苦みが癖になる、なかなかの美味でした。

今日はこれにて。

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大寒の日の散歩とPC作業、の巻 [折々散歩]

大寒の今日は、一昨日・昨日に引き続き、すこしし寒さがやわらいで、穏やかな日差しがありました。

インフルエンザの小4男児は、二~三日の間は高熱に苦しんだようですが、今日はピークを越えた由。小1女児は、参観日だそうで、部活の中学生を試合会場まで送る役目をじいじが引き受けました。朝7時過ぎ出発で、会場まで送り届け、帰ってきてもまだ、PCは休まず稼働中で、昨日からのHDDのコピー作業が終わっていません。手持無沙汰をまぎらすために、散歩に出かけてみました。

カメラグッズ置き場を探し物をしているうちに、目的物ではないグッズを久しぶりに見つけました。そのものを求めて探した時には、いくら探しても見つからず、使用をあきらめていた望遠レンズBORG45EDです。

最近ずっとBORG60EDを装着する場合が多いのですが、これを購入する前に使っていた45EDがもっとコンパクトで写りも鮮明だったことを、古い写真ファイルを整理していて思い出し、確かめてみたいと思いました。

昨日児島湖周辺へ出かけた時には、PENTAXk5Ⅱ+BORG60ED+AFAD*1.7を携行しました。

ミサゴを撮りました。















獲物をゲットした姿をトリミングします。







これは飛翔姿のトリミング。



パソコンがまだ不調で、画像処理ソフトがストライキ気味ですので、この程度で終わります。

下は、今日の深山公園での画像。PENTAXk5Ⅱ+BORG45ED+AFAD*1.7によります。

先日発見し、そのあと見かけなくなっていたヨシガモが、別の池に移っていました。











ビンズイも見つけました。



このレンズは、かなり暗いので、よほど条件が整わないとAFも聞きにくいし、手振れ被写体ブレの量産になります。軽量コンパクトであることが、大変ありがたいです。

HDDのコピーが、お昼ごろになってやっと終了しましたので、次のような手順でのHDD換装をもくろみました。



1)コピー元の小さいHDDをPC本体から取り外す。(注 今回は、Cドライブは、もと通りで一切触りません。)

2)コピー先の3テラUSBHDDを、ケースから取り外し、内蔵HDDとしてPCに装着する。

3)PCから取り外したhddを、空になったケースに装着し,USBHDDとして使用する。まずフォーマットし、テレビ録画用HDDとして活用する。



この夢のようなプランは、しかし、あえなく挫折を迎えました。

というのは、2)の「ケースから取り外す」という作業に躓き、一切の計画の修正を余儀なくされました。



修正プラン。内蔵HDDはそのままPC装着したままにし、新しい大容量HDDは、USB接続で、画像専用HDDとして使用する。コピー元のhddは、画像ファイルを除去し、大幅にダイエットして空き容量を増やし、Cドライブ内のファイルを最大限引っ越しさせて、Cドライブを身軽にさせる。という方向でHDDのファイルの整理・整頓を少しずつ始めました。これが結構時間を食い、なかなかはかどりません。

夕方からPCに命じたHDD間のファイルコピーが、PM11時現在74パーセント終了、残り2時間余りと表示されています。終わりまでお付き合いするわけにもいきませんので、この辺りで私はPCのそばから離れ、あとは明日、結果を確かめることにします。

今日はこれにて。






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HDD換装作業中、の巻 [折々散歩]

最近、PCの動きが緩慢に過ぎるので、一杯になりすぎたハードディスクの換装を試みることにしました。数日前、USB接続の3テラのHDDを、税抜き価格諭吉さん1枚弱で購入し、まとまった時間がとれる日を狙っていました。
ファイルサイズがふくれあがったストック写真を整理したうえで、セレクト画像だけを新しいHDDにコピーしようと思い、作業を始めたのは今朝のことです。ストック写真の整理は、かなり根を詰めて不要ファイルを削除すべく努力したのですが、わずかに数ギガのファイルを整理できただけでした。お昼も近いので、この辺りで断念して、まず、新HDDへのコピーを先行させようと、PCに作業を命じて、しばらくは画面を注視しておりましたが、残り時間22時間という表示が出たまま遅々としてはかどりません。手持ちぶさたなので、ちょっと児島湖方面に散歩に出かけてきました。またまたミサゴの漁などを撮影できました。
帰ってきても、PCの作業はわずかに進んだだけで、残りの作業時間が二十時間とあります。
なすすべもなく、時間の経つのをただ待つばかり。そのうち、小1生、ついで
保育園児が下校し、我が家でしばし滞在します。というのも、小4の元気な男の子が、昨日からインフルエンザと診断され、今日は自宅で隔離中です。ママが一日お休みをとり、看病についてはジジババの出番はありませんでしたが、幼い妹たちの託児業務を承った次第です。
軽く夕食も提供し、いまPM七時頃ですが、PCの作業は24%終了と表示され、残り時間16時間だそうです。その間は写真フォルダへのアクセスはできませんので、今日のブログ更新は、手抜きでお茶を濁します。
HDDにストックしている古いファイルをチェックしているうちに、こんな画像を見つけ、かつてブログにアップしていたことも思い出しました。それなりに思い入れのある写真ですので、再掲させていただくことにしました。
[カメラ]こちら

[カメラ]こちら
をクリックすると、別ウインドウに大きい写真が表示されます。ご覧いただけると幸いです。
今日はこれにて。

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十年一昔?の巻 [折々散歩]

十年一昔と言い、十年一日とも言います。

10年どころか、今日は、阪神淡路大震災から23年だそうです。もう23年!とも思いますし、その日のまま、時がストップしてしまったかたもおられることでしょう。

そんな今日、私は早起きして、阪神方面へ向かいました。というのは、2007年の脳動脈瘤手術の経過観察で、年に一度の病院通いです。まさしく十年目で、「十年一昔」と「十年一日」の思いが交錯します。

大阪の病院の予約がAM10時MRI検査でしたから、朝一番の、五時五十分過ぎのバスに乗ります。思えば、阪神淡路大震災の起こったのがこんな時間でした。あの朝はことの他の寒さだった記憶がありますが、今朝は久しぶりに寒さが緩んだのはありがたいものの、本格的な雨降りで、ぐっしょり濡れた傘を携えて長旅をしなくてはなりません。

岡山駅から、新幹線で新大阪に向かいます、先発の「のぞみ」に乗れば、短い時間で到着できますが、少し早く着きすぎるかな?と思って、後発の「こだま」新大阪行きに乗って、のんびりゆくことにしました。







車内は空っぽです。



各駅停車でゆっくりゆっくり走ることは覚悟してましたが、駅に何分も停車して、「のぞみ」に追い抜かせるのは、意地の悪い嫌がらせのように感じてしまいます。新神戸に到着しました。



速度を落としても、さすがに新幹線、しかも暗いので、やはりぶれてしまいます。



震災直後、この新神戸駅を通ったとがありましたが、果たして復興が可能なのかと、暗澹たる思いにとらわれたことがありました。今では、昔日の感がありますね。

今日はここには降りません。



新大阪から、地下鉄、バスを乗り継いで、懐かしいこの病院に向かいます。



予約通りにMRI検査を受け、しばらく待って主治医の診察を受けます。

結論。

10年経つが、悪い変化はなく、今後も安定が期待できるので、経過観察は今回で終了することになりました。ありがたいことです。

見納めになるかも知れない病院の姿をカメラに収めておきました。

帰りも、「のぞみ」ではなく、「ひかり」岡山行きでのんびり帰りました。






今度はホームの新神戸の表示がはっきり写りました。



さすがに疲れて家路に向かう途中、ご近所の庭に咲く狼狽が、雨の雫をたっぷり含んで、馥郁とした香りを発していました。



今日はこれにて。
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小正月は寒い朝、の巻 [折々散歩]

大変な冷え込みが続きます。

今日あたりから寒さが緩み、日中の気温は久しぶりに10℃を上回りそう、、と予報されていましたが、朝の零下は連日変わらず、車の窓ガラスが凍結して、運転に困りました。日中は、日射しのおかげで、室内の窓縁は、心なしかぽかぽかとした感じがありましたが、それでも、東南アジアの留学生たちは、エアコンを効かせた室内でも防寒衣を着込んで、「寒い」と言っていました。いえいえ、東南アジア出身の諸君だけでなく、私たち日本人の職員も、やっぱり寒い、、、。夕方帰宅していつもの寒暖計を見ると、やっぱり7℃前後で、ビールの適温でした。

今日は散歩の機会がなかったので、昨日、一昨日の写真を掲載させていただきます。

小川が、一面凍っています。



氷の上を歩くハクセキレイ。

見慣れない光景です。







別の場所でも、、、。



これまた別の場所、、。





霜が降りて、野草もさぞや冷たかろう。。





霜に覆われた田園風景。



あぜ道にも氷が張っています。



わずかな氷の隙間で採餌するコサギも、寒そうです。



空には氷が張っていませんから、のびのびと飛翔しています。







こちらはアオサギ。







少し日が昇ると、わずかに水の流れが姿をあらわします。



一昨日は、コガモの姿が消えていました。川が一面凍結していたので、どこか水のある場所に避難していたのでしょうか?

昨日は日射しがあったので、少しだけ氷が溶けたせいでしょうか、水の上に群れが集まっています。



近寄ると、いっせいに飛び立ちます。



そうしてまた舞い戻ります。



岸に行儀良く並んで憩うコガモもいます。



見慣れた田園風景。



でも、よく見ると、麦の芽が伸び始めています。



着々と、春は近づいている、、かな?

今日はここまで。


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え?イヌネコキョーシツ?の巻 [私の切り抜き帳]

寒さのせいか、心の小さな屈託(いや、そんなものありませんヨ)のせいか、はたまた、何かの失敗に慌てている夢(だったような)のせいか、早朝目覚めて、トイレに行ってもなかなか寝付かれず、枕元のラジオのスイッチを入れました。
もう少しはっきり覚醒してしまったときは、パソコンの電源を入れるのですが、極力それは避けて目をつぶったまま、安らかな気持ちでいたいので、ラジオのお世話になることがあります。

その時流れていたのは、NHKの「ラジオ深夜便」という番組でした。聞くともなく聞いていたら、AM4時台の番組名が、「イヌネコキョーシツ」と聞こえます。「犬猫教室?」と変換して見ましたが、どうやら違ったようです。NHKのhp記事にこうあります。
 ◆13日(土)午前4時台
ABU(アジア太平洋放送連合)賞のラジオドキュメンタリー番組部門で最優秀賞に選ばれた『調査報告・戦時下の犬猫供出』を再放送でお送りします。
日中戦争から太平洋戦争の時代、兵士の防寒具に役立てようと、国民に、飼っている犬や猫を供出させる献納運動が各地で行われました。このテーマを10年にわたって調査した地域史研究家・西田秀子さん=写真=の解説と関係者の貴重な証言を交えて、戦時下の犬猫供出の実態に迫ります。



戌年の新年としては皮肉にすぎる、残酷な内容でした。
起床後、この番組関連の記事をググってみると、「エムズの片割れ」とおっしゃるブログに、昨年11月12日の放送についての話題が詳しく書かれていました。
その中に、2016/08/14付「北海道新聞」の記事が引用されていましたので、無断で孫引きさせていただきます。
 戦時中道内で犬猫供出 毛皮、兵士の防寒着に 江別の地域史研究家が調査「軍国主義の一例

 太平洋戦争中、兵士の防寒着などに毛皮を利用するため、道民が飼っていた犬や猫を供出させられた経緯について、江別市の地域史研究家西田秀子さん(65)が調査し、札幌市公文書館の年報で発表した。1944年度(昭和19年度)には犬の皮1万5千枚、猫の皮4万5千枚が供出され、道庁も各市町村に供出数を割り当てるなど深く関与した。西田さんは「物資不足で供出対象が身近な動物にまでエスカレートした。上意下達の全体主義が、社会全体を覆う当時の状況を知ってほしい」と話す。
 西田さんは、新札幌市史編集員だった10年前、犬猫の供出を調べ始め、史実として記録しておこうと論文にまとめた。芦別市の「星の降る里百年記念館」などの協力を得て、所蔵する防寒着や防寒靴などを獣医学の専門家らに鑑定してもらい、犬猫の毛がコートの一部や靴の内側などに利用されていたことも確認した。
 西田さんによると、国は44年12月に軍需毛皮の増産や狂犬病根絶、空襲に備えた野犬の駆除などを目的に、飼い犬を含めた供出を各都道府県に通達した。札幌では兵士の防寒着に使われるウサギが減ったことから、それより前の43年4月に大政翼賛会札幌支部の発案で、飼い犬の毛皮を国に献納する運動が始まり、同年度だけで約2600枚の犬の皮が集まったという。
 また、道庁は44年12月、道内各市町村ごとの供出割当数を決め、45年4月末までに供出するよう市町村長や警察署長に指示した。全道の供出割当数は犬が約3万匹、猫は約7万7千匹で、実際は割り当て通り集まらなかったが、道庁が把握していた道内の犬の総数の8割、猫の総数の5割という高い目標設定だった。
161122kennou 論文には、「野畜犬 進んで奉公 さあ!今だ!」といった標語を掲げた道庁公報を掲載し、供出された犬猫の殺処分を手伝った男性の証言も収録。「連れてきた人の目の前で金づちで殺すんだ。怖がっていたよ。自分も怖かった。なるべく苦しまないように眉間を狙うんだ」といった証言が記されている。
 全国での犬猫の供出数は不明だが、西田さんは道内では積極的に供出運動が展開されたと指摘。厳しい寒さの中で生活する道民は、防寒着が生死を分ける必需品との共通認識があり、極寒の地に派遣された兵士に暖かい防寒着を送ってあげたいという集団心理が働いた可能性があるという。
 西田さんは「犬や猫の供出は、戦争に勝つためという軍国主義が行政の末端まで及んだ一例。この歴史を記録するため、供出させられた人の証言をさらに集めたい」と話している。
 西田さんの論文は、札幌市中央区の札幌市公文書館のほか、同公文書館のホームページでも閲覧できる。」(
2016/08/14付「北海道新聞」より)


上記ブログには、札幌市公文書館HPの当該論文へのリンクも示してくださっていましたので、勝手ながらコピーさせていただきました。

「アジア太平洋戦争下、犬猫の毛皮供出、献納運動の経緯と実態-史実と科学鑑定(西田秀子)」(その1)(その2)(その3


信じがたい歴史の暗部です。いや信じがたいとは言いきれないのかも知れません。現に、先日は、落合道人Ochiai-Dojin (ChinchikoPapa)様の、こんな記事も読ませていただいているのですから。
巽聖歌が歩く屋敷林の落ち葉焚き。
 さて、東京で落ち葉焚きが禁止されたのは、なにも現代ばかりではない。戦時中の東京では、落ち葉は重要な“資源”として位置づけられ、炊事や風呂焚きなどに使える“資源”を焚き火をして燃やすとはケシカランと、軍部からクレームが出て禁止されていた。また、焚き火の煙は「敵機による空襲の攻撃目標になる」ので全面禁止という、わけのわからない命令も軍部から出ている。
 米軍の空襲を経験し、その爆撃法を科学的ないしは論理的に分析・検証していれば、B29は精密な空中写真Click!や地図をベースにレーダーを用いて攻撃目標を補足し、正確に爆撃を行っていたことは明らかだったはずだ。これも、夜間に光るホタルは爆撃の目標になるから、川辺のホタルClick!をすべて殺せという錯乱したヒステリックな命令と同系統のものだろう。それとも、軍部に近い行政組織がその意向を先まわりをして「忖度」し、軍部からと偽って「命令」を伝えていたものだろうか。
落合道人Ochiai-Dojin (ChinchikoPapa)様のコメントに、「『ホタルを殺せ』とか『焚き火禁止』とか、こういう些末で日常的な出来事や現象にこそ、戦前の軍国主義の愚かさがよりハッキリと、象徴的に表れているように感じますね」とありましたが、まったくその通りと感じたものでした。
戦争遂行という至上命令のためには、理性的判断も人間的な感性もことごとく麻痺してしまう、人間の愚かさ、弱さのあらわれでしょうか?モラルハザード、人間崩壊の極致とも言えます。それは、戦争という極限状態のみに限らず、目の前の日常の中にも、フツーに待ち構えている黒々とした陥穽なのかも知れないと、ふと思われて身震いを禁じ得ません。たとえば、勝利第一、成績至上の価値観が支配するスポーツの世界で、あたかもできの悪い戯画のようにあらわれたこのたびのカヌー選手の愚行。いやそれよりも、「記憶にない」「記録にない」を繰り返すことで権力ぐるみの犯罪を覆い隠し、国民へのではなく親分への忠誠を優先することで自己の保身・栄達をもはかろうとする、政・官界のモラルハザード。これらを見るとき、軍国時代の愚行を、決して笑えないのではと、思えてしまいます。
先日の前川喜平さんの講演会で、前川さんが、「記憶にない、記録にないが通用するようでは、社会規範が崩れ、モラルハザードを増幅させる。子どもを育てる仕事である教育に携わるものとして、容認できない」という旨を強調されていたことが、強く印象に残っています。極限状態であれ、平穏な場合であれ、いついかなる場においても、人間的な理性、知性、感性を曇らされることなく、柔軟かつ鋭敏に、磨き続けられるよう心がけたいものと、改めて銘記した次第です。
昨日今日と、たいへんな冷え込みで、玄関先にぶら下げている寒暖計はこんな気温を示していました。

当地では滅多に経験しない冷たさに驚いていましたら、同じ市内の複数の知人が、「マイナス5℃(以下)」だったとおっしゃっていました。聞くだけで凍えます。最高気温がこのレベルの寒地の方々には申し訳ないことですが、、、。
それでも、人周り歩いてきますと、汗ばんで、下着の着替えが必要です。
散歩道の鳥たち。昨日の撮影です。
センダンの枝に止まるヒヨドリ。

カワセミもちらりと姿を見せました。

これは?カラスと争って、電柱のてっぺんい止まりました。カラスより小型の猛禽と見受けますが、、、はて???

飛翔するコサギ。

飛翔する、、、?これもわかりません。





用水路のアオサギ。

別の場所にいた別の個体。

紅梅のツボミが、少しずつ柔らかく膨らみ始めています。

きょうはこれにて。

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新年の児島湖鳥模様など、の巻 [折々散歩]

1月6日には、自然環境体験公園を一巡りしてから、児島湖堤防周辺を歩いてみました。

PENTAXK5Ⅱに、sigma APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSMという、約1.6kgある重いレンズを付けて、気合いを入れて歩きます。このレンズには三脚座が付属していて、これも一定の重さがあります。私は、三脚を使用することは滅多になく、手持ち撮影が基本なので、この三脚座は取り外した方が軽くて良いとも考えますが、持ち運び用の安定したグリップとして装着したままにしています。これを重いと嘆いていては、世のバーダーの皆さんに笑われましょうが、「散歩が主、撮影は従」と割り切っているつもりの私には、文字通り荷が重いのですが、時折、超音波付きの400mm望遠レンズでの撮影を、味わってみたくなることがあるのです。

この日も、「鳥のなる木」にアトリが鈴なりでした。







これはカワラヒワ。







いつものオオバン。







カイツブリです。



ヒロハシガモの姿も見えます。













児島湖は、よく晴れてはいるものの、冷たい風が強く吹いていました。



カンムリカイツブリも、荒波うねりにもまれて、大変そうです。















飛翔するカルガモの群れ。











キンクロハジロの群れ。



ホシハジロの群れとカンムリカイツブリ。



ホシハジロ(トリミング)



ミコアイサもいました(トリミング)



空を見あげると、、、。















トリミングします。







ロウバイの花も、本格的に咲き始めました。



















今日はこれにて。


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年末の児島湖のミサゴ、その他、の巻(その2) [折々散歩]

12月30日にも、児島湖にいってみました。実はこの日、深山公園を訪ねて、ヨシガモを見た(↓↓↓この記事の通り)のですが、そのあと、足を伸ばしてみたのです。

ヨシガモ再び、の巻



晴れて穏やかな湖風景でした。



オオバンが、何かくわえて泳いでいます。





この日の持参カメラは、E620+ZUIKO75-300mmです。

上空を、何羽ものミサゴが舞っています。



















猛スピードで水面を目がけて飛び降りて、水音を上げて水中ダイビングします。





今回は獲物を撮り損ねたようです。







このミサゴはしっかり獲物を捕まえて、運んでいます。















トリミングしてみます。











年末のミサゴのご紹介は、これでオシマイ。

ところで今日は、こんな講演会があり、参加してきました。



開会三十分前に会場に入りましたが、もうほとんど満席に近い状態。たまたま途中で一緒になり、会場まで話ながら歩いてきたSさんと、前の方の席に座れました。私たちより少し遅くに到着された方々は、会場に入りきれず。別室のモニターとスクリーンで講演を視聴された由。

前川さんのおっしゃるには、講演前の記者会見で、日本で最も発行部数のある某新聞の記者から、「県民はほとんど感心をもっていない岡山県で、なぜ今更講演ですか?」と質問されたそうですが、とんだ見当違い。雨の中、予想を超える一杯の参加者で、会場は熱気に包まれ、前川さんの時折ユーモアを交えた明快なお話に、共感の笑いと拍手が絶えませんでした。
珍しく、写真撮影は禁止じゃなかったらしいですが、あいにくカメラを持ってきていませんでした。ケータイで写した証拠写真を掲載させていただきます。 



寺脇研さんとのトークも、興味は尽きませんでした。



内容についての感想などは、また機会を改めるとして、今日はまず第一報といたします。
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年末の児島湖のミサゴ、その他、の巻 [折々散歩]

前回記事で、12月29日に児島湖畔でミサゴを撮影したことをご報告しました。

もう長い間、この付近では堤防の補強工事が続いており、部外者立ち入り禁止の表示が掲げられていて、工事車両もよく行き来するので、近づくのを遠慮していたのですが、年末の仕事休みらしく、閑散としています。これ幸いと、工事の邪魔にならなそうな場所から観察してみました。

あいにくの曇天で、鮮明な画像にはなりませんが、久しぶりにたっぷり撮影できましたので、ご紹介し増す。

携行したのは、PENTAXK5Ⅱ+AFBORG60EDという組み合わせ。ノートリミング画像を、フォト蔵にUPしました。今日は、フォト蔵のサーバートラブルの影響か、限られた枚数しか掲載できませんでしたが、、、。(クリックすると大きい画像が見られます。)

ダイビングキャッチする児島湖のミサゴ

ダイビングキャッチする児島湖のミサゴ posted by (C)kazg 捕らえた魚を運ぶミサゴ

捕らえた魚を運ぶミサゴ posted by (C)kazg 飛翔するミサゴ

飛翔するミサゴ posted by (C)kazg 飛翔する児島湖のミサゴ

飛翔する児島湖のミサゴ posted by (C)kazg


以下トリミング画像です。



























これに味を締めて、年末にもう一度、1月になってからも2度ほど出かけてみました。それぞれにご紹介したい写真が撮れましたが、回を改めて掲載させていただく予定です。

実は、今朝も同じ場所へ行ってきました。

冷え込みは厳しく、氷点下の朝でしたが、湖面にこんな朝靄が立ち上る穏やかな朝でした。





















ユリカモメが飛びます。



湖面に浮かぶ白い鳥影。



奥はカンムリカイツブリです。かなり沢山、姿が確認できます。また、岸近くにもやってきますので、これくらいの大きさで撮影するチャンスもあります。



もう1羽の方は、なんと、ミコアイサでした。いつも沖の方にいますので、相当トリミングしてみないと、判別出来ません。



まずは珍鳥発見のご報告まで。

今日はこれにて。
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ビンズイ探訪、の巻 [折々散歩]

記事にしようと思いつつ、時間ばかりが過ぎてしまいました。
年末の探鳥記録です。
発端は、M師からいただいたメールでした。


 新岡山港にビンズイの群れがいるというのでいってみました。群といっても4、5羽ですが、こんな飛び地のような緑地になぜ?と不思議に思いました。フェリー乗り場の横の緑地です。
すぐ横は海です。よくkazgさんが深山公園の草むらにビンズイがいる写真を載せて「この中に鳥がいますどこでしょう?」といっておられますが、これでは丸見えです。歩き方もよくわかります。多くの鳥は地上ではピョンピヨン飛んで進みますが、ビンズイは交互に足を出して歩きます。
それがよくわかります。 林の中でjジョウビタキにも出会いました。小首を傾げて「爺さん何しとんかな?」と不思議がっているようでした。


キリッとお澄ましのも取れました。それにアトリの群れと小さな緑地なのに鳥影が濃い所でした。


年末の家事・育児(孫守)の合間を縫って、現地に出かけてみたのは、12月29日でした。
この新岡山港は、去年のこの記事で小豆島へ渡る際に利用しました。
●小豆島の旅、の巻(1)
小豆島と結ぶフェリーが行き来するのが、間近に見えます。



船体の「Olive Line」の赤い文字が、よく目立ちます。
ところで、ビンズイは、英語ではOlive-backed Pipit(オリーブ色の背中のセキレイ)と呼ぶそうですね。セキレイ科の小鳥だそうですから、実に直截な命名で、わかりやすいです。(味も素っ気もないとも言えますが、、)
一方、和名の「ビンズイ」の方は、どういう意味があるのか、とっさには思いつきません。
今から10数年も前、鳥についてはまだまったくの初心者で、スズメとツバメとカラスとハト位しかとっさには見分けられなかった頃、たまたま写した鳥の名を、職場の同僚であった生物教師のKさんに教えてもらったなかに、シロハラ、アオジ、キビタキなどと混じって、ビンズイの名もありました。そのときも、「ビンズイ」の名前に、意味的要素を見いだすことは困難でした。
それもそのはず。「ビンズイ」は鳴き声を「ビンビンツイツイ」と聞きなしたことによるそうです。漢字で便追とも木鷚とも書くそうです。前者は音を当てたもの。キヒバリ(木雲雀)という別名もあるそうですね。このビンズイ(キヒバリ)と、タヒバリ(田雲雀)との見分けは、チョー難しいですね。
過去記事にも、ビンズイは時々登場します。


  M師から、ビンズイでは?とアドバイスをいただきました。 今日も、深山公園に出かけてみました。
すると、いました。ビンズイですね。
深山公園のビンズイ
深山公園のビンズイ posted by (C)kazg
深山公園のビンズイ

シロハラや、
深山公園のシロハラ
 
深山公園のメジロ

深山公園のメジロ posted by (C)kazg
ジョウビタキにあいました、
深山公園のジョウビタキ
深山公園のジョウビタキ



 ビンズイも群れて遊んでいます。
これでは 、どこにいるかわかりますか?
深山公園のビンズイ
トリミングして拡大してみます。
trimS0041847


他にも、こんな画像をアップしたことがありました。




さて、今回の新岡山港探訪では、こんなカモや、



イソシギや、



カモメや


アトリや、カワラヒワらしい小鳥の姿はあるのですが、







肝心のビンズイが見当たりません。ぐるぐると遊歩道を何周か回って、諦めて帰ろうと思った頃、やっと見つけました。










その帰り、海沿いにぐるりと回って、自然環境体験公園を訪ねてみようかと思いましたが、あいにく休園日でしたので、近くの児島湖堤防脇に立ち寄ってみました。空を何羽ものミサゴが舞っていました。その写真は、後日ご紹介する予定です。今日はこれにて。

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大きさを競う愚かや核ボタン [折々散歩]

ボクの核ボタンの方が大きいよ!なんて威張ってるんだってね。世界最大の核強国の大統領って、チョー幼稚だよね、って、幼稚園児が噂してます。

今日の月の方がデカいよ、いや昨日の方だよ、なんて競い合いなら、罪がないのですがね。

今朝の有明月。

つまり昨夜の月が、西に傾いたさまです。



PENTAXK5Ⅱ+SIGMA75-300mです。

トリミングしてやっと昨日の記事のサイズになります。



大人たちの日常の仕事が始まり、小・中学生はなお冬休み。というわけで、孫守の需要があります。宿題がたまっているので、中学生は自分の家に閉じこもっていますが、小学生は、我が家を拠点に一日過ごします。

というわけで託児所業務開始前に、プチ散歩に出かけます。

霜の朝です。



野菜畑にも霜。



野菜畑を背に、コガモの群れが寛いでいます。



私の散歩道を散歩しているコガモもいます。



朝霜と白さを競いあうようなコガモの白さが際立ちます。



こんな時に限ってカワセミに会います。



今日のレンズでは、トリミングしないと豆粒です。













ダイビング!

でも、ピンぼけのブレブレです。



エサはgetしたようです。











場所を変えます、、がこれもブレブレ。








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新年も昨日の続きの今日がある、の巻 [折々散歩]

瞬く間に年が明け、三が日が過ぎました。

元日は郷里の実家で四世代集合の昼食会でした。スーパーで買った寿司セットや総菜、そして、我が家から持参した「お節」の三段重箱、ノンアルコールビール、子どもたちはそれぞれお好みの飲料やお菓子で、賑やかな「会食」ができました。「お節」は、ばあばは年末パート仕事が忙しく、私が黒豆煮、煮染め(蓮根、こんにゃく、椎茸、大根、ニンジン、肉など)、卵焼きなどを詰めました。恥ずかしいので写真は撮っていませんが、お味はまずまずでしたよ。(自己満足)

2日には、前日仕事や用事で集まれなかった者も含めて、家族一同我が家に集合し、夕食をともにしました。

長女のムコ殿からは、こんな美酒を初め、いろいろ差し入れもあり、家族三代全員そろっての愉しいひとときが深夜まで続きました。その上、ムコ殿は、運転のため、ノンアルコールで付き合ってくれました。





今日3日は、2泊した孫一家が大阪に帰る日。午前中、従姉妹が別れを惜しんで、みっちり遊んだり、諍いをしたり、仲直りしたりして女子会の親交を深めていました。



昼ご飯も食べずに、大阪の孫一家が別れを告げて車で出発し、近所に住む孫たちも自宅に帰りましたので、急に静かになりました。

郵便局に行く用事もあったので、いつものように、ついでに、深山公園を散歩しました。

この黄色い花はレンギョウでしょうか?



コガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、カルガモなど見慣れたカモの群れが入り交じって泳いでいます。



他にも、こんな鴨も見えました。

マガモですかね。











山茶花の花から花へ、メジロの群れが蜜を求めてせわしく動き回っています。



トリミングします。















付録です。

昨日の夜の月。



今夜の月。



きょうはこれにて。


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今年もよろしく願います、の巻 [今日の暦]

2018年
明けましておめでとうございます。
2018年版の、紙の年賀状はこんな感じ(個人情報はやや割愛しています)です。

文字が驚くほど小さいので、当ブログ閲覧者の方への特別サービスとして、部分的に拡大版を掲示させていただきます。

 「核なき世界」への人類の願いと潮流に、真っ向から背く核超大国と、その忠犬の時代錯誤。イヤ、そんな喩えに使われるのは不愉快と、干支の戌も抗議してますか?モリカケ隠して9条空文化の改憲発議?究極の「国難を打開する年にしたいワン。
 笠岡干拓地に、クロヅルとカナダヅルが初飛来との情報を教わり、見学に行きました。クロヅルはヨーロッパ、カナダヅルはアメリカ大陸に棲息するそうですが、国境を越え、種を越えて、仲睦まじい3羽です。


特別サービス第二弾。
妻はこんなデザインの年賀状を出したそうですワン。

大晦日から元旦にかけて、空にスーパームーンが浮かんでいたらしいです。
新年早々、夜明け前に自動車を運転する機会がありましたが、たまたま、車上にあったのは50mm標準レンズ装着のカメラだけ。こんな画像しか撮れませんでした。





年末年始も、シフトの関係で仕事が入る家族もありまして、なかなかまとめてみんなが集まれません。そんな中、元日の郷里の老父母の家に、最大公約数で、四世代、11人が集まり、賑やかな一年が始まりました。
遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


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