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え?イヌネコキョーシツ?の巻 [私の切り抜き帳]

寒さのせいか、心の小さな屈託(いや、そんなものありませんヨ)のせいか、はたまた、何かの失敗に慌てている夢(だったような)のせいか、早朝目覚めて、トイレに行ってもなかなか寝付かれず、枕元のラジオのスイッチを入れました。
もう少しはっきり覚醒してしまったときは、パソコンの電源を入れるのですが、極力それは避けて目をつぶったまま、安らかな気持ちでいたいので、ラジオのお世話になることがあります。

その時流れていたのは、NHKの「ラジオ深夜便」という番組でした。聞くともなく聞いていたら、AM4時台の番組名が、「イヌネコキョーシツ」と聞こえます。「犬猫教室?」と変換して見ましたが、どうやら違ったようです。NHKのhp記事にこうあります。
 ◆13日(土)午前4時台
ABU(アジア太平洋放送連合)賞のラジオドキュメンタリー番組部門で最優秀賞に選ばれた『調査報告・戦時下の犬猫供出』を再放送でお送りします。
日中戦争から太平洋戦争の時代、兵士の防寒具に役立てようと、国民に、飼っている犬や猫を供出させる献納運動が各地で行われました。このテーマを10年にわたって調査した地域史研究家・西田秀子さん=写真=の解説と関係者の貴重な証言を交えて、戦時下の犬猫供出の実態に迫ります。



戌年の新年としては皮肉にすぎる、残酷な内容でした。
起床後、この番組関連の記事をググってみると、「エムズの片割れ」とおっしゃるブログに、昨年11月12日の放送についての話題が詳しく書かれていました。
その中に、2016/08/14付「北海道新聞」の記事が引用されていましたので、無断で孫引きさせていただきます。
 戦時中道内で犬猫供出 毛皮、兵士の防寒着に 江別の地域史研究家が調査「軍国主義の一例

 太平洋戦争中、兵士の防寒着などに毛皮を利用するため、道民が飼っていた犬や猫を供出させられた経緯について、江別市の地域史研究家西田秀子さん(65)が調査し、札幌市公文書館の年報で発表した。1944年度(昭和19年度)には犬の皮1万5千枚、猫の皮4万5千枚が供出され、道庁も各市町村に供出数を割り当てるなど深く関与した。西田さんは「物資不足で供出対象が身近な動物にまでエスカレートした。上意下達の全体主義が、社会全体を覆う当時の状況を知ってほしい」と話す。
 西田さんは、新札幌市史編集員だった10年前、犬猫の供出を調べ始め、史実として記録しておこうと論文にまとめた。芦別市の「星の降る里百年記念館」などの協力を得て、所蔵する防寒着や防寒靴などを獣医学の専門家らに鑑定してもらい、犬猫の毛がコートの一部や靴の内側などに利用されていたことも確認した。
 西田さんによると、国は44年12月に軍需毛皮の増産や狂犬病根絶、空襲に備えた野犬の駆除などを目的に、飼い犬を含めた供出を各都道府県に通達した。札幌では兵士の防寒着に使われるウサギが減ったことから、それより前の43年4月に大政翼賛会札幌支部の発案で、飼い犬の毛皮を国に献納する運動が始まり、同年度だけで約2600枚の犬の皮が集まったという。
 また、道庁は44年12月、道内各市町村ごとの供出割当数を決め、45年4月末までに供出するよう市町村長や警察署長に指示した。全道の供出割当数は犬が約3万匹、猫は約7万7千匹で、実際は割り当て通り集まらなかったが、道庁が把握していた道内の犬の総数の8割、猫の総数の5割という高い目標設定だった。
161122kennou 論文には、「野畜犬 進んで奉公 さあ!今だ!」といった標語を掲げた道庁公報を掲載し、供出された犬猫の殺処分を手伝った男性の証言も収録。「連れてきた人の目の前で金づちで殺すんだ。怖がっていたよ。自分も怖かった。なるべく苦しまないように眉間を狙うんだ」といった証言が記されている。
 全国での犬猫の供出数は不明だが、西田さんは道内では積極的に供出運動が展開されたと指摘。厳しい寒さの中で生活する道民は、防寒着が生死を分ける必需品との共通認識があり、極寒の地に派遣された兵士に暖かい防寒着を送ってあげたいという集団心理が働いた可能性があるという。
 西田さんは「犬や猫の供出は、戦争に勝つためという軍国主義が行政の末端まで及んだ一例。この歴史を記録するため、供出させられた人の証言をさらに集めたい」と話している。
 西田さんの論文は、札幌市中央区の札幌市公文書館のほか、同公文書館のホームページでも閲覧できる。」(
2016/08/14付「北海道新聞」より)


上記ブログには、札幌市公文書館HPの当該論文へのリンクも示してくださっていましたので、勝手ながらコピーさせていただきました。

「アジア太平洋戦争下、犬猫の毛皮供出、献納運動の経緯と実態-史実と科学鑑定(西田秀子)」(その1)(その2)(その3


信じがたい歴史の暗部です。いや信じがたいとは言いきれないのかも知れません。現に、先日は、落合道人Ochiai-Dojin (ChinchikoPapa)様の、こんな記事も読ませていただいているのですから。
巽聖歌が歩く屋敷林の落ち葉焚き。
 さて、東京で落ち葉焚きが禁止されたのは、なにも現代ばかりではない。戦時中の東京では、落ち葉は重要な“資源”として位置づけられ、炊事や風呂焚きなどに使える“資源”を焚き火をして燃やすとはケシカランと、軍部からクレームが出て禁止されていた。また、焚き火の煙は「敵機による空襲の攻撃目標になる」ので全面禁止という、わけのわからない命令も軍部から出ている。
 米軍の空襲を経験し、その爆撃法を科学的ないしは論理的に分析・検証していれば、B29は精密な空中写真Click!や地図をベースにレーダーを用いて攻撃目標を補足し、正確に爆撃を行っていたことは明らかだったはずだ。これも、夜間に光るホタルは爆撃の目標になるから、川辺のホタルClick!をすべて殺せという錯乱したヒステリックな命令と同系統のものだろう。それとも、軍部に近い行政組織がその意向を先まわりをして「忖度」し、軍部からと偽って「命令」を伝えていたものだろうか。
落合道人Ochiai-Dojin (ChinchikoPapa)様のコメントに、「『ホタルを殺せ』とか『焚き火禁止』とか、こういう些末で日常的な出来事や現象にこそ、戦前の軍国主義の愚かさがよりハッキリと、象徴的に表れているように感じますね」とありましたが、まったくその通りと感じたものでした。
戦争遂行という至上命令のためには、理性的判断も人間的な感性もことごとく麻痺してしまう、人間の愚かさ、弱さのあらわれでしょうか?モラルハザード、人間崩壊の極致とも言えます。それは、戦争という極限状態のみに限らず、目の前の日常の中にも、フツーに待ち構えている黒々とした陥穽なのかも知れないと、ふと思われて身震いを禁じ得ません。たとえば、勝利第一、成績至上の価値観が支配するスポーツの世界で、あたかもできの悪い戯画のようにあらわれたこのたびのカヌー選手の愚行。いやそれよりも、「記憶にない」「記録にない」を繰り返すことで権力ぐるみの犯罪を覆い隠し、国民へのではなく親分への忠誠を優先することで自己の保身・栄達をもはかろうとする、政・官界のモラルハザード。これらを見るとき、軍国時代の愚行を、決して笑えないのではと、思えてしまいます。
先日の前川喜平さんの講演会で、前川さんが、「記憶にない、記録にないが通用するようでは、社会規範が崩れ、モラルハザードを増幅させる。子どもを育てる仕事である教育に携わるものとして、容認できない」という旨を強調されていたことが、強く印象に残っています。極限状態であれ、平穏な場合であれ、いついかなる場においても、人間的な理性、知性、感性を曇らされることなく、柔軟かつ鋭敏に、磨き続けられるよう心がけたいものと、改めて銘記した次第です。
昨日今日と、たいへんな冷え込みで、玄関先にぶら下げている寒暖計はこんな気温を示していました。

当地では滅多に経験しない冷たさに驚いていましたら、同じ市内の複数の知人が、「マイナス5℃(以下)」だったとおっしゃっていました。聞くだけで凍えます。最高気温がこのレベルの寒地の方々には申し訳ないことですが、、、。
それでも、人周り歩いてきますと、汗ばんで、下着の着替えが必要です。
散歩道の鳥たち。昨日の撮影です。
センダンの枝に止まるヒヨドリ。

カワセミもちらりと姿を見せました。

これは?カラスと争って、電柱のてっぺんい止まりました。カラスより小型の猛禽と見受けますが、、、はて???

飛翔するコサギ。

飛翔する、、、?これもわかりません。





用水路のアオサギ。

別の場所にいた別の個体。

紅梅のツボミが、少しずつ柔らかく膨らみ始めています。

きょうはこれにて。

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