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金子兜太さんを悼む、の巻 [折々散歩]

昨日の記事に書き損ねたことがありました。
金子兜太さんの逝去のこと。
教員なりたての頃、同じ教職員住宅で、家族ぐるみでおつきあいを頂いたF先輩から、金子さんは奥様の俳句の師匠で、先日も上京して指導を受けてきたというお話をうかがったのは,つい最近のことでしたので、突然の訃報に,衝撃は大でした。また、 熊谷にお住まいのmomotaro様のブログ日本の政治と地球の未来(momotaro)でも、金子さんのご壮健な消息を拝見したのは,つい先日だったと思いましたのに---。
地元紙『山陽新聞」にこんな記事がありました。

 

金子さん訃報、被爆者ら惜しむ声 「痛みに寄り添った人」

 自らの戦争体験を語り、平和運動にも尽力した俳人金子兜太さんの訃報に、被爆者や関係者は「体を張って権力に対抗する人」「痛みに寄り添った人」と惜しんだ。
 日銀時代には被爆地長崎で勤務し、〈湾曲し火傷し爆心地のマラソン〉という句を生んだことでも知られる。長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長(81)は「体を張って権力に対抗する人という印象を持っていた。残念だ」と話した。
 長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(78)も「平和運動にとって大事な人を失った。平和への思いを引き継いで頑張っていきたい」と惜しんだ。

金子さんの人となりと業績について、毎日新聞の記事から引用しておきます。

 金子さんには大きな原点がある。戦時中、海軍主計中尉として日本銀行勤務を中断して派遣されたミクロネシア・トラック島での悲惨な体験から拭いがたい影響を受けた。終戦後、餓死者が相次ぐ捕虜生活の心のよりどころとして軍人・軍属を集めた句会を催し、生き残った者で力尽きた仲間の死を弔う質素な墓碑を用意した。
水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る
 1946年の引き揚げに際し、遠ざかる島を艦上から見つめて詠んだ。「亡くなった仲間のためにも、戦争のない世の中をつくろう」という決意は終生変わることがなかった。安全保障関連法が強行採決された戦後70年の夏、作家の澤地久枝さん(87)の依頼で揮毫(きごう)したスローガン「アベ政治を許さない」のプラカードが林立する国会前の光景は記憶に新しい。
 トラック島の句会を原点とする俳誌「海程」は、60年代俳壇の伝統回帰の潮流に対抗し、自由で個性的な表現を求めて提唱した造型俳句の実践の場となった。また、敗戦の焦土の中でいち早く設立された現代俳句協会を「故郷」と呼び、83年から会長、2000年から名誉会長として手塩にかけて育て上げた。協会を率いて89年から伊藤園の「お~いお茶新俳句大賞」の選考に携わり、96年創設の毎日俳句大賞の選者を初回から務めるなど、俳句の普及に尽くした。
(中略)
 谷に鯉(こい)もみ合う夜の歓喜かな
 後半生は同県熊谷市内の自宅「熊猫(ゆうびょう)荘」に住み、故郷につながる土を踏みしめて生きた。04年に母、06年に妻を相次いで失う前後から、社会から離れて放浪に生きた小林一茶や種田山頭火らの研究に取り組み、「煩悩から抜けられない平凡な自分、それでもこのまま自由に生かしてほしい」と、一茶が自称した「荒凡夫」を座右の銘とした。
おおかみに螢が一つ付いていた
 09年に第14句集「日常」を刊行し「淡々と日常を生きることが詩の泉を掘ること。生きられるだけ生き、死ぬ時期が来たら死んでいく。死んでも命は別のところで生きている。それを『他界』と言います」と語っていた。
穏やかな最期
 金子兜太さんの長男、真土(まつち)さん(69)によると、金子さんは6日から誤嚥性(ごえんせい)肺炎で熊谷市内の病院に入院していた。20日午後11時47分、真土さん夫妻に見守られ、穏やかな顔で息を引き取ったという。
 晩年まで戦争反対などの社会的発言も積極的に続けた金子さんについて、真土さんは「一俳人、俳句世界にとどまらない活躍をした部分は、ぼくは息子ですけど、評価したい」と語った。
(中略)
 利根川と荒川の間(あい) 雷(らい)遊ぶ
 熊谷市役所に近い同市中央公園に建立された句碑だ。真土さんによると、熊谷などでもカルチャー教室などで指導し「地元に対するお礼の気持ちを持ち続けていた」という。【中山信】
(中略)
代表句
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
「少年」(1955年)

銀行員ら朝より螢光す烏賊のごとく
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
 「金子兜太句集」(61年)

谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
暗黒や関東平野に火事一つ
「暗緑地誌」(72年)

梅咲いて庭中に青鮫が来ている
「遊牧集」(81年)

酒止めようかどの本能と遊ぼうか
「両神」(95年)

おおかみに螢が一つ付いていた
「東国抄」(2001年)

定住漂泊冬の陽熱き握り飯
「日常」(09年)


最後に「日刊ゲンダイ」のこんな記事も目に止まりました。

 反戦平和への思いを込めた多くの句を残し、安倍政権が強引に進めた安保法に反対する運動のシンボルとなったプラカード「アベ政治を許さない」を揮毫した俳人の金子兜太さんが20日、急性呼吸促迫症候群のため埼玉県熊谷市の病院で死去した。98歳だった。葬儀は近親者のみで営む。
(中略)
  16年5月の本紙インタビューでは、安保法反対プラカードの揮毫について「『アベ政治』をカタカナにしたのは、こんな政権に漢字を使うのはもったいないから」と話し、「アベとかいう変な人が出てきたもんだから、私のようなボンクラな男でも危機感を痛切に感じるようになりました」などと政権を痛烈批判していた。

安らかにお眠りください。アベ政治は,国民の理性の力で、必ず成敗しますから、、、。



今日のプチ散歩には、PENTAXK10+レフレックスレンTAMRONsp500mmをもって歩きました。望遠能力からすれば、コンパクト(?)と言えるでしょう。ただMFフォーカスであることと、さすがに画質に難はありますが、、、。
ちなみに、すべてノートリミングです。
ヌートリアです。











ヒヨドリ。

ボケがうるさいですね。
次はツグミ。



咲き初めた紅梅です。



今日はこれにて。

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