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散る桜あれば咲く芝桜あり、の巻 [折々散歩]

何という寒さでしょう。

朝の気温は6℃。居間のストーブは、灯油が切れて、用をなしません。

セーターの上にジャンパーという冬支度で朝散歩に出ましたが、それでちょうど良いほどの寒さでした。

ソメイヨシノはほとんど散りました。

早朝の国道は、車の通行がまばらです。正面に見えるのが常山です。山一面に桜が咲いてピンク色だったのが、すっかり新緑に覆われています。



満開状態のこの花は、八重桜でしょうか?



シモクレンも大きな花びらを落とし始めています。







桜とシモクレンの落花のコラボ。



芝桜は満開です。



















今日はここまで。
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一筆啓上仕り候、の巻(その2) [折々散歩]

きのうの記事は、短い手紙の話題のはずが、あまりに冗長になりましたので、ふたつに分割しました。

春の訪れとともに、梢のてっぺんで「一筆啓上仕り候」とさえずるのはホオジロの♂だそうですね。

以下、3月のストック画像ですが、季節外れになる前に掲載させていただきます。






さて、昨日の記事の肝心な「退職教職員アピール」記者発表の結果は?

ローカルテレビの夕方のニュースでは確かに報道してくれていましたが、今のところ、そのほかの新聞記事などは確認できていません。

新聞では、郷土出身の映画監督高畑勲さん逝去のニュースが大きく扱われていて、それに吹き飛ばされたのかも?と思ったりしています。
残念なニュースでした。
ウィキペディアに、高畑さんの手がけた主要作品がまとめられていました。

 


手がけた主要作品
タイトル 役職
1962年 鉄ものがたり 演助進行(演出助手と制作進行を兼任)
1963年 わんぱく王子の大蛇退治 演出助手
1963年 暗黒街最大の決闘 助監督
1964年 狼少年ケン
おばけ嫌い ジャングル最大の作戦
演出
1965年 狼少年ケン 誇りたかきゴリラ 演出
1968年 太陽の王子 ホルスの大冒険 監督・演出
1969年 1970年 もーれつア太郎 演出(カラー版OP/ED演出も担当)
1971年 長くつ下のピッピ ※アニメ化権取得に失敗
1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ) 演出
1972年 パンダコパンダ 監督
1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 監督
1974年 1975年 1979年 アルプスの少女ハイジ 演出
1975年 フランダースの犬 第15話絵コンテ
1976年 1980年 母をたずねて三千里 演出
1977年 アルプスの音楽少女
ネッティのふしぎな物語
絵コンテ
1977年 シートン動物記 くまの子ジャッキー 絵コンテ
1978年 未来少年コナン 演出・絵コンテ
1978年 ペリーヌ物語 絵コンテ
1979年 赤毛のアン 演出・脚本
1981年 じゃりン子チエ 監督・脚本 ※劇場版
1981年 1982年 1983年 じゃリン子チエ チーフディレクター、絵コンテ、演出 ※テレビ版
1982年 セロ弾きのゴーシュ 監督・脚本
1982年 ニモ/NEMO 日本側演出 ※1983年3月12日に降板
1984年 風の谷のナウシカ プロデューサー
1986年 天空の城ラピュタ プロデューサー
1987年 柳川堀割物語 監督・脚本
1988年 火垂るの墓 監督・脚本
1989年 魔女の宅急便 音楽演出
1991年 おもひでぽろぽろ 監督・脚本
1994年 平成狸合戦ぽんぽこ 監督・原作・脚本
1999年 ホーホケキョ となりの山田くん 監督・脚本
2013年 かぐや姫の物語 監督・脚本・原案
2016年 レッドタートル ある島の物語 アーティスティック・プロデューサー


「ルパン三世」以降の作品、特に「風の谷のナウシカ」やスタジオジブリ関連の作品群は、高畑勲さんの名前とともに記憶に刻まれていますが、表の上の方に紹介されている作品は、高畑さんと結びつかないまま、愛し、影響を受けたものがずらりと並んでいることに改めて驚かされます。

すべての作品に触れているとキリがありませんので、↓この作品についてだけ一言、記しておきます。

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1968年の作品ですし、私の子ども時代、映画館でアニメ作品を観るというような文化環境にはありませんでしたので、リアルタイムで鑑賞したことはありません。この作品に初めて触れたのは、学生時代、教育系サークルに属し、地域の子供会活動に出入りしていた頃、市の社会教育課の職員の方が、子どもたちに上映して見せたものを、一緒に鑑賞したのが最初でしたか?それとも、大学祭か何かの学生主催の行事で、過去の名作映画などを学内で上映する企画の一環だったでしょうか?とにかく,学生時代に何度か鑑賞した記憶があります。

また、教職に就いてからも,何かの機会に生徒と一緒に鑑賞したこともあったかも知れません。後に、ビデオテープを購入しましたが、「ナウシカ」やジブリ作品などのようには、子どもたちが何度も観たがることもなく、我が家のどこかに置いてあるはずです。

この作品で、印象深いのは、悪魔グルンワルドの重々しく、逃れがたい威圧感と吸引力をもった声でした。調べてみて、これが平幹二郎さんだったとわかりました(2016年10月22日没でしたね。惜しいことです)。

そしてもう一つが、謎の少女ヒルダの複層的な人格のひだ、心の闇の深さ。子ども相手の作品としては、もてあますに違いない、余りにも複雑な、人間の弱さ、もろさ、醜さ、光と影の葛藤を抱えた造形です。

ウィキペディアの解説にはこうありました。

ヒルダ
    声:市原悦子、キャラクターデザイン:森康二
    15歳。孤独な少女。悪魔グルンワルドの妹。グルンワルドに滅ぼされた村の生き残り。グルンワルドに授けられた「命の珠」により永遠の命を持つ。歌によって人の心を魅了するが、自分自身の心の歌は歌えない。グルンワルドの手先として行動し人々に不和を芽生えさせる。人間の心と悪魔の心の間で常に葛藤している。

おや、市原悦子さんの声でしたか。葛藤に耐えきれずに漏らす「ヒルダはバラバラ、ヒルダはバラバラ」という煩悶を含んだ嘆きの声が、耳について離れません。

この作品が、高畑勲さんや宮崎駿さんを含めて、東映労動画労組の総力をあげて制作されたものであることは、後に知りました。それで合点がいきました。

「太陽の王子」スタッフ実行委員会発行の冊子(六八年)にはこんな記述があるそうです(孫引きです)。「この作品の内容は主に団結をテーマにしておりますが、これを製作するためにもスタッフの強固な団結が必要だったのです」 

労働組合運動の厳しい現実の体験をふまえれば、正義のヒーローが必ず勝つという、単純な勧善懲悪の物語にリアリティは感じられないのでしょう。正義が粘り強いたたかいによって勝利をかちとるためには、こちらの弱さにつけ込んで執拗に加えられる分裂への策動を克服し、疑心暗鬼を乗り越えて、団結と相互信頼を獲得していくことが不可欠なのでしょう。ヒルダの造形は、その苦悩をはらんだ葛藤を形象化しているのだろうと、合点したのでした。もちろん作品の価値を、政治主義的、または道徳主義的尺度でのみ測ることは、何の意味も持たないのですが、現実そのものとの実際の格闘の体験が、深い人間理解・人物造形につながっていることは間違いないと思われます。


さて、その高畑勲さんの短い手紙、いやはがきの一節が、「リテラ」のこの記事に紹介されています。

引用元 高畑勲監督が遺した安倍政権への無念の言葉


去年の年賀状にしたためられたという高畑さんの「願い」だそうです。

〈皆さまがお健やかに
お暮らしなされますようお祈りします
公平で、自由で、仲良く
平穏な生活ができる国
海外の戦争に介入せず
国のどこにも原発と外国の部隊がいない
賢明強靭な外交で平和を維持する国
サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です〉


この願いが叶う姿を見届けられないまま亡くなられたのは、残念至極です。

同じ「リテラ」の記事から、こんな文章も引用させていただきます。(見出しは引用者)


「火垂るの墓」は戦争を食い止めることはできない?

「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」
「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)

「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」
2017年4月三上知恵監督とのトークイベント

ズルズル体質の歯止めのなさ。

「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」
「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」
武蔵野市での講演会(15年7月)

「 絶対的な歯止め」としての9条。

『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)

存命中に、アベ政治の終焉をお見せできなかったことが悔やまれます。


昨日の新聞記事で読んだ残念なこともう一つ。
富士フィルム(の子会社)のモノクロフィルム(「ネオパン」)が生産中止ですって。ショックです。高畑 勲さんが、1935年生まれ、ネオパンは1936年生産・販売開始だそうです。何やら因縁めいていて寂しいです。

今日はここまで。

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