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月日のたつのは、の巻 [折々散歩]

留学生相手の日本語の授業で「月日のたつのは」という表題の、小学校低学年向けの笑い話を紹介しました。

こんな江戸小咄を子ども用にアレンジしたものと思われます。
 昔々、お月様とお日様が旅に出る相談をしていた。それを聞きつけた雷様も、一緒に行連れてってくれというわけで、三人連れ立って旅をした。宿に泊まったが、雷様のいびきが「ゴロゴロゴロ」とうるさくて、お月様お日様は眠れない。
翌朝、雷様が目をさますと、お月様とお日様の姿が見えない。
雷様「わしの連れのお月様とお日様の姿が見えないんだが、どうかしたのか。」
宿の女中「はい、お二人は、まだ朝暗いうちに、おたちになりました。」
雷様「ええ、まだ朝暗いうちにたった、ふーん、月日がたつのは早いなぁ。」
女中「で、雷様はいつ頃おたちになりますか。」
雷様「うーん、わしは夕だちにしよう。」
「たつ」という言葉の①「立つ=出発する」と、②「経つ=過ぎる、経過する」、の両義を用いたシャレのおかしさ。また、雷様だけに「夕立」といったところにオチがあるわけですが、説明ばかりがくどくなって、面白さはなかなか伝わりません(汗)。
よく似た意味の言葉として、
光陰矢の如し
一寸の光陰軽んずべからず
歳月人を待たず
少年老い易く学成り難し
などの故事成語を紹介してみましたが、さて若い方々の耳には縁なき「東風」でありましたろうな。

今朝は、中三の孫が修学旅行に出発したそうな。行き先は沖縄だそうです。
古い写真を探してみると、こんなものが見つかりました。






月日のたつのははやいものです。

ところで今日は、奇しくも沖縄返還の日でしたね。
ウィキペディアにはこんな説明がありました。
沖縄本土復帰記念日/沖縄復帰記念日
太平洋戦争後、アメリカの施政権下にあった沖縄が1972年5月15日午前0時をもって日本に返還されたことに由来。
以前「戦争法強行採決」に際して、こんな記事を書きました。
強行採決にまつわる記憶のエトセトラ、の巻

大学入学したての頃、70年安保、沖縄返還、ベトナム戦争反対などを主要テーマに、デモや集会を含む学生の運動が連日のように取り組まれていました。全くの初体験の私も、そのデモの後尾につながって、おそるおそる歩きました。
当時、アメリカ占領下にあった沖縄の日本返還にあたり、「核も基地もない、緑の平和な沖縄を返せ」という願いは、切実で道理のあるものでした。ここでボタンの掛け違いをしていなかったらならば、今日の「沖縄問題」の過半はとっくに解消できていたはずと、今も改めて思います。
しかし、当時の佐藤内閣は、この願いに反し、アメリカ言いなりの、核付き、基地付きでの返還協定を結び、1971年11月に強行採決で成立させました。
因みに、佐藤栄作氏はこの「沖縄返還協定」のお手柄と、彼の唱えた「非核三原則」の政策などが評価されて、1974年にはノーベル平和賞を受賞します。これについて、ウィキペディアに興味深い記事が掲載されていますので引用させて戴きます。
 平和賞を選考するノルウェーのノーベル平和賞委員会は、2001年に刊行した記念誌『ノーベル賞 平和への100年』の中で、「佐藤氏はベトナム戦争で、米政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。後に公開された米公文 書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」と記し、受賞理由と実際の政治姿勢とのギャップを指摘した。この記念誌はノルウェーの歴 史家3名による共同執筆で、同年8月の出版記念会見の際にその一人のオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤 り」と見解を述べて当時の選考を強く批判し、「佐藤氏は原則的に核武装に反対でなかった」と語ったという。
(中略)

時々思い出す情景があります。
1972年5月15日、沖縄返還協定が発効する日、私たちはデモを終えて高知城のたもとの広場に集まっていました。
おとなしく真面目な、同期の友人Y君が、マイクに向かい、発言しました「屈辱のこの日を忘れない。今日は自分の誕生日です。」
Y君とは、2年前のこの記事「夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて」 でも紹介した米田稔君です。周囲の誰もが適職と見て疑わなかった教職の道に進まず、現在、高知県議(日本共産党)6期目を頑張っています。個人名と誕生日などという個人情報を出すことは、いったん躊躇しましたが、公人でもあり、ネット上にも公開されている事実ですので、許されるかな?
その日のことかどうか、記憶はあやふやですが、やはり同じように、私たちの願いが踏みにじられ、強行的に押し切られたいつかの日、抗議の集会で、この警句を引いて発言した先輩の言葉も、今に蘇ります。
「最後の勝利の時までは、我々は負け続けるだろう」


月日の経つのは早いものです。



追伸 膵臓腫瘍で入院加療中だった翁長知事が、退院された由。ずいぶん痩せておられましたが、意気軒昂たる姿に感銘を覚えました。



以下、日記です。



5月12日(土)田舎の畑の草刈りをして、帰宅後、サツマ芋の苗を植えました。

麦が熟れはじめ、ヒバリがしきりにさえずっています。





















夜、庭で花火をすると、孫達に誘われました。











5月13日(日) 予報のとおり雨。しかもかなりの本降りでした。

前日、芋苗を植えておいたのは正解です。
雨の中、プチ散歩です。ウツギの白い花。



路傍のバラ。























赤いポピー。



ジャガイモの花。





「子育て教育のつどい」に参加し、山本由美先生(和光大学)の「みんなで子どもたちを育てよう いま求められる、本物の教育力」と題する記念講演を聴きました。

「全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、小中一貫教育などの現代の新自由主義教育改革について批判的なスタンスで調査研究し、それらが子どもに与えるダメージについても研究対象に」(和光大学HP教員紹介のページより)しておられる立場からの、豊富な資料と克明な分析により、私たちが、目の当たりにしている学校状況の重苦しさやしんどさ、日頃うすうす感じていた疑問や不満が、どんな背景・どんな力によってもたらされたものか、腑に落ちた思いがしました。

5月14日(月) 霧の朝でした。











授業日です。昼間は28℃と、夏日の暑さ。エアコンはまだ入りませんので、身体がなかなか適応できません。

今日はここまで。


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