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楽しいバス旅行、の巻(補遺その1) [折々散歩]

前回記事の補遺です。
案内チラシから、少々抜粋します。

◆主な探訪先
〇 萩原寺
唐から帰国した空海(弘法大師)が雲辺寺山に寺を建て千手観音像を刻んで安置し、周辺に49ヵ院を開いたが、このうち中之坊が1280(弘安3)年に山上から郷坊に移り、地蔵菩薩を本尊として地蔵院と号し、郷名により萩原寺と称した。ハギの名所としても知られる西讃の古刹。
〇雲辺寺ヶ原監的所(戦争遺跡)
日清戦争後の1896(明治29)年「富国強兵」の国策のもと善通等に陸軍第十 一師団(初代師団長は乃木希典)が設立され、雲辺寺ヶ原は山砲射撃場として接収され、1945(昭和20)年まで使用された。砲弾の着弾地点を観測するため昭和初期に建設された監的所。
〇 雲辺寺ロープウェイ山麓駅(昼食)
1987(昭和62)年春開通した雲辺寺ロープウエイは山頂まで全長2594m高低差657m。駅前で昼食。
〇雲辺寺山(徳島県三好市池田町白地)
四国八十八箇所霊場66番札所雲辺寺(真言宗)は讃岐と阿波(現德島県)の県境。標高927mの雲辺寺山の山項付近にあり、四国霊場の中ではもっとも高く、境内は約40haの広さをもちスギ・ヒノキなどの古木に囲まれ霊気漂うところ。
〇 国指定重要文化財 豊稔池堰堤(観音寺市大野原町田野々)
「月夜にも稲が焼ける」干魃に苦しめられ田野々 雨乞い踊り(県指定民俗文化財)が残るこの地に、地元最民の熱意の出役で1929(昭和4)年竣工した灌漑用の貯水池。
柞田川の上流の谷間に堤長145m提高30m中央部lこ5個のアーチと6個の扶壁をもつ石造マルチプルアーチダム。長い年月の風雪耐えたダムは、まるで中世ヨーロッパの古城を思わせる偉容と風格。今も下流の美田に豊かな実りをもたらしている。

〇 萩原寺

八十八箇所札所には数えられず、「別格」扱いだそうです。






この辺りは、萩の名所だそうです。

すでに咲いている萩もありました。
鉢に植えられて参道の売店で売られているものもありましたし、境内にもあちらこちらで、また付近の野山に自生する萩も花を着けているものがありました。

事前に下見に行ってくださった方が、生まれたばかりのチャボの雛が境内をよちよち歩くのが河合かtyたとおっしゃっていました。
かなり生長して、少年(少女)らしさを見せていました。



親鶏と比べると、やはり小さくて可愛い。


〇雲辺寺ヶ原監的所(戦争遺跡)

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今日はこれにて。次回に続きます。

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