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臍をくくる、の巻 [折々散歩]

先週日曜日(7月8日)、退職同業者の親睦会の今年度総会が開かれました。

今日は7月10日付け記事の続きを書きます。
開会の冒頭、副会長のGKさんは、「『戦争』・『暴力』の反対語は何でしょう?」と会場に問いかけます。出席者の1人の「対話」という回答にうなずいて、暉峻 淑子著「対話する社会へ」を紹介し、「『戦争・暴力』の反対語は『平和』ではなく『対話』。対話に向かう世界政治の流れを、さらに推し進めよう」と訴えました。
対話する社会へ (岩波新書)

対話する社会へ (岩波新書)

  • 作者: 暉峻 淑子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/21
  • メディア: 新書

続いて挨拶に立ったEK会長は、「憲法9条の問題は軍事・外交の問題ととらえられがちだが、それだけではない。私たちは『憲法・教育基本法の遵守を誓った誓約書に署名して、教職に就いた。その教育基本法は、すでに、第一次アベ内閣によって改悪されたが、今憲法9条の改悪を許せば、教職員は、その改悪憲法に従って、教え子を戦場に送る教育を進めなくてはならなくなる。このように、改憲問題は、すぐれて教育の問題でもある。」と強調し、「退職教職員連名アピール」のとりくみをはじめ、アベ9条改憲NO!の運動の推進を呼びかけました。

ついで、事務局から、この1年間の経過と決算、活動計画と予算案について報告され、満場の拍手で承認されました。
討論では、活動計画を深める立場から、「年金引き下げ違憲訴訟」をはじめ年金制度の改善を求める運動、「ゆきとどいた教育を求める全国署名」のとりくみ、県北での米軍低空飛行問題や日本原演習場での米海兵隊単独訓練に反対する現地のとりくみなど、多彩な話題が具体的に報告され、設定時間が足りないほどでした。
昼食を挟んで、午後は、学習と交流の時間。高教組書記長の松本太さんが「高校現場の教師と生徒たち」と題して問題提起。最大のブラック職場とも言うべき長時間労働の常態化、高止まりする教職員の休職者数、「賃金リンク」制度の導入、職場のチームワーク・協力関係の成立しにくさ、組合組織率の低下など、現在の高校現場のなまなましい実態を聞いて、「聞きしに勝る」「想像を絶する」様変わりぶりに改めて驚かされるとともに、退職教職員として、また一市民として、学校現場の教職員と子ども・生徒たちをどう応援し、力づけていくことが可能か、いたく考えさせられました。


話は変わって、昨日から、ある人名がどうしても思い出せませんでした。

よくあることです。

私版 備忘のためのおすすめ記事、の巻

でこんなことを書きました。
物忘れを嘆く記事を、何度も書いています。
たとえば、夕焼け その2の記事は、一昨年の秋に書きました。
一部を引用します。
 ショックです。
いたく落ち込んでいます。
自分の記憶の曖昧さ、でたらめさに、改めて気づかされ、「老人力」がついたなどと笑い流す余裕もありません。
(中略)
最近しょっちゅうこんなことがあります。先日は、テレビでチラリと顔を見た女優さんの名前が浮かびません。もと夫の方のお名前は浮かび、周縁のエピソードはあれこれ浮かぶのですが、名前が思い出せないのです。
あいうえお、かきくけこ---わをん。と、何度も繰り返して、これにつなげて名前を思い出そうとしますが、無理です。ほとんど二日半、この努力をしましたが、断念。ネット検索で確認するまで思い出せませんでした。
その女優さん、大ファンというわけでもないですけれど、デビューの頃からどちらかというと好感をもって見てきて、最近は、円熟味の増した演技に魅力も感じるし、レパートリーの広い歌での活躍にも注目していて、CDを買ってカーオーディオで聴く数少ないお気に入りアーティストの一人といってもいいのに。
現実の交際でも、こんなことがしょっちゅうあり、「名前を忘れた人」リスト作って、二度と忘れないようにしようと思ったりしますが、それも面倒で、二度目三度目の忘却に直面して愕然としたりするのです。トホホ。

白状します。この、名前が思い出せなかった女優さんというのは、大竹しのぶさんのことでした。もちろん、「もと夫の方」はサンマさんです。
 この話題を、現代の高校生にしましたら、「IMALU」さんの父母、としてインプットされているようですネ。
wikipediaでは、こんな紹介がありました。
 『いまる』は父親であるさんまの座右の銘「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」からと、一方大竹は「いまをいきる(今を生きる)」から命名したと述べている。


今度思い出せなかった人名は、私にとって、もっと切実な存在で、思い出せないことなどあってはならない人なのですから、余計にショックでした。
たとえば、子どもや孫の名前を呼び間違えることはしょっちゅうありますが、名前を思い出せないという経験はいまのところありません。でも、近い将来そんな耄碌が襲ってくるかも知れないと思うと、こころ穏やかではありません。
思い出せたときのアハ体験が大切と聞きますが、自力で思い出せない場合には、外部記憶を頼るしかありますまいか。
余りに気がかりで夜も眠りが浅いので、今日の早朝と言いますか未明に、パソコンのスイッチを入れ、検索したらすぐにわかりました。たしか、エスパー魔美に登場する男友達の名前だったよなあ、などと取りとめもない思いをめぐらしていたのはまさしく正解で、高畑さん!高畑勲さんでした。
事の発端は、小5と小2の孫を乗せて、郷里の老父母宅まで片道60km。時間にして2時間を、どうやって退屈を紛らすか?しりとり、なぞなぞ、などなど思いつく限りの時間つぶしを、子どもたちも工夫するのですが、それにも飽きて沈黙が訪れます。
そんな帰り道、ふと話題になったのがいくつかのアニメのことでした。
そもそもそのきっかけはと言うと、老父が地元新聞に投稿予定の記事を、孫2人が読ませてもらいました。「B29」「焼夷弾」「酷い」などの意味や読み方を確認しながら、帰りの車でもう一度2人で声に出して読み、兄が言います。「いちばんよく出てくる『戦争』という漢字は読めるだろ?3・4年生になったら「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」が教科書に出てくるで。」とそのあらすじを語って聴かせます。妹は、担任のM先生が、「火垂るの墓」が悲しすぎて二回目は見たくないと言ってた。などの会話をしているので、「火垂るの墓」の話題に参加してみました。原作の野坂昭如さんを論じても始まらないので、アニメの作者を話題にしようと思って頓挫してしまったのです。
子どもたちは、正しくも「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」や「かぐや姫の物語」を上げます。それらの作品の監督、高畑勲さんのお名前がどうしても思い出せないのでした。
宮崎駿さんはすぐに思い出せたのに、なぜでしょう。

一筆啓上仕り候、の巻(その2)

など、高畑さんのことは何度も書いていますのに。
さて、その高畑勲さんの短い手紙、いやはがきの一節が、「リテラ」のこの記事に紹介されています。

引用元 高畑勲監督が遺した安倍政権への無念の言葉


去年の年賀状にしたためられたという高畑さんの「願い」だそうです。

〈皆さまがお健やかに
お暮らしなされますようお祈りします
公平で、自由で、仲良く
平穏な生活ができる国
海外の戦争に介入せず
国のどこにも原発と外国の部隊がいない
賢明強靭な外交で平和を維持する国
サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です〉


この願いが叶う姿を見届けられないまま亡くなられたのは、残念至極です。

同じ「リテラ」の記事から、こんな文章も引用させていただきます。(見出しは引用者)


「火垂るの墓」は戦争を食い止めることはできない?

「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」
「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)

「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」
2017年4月三上知恵監督とのトークイベント

ズルズル体質の歯止めのなさ。

「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」
「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」
武蔵野市での講演会(15年7月)

「 絶対的な歯止め」としての9条。

『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)
こんな記事を書き留めていたことさえも忘れていました。忘れたら何度も紐解いて、思い出すしかありません。ここはあきらめて、臍を括ることにします。
きょうはこれにて 


追伸

長い長い記事を書き終えて、いざタイトルをどうしようかと考えあぐね、文末の「臍を括る」を使うことにしました。「ほぞをくくる」と読むつもりです。UPして何時間かたって、なんだか落ち着かない違和感が襲ってきました。

「腹を括る」という言葉はあるけれど、「臍を括る」っていうかしら?第一、どうやっておへそをくくればよい?

それを言うなら「臍を固める」でしょ。気がついて臍を噛んだことでした。ヘソが茶を沸かすたぐいのお粗末でした(汗)

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