SSブログ
<

7人目の孫、の巻 [家族]

逆コース、暴走、迷走、、、、というと現内閣の話題に及びそうですが、今日はそちらには向かいません。

台風12号が、これまで経験したことのないコースを通って日本列島(西部)を横断しています。大きな被害がなければと祈ります。

一昨日の夜、東海地方のママの実家へ車で向かうはずだった孫一家は、途中で引き返してきたそうです。孫の1人が体調を崩し、長旅が不安になったためです。従姉妹達や、母方のジイジバアバとの再会と、恒例の夏休みのイベントを楽しみにしていただけに、がっかりですが、ちょうど台風の針路と一致し、雨風にたたられたさんざんな長旅になりかねなかったかと思えば、ものは考えようで、あきらめもつくというもの。また、ママは市職員ですので、いつ災害対策がらみの呼び出しがあるかもわからないというタイミングだけに、また時機を改めて、今度は新幹線で行こうかなどと相談しているようです。

一方、大阪在住の次男に、二人目の子が生まれました。昨日、バアバの午前中のパート仕事が終わってから、新幹線で日帰り訪問してきました。

s-R0015513.jpg
s-R0015514.jpg
s-R0015516.jpg
s-R0015519.jpg
s-R0015518.jpg
台風の影響も少しはあるらしく、雲に覆われて薄暗い上に、この画像は、夕方6時半頃の大阪駅ですので、鮮明な写真にはなりませんが、旅の記念に写しておきました。

行く道々、「私らよほど大阪に縁があるね」と妻が言います。そう言えば、大阪の大学へ行った長男の、アパート探しから、引っ越し荷物運び、入学式出席等などに始まって、何度も車で通いました。

ママとの出会いも学生時代の縁からで、結婚式も大阪でしたし、、。

思いもかけない成り行きで、私の脳動脈瘤治療のため、地元病院の紹介で入院・手術をしていただいたのが大阪の病院。退院後も毎年、検査のために入院や通院を続けてきました(今年の冬で卒業できましたが)。

そうこうするうちに、今度は次男が大阪の企業に就職し、縁あってそこで結婚生活をはじめ、姫も4歳になりました。そして今度は、弟が生まれたという次第。

家族構成を細々と自己紹介するつもりもないのですが、これで孫が7人目になりました。

そう言えば、昔、子どもの頃のTVドラマに「7人の孫」というのがあって、よく見ていました。

テレビドラマデータベース「7人の孫(1)」にこんな記事が掲載されています。


七人の孫(1)
「ただいま十一人」とともに第二期ホームドラマの代表作といえる。いしだあゆみ、悠木千帆(現・樹木希林)ドラマデビュー作。悠木と森繁久彌とのアドリブを交えた場面が人気を呼んだ。放送当時の新聞ラテ欄では「源氏鶏太原案」ではなく「源氏鶏太原作」と記載されているものがある。プロデューサーの逸見稔氏は本作を後年以下のように回顧している。「1963年の夏、例によってドラマ企画のネタ探しにTBS近くの金松堂書店のたなを眺めていた。『七人の孫』という四文字が、私の目に飛び込んできた。たなの隅っこに置かれてだいぶ経つらしく、背表紙はやや色あせたような感じで、著者を見たら源氏鶏太さんだった。立ち読みしたらすらすらと読めて面白かった。なによりも『七人の孫』という題名と、その人物構成に魅かれた。主人公は北原亮作という七三歳の老人である。亮作役は森繁久彌さんしかいないと斜め読みしながら思い込んだ。買って帰って、制作スタッフの宮武昭夫ディレクターに読んでもらった。「いいんじゃない」ともかく森繁久彌さんのところへ行って出演をお願いした。(中略)森繁さんは私を部屋に呼び、北原亮作役を引き受けると言ってくださった。私はほっと肩の荷を下ろした。「その代わり、頭の一分を私にくれ」これが『七人の孫』の冒頭の森繁トークとなった。森繁さんが日ごろ思っていることを、七三歳、白髪の北原亮作の口を通して語る。あるときは世相を痛烈に切り、ときには皮肉交じりに流行を揶揄する。普通なら角が立つところだが、森繁おじいちゃんの言葉として語られるとものすごい説得力がある。これが大いに人気を集め、話題となった。(後略)
 

子ども時代の事ですので、内容もほとんど覚えていませんし、森繁さんの冒頭トークなるものも、どのようなものだったか記憶にありません。ただ、田舎娘然とした垢抜けないお手伝いさんの存在感を、好ましく印象深く見ておりましたし、悠木千帆という名前も記憶していました。(後に「悠木千帆」の芸名はオークションで売りに出し、「樹木希林」を名乗るようになったそうですね)。

いずれにせよ「7人の孫」などという代物は、現実性の乏しい絵空事とおもわれましたし、ましてやそのような事態が、我が身の上に降りかかろうとは、夢想することもできないことでした。



孫も7人目ともなると、見慣れたはずですが、、やはり摩訶不思議、実に小さくて、精妙な生き物です。


s-R0015354.jpg
s-R0015355.jpg
s-R0015429.jpg
姫は、お姉さんの自覚たっぷりです。
s-R0015410.jpg
手の大きさがこんなに違います。
s-R0015398.jpg

ところでこの産院は、地下鉄長堀鶴見緑地線の沿線にあります。

駅前を歩いていて、ふとこの近辺に見覚えがあることに気づきました。

真田家ゆかりの三光神社が近くにあったはずです。

NHK大河ドラマ「真田丸」放映中に、熱心に視聴していた妻が、見て帰りたいというので、帰りに少し訪ねてみました。
s-R0015505.jpg
s-R0015506.jpg
s-R0015507.jpg
s-R0015508.jpg
s-R0015510.jpg





そう言えば、以前、こんな記事を書きました。

これより引用。


ところで、孫の住まいは地下鉄鶴見緑地線の沿線にあります。大阪城に向かおうと、最寄りの地下鉄駅構内を歩いていると、NHK大河ドラマ真田丸ゆかりのスポットの観光ポスターが貼られていて、玉造駅下車すぐの三光神社、心眼寺などが紹介されていました。気ままなぶらり一人旅の気軽さで、にわかに思い立って、ここをたずねてみることにしました。
s-IMGP1386.jpg
s-IMGP1385.jpg


三々五々道をゆく観光客について、行き着いた三光神社には、真田の秘密の抜け穴なるものがありました。

s-_K527211.jpg(中略)

次の目的地、心眼寺は、少し距離があり、途中道にも迷いつつ、ようやく到着。
s-_K527220.jpg
 
s-_K527237.jpg
 
 
s-_K527236.jpg
お寺のたたずまいは、城壁の面影を残しているようです。
s-_K527232.jpg
 
 
 
s-_K527240.jpg
 
幸村の墓もここにありました。
s-_K527238.jpg
 
現在の私立明星学園のグラウンドあたりが、真田丸が置かれた跡地だと言われます。
グラウンドを背に真新しい顕彰碑が建てられていました。
 
s-_K527227.jpg
引用終わり。
今日はこれにて。


nice!(40)  コメント(12) 
共通テーマ:日記・雑感

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。