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はたらく自動車?クリーンエネルギー???の巻 [友人]

はたらく自動車は子どもの人気です。


こんな光景、なかなか見られません。


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それにしても、大規模な工事です。


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山が削られて、見る影もありません。


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ローカル線「姫新線」添いの「美作土居」は、旧出雲街道土居宿の面影を残すひなびた土地です。その駅からほど近い山間部で急ピッチで進められている巨大工事。メガソーラーの建設工事です。
「大変なことになってるから見に来てよ」、と誘ってくださったのは地元に住むイチローさん・アキコさんご夫妻です。


当ブログで「故旧」と呼び、折に触れて見聞を広めつつ旧交を温めてきた「大学時代の先輩・後輩の間柄で、大阪、西宮、岡山県北、岡山県南など、あちこちに生活の基盤を持つ同郷のメンバー」が、それではと、見学を企画しました。実は何ヶ月か前、一度同じ企画が実行されたのですが、その時は都合が悪くて私は参加できませんでした。


「是非写真にとってブログでアップしてよ」との要望も受けて、再度実施の運びとなりました。


脱原発は、緊急の課題です。CO2の削減も、寸秒を争うテーマです。クリーンエネルギーとしての太陽光の利用は、人類にとってきわめて重要・有用であることは論を待ちません。が、、、「自然に優しい」エネルギーのために、自然をこれほどにも破壊するというパラドックス。どこか狂っていないか?と思えてなりません。


工事計画の図面です。エリアごとに、おのおのサイトA.B.C.Gの呼び名が与えられています。


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ハザードマップでも豪雨時に土砂災害等の危険が警告されていることから、住民の反対も強かったBサイトを除き、住民への十分な説明もなくA.C.Gの工事が急ピッチで進められているそうです。


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区長宛に配られた資料写真だそうですが、工事前と、工事途中の様子が、ドローン写真で対比されています。


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この問題を報じた新聞切り抜きです(部分)


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イチローさんの知人である岡本さん(下の写真の男性)に、工事現場が見下ろせる場所まで案内していただきました。


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取り急ぎご報告まで。


今日はこれにて、


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南国高知の歴史散歩はまだまだつづくノダ、の巻 [折々散歩]

卒業旅行「高知の旅」、幕末・維新歴史散歩のシリーズ、まだまだ引っ張ります。


駅前のこの3体の像。一番左が武市半平太(瑞山)です。


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彼に切腹を命じたのは、山内容堂でした。幕末の土佐藩主として、歴史の転換期を生きた波乱の人生。その評価は一言では言い表わせないかも知れませんが、ネット情報から平凡社百科事典のまとめを参照してみます。


世界大百科事典内の山内容堂の言及
【土佐国】より

尊王攘夷運動を推進した土佐勤王党は,15代藩主山内容堂(豊信)が安政の大獄に連座したことを契機に結成され,盟主武市(たけち)瑞山(半平太)以下約200名の党員はほとんど郷士,庄屋などの下士,豪農だった。公武合体派の参政吉田東洋を暗殺して一時藩政に影響を及ぼしたが,大獄後帰藩した容堂に弾圧され,壊滅状態となった。…

【土佐藩】より

…18世紀に入ると1707年(宝永4)の大地震津波,27年(享保12)の城下の大火,32年の凶作など災害が相つぎ,藩は家臣の借地,農民の出米徴収,紙の専売制などを強行して,池川紙一揆に代表されるような民衆の抵抗にあい,天明改革では藩費半減の方針を採用した。その後,天保年間(1830‐44)には馬淵嘉平による改革の企てが挫折,幕末には海防問題が切迫するなかで,山内容堂(豊信)に登用された吉田東洋が安政改革を推進した。東洋が土佐勤王党に暗殺されたあと,その志を継ぐ後藤象二郎は豊信の意を受けて藩内の勤王党を制圧,やがて時勢をみて脱藩組の坂本竜馬と提携して大政奉還を実現した。…

【山内容堂】より

…幕末の開明的な土佐藩主。大政奉還を建白したことで有名。豊信(とよしげ)と名のる。容堂は号。鯨海酔侯,九十九洋外史,酔擁美人楼などの別号をもつ。1848年(嘉永1)分家から入って襲封。黒船来航を契機に藩政改革に乗り出し,あわせて松平慶永や島津斉彬らと一橋慶喜を将軍継嗣に擁立する動きに参画。しかしことは成らず,安政の大獄の強圧のなかで隠退したが,謹慎を命ぜられた。62年(文久2)勅使東下のなかで活動を再開し,将軍後見職一橋慶喜らに朝幕間の調和を説き,公武合体をはかった。…

※「山内容堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版


ウィキペディアにこんな記事がありました。ついでに引用しておきます。


維新後、木戸孝允が山内容堂との酒の席で酔い「殿はなぜ武市半平太を斬りました?」と容堂をなじったが、この時の容堂は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったと言われる。しかし、病に倒れて病床にあった晩年の容堂は、半平太を殺してしまったことを何度も悔いていたとされ、「半平太ゆるせ、ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられる[42]。 明治10年(1877年)に名誉回復され、明治24年(1891年)4月8日に坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村虎太郎とともに正四位が追贈された。


ところで、土佐藩主山内家の初代は、信長、秀吉、家康の三人に仕えた一豊。妻千代の「内助の功」が有名です。


高知城にある銅像 について、2013年夏のこの記事でも話題にしています。


高知の夏は、静かな雨だった。


城主であった山内一豊が、馬にまたがって槍を構えている像があります。なかなか勇壮な作品ですが、なぜか印象が薄いです。どういう訳か、記憶の中で楠木正成の像と錯覚していたり。
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むしろ、石段を登り切った広場にある「一豊の妻」の像の方が、しっかり記憶に残っています。「内助の功」の美談が、馬と並んで建つ賢妻の図を、自然とインプットさせているのかもしれません。
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その謎が解けました。


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一豊の像に添えられている説明書きにはこうあります。


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学生時代にはまだ、建立されていなかったわけですか羅、印象に残らないのも道理です。


一方の妻と馬の像は、昭和40(1965)年2月26日に除幕されたそうですから、学生時代に見たのは、確かにこれでした。



高知の旅、まだ終わりませんが、次回はちょっと別の話題になります。


きょうはこれにて。


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南国高知の歴史散歩、の巻 [折々散歩]

先日の記事にさかのぼります。槇村浩誕生の地を探して、結局行き着けなかったあと、はりまや橋の前で、「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うをみた」のメロディが、頭の上のからくり時計から聞こえて来たことは書きました。

からくり時計が設置されているビルに隣接して、こんなモニュメントがあります。

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ペギー葉山さん、そう言えば、亡くなられましたね。

「リテラ」(2017.04.18)にこんな記事がありました。

ドレミの歌」、「南国土佐を後にして」、「学生時代」といった楽曲で知られ、また、『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ)内のしつけのおばさんや、『ウルトラマンタロウ』(TBS)のウルトラの母(緑のおばさん)役としても人気を博したペギー葉山が、今月12日肺炎のため死去した。83歳だった。

戦後すぐの日本の歌謡界を支え、特に〈ドはドーナツのド レはレモンのレ〉の訳詞を自ら手がけた「ドレミの歌」は音楽の教科書にも掲載されているほどだが(元はミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』のなかの楽曲。ニューヨークでこの舞台を見て感動した葉山はいち早くこの訳詞をつけ日本に紹介した)、そんな葉山が活動していくなかで大切にしていたのは、自身の戦争体験を伝えることと、平和の尊さを訴えることだった。

2015年に出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日)でも、福島に学童疎開し食料難からとびひにかかってしまったり、飼っていたウサギを殺して食べなければならなかったといったつらい思い出を話し、黒柳徹子とともに「歴史はちゃんとね、伝えていかないといけないのよね。私たち長生きして伝えていかなければダメなのよ。語り部よ」と語り合っていたのは記憶に新しい。

そんな葉山は、13年8月29日付しんぶん赤旗のインタビューでこんなことを語っている。

「歌手生活が60年を超え、もうすぐ傘寿になります。芸能界でも戦争を体験した人は少なくなりました。首相の安倍さんが憲法のことをいろいろ言ってらっしゃるけれど、いま政治をハンドル(かじ取り)している方々は戦争体験がないでしょ。それが私は心配ですね。戦争は絶対にだめ、ずっと放棄したい。育っていく子どもたちに二度と経験させてほしくないです」

戦争を通じて体験したつらい思い出は『徹子の部屋』で話していたような疎開中の出来事だけではない。葉山は広島の原爆投下で祖父を亡くしているのだが、09年8月6日のブログではその当時のことを振り返り、このような文章が綴られていた。

〈広島に特殊爆弾が落とされて沢山の人が亡くなり、祖父をはじめとして親戚が焼け出されたというニュースを新聞で知ったのでした。それと同時に祖父があの8時15分、家の仏壇に手を合わせたままで遺体で発見されたという悲しい知らせを受けたのでした。オジイチャマに可愛がってもらっていた私は夢中で飛び出しました。は滞在していた旅館の『仙庄館』のすぐ前の坂を駆け上って、空に向って「オジイチャーーン」と泣きながら叫んだ悲しい思い出があったのです。たった一発の恐ろしい「ピカドン」で30万人以上の罪のない市民が、地獄絵図の中に亡くなったあの恐ろしい日〉(原文ママ)

からくり時計の針は正午を少しすぎたところ。

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上に高知城、左に坂本龍馬、下によさこい節を踊る踊り子たち、右にはりまや橋とその上で逢い引きをする坊さん(純信)と娘さん(お馬)が現れています。

少し時間が経つと、からくりはすべて内部にしまわれて、シンプルな時計の姿にもどります。

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マップを頼りに、南の方へ歩きます。

横山隆一記念まんが館と案内表示があります。

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横山隆一さんも高知市の出身だったのですね。「フクチャン」「デンスケ」「おんぶおばけ」など、なじみ深い作品です。そう言えば、前回ご紹介した「はりまや橋」の「出逢いの広場」のデザインは、横山隆一さんでした。

このまんが館があるのは、「高知市文化プラザかるぽーと」という建物らしいです。

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目指すは修立社址(高知県高知市仁井田3021)。

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修立社は、1877年(明治10年)11月に設立された結社で、自由民権運動の中心となった政治団体・立志社の下部組織の一つ。後に、明治22年の高知市発足に伴い初代高知市長となった一圓正興(いちえんまさおき)を社長とし、夜学会を開催して、商売人に自由民権の思想を勉強させたことでも有名だそうです。

その趣意書によれば「天賦の自由を拡充し、人為の権力を抑制し、上は政治を改良し、下は自治の気象を発達せしめ、以て最善至美の社会を構造せん」とするにあった、とウィキペディアでは紹介されています。

ビルの袂にひっそりと立てられている石碑をカメラに収めて、今度は武市半平太道場跡(高知市菜園場町)に向かいます。マップ片手に、大まかな見当を付けて歩きます。

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歩道橋の上からの眺望です。

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武市半平太道場跡については、前回記事で紹介しました。書きそびれましたが、「道場跡」の近くには「邸跡」の記念碑もありました。

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そうこうするうちに、またはりまや橋前の大通りに出ていました。すると、またまた偶然に、からくり時計のオルゴールの音色が響き始めました。

時計を確かめると、午後1時ちょうどです。

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時計の上に高知城、下に踊り子達が現れました。

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左に坂本龍馬、右にはりまや橋。

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橋の上で、坊さんがかんざしをプレゼントしています。

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ここまで、一時間の散歩でした。

このあと、ブラブラ歩いてホテルに向かうことにしました。

途中、立志社跡(高知市帯屋町1丁目11中央公園内)を通ります。

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高知市のHPから立志社跡の碑の記事を引用します。

立志社跡の碑

2010年6月29日

立志社は、明治7(1874)年4月10日、帯屋町の旧兵舎跡で発会式をあげ、その後このあたりにあった旧町会所跡を山内家から買い取って本拠地とした。

高知に戻った板垣は、板垣より先に帰郷して失業士族の生活救済、その子弟の教育機関としての学校の設立準備を進めていた片岡健吉・林有造らと協議し、同年に愛国公党によって建白された民撰議院の開設を期待する政治思想を折り込んだ結社として発足することとなった。

立志社の社長には片岡健吉が就任し、社員は1,000人に及んだといわれる。事業は、学術思想育成のための教育機関として立志学舎を九反田に開き、また士族救済のための商社活動・法律研究・討論会などを行った。とくに討論会は政治・社会・経済にわたる重要時事テーマを自由に討論するもので、後の政談演説の先駆けをなすものとなり、明治10年代には自由民権運動の全国遊説による啓蒙運動へと発展した。

立志社の設立後、これを中心として各地域に結社が設立された。

二年前の夏に、ここを通りかかったのは、雨の夜でした。

夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)

二次会までは参加して、まだ後ろ髪引かれる思いは残りましたが、三次会は遠慮してホテルに戻ることにしました。が、思いがけず、かなり激しい雨です。用意してきていた傘は、開会の前にチェックインしてホテルに預けておいたカバンの中に、入れたままでした。コンビニで傘を調達するというアイディアも浮かびましたが、ま、夏のことですので、濡れていくことにしました。あいにくチョンボは重なるもので、どこをどう歩いたか、かなりの大回りをして、ようやくホテルにたどり着いたことでした。
途中こんな碑がありました。


さすがに自由民権運動のメッカ。日常の当たり前さの中に、ごくさりげなく、数々の歴史の刻印がしるされていることに驚きます。
そういえば、昔、受験生時代の心境をこんな歌にしてみたことがありました。(◆悪夢のインフルエンザ体験(追憶の昔語り)参照 )
この土を 維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや

隣接してよさこい節の日が建っているのもご愛敬です。

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近くにこんな碑がありました(高知市帯屋町2丁目5-18)。

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高知市のHPに次の記事があります。

武市瑞山殉節の地

武市瑞山が当時切腹した付近には、碑が建っている。この碑は、昭和28年(1953)高知市教育委員会と、帯屋町公設市場組合によって建てられたもので、「武市瑞山先生殉節之地」とある。この付近に、武士の牢屋である揚屋(あがりや)があった。

瑞山が組織した土佐勤王党は一時期栄華を誇るが、文久3年8月の政変後は一転して弾圧され、9月21日には多くの同志とともに瑞山はこの地に投獄された。

獄吏の中には瑞山に心酔し、上役の叱責を受けながらも便宜をはかる者があったので、瑞山は牢にありながらも同志との秘密通信もでき、自画像を書くための紙・筆・墨はもとより、朱肉まで取り寄せることができたという。

ひろめ市場に近いホテルにチェックイン。幕末維新の歴史散歩もしばし中断して、シャワーで汗を流し一休みです。

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今日はこれにて。


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ひさびさのこれなあに?の巻 [今日の「これなあに」?]

当ブログのカテゴリーの一つに「きょうのこれなあに?」という部立てがあります。でも、最近、ふさわしい題材がなく休眠状態でした。
が、久々の「これなあに?」
今朝の散歩で出会った生き物をご紹介しておきます。








いつもの散歩道の道端でみつけました。イタチの仔のようですが、とっさには何者か判断できませんでした。


これまでも、イタチはあちらこちらで見たことがありますが、こんな赤ちゃんは初めて見ました。


ちなみに、イタチが登場する記事は以下の通り。


PCもカメラも軽快、高性能であって欲しいものですが、、の巻


また、イタチ?の巻


「これなあに?」3連発、の巻


大雪(たいせつ)やぎっくり腰の家籠り


秋めくや まれびとあまたおはしける


一間(6尺)の大イタチ?の巻


ほんの一部を再掲します。


こんななぞなぞ歌をご存じでしょうか?

いたちのたぬき
作曲・うた:栗原正巳
作詞:うちのますみ・佐藤雅彦
いたちのたぬき
かにのかとり
さんまのまぬけ
おはしのおはなし
たまごとるタマ
ふろくふとる
バナナのバトル
はちまきまきとる
きゅうりのリトル
ジュースのストロー

そのこころは、
「いたち」から「た」を抜くと「いち」
「かに」から「か」をとると「に」
「さんま」の「ま」が抜けると「さん」
「おはし」の「おは」を「なし」にすると「し」
「たまご」 の「タマ」をとると「ご」
「ふろく」の「ふ」をとると「ろく」
「バナナ」から「ば」をとると「なな」
「はちまき」の「まき」をとると「はち」
「きゅうり」の「り」をとると「きゅう」
「ジュース」の「す」をとろう。「じゅう」になるでしょ。

おみごと!座布団一枚、ですな。

おあとがよろしいようで。


二つ目のこれなあに?


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先日の高知旅行で、街歩きをしていたところ、ある公園の片隅で、数人の人影があり、三脚に設置されたスポッティングスコープなども見えます。そばには、何人かの学生さんか研究員さんかとおぼしき出で立ちの人が、網を持ったりバケツをもったり、なにやら作業中でした。
近寄ってみると、バケツの中にはいろいろな小魚や小生物が採集されていました。


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一部を拡大します。


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そのそばで、トレイに載せた小魚を撮影中でした。右の人影は、カメラマンさんです。


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近寄って魚種を尋ねてみますと研究員らしき方が、「シマイサキ(の稚魚)」と教えてくださいました。


「私も写していいですか?」とたずねますと、カメラを構えていた方が「遠くからならいいですが、私はメディアのカメラマンで、趣味の撮影ではないので」と、仕事モード全開。遠慮がちに遠くから写させていただきました。あいにく持ち合わせていた機材が、フォーサーズの14mmレンズ。35ミリ換算で28mmの広角レンズですので、豆粒にしか写りません。


思い切りトリミングしてみると、、、こんな可愛い姿です。


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海水魚のようにも見えましたので、どこで採集されたのですか、と問うと、そばの川の方を示されました。


そう言えばこの公園を探して歩く途中、磯の香りも感じられる潮入川かと眺めた川に接して、この公園はありました。


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横堀公園と表示があります。


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実はこの公園は、武市半平太(瑞山)ゆかりの「道場跡」なのです。


高知市のHPにこんな記事があります。


「武市瑞山道場跡」についてはこちら。


武市瑞山は安政2年(1855)に道場を新築し、妻の叔父である島村寿之助と共同経営で道場を開いた。午前は寿之助が槍術、午後は瑞山が剣術を教え、門人も120人を数えるに至ったという。若き日の中岡慎太郎や“人斬り以蔵”と恐れられた岡田以蔵なども武市道場の門人である。
その後、人柄と実力を買われた瑞山は、安政2年(1855)の秋以降、藩命を受けて安芸郡奉行所(現田野町)、香美郡奉行所(現香南市赤岡町)に出張し、剣術の指導にあたっている。

この碑は、当初現在地より約30mほど東北の駐車場に建てられていたが、近年に横堀公園内に移された。


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武市半平太といっても、歴史音痴の私にはピンと来ません。坂本龍馬とも昵懇だった勤王の志士、というレベルの知識以外には、「月様雨が~」のセリフで思い出す月形半平太のモデルと言ったことぐらい、、。


日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

月形半平太
つきがたはんぺいた

行友李風(ゆきともりふう)の戯曲。四幕。1919年(大正8)5月京都・明治座で沢田正二郎ら新国劇により初演。長州藩士の月形半平太は、茶屋に入りびたって酒と女に明け暮れている。月形は同志たちに軽挙妄動を慎んで自重せよと説くが、彼の真意を解しえなかった朋友(ほうゆう)の策略で、新撰(しんせん)組に襲われ、死して護国の鬼となるの辞世を残して息絶える。若き剣士にまつわる祇園(ぎおん)の芸妓(げいぎ)梅松と染八。恋あり剣ありの華やかな作品で、「春雨じゃ濡(ぬ)れて行こう」の台詞(せりふ)は有名である。歌舞伎(かぶき)式に下座(げざ)を用いるのをはじめとして、随所に様式的演出がみられる。新国劇の型物として『国定忠治』と双璧(そうへき)をなし、半平太の役は沢田没後、辰巳(たつみ)柳太郎から大山勝巳へと継承された。映画化も多い。[土岐迪子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例


このことから、「茶屋に入りびたって酒と女に明け暮れている」色男、というイメージがついて回りますが、実際の 武市瑞山はまじめ一方の志士で、女性関係と言えば、妻「冨子」ひとりを生涯愛した誠実な人間像が偲ばれます。


次の記事も高知市HPからです。
「武市瑞山」についてはこちら。


武市瑞山は文政12年(1829)9月27日、長岡郡吹井村(現高知市仁井田吹井)に生まれた。通称、半平太。本名は小楯、号は瑞山。瑞山と龍馬は親戚関係にあり、身分は郷士の龍馬よりも上で、上士と下士の中間にあたる白札。冷静沈着で優等生の武市と、いつも夢を語り「大風呂敷(大げさ)」と呼ばれていた龍馬は好対照だったが、一時は同じ方向に向かおうとしていた。

文久元年(1860)8月には、土佐藩同志の団結を計画して土佐勤王党を結成。勤王党員の手による吉田東洋暗殺後は土佐勤王党が台頭し、藩内で大きな力を持つようになり、栄華を極めた。しかし、隠居していた前藩主・山内容堂が土佐へ帰ってきてからは、一転して弾圧される立場となり、遂には瑞山も投獄された。龍馬が亀山社中を結成した慶応元年(1865)、瑞山は獄中で切腹させられた。享年36歳。


ウィキペディアに、武市半平太への「同時代人からの評価」が載せられていますが、中でもこれを印象深く読みました。


田中光顕 「一死君国のため脱藩した志士達は、全部土佐言葉丸だしで、オンシ、オラを使ったよ。それは、年齢の後先はなかった。身分の上下も越えて、みんなオンシ、オラだった。わたしが坂本君や中岡君にオンシが、オラがといい、坂本君も中岡君も、わたしにオンシが、オラがで話したよ。オンシ、オラが勤皇志士の合言葉であった。なつかしいのう。もっとも武市瑞山先生(半平太)は別じゃった。瑞山先生は一枚上であったので、みなが瑞山先生とか、武市先生とか呼んだ。例の墨絵の龍というのがあるだろう。瑞山先生は、墨絵の龍に似ているというので、墨龍の異名があった。それで、墨龍先生とも呼んだ。今ひとつは、アゴがうんと長かったので、アゴ先生と呼んだ。このように、瑞山先生には、必ず先生をつけて呼んで、呼び切りにしたり、オンシ、オラで話すものは一人もいなかった。陰で、噂をしてもアゴ先生といったよ。さすがに勤皇党の首領だけあって、皆が畏怖尊敬していたよ。ただ、坂本君だけは、瑞山先生の前であぐらをかいて、アゴが、アゴがと放談をやっていた。この時には、瑞山先生も顔をほころばせて、アザが、アザがとからかっていた。とにかく、瑞山先生は桁違いの大人物であった」


事前に下調べしてから現地を訪ねれば良いものを、いつもの行き当たりばったりの気まぐれ旅、見残し、心名こりは常ですが、珍しい魚にも会えてラッキーでした。

今日はこれにて。

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「なんくるないさー」のTシャツの女の子、の巻 [家族]

高知旅行から帰った26日(日)の夕方、花火をしようとお呼びがありました。


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小学生の孫達は、翌月曜日は登校日、絵や作文など宿題を持って元気に行ってきました。


下校してきたときは汗だくで、喉が渇いたと、飲料水をがぶ飲み。無理もありません。お昼御飯は、ジイジ特製のスパゲッティ・ナポリターナでした。ニンニク・バジルなど、自家製野菜の味と香りは、ピカイチのはずですが、たまたまあり合わせの鶏胸肉や、なすび、玉ねぎ、シメジタケ、ハクサイなどの具が多すぎて、期待ほどには食が進まない様子でした。




大阪の新生児は、生後一ヶ月になりました。4歳の姉が中耳炎で熱を出したと先日聞きましたが、もうすっかりなおったらしく、姉弟元気で仲良しの写真を、ママがメールで送ってくれました。

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一方外孫に当たる二歳児は、38度以上の熱が3日ほど続き、昨日は夫婦が半日ずつ仕事を休んで面倒をみた由。ところが今日も熱が下がらず、諸般の事情から、我が家に託児業務の依頼がありました。朝7時過ぎに家を出て、一時間ほどかけて迎えに行き、午前中はじいじ1人で子守。38度を超える熱といいながら、少しもぐったりする様子もなく、かえっていつも以上にハイテンションで、おもちゃ遊び、TV、DVDと、しっかりお付き合いさせてもらいました。

今日は「なんくるないさー」のTシャツを着て、熱にも動じず元気(?)です。先日、研修で沖縄へ行ってきたお父ちゃんのお土産でしょうか?


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そういえば「なんくるないさー」という言葉については、以前こんな記事でも話題にしました。

きれいさっぱり新規インストールで光明みえたとおもったが、の巻


沖縄方言の「なんくるないさー」につて、「にこにこ大百科」にはこう解説されていました。

なんくるないさーとは、琉球方言で「何とかなるさ」という意味である。
概要
言語学的な概要
現在では標準語の「何とかなるさ」等とほぼ同義に使われることが多い。
語源に照らせば「自然と、ひとりでに」を意味する『なんくる』(< 汝(なれ)から)に「成る」を意味する『ない』(<成り)と放言(方言?引用者柱)の終助詞『さー』(< さ)がついたもので、「自然と(あるべき様に)なるものだ」というのが本来の語義である。つまり、音の並びは似ているものの「何とかなるさ」や「72(は肩が)凝らないさ」との直接の繋がりは無い。
元々は「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ」という定型句を構成する言葉であり、その意味するところは「真そーけー=(人として)正しい行いをしていれば」「なんくるないさ=自然と(あるべき様に)なるものだ」、つまり「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやって来る」ということであり、儒学者胡寅(こいん)著『致堂読史管見』に由来する諺「尽人事而待天命=人事を尽くして天命を待つ」や英語の諺 "Do the likeliest, and God will do the best." に相当する言い回しであった。


「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやって来る」   沖縄の人たちが、踏まれても踏まれても、くじけることなく、辛苦に耐えて自然体で明日に向かって希望を失わないでいられる大本には、このような揺るがぬ世界観・人生観が確として存在するのでしょう。翁長さんの生き様もしかり、翁長さん亡き後の後継づくりの過程もしかり、毅然と立って揺らぐことのない玉城デニーさんの潔さもしかり、それを渾身の力で推す「オール沖縄」の県民の皆さんの不屈の頑張りもしかり、と、改めて思います。


とはいえ、「なんくるないさー」のTシャツの女の子は、さすがに食欲がなく、ジュースやお菓子を少々口にするだけで、つくった昼食もほとんど食べようとしません。
午後はバーバがパートから帰って、少しはゆとりも生まれ、さらには、先ほどからお昼寝もしてくれたので、パソコンに向かってブログを書く余裕もできました。




このあと、高知への卒業旅行の記事の続きを書こうと思いましたが、執筆環境が整いません。次回に譲り、今日はこれにて。

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高知の街散歩、の巻 [折々散歩]

今日の記事は、open Live Writerというソフトを使って編集してみています。


これまでいろいろな方法を試行錯誤しながらブログ記事を書いてきましたが、なかでも、私の定番は、ホームページビルダーのブログ投稿機能を利用するやり方で、これだと文字の編集と画像の編集を一体で行うことができて、便利でした。


しかし、最近、これがまったく利用できなくなりました。「記事を投稿」しても、そのままフリーズしてしまい、ctrl+ALT+deleteで「タスクマネージャー」を読んで終了すると書き上げた記事もろとも消えてしまうという悲劇に見舞われるようになりました。


素人ながらに詮索するに、どうもso-netブログの「常時SSL化」というのが怪しい。不具合が起こり始めたのがその頃からで、それまではうまくいっていたのですから、、、。


致し方なく、so-netブログ標準の編集画面で編集・投稿を行っているのですが、写真掲載が不便です。サイズを縮小して、いちいちアップロードして、記事に貼り付けると言う手順が煩わしいので、できれば文字と画像を一体で編集したいので、ホームページビルダーには未練が残ります。


そもそもマニュアルやヘルプの文章を読むなどは、私の最も苦手とするところなのですが、背に腹は換えられず、so-netブログの「help」を丹念に読んでみますと、こんな記述がありました。


  他のツールからの投稿(AtomAPI) AtomAPIに対応したソフトウェアやWebサイトからの投稿ができます。 AtomAPI機能を利用したツールを使うには、--- ツールの設定値は以下のようになります。     

エンドポイント(記事用):http://blog.so-net.ne.jp/_atom/blog    

エンドポイント(画像用):http://blog.so-net.ne.jp/_atom/image


記事用だけでなく、画像用のエンドポイントも訂正しなければならないと思われますが、ホームページビルダーでそれを設定する方法がわかりません。


これを解決したくて、「ホームページビルダー」(ジャストシステム)や、so-netブログのサポートに、それぞれ相談しましたが、なかなか埒があきません。


so-netブログのサポートは、メールで問い合わせすると、すぐに、「担当部署にて確認を行ったうえで あらためてご案内させていただきます。」と丁重な返事をいただきました。が、その後一月以上も連絡なし。


一方、「ホームページビルダー」(ジャストシステム)のサポートは、メールでの相談は受け付けていないらしく、仕方なく電話での相談をおこないましたら、女性オペレータが対応してくださいました。おっしゃるには、手元にso-netブログのサンプルがないのでわからないが、投稿先のアドレスを「http」→「https」の書きかえてみては?とアドバイスをいただきました。


それはすでに試してみていたのですが、他の策もないらしいので引き下がり、何度か試行錯誤してみましたが、やはり解決しません。


そうこうするうちに、最初の相談メールから、1ヶ月半ほどたってようやく、so-netブログサポートデスクからお返事をいただきました。


それによると、この現象は、やはり常時SSL化の影響らしく、概略以下のようなアドバイスでした。


以下の設定でお試しくださいますようお願いいたします。
設定方法につきましては、ホームページビルダーの提供元へご確認ください。

■ATOM API

・エンドポイント(記事用):https://blog.so-net.ne.jp/_atom/blog
・エンドポイント(画像用):https://blog.so-net.ne.jp/_atom/image
・認証方式:WSSE
・ユーザー名:管理画面の「AtomAPI用ID」を確認してください。
・パスワード:管理画面の「パスワード」より確認してください。

※「http」→「https」への変更をお願いいたします。

なお、ホームページビルダーのバージョンによっては、上記設定に対応していない場合がございます。
その場合は、以下のXML-RPCでのご利用をご検討ください。

■XML-RPC

・エンドポイント(記事用):https://blog.so-net.ne.jp/_rpc
・ユーザー名:管理画面の「AtomAPI/XML-RPC用ID」を確認してください。
・パスワード:管理画面の「パスワード」より確認してください。

※「http」→「https」への変更をお願いいたします。


これを踏まえて、もう一度、「ホームページビルダー」(ジャストシステム)のサポートセンターに電話。しかし、設定画面のどこをどう操作するかについては、お聞きすることができませんでした。


仕方がない、ソネブロ標準編集画面で続けるしかないかと半ば諦めながら、やはり文章と画像の一体編集、しかもオフライン編集可能のブログエディターを求める思いが募っておりました。


そんなとき、先達のこんな記事が目に止まり、さっそくためしてみているところです。


http://digibibo.com/blog-entry-3424.html


http://kisanuki.cocolog-nifty.com/tashiro/2018/04/post-2c77.html


何だかうまくいきそうな気配です。




ここから本題。


昨日の記事の続きです。


今度の高知行きでは、もちろん同窓会参加が第一の目的でしたが、せっかくの「卒業旅行」なので、心も体も、そしてカメラも喜ぶ行き先はないかと、いろいろ事前に検討したのですが、悩むばかりで決断が尽きません。


内心、魅力を感じていたのは、yakko 様がしばしばご紹介くださる五台山と牧野植物園でした。植物用に、どのカメラを持って行こうか?など、いろいろ想像して楽しみましたが、しかし、いざ日程を考慮して具体化をはかる段になって、躊躇が生じました。


自家用車ではなく交通機関を利用することにしたのですが、高知駅あたりから牧野植物園まで、バスだと30分らしいですが、バスの便がそれほど頻繁でもないらしく、慣れない道で、予定時間までに同窓会会場に行き着けるかどうか不安ですし、何より旅先で、大荷物を持って酷暑野中を移動するのも気が進まず、計画中止としました。


かわりとして、徒歩で回れる市内の散歩を、行き当たりばったりで楽しむことにしました。


ちょうど「志国高知幕末維新博」の開催中とかで、ネット上でも、親切な史跡案内が行われています。


また、高知在住のN先輩が、以前送ってくださっていた、高知市教育委員会 民権・文化財課発行の「高知市中心部民権史跡案内図」や、


minkensiseki


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高知県立文学館発行の「土佐れきぶん散歩」


rekibunsanpo


などのマップ片手に、まず目指したのは、高知駅近くの史跡。


その第一は、「槇村浩誕生の地」です。


槇村浩については、その詩碑を訪ねた記事を夏の終わりの高知行、の巻(その5)


で書き、そこで詩人槇村浩に触れた次のような過去記事を紹介しました。そこでも書いたように、まだ彼の墓を尋ねていないことが心残りですが、「誕生の地」もまた未踏です。


◆サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻
◆「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻
◆槙村浩と三月一日
◆ビクトルハラをカーラジオで聞くの巻
◆もうひとつの911
◆懐かしき便り嬉しき聖夜かな


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むしろ岡山の方が蒸し暑いと思われる、心地よさではありましたが、それでも晴天の南国の太陽を浴びながら歩くと、汗が噴き出ます。


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この美しい川は江ノ口川でしょうか?


1970年代は「高知パルプ」の工場廃液のために、ヘドロで汚れて、激しい悪臭が町を覆っていたことが強く記憶に残っていますが、昔日の感があります。


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目的の槇村浩誕生の地は、この江ノ口川沿いだそうですが、それらしい場所を探しても見当たりません。よくよくマップを見ると、(碑なし)とありました。なあんだ。


がっかりしてはりまや橋方面まで南下します。


急に大きな音で「よさこい節」のメロディがきこえてきました。見あげてみると、このからくり時計から流れてくるようです。


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時計の針は、正午を少しだけ過ぎたところです。


ここまでopen Live Writerで編集・投稿できました。動きがもっさり重い感じはありますが、まずまず上出来です。


このあと、少し画像を追加しようと思うと、やはり、縮小してアップロードの手順が必要です。


道路を挟んで、からくり時計の対面が、ご存じ「はりまや橋」です。


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土産物屋の「はりま家」さん。キティちゃんと記念写真が写せます。
爺さんの一人旅では縁がありませんが。
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今日はこれにて。

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卒業旅行は高知へ、の巻 [友人]

今年の1月で、未破裂脳動脈瘤の手術から10年、また、この夏で、肺腺癌の手術から5年経過しました。それぞれ再発などの兆しがないので、いずれの病院も「完治」とみなして、「通院終了=卒業」を許可していただきました。

昨日、卒業旅行に出かけてきました。

行き先は高知。

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じつは、この高知行きは、前々からの計画だったのでした。
ちょうど8月25日-26日と、高知でこんな全国集会が開かれました。
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2016年の8月に書いたこんな記事でも紹介した大学時代の同窓会は、3年に一度の開催を恒例としています。今年は、この母親大会に参加されるメンバーもあろうから、それにあわせて25日の夜、特例的に臨時開催してはというはこびになったのです。

夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)

その目的は、三年前にブログを始めたばかりの書いたこの記事(◆夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて)から3年を経て、また開かれる同窓会に参加すること。

今回も喜寿を迎える方から還暦前の方まで、東は東京、西は宮崎から、世代を越えて集まり、夜遅くまで、楽しく交歓したことでした。
私は母親大会への参加の予定はありませんでしたが、夜の同窓会だけには出席することにしました。
自家用車で行こうか、高速バスを使おうか、それともJRか、直前まで迷いましたが、JRでいくことにしました。
アンパンマン列車の「南風」号です。
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対向するのもアンパンマン列車。
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室内のレイアウトも撮影しておきたいところでしたが,いかんせん、車内混み合っていて、何駅も座席が空かず、立ったままでした。瀬戸大橋を渡る頃までは、まだ楽しい気分でしたが、だんだんに、特急代金を払ってまで立ち続けていることに疑問が生じてきた次第。帰りは高速バスにしよう!と決めました。
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高知駅でも、アンパンマンのお出迎えです。
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駅前の大通りにも、かわいらしいモニュメントが並んでいました。
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全国からの母親大会参加者を、現地の方達がお出迎え・案内しておられます、、、がよく見ると、このおふたり、わが大先輩のN氏、M氏ではありませんか。暑い中、お疲れ様です。
おふたりとも、夜の同窓会でご一緒できました。
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高知駅に着いたのがお昼頃。同窓会の始まりは午後6時の予定。
その間市内をいろいろ散歩して時間を潰しましたが、その模様は次回に譲ります。とにかく暑くて、汗びっしょり。
早々にホテルにチェックインして、シャワーを浴び、着替えもして、今度は高知城や隣接の高知県立文学館を見学。この次第も、次回に譲ります。
ようやく夕方になりましたので、同窓会会場に向かいます。
会場前に、こんなモニュメントがありました。
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刻まれた文字を拡大します。
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冒頭のポスターにもある母親大会のスローガン。
「生命を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」
会場に一歩入ると、こんなモニュメントも。
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さて、同窓会には、私のように、それだけを目的に高知にやってきた人もありますし、昼間、母親大会に参加して来られたと、ご夫婦揃って参加された人も、ご夫婦と息子さん夫婦、さらには小さなお孫さんも連れて参加された人などもあり、思いの深さに胸を打たれます。
きょうはこれにて。

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卒業決定、の巻 [折々散歩]

台風は、当初の予想よりは東にそれて、(当地にとっては)幸いなことに、朝には影響が薄れ、当地方jには、被害らしい被害もなかったようです。
先週から、頻繁に病院通いです。いえ、決して体調が悪いわけではありません。
17日(金)は、血液検査とMRI。午後はかかりつけ医で血圧の薬。
21日(火)は、CTとエコー。そして今日の診察では、それらの検査の結果を聞きました。
結論、血液検査・エコー検査などの結果から、健康上留意すべき点はあるが、肺がん手術5年を経て、転移の所見はなく、これで卒業、ということでした。まずはめでたしです。
明日は卒業旅行に出ます。(というわけではありませんが、ちょっとそこまで用事があってプチ旅行の予定です)

合間を縫ってひいご池を訪ねたのは18日(土)。ハッチョウトンボは写せませんでしたが、いろいろなトンボを見ました。



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↑これは、オオシオカラトンボかな?
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トカゲ(カナヘビ)が、バッタを捕食しています。
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久しぶりのエナガ。
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備中国分寺五重塔にも立ち寄りました。
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きょうはこれにて。




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何度もシラサギ、の巻 [折々散歩]

台風20号が,四国、中国、近畿を直撃の勢いです。

午前中は教育相談、午後は退職同業者の集まり。かなりの距離を徒歩で歩いて移動しましたが、真夏の暑さです。風は強いですが,雨は夜中まではたいしたことはない模様。大きな災害が続かないことを祈ります。

さて、前回記事ではキジ発見のニュースを先行させましたので、執筆準備中だったシラサギの話題が後回しになりました。

先日も引用したダイサギ ゴイサギ ダイゴ帝の記事には、こんなことも書いていました。

生き物の名前は片仮名書きされることも多いですが、言葉の響きからだけでは実物をイメージできないこともままあります。
たとえば、「シラサギ」といえば「白鷺」=「白い鷺」とすぐさま連想が働きます。「白鷺城」といえば姫路城を思い出しますし(wikiによれば、姫路城は「ハクロ城」、八代城は「シラサギ城」と呼ぶのが原則だと言いますが)、「シラサギ温泉」と言えば、私は愛媛・道後、岡山・湯郷などを思い出します。ほかにも、白鷺が傷を癒すのを見て温泉を発見した、とする伝承が全国にあるようで、「白鷺」を冠した温泉も各地に存在するようです。
道後温泉の本館には、白鷺が羽ばたく意匠の装飾が屋根の頂に飾られています。(2013/1写す)
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(中略)
では「ダイサギ」からイメージするものは?あるいは「ゴイサギ」ではいかが?
「ダイサギ」が「大鷺」と気づけば「なあんだ」なのですが、、、。「白鷺」にも、様々な種類があり「ダイサギ」「チュウサギ」「コサギ」などと分類されるそうですが、素人目には同じように見えてしまいます。散歩中に出会うと、その純白の優美な姿に惹かれ、しばしばカメラを向けますが、果たして「大鷺」か「中鷺」か「小鷺」か、はたまたそれらの亜種か?とうてい識別できず、ギブアップです。



この辺りでよく目にするのは、「ダイサギ」と「コサギ」のようで、頻繁にご紹介させていただいております。

この記事なんかも懐かしい。


(前略)
何度も申しますが、これは明らかにサギですよ。
これがカラスではないかなどと、あなた方はそうやっていつも印象操作をしている。あたかも、あたかもですね、私や妻が犯罪者であるかのような印象操作。
全くの誹謗中傷、極めて不愉快なんですよ。



そのことの上においてですね、この鳥がサギであるという、この見解は、まったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから。総理大臣として『カラスであるなどという事態は、あり得ない』と言ってるんですから、間違いありませんよ、それは。この姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。
そのことの上において、今までも、現在も、そして将来も!全く問題はない!!という事をお約束いたします。



あなた方は、あたかもこれがサギであるかのような印象操作を繰り返して、我々の見解に対する不安をあおるかもしれませんが、はっきり申し上げると、そんなやり方であなた方の信用・支持率が上がることはありませんよ。



念のために申し上げてきますが、やっぱ、これも、アオや灰色じゃなくて、シロですよ。もし灰色だったりアオだったりクロだったんであればですね、これはもう、私は総理大臣を辞めるということでありますから、これははっきりと申し上げたいと、このように思います。(後略)

今日ご紹介するシラサギは、こちらです。



最近の、Mitch 様のこの記事や、森田惠子 様のこの記事この記事、そしてテリー 様のこの記事、また、ちょっと以前の記事ですが、美美 様のこの記事hikaru-eg 様のこの記事に触発されて、サギソウを写したくなり、18日(土),総社市のヒイゴ池を訪ねてみました。

過去の記事でも、この場所のサギソウを話題にしています。

ストックしているネタが、次々に賞味期限切れになっていきます。九月に総社市ヒイゴ池で写した写真です。すこし季節外れですが、、、。



サギソウの可憐な花です。
サギソウ(鷺草)は、晩夏の季語だそうです。もはや晩秋ですから、季節外れも極まれりですね。

自生の花ですので、手前に草の葉が邪魔をして全身像をすっきりとらえるのが難しく、ちょっと不満足ですが、白鷺の優美な舞い姿を連想することは可能です。
妻の亡くなった父親が、園芸好きで、いろいろな植物を鉢植えなどにして楽しんでいる中に、あれこれの山野草の鉢がありました。特に愛でている鉢が、この花でした。私がサギソウの花を知った最初です。

その後、園芸店などでも、ポピュラーにその姿を見ますが、いつかはと思いつつ、まだ撮影したことがありませんでした。また来年のシーズンには挑戦してみることにしましょう。

昨日も書きましたが、シラサギにも色々種類があるそうで、見分けがつきません。全種類が一斉に並んでくれていたならば、図鑑片手に判別もしましょうが、なにぶん、遠目で観察するのが常ですので、たぶんいつまで経っても迷い続ける事でしょう。(

猿沢の池かとまがう水田(みずた)かな
昨日は、仕事帰り、ちょいと足を伸ばして総社市方面をドライブしてみました。

目的地は、「ひいご池湿地」と「備中国分寺」。
NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」で注目の「水攻め」の舞台となる備中高松城蹟も立ち寄ってみようかと思いましたが。結局はスルーしました。

「ひいご池湿地」は、0.9ヘクタールの湿地に、サギソウ・トキソウ草などの希少植物が群生し、最小のトンボと言われるハッチョウトンボなど、貴重な生物が繁殖しています。(




今回は、7月の大雨の影響が残っていて、土砂で埋まっている場所もありましたが、サギソウの自生エリアでは。見頃な花を咲かせていて、まるで優美な乱舞の状態でした。

同時に、この湿地に棲息するハッチョウトンボとの遭遇を期待したのですが、一個体だけオスを発見しましたが、まごまごカメラの準備などしているうちに、見逃してしまいました。残念。
また、大きなオニヤンマが旋回しながら飛翔する姿を見つけたのですがカメラに収めることはできませんでした。これまた、残念。
きょうはこれにて。

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これはビックリ、の巻 [折々散歩]

「爽快」という言葉を久しぶりに思い出すような、涼しい日がしばらく続き、昼も夜もエアコンのスイッチを入れなくて済みました。が、それも束の間、台風接近に伴い、熱い空気が引き寄せられたか、またまた猛暑日がぶり返しました。

今朝の散歩では、もう相当に強い風が吹き始めています。

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昨日の記事がアオサギでしたから,今日はシラサギ!のつもりで準備したのですが、どうもシラサギの写真がイマイチです。

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アオサギならアップで捕らえることができたのですが、、、。

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朝散歩では、55mm-300mmのレンズで出かけましたから、少し長さが不足していたかと、久しぶりにTAMRONsp500mmを引っ張り出しました。光が明るいので、f8.0でも大丈夫かな?と判断したのですが、、、、。
しかるに、シラサギは遠く、カワセミもチラッと見かけただけですぐに飛び去り、がっかりなのですが、思いもかけずこんな鳥が、散歩道の近くを歩いていました。
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今日の記事は、急遽、キジの記事にすげ替えることにしました。
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ノートリミングでこの大きさですから、近さが想像できましょうか?すぐに逃げてしまいました。
これまでも,キジをみたことがないわけではありません。何しろ,岡山県の県鳥だそうですから。
以前こんな記事を書いています。
鶴をたずねて 雉、鷂、星羽白に遭う、の巻
キジにまつわる悔しい記事の巻
でも、こんなに近くも近く,我が家の目と鼻の先で出会おうとは、ビックリでした。


興奮も冷めやらぬままず、数分歩いた後、これは?とカメラを向けましたが、変哲のないハト(ドバト)でした。キジバトでさえありませんでした。

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アゲハ、キアゲハ、アオスジアゲハなどが複数舞っていましたが、写せたのはこれだけ。
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最近、オニヤンマやギンヤンマも見かけるのですがカメラに収めることができません。
猛スピードで飛び回らずに、止まってくれるのは、、、ウチワヤンマ(ウチワトンボ)です。
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いつもウチワヤンマが止まる手前の杭(鉄パイプ?)のむこうで、鵜が熱心に採餌中です。鮎はいないと思いますが(笑)
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2~3日前には,産卵中のギンヤンマのつがいを見たのですが,残念ながら望遠カメラを持っていませんでした。
きょうは、飛翔する単体の姿しか見当たりません。MFでもあり、ピントを合わせることができません。とりあえず証拠写真を一枚。
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今日はこれにて。

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アオサギ、の巻 [折々散歩]


前回記事で、動物園内に生活する(?)アオサギが登場しました。これは、どうやら飼育されているのではなく、自由に暮らしている野鳥であるようです。

自然環境のもとで、日々食事にありついて、生命を維持し繁殖もする、ということはなかなかに容易ではなく、相当の努力と辛抱が必要なようです。

むしろ人間の生活圏近くに暮らすことで、いろいろな恩恵を得ているのが彼らの習性なのかも知れません。動物園で、他の飼育鳥たちの飼料をちゃっかりいただくのは、その最たるものでしょうが、いつもの散歩道で出会うアオサギたちも、農業用の水路や水田など、半ば人工的な環境の方が、採餌に好都合といえるのでしょう。

酷暑のさなか、スズメやカラスなどの他には、野鳥の姿を見かけることがほとんどまれになっていますが、そんなときでも身近な場所でアオサギには会えるので、ついカメラを向けてしまいます。

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先日、児島湖周辺を散歩しておりますと、こんなところにいました。
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ちょっと面白いので、つい、カメラを向けてみました。
連日の酷暑が緩んで、凌ぎやすさを覚えます。久しぶりの湖畔の散歩コースをブラブラと歩きます。

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常山が対岸に見えます。
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方角を変えて、これは臨海工場地帯方面の眺め。
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市内中心部の方角。
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水鳥の姿は、カルガモだけぐらいです。
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と、沖の方を一隻の和船が波を立てて走るのが見えました。

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みるともなく行方を追っておりますと、仕掛けてあった網を上げる作業が始まります。
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この網に上に寛いでいたアオサギは、ふわりと飛び立って、岸の方へ身をかわします。
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堤防のコンクリーとの上に止まり、じっと見つめている先は、網を上げる作業中の漁師さんの舟の方角。まんじりともせず様子を窺っている様子。
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私が近づくのを察した様子で、飛び立ちました。

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他にもあちらこちらに網が仕掛けられています。締切堤防によって淡水化される前の児島湾は、有数の漁場として知られていたそうです。現在の児島湖での漁業はどんな具合なのでしょうか。こんなサイトサイト 児島湖と児島児流域の生物の記事から,漁獲状況についての資料をお借りします。

児島湖では、現在主にフナ、ウナギ、エビ、モロコなどが漁獲されています。
近年は漁業従業者の高齢化や、消費者の需要の低下により、漁獲量は減少傾向にあります。

 児 島 湖 の 漁 獲 量
単位:トン
年度 コイ フナ ウナギ ボラ類 エビ類 その他
昭和51 12 1,459 6 11 10 7 1,505
昭和52 11 1,456 6 13 11 11 1,508
昭和53 12 1,425 6 17 13 14 1,487
昭和54 12 1,704 6 20 11 12 1,765
昭和55 30 838 3 48 12 15 946
昭和56 34 173 3 5 13 37 265
昭和57 44 214 3 7 19 49 336
昭和58 32 210 3 4 17 48 314
昭和59 31 238 3 4 15 73 364
昭和60 31 278 3 3 11 76 402
昭和61 27 301 3 2 9 82 424
昭和62 29 336 3 2 6 37 413
昭和63 34 350 2 1 5 56 448
平成元 32 294 2 3 4 48 383
平成2 35 322 2 2 4 68 433
平成3 38 336 2 3 6 41 426
平成4 42 328 2 3 7 45 427
平成5 43 294 5 4 9 27 382
平成6 45 266 6 4 8 36 364
平成7 70 266 6 13 7 24 385
平成8 63 259 6 15 7 31 381
平成9 85 240 6 12 4 24 371
平成10 38 240 5 12 6 19 319
平成11 32 210 4 10 6 17 279
平成12 20 147 6 63 6 24 267
平成13 28 143 6 75 6 17 275
平成14 30 153 9 125 7 26 351
平成15 40 260 9 50 9 45 413
平成16 30 250 9 46 8 39 381
平成17 9 240 9 46 7 34 345
※数値は四捨五入してあるため、計と内訳は一致しない場合があります。
漁獲量状況表
図 児島湖における漁獲状況変化
(農林水産省大臣官房統計部編集 「漁業・養殖業生産統計年報」より作成)
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さておしまいは,今日の付録です。
ずっと以前、こんな記事を書いたことがありました。ダイサギ ゴイサギ ダイゴ帝?一部抜粋して引用です。
「アオサギ」というと、「青い鷺」と連想されます。実際は青色というよりは灰色の勝った色合いで、英名は Grey Heron(グレーの鷺)と呼ぶらしい。もっとも、黒毛の馬は、古くから「アオ」と呼びます。古語辞典によれば、「①青い色。本来は、白と黒の間の広い範囲の色で、主として青・緑・藍(あい)をさす。②馬の毛色の名。全体に青みがかった黒色。また、その毛色の馬。」(「学研全訳古語辞典」)とありますから、名前と実物に矛盾はありません。
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「枕草子」に「鳥は」と題する章段があり、鷺についてこう書いています。「鷺は、いと見目も見苦し。眼居なども、うたてよろづになつかしからねど、『ゆるぎの森にひとりは寝じ』と争ふらむ、をかし。」
口語訳:「鷺は、見た目も見苦しい。目つきなども嫌な感じで、万事に親近感が持てないけれど、『ゆるぎの森で一人寝はすまい』と妻争いをするというのが、おもしろい。」
「ゆるぎの森に」は「高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを」(古今六帖・第六)という古歌を踏まえているそうで、コロニーに集まる鷺たちが、夜中に声を上げながら騒いでいる様を、風流な妻争いになぞらえています。このことで、他の欠点が減殺され、「をかし」と感じられるというのです。
この鷺は、やはり「アオサギ」でしょうかねえ。」
ネット検索で、アオサギに関する専門的なページを見つけました。興味深い。
http://www.grey-heron.net/forum/06-literature/
今日はこれにて。

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動物園へ行った、の巻(3) [家族]

この話題をまだまだ引っ張るのは気が引けますので 今回で終わります。

酷暑続きで、なかなか散歩道では鳥に会えませんので、動物園の鳥を写して我慢しました。と言っても、雨の中のつまみ食い的な見学でしたので、心残りはたくさんありました。

あとで、動物園のHPを見てみると、こんな鳥が展示されているそうです。

鳥類

数字は点数(頭、羽、匹)

ダチョウ目
ダチョウ科
ダチョウ  1

オウム目
インコ科
ボタンインコ 49
ベニコンゴウインコ 2
パタゴニアイワインコ 1
キエリボウシインコ 1
フジイロボウシインコ 1


オウム科
コバタン 1
キバタン 1
オオバタン 1
コキサカオウム 3
シロビタイムジオウム 6

カモ目
カモ科
シナガチョウ 4
シロガチョウ 5
アイガモ 3
マガモ 1
シロアヒル 1
コールダック 16
オシドリ 7

キジ目
キジ科
チャボ 5
ハッカン 4
ニホンキジ 1
コウライキジ 1
ベニジュケイ 2
キンケイ 2
オウゴンキンケイ 1
インドクジャク 3

コウノトリ目
サギ科
アオサギ 1

トキ科
アフリカヘラサギ 4
ショウジョウトキ 4

ワシタカ目
タカ科
トビ 2

ツル目
ツル科
マナヅル 1
ホオジロカンムリヅル 3

ハト目
ハト科
シロクジャクバト 3

フクロウ目
フクロウ科
オオコノハズク 1
ホンドフクロウ 2
シロフクロウ 2

フラミンゴ目
フラミンゴ科
ベニイロフラミンゴ 9
チリフラミンゴ 42
ヨ-ロッパフラミンゴ 19

ペンギン目
ペンギン科
マゼランペンギン 12

ペリカン目
ペリカン科
モモイロペリカン 2

撮影できたものだけ、順不同で掲載します。

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襟元が、エジプトの装飾みたいと小2の妹が言います。

インドクジャク
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オシドリ
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チリフラミンゴ
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厳重な鳥舎の中に、なぜアオサギが?
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園内を自由に散歩するアオサギもいるのに。
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今日の付け足し。
書き忘れていましたが、動物園へ行った日の朝のこと。ママの職場の同僚の方が、前々からの約束の「ドジョウ」を、近所の川で捕まえて職場まで持ってきてくださったそうで、弱らぬうちにと、孫2人がじじいの車で受け取りに行き、いったん家へ持ち帰り、川魚やエビや二枚貝が暮らす水槽に放してやりました。
動物園の記事が長引いて、ドジョウくんをご紹介する暇がありませんでした。
それと、慌ただしくて、ポートレート写真を写す間もなく、大水槽に泳がせてしまったので、もはや適度なシャッターチャンスが得られません。
そうこうするうちに、水槽のニューフェイスが追加になりました。
昨日、今日と、近所の小川(用水路)に釣りに行きました。壊れていたリールを、パパに新調してもらったのだそうです。
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その第一号の獲物が、なかなかの大物です。
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他にも何匹か釣れ、勢いに乗って今日も釣りに出かけましたが、今日は一匹だけで糸がもつれ、帰りました。
これらの、たくさん釣れた大きな魚は、家庭の水槽では手狭そうに思えますので、リリースしてやることにしました。
それとは別に、もう一尾、ジイジが釣ったのがこれ。
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体長20cm弱の小さなナマズです。可愛いので、これを金魚が棲む水槽に放してやることにしました。ニューフェイスというのは彼のことです。
この水槽には、金魚のほか、成魚となったモツゴ(?)らしい川魚や、熱帯魚水槽時代以来のコリドラス等が棲んでいますが、語肉食の魚とはいえ、これだけ大きな魚は食わないだろうと判断したのです。で、ホームセンターでナマズ用の餌などを仕入れた一夜明けた今朝。なぜでしょう、一番紅が鮮やかで美しかった金魚が、死んでいました。環境の変化が災いしたのでしょうかね?平和共存の難しさというものでしょうか?
今日はこれにて。

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動物園へ行った、の巻(2) [家族]

動物園と言えば、ゾウ、ライオン、トラ、カバ、サイ、キリンなどの人気動物に、子どもが興奮する光景がイメージされます。

この池田動物園、人気者のゾウのメリーは、2017年2月に死んだそうです。2月16日付の「山陽新聞」デジタル版から引用です。


池田動物園(岡山市北区京山)は16日、インドゾウのメリー(雌)が14日に死んだと発表した。約半世紀にわたり、同園の人気者として親しまれてきたが、数年前から両前足の傷の治療を受けるなど体調が悪化していた。

 同園によると51歳。14日午前8時ごろ立てなくなり、同午後8時ごろ死んだ。腹ばいになって荒い息を繰り返していたが、最期は眠るようだったという。

 8年前に両足の膝がひび割れ、5年前から前足裏などが化膿(かのう)して消毒治療を続けていた。死因は不明だが、「老齢に加え、傷が影響したのかもしれない」と同園。

 2歳だった1967年5月、タイから来園。体高2・7メートル、体重約3トンで、園の出入り口の正面にあるおりで暮らし、園の“顔”として知られていた。節分を前にした今月2日には、野菜と果物で作った恒例の「恵方巻き」のプレゼントを受けるなど13日までは入園者に姿を見せていた。

 18日からおりの前に献花台を設け、写真などを飾る。同園の赤迫良一総務部長(57)は「多くの方に愛された存在で沈痛な思い。長い間動物園を支えてくれて『ご苦労さまでした』と言いたい」と話した。

そう言えば、孫と歩いた動物園、の巻(第3回)の頃にはまだ健在で、こんな様子でした。

すっかり満足して帰ろうとしかけた頃、像のお食事タイムがはじまりました。インド象のメリーさんは、50歳だそうです。長い間この動物園の花形スターをつとめてきました。













この頃、同じく健在だったベンガルトラ「ヒロ」も、昨年12月に逝去した由。



天皇陛下の姉で、昭和天皇第四皇女の池田厚子さん(86)が園長を務める池田動物園(岡山市北区)が存続の危機に立っている。入園者数の低迷で経営が苦しく、累積赤字は2億円を超える。旧岡山藩主・池田家の当主が1953年に開園した由緒ある動物園を守ろうと、地元住民らが公営化を求める署名活動を展開している。同園は将来像を検討する有識者会議を月内にも発足させ、株主でもある市も参加する。【林田奈々】

岡山市民ら公営化求め署名活動

 動物園(約8万平方メートル)の入り口をくぐると、すぐそばに空っぽの獣舎がある。園の顔だったインドゾウのメリーがいたが、2016年2月に死んだ。ライオンやレッサーパンダなど112種類の動物を飼育する園の獣舎は、開園当初から使っているものが多く、さびや塗装のはげが目立つ。長女(1)を連れて訪れた近所の主婦(30)は「以前に比べて寂しくなった。子どもたちのためにも何とか続いてほしい」とつぶやいた。

 池田動物園の前身は、池田家の第16代当主、故池田隆政さんが営んでいた牧場だ。隆政さんは1952年に厚子さんと結婚し、牧場内に新居を構えた。翌年、トラやライオンを加え、動物園と改称。自身が初代園長に就いた。

 昭和天皇や天皇陛下が来園されたこともあり、88年にジャイアントパンダが一時来園した際には年73万人の来場があった。隆政さんは2012年に亡くなり、厚子さんが園長となった。

 レジャーの多様化もあって、00年度以降の年間入場者数はほぼ10万人前後にとどまる。昨年2月期の事業報告書によると、入園料などの収入約1億4400万円に対し、人件費や動物の餌代などで約1億5600万円の支出があった。1200万円余りの赤字となり、累積赤字は2億5000万円に膨らんだ。厚子さんが私財を投じて何とか穴埋めしている状況だ。大型動物の高齢化も進み、16年のゾウに続いて17年には国内最高齢のベンガルトラが死んだ。

 地元住民らは16年5月から公営化を求める署名活動を始め、昨年2月に約6万7500筆を市に提出した。ただ、市は「公営化ありきではない」との立場で先行きは見通せない。

「累積赤字は2億5000万円」とあります。これを巨額とみるか、わずかと見るか、立場と価値観から、大きな差が出そうです。

昨日の記事にたいしてmajyo様がくださったコメントに、小生、こう答えてみました。

自治体が補助すべきかどうか、そのための予算支出が無駄遣いかどうかが、問題になっているようです。バブル期のあれこれの「箱物」に比べて、公益性では決して劣らないと思いますがね。

市とか県の支援・補助を念頭に置いて、上のようなコメントを述べたのですが、国政レベルにまで広げて考えれば、たとえば「オスプレイ不安クラブ」様が2018年7月24日付け記事で指摘された、イージス・アショアの価格釣り上げを横目で見て、「2億5000万円」の赤字は巨額?それとも微々たるもの?

まとめると、ざっとこんな感じだろうか。

当初の防衛省発表価格

[→] 1基800億

去年12月

[→] 2基2000億円

今月7月22日

[→]?2基で2500億円

翌日7月23日

[→] 2基で6000億円超 ← 今ここ

2500億

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?

当初の発表の3倍以上に価格が上昇した場合、

あなたはその商品を購入するだろうか。

例えば1,600万円で提示のマンション、

それが半年後に6,000万円といわれた場合の話だ。

それでもカネ出すバカがいたら教えてほしい。


?ところで、動物のお値段はいかほど?

動物の値段 満員御礼 (角川文庫)

動物の値段 満員御礼 (角川文庫)

  • 作者: 白輪 剛史
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: 文庫

動物の値段

動物の値段

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: Kindle版
ライオン45万円
ゾウ3000万円
ゴリラ8000万円
等などだそうです。これで子どもたちの夢や、大自然への愛がはぐくまれるのだとしたら、お安いものです。
もともと小規模である上に、動物の死亡や老化、など、がっかり感は否めませんが、身近な生き物も含めて展示されている動物たちはそれぞれに興味深く、見飽きることがありません。
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雨の中の見学でもあり、見落としもたくさんありましたが、こんな動物に会うと、やはり心が弾みます。
アミメキリン。
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カピバラ。
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ポニー
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ツキノワグマ
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イノシシ
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ボリビアリスザル
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前回訪問時には、生まれたばかりの赤ちゃんがいましたが、さてどの子でしょうか?
今日はこれにて。


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動物園へ行った、の巻 [家族]

小学生の孫が、夏休みの宿題に追われています。

一行日記というものを、まとめて何日分かずつ(笑)書いています。それによると、15日は大阪の従妹を見送り、16日は池田動物園に行って、動物の絵を描き、今日は、庭でビニールプール遊びをしたとあります。

15日、大阪の親子は、早朝出発しようかとも迷っていましたが、名残惜しさも手伝って、結局昼食を済ませてから出発。6時間ほどもかけて無事到着したようです。洗濯した姫の水着を、うっかり置き忘れて帰ったことに気づき、あとで宅配便で送るひとこまもありました。

16日、動物の絵を描くための入園者は、同伴保護者を含めて入園料が割引になるとのサービスの案内を、小学校経由でいただいていましたので、日付指定で申し込みをしておりました。前夜久しぶりの通り雨があり、心配しましたが、朝のうち雨が上がったようにも見えましたので、雨具も持たずに決行しました。おにぎり弁当と、画板、画用紙、クレヨンなど画材一式を携えて、ジジ・ババと小学生2人で出かけます。

ところで前回、この動物園を訪ねたことを記事に書いた覚えがあります。探してみたら、2016年の記事でした。動物園へ行ってみた、の巻

一部引用します。

小2生が写した出入り口です。
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民間の、小規模な動物園です。1953年(昭和28年)、旧岡山藩主だった池田詮政の孫、池田隆政氏と昭和天皇の第四皇女(明仁現天皇の姉)池田厚子さん
夫妻により設立され、今日にいたります。昭和天皇存命中は、入院加療中の厚子さんの見舞いのため、頻繁に岡山への行幸がありました。

動物園とは言っても珍獣ばかりがいるわけではなく、ヤギとか、ヌートリアとか、ロバや、ウマ、ウシなども飼育されており、親しみが湧きます。

小五の孫が写した画像をご紹介しておきます。

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(中略)

保育園児は、こんな絵を描きました。

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続けてこんな記事も書きました。

孫と歩いた動物園、の巻(第3回)

この記事で「小5生」と書いた男の子は今では中3。もはや同行しません。当時小2だった男の子が小5、保育園児だった女の子が小2になり、今回の主役です。
朝のうちは晴れそうに見えたお天気が、途中で雲行きが怪しくなり、動物園近くになるとかなり激しい雨が降ってきました。係員の方の誘導に従って、駐車場に車を駐めますが、しばらくは車外にでることがはばかられる程の本降りの雨。車内で雨宿りするうちに、少し雨脚が弱くなりましたので、意を決して入り口へと向かいます。
正規の入園料はかくのごとし。小規模経営の私企業の苦しさからか、消費者にはやや負担感が大きい価格設定です。

入園料(税込)

   大人…1080円
   高校生…864円
   小・中学生…648円
   3歳以上の幼児…324円 
   65歳以上…540円(年齢を確認できるものを必ずご提示ください)

   ※お得な前売り入場券(20%割引)は全国のコンビニエンスストアでお取扱いしております。

   ●各種障がい者手帳割引
    身体障がい者手帳 3級まで…無料 4級以下…通常料金より半額
    療育手帳        A級判定…無料 B級判定…通常料金より半額
    精神障者福祉手帳 無料
    (※ご本人様のみ割引。施設・病院等の付き添いの職員の方は半額)
この料金表を見ていて、「65歳以上…540円」に気づきました。同伴保護者への割引よりお得かも?私、これに該当しますので、 この料金で入園しました。
園内には、同じように動物たちを写生している親子連れが何組かありました。降ったりやんだりのあいにくのお天気でしたが、やはりいくつになっても、動物園は、心浮き立つ場所のようです。
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あちらこちら獣舎を覗いたあと、兄はマゼランペンギンを、妹はひよこを、バアバはホワイトライオンを描くうちに、お弁当の時間になりました。
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ジイジはカメラが濡れるのを気にしながらも、あれこれ撮影しましたので、次回ご紹介することにいたします。
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特別の場所で食べるソフト クリームは、また格別のようです。
今日はこれにて。


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続瞬く間の盆休みメモ、の巻 [家族]

14日(火)は、集まれる範囲で家族4世代が田舎の家に集まりました。長男のお嫁さんは仕事、長女も仕事、次男のお嫁さんは産後間もなし、と言うわけで参加できません。面白いことに、長男、長女のムコ殿、次男と、男親だけが、それぞれ子どもを連れて集合したことになります。

お墓からの眺めです。

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墓参りを終えて、山道を下ります。
ちょっとした団体行動になります。
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池の鯉に餌をやるのが子どもたちの楽しみです。
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シオカラトンボが羽根を休めに来ました。
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3台の車で外食に出かけたりすると、人数がとっさにわからなくなったり、名前を呼び間違えたりてんやわんやです。
山口の二歳児の迷子、身につまされます。
田舎での賑やかな4世代集会を終えて、我が家に帰ってきたところ、玄関先にこんな蝉がいるのを、誰かが見つけました。
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珍しいことに、ツクツクボウシだと思われます。
今日の付録。暑さに負けず元気なスズメです。
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今日はこれにて。




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瞬く間の盆休みメモ、の巻 [家族]

瞬く間の盆休みでした。

大阪の姫は、今日(15日)の昼過ぎ、帰省ラッシュの中を帰路につきました。

昨夜は通り雨があり、今日も夕方頃からお湿りがありました。傘を差して散歩してみました。

道端の草木がカラッカラに乾いていますが、少しだけ潤ったでしょうか?


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短い盆休み、大阪のパパが連れて行きたかったのは、海ともう一つは「おもちゃ王国」。近所にあるテーマパークです。
海は、前日(12日)、渋川海水浴場で楽しみましたが、貝殻を拾ったり、生き物を探して遊んだりもしたいというので、13日の午前中、小学生の従兄姉と一緒に、おなじみのプライベートビーチへ行ってみました。
まぎれもない夏の海、夏の太陽、夏の雲です。
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小さな貝殻や、生きた巻き貝、カニ、ヤドカリなど捕まえて遊びました。
最後に、生き物は海へ帰してやりました。
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この浜辺近くには、遊具のある小さな公園もあって、飽きません。
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いったん家に帰って昼食を摂り、午後はバアバも中学生の兄も一緒に、おもちゃ王国へ。
閉園時刻の5時まで、しっかり遊びました。
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今日はここまで。


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かえってみればこわいかに、の巻 [家族]

前回記事の続きです。

7人目の孫は、7月に生まれたばかりの新生児ですので、ママと大阪に残り、4歳の姫とパパ(私にとっては次男です)が11日の夜帰省しました。同じ夜、長女が、関西から帰省してくる友人と久しぶりに会食するというので、2歳児を我が家に預けて、夜は我が家にお泊まりです
というわけで、12日(日)は、賑やかです。近所の住む2人の姫も遊びに来て、4人の女子が女子会を開きました。

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そして、午後は、小5男子も加わって、海ヘ行きました。車二台なので、駐車料金2000円也が必要ですが、やはりこの地方における夏休みの「聖地」=渋川海水浴場へ向かいました。さらに、大人800円、子ども600円の入場料も奮発して、水族館も楽しみました。

海岸から、瀬戸内海の眺望が満喫できます。

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瀬戸大橋がよくj見えます。

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行き帰りの車で、子どもたちがいろんな歌を歌ったりする中で、大阪の四歳児の姫がこんな歌を歌います。


昔昔(むかしむかし)、浦島は
助けた亀(かめ)に連れられて、
龍宮城(りゅうぐうじょう)へ来て見れば、
絵にもかけない美しさ。

乙姫様(おとひめさま)の御馳走(ごちそう)に、
(たい)や比目魚(ひらめ)の舞踊(まいおどり)
ただ珍(めずら)しくおもしろく、
月日のたつのも夢の中(うち)

(あそび)にあきて気がついて、
お暇乞(いとまごい)もそこそこに、
帰る途中(とちゅう)の楽しみは、
土産(みやげ)に貰(もら)った玉手箱(たまてばこ)

帰って見れば、こは如何(いか)に、
(もと)居た家も村も無く、
(みち)に行きあう人々は、
顔も知らない者ばかり。

心細(こころぼそ)さに蓋(ふた)とれば、
あけて悔(くや)しき玉手箱、
中からぱっと白煙(しろけむり)
たちまち太郎はお爺(じい)さん。

難しい歌詞に、みんなビックリ。
とくに「かえってみればこわいかに」は耳から聞いて意味を取るのはかなり困難と思われます。
「帰ってみれば怖い蟹」とでも理解したら、とっても怖い歌になります。
追伸:テレビ番組で、東京湾に棲む珍しい生き物や怖い生き物を紹介していました。そのなかに「スベマン」という恐怖生物がいる由。正式名は「スベスベマンジュウガニ」という愛嬌のある名前。しかし、麻痺性貝毒成分のゴニオトキシン、サキシトキシン、ネオサキシトキシン、フグ毒のテトロドトキシンなど、10人以上の人間の致死量に当たる猛毒を、小さな身体に蓄えているとか。まさに「怖い蟹」ですね。
今日はこれにて。

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家族3題(代)噺、の巻 [家族]

第1話

今朝の地元紙朝刊の「読者のページ」に、老父の投稿が掲載されています。

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「戦争と平和」というテーマで募集があったので書いたと言います。
該当部分を拡大します。
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このままでは読みにくいでしょうから、文字に起こしてみます。
若者に絶対駄目と願いたい
○○○○ 91  (美作市)
年を重ねても昔のことはよく覚えている。 「欲しがりません勝つまでは」と教育された。国民学校高等科2 年で卒業して、東京の軍需工場へ就職した。 先輩の指導を受けて、油だらけになり懸命に働いた。会社には私立の青年学校があり、ほとんどが軍事教練だった。
戦争は激しくなり、東京の空には毎日のよぅに米軍機が偵察に来るようになった。19 45年3月10日、東京大空襲があり10万人以上の人が命を失つた。 5月25日の大空襲では、庭の防空壕に避難したのでみんな助かった。が、工場も寄宿舎も丸焼けになったので命からがら田舎へ帰った。
8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ大勢の人が亡くなった。あと1年も戦争が続いたら徴兵検査を受けて軍隊に入り、現在の自分がなかっただろぅと思うと戦争の恐ろしさをつくづく思う。
あのひどい戦争の状況を知る人が少なくなった今、戦争を知らない若い人に、戦争は絶対駄目だと強くお願いする。
子どもの頃から、折に触れてその端々は聞いたことのある昔話ですが、詳細のところは知らず、初耳のところもあります。わずか一代の間でさえ、語り伝えることが容易ではないのだと改めて思います。
戦後73年、みずから戦争体験を持たないだけでなく、先人の戦争体験を傾聴する姿勢を自覚的に育てることもなく大人になり、その欠如に気づかないような指導者やその取り巻きが国政を牛耳る時代、戦争の実相を語り継ぐことの大切さが身に沁みます。
ところでこの投稿記事、以前、7月半ばに書いたこの記事(臍をくくる、の巻)でちょっと触れていたとおり、投稿前に、孫達と一緒に詠ませてもらっていました。
そもそもそのきっかけはと言うと、老父が地元新聞に投稿予定の記事を、孫2人が読ませてもらいました。「B29」「焼夷弾」「酷い」などの意味や読み方を確認しながら、帰りの車でもう一度2人で声に出して読み、兄が言います。「いちばんよく出てくる『戦争』という漢字は読めるだろ?3・4年生になったら「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」が教科書に出てくるで。」とそのあらすじを語って聴かせます。妹は、担任のM先生が、「火垂るの墓」が悲しすぎて二回目は見たくないと言ってた。などの会話をしているので、「火垂るの墓」の話題に参加してみました。原作の野坂昭如さんを論じても始まらないので、アニメの作者を話題にしようと思って頓挫してしまったのです。
子どもたちは、正しくも「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」や「かぐや姫の物語」を上げます。それらの作品の監督、高畑勲さんのお名前がどうしても思い出せないのでした。
宮崎駿さんはすぐに思い出せたのに、なぜでしょう。
さすがに新聞編集者の方は、筆者の意図を汲んだ上で、言葉遣いや漢字表記を調整し、字数もコンパクトに縮めてくださっています。その結果、「B29」は「米軍機」に、「酷い」は「ひどい」に改められ、「焼夷弾」は省略されていますが、文章の趣旨は余さず伝えてあります。たいしたものです。
ところで、昨日の記事で「記憶容量不足や」「メモリー異常」について書きました。「火垂るの墓」の高畑勲さんはすぐに思い出せるようになったのですが、今度は、津川雅彦氏死去のニュースを聞き、先になくなったお兄さんはどなたでしたっけと考え始めて、お顔は浮かぶのにお名前が思い出せないのに弱りました。今回は、数時間の「熟考」で長門裕之さんの名前を「自力で」思い出し、ついでに、長門と言えば郷土出身の長門勇さんも思い出され、懐かしい気がしました。でも困ったことに、長門裕之さんとおしどり夫婦と呼ばれた奥さんの名前が思い出せない。気持ちが落ち着かないので、ネット検索で、南田洋子さんを探し当てたのですが、ほとほと困ったものです。
第2話
昨日はバアバのパートが休みだと知って、一昨日の晩から小学生の孫がお泊まり。朝食のパンがないというので、朝散歩がてら、孫2人と一緒に、近所のコンビニまで買い出しに歩きました。兄妹それぞれ、好みの菓子パンをえらび、牛乳やカルピス、食パンなども買い、ついでに「ミニ大福」も一袋買って帰りました。
食事が済んだら、エアコンの効いた部屋でごろりとして、TV(録画やdvdも含みます)三昧の優雅な休日風景が、まったりと展開されます。
しかし、夏休みも半ばを過ぎたのに、宿題ははかどっていないようです。しばらく、一緒にドリルを覗いてみました。
まずは社会科。
日本地図の部分を丸く囲んで、名称を答える問題があります。
・歯舞・色丹・国後・択捉に相当する部分が囲まれていて「ロシアに不当に占領されている日本の領土」と説明されています。その名称は?----デリケートな問題ですね。これをまとめて「北方領土」と呼ぶのは、日本政府の立場ですが、1951年日本が締結したサンフランシスコ条約で、日本は千島列島を放棄しましたから、千島列島の一部(南千島)である国後・択捉の領有権を主張するためには、サンフランシスコ条約の改変が必要でしょうに。
にもかかわらず「4島一括変換」などに固執するから、北海道の一部であり一九五六年の日ソ共同宣言でも、平和条約締結後には返還が約束されている歯舞・色丹の返還までが先延ばしにされているのではありませんか?
まず平和条約締結→速やかに歯舞・色丹返還→続いてサンフランシスコ条約の改訂→南千島のみならず歴史的に日本固有の領土である北千島も含めて全千島の返還へと進むのが現実的な道筋でしょう。
とすれば、北方4島を「北方領土」と呼称することは、学術的にも政治的にも誤謬をはらんだ、きわめて偏った立場というべきでしょうし、教科書をはじめ学校教育でこれが子どもに押しつけられることは万代ではないでしょうかね?
そう言えばこんなことがありましたっけ。huffpost2016年2月9日の記事。余りにお粗末なんで忘れかけてましたがね。
島尻安伊子・沖縄北方領土担当相が2月9日の記者会見で、北方領土の一つである「歯舞(はぼまい)群島」を読めない場面があった。共同通信が報じた。
会見で島尻氏は、元島民でつくる「千島歯舞諸島居住者連盟」が1日〜7日、「北方領土ネット検定2016」を実施したことを紹介した。このとき島尻氏は団体名が読めず、「元島民の皆さまでつくる、千島ハボ…えー、何だっけ…」などと、言葉を詰まらせ、大臣の側にいた秘書官が「はぼまい」と伝えた。
・日本最南端の島は?---「南鳥島だったっけ?」と言いますと、小5生は地図帳で調べて、「それは最東端」と言います。そして「最南端は沖ノ鳥島」と見つけました。そして最西端は与那国島。日本も広いと思い知ります。
・岐阜県海津市を流れる3つの川、木曾川・長良川・揖斐川は、それぞれ地図上のどれ?----わかりません。すみません。「輪中」?とっさにはこの言葉を思いつきません。難しい。
理科もなかなか厄介です。ほどほどに仕上げて、出かけることにしました。
バアバがつくったおにぎり弁当を持って、出かけた先は、倉敷ライフパーク。
駐車場に車が一杯です。
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芝生のあたりで弁当を食べてからひと遊び。
観光バスも何台か駐まっています。
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クマゼミの集団がいました。
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ライフパーク。正式には

ライフパーク倉敷科学センター - 倉敷市

プラネタリウム、科学展示室など、大人でも飽きません。
入場料はリーズナブル。
しかも、65歳以上は無料でした。ラッキー。
駐車料金は無料です。
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今回はプラネタリウムへは行かず、科学展示室でたっぷり遊びました。
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第3話
「7人の孫」のうち、今日は、6人が集まりました。新生児はママと一緒にお留守番です。
これは今朝の散歩で見たアブラゼミ。
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今日はここまで。

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うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー、の巻 [時事]

翁長さん、残念です。

1950年生まれ、67歳ですって。もっと年上かと思っていたのに、ほぼ同世代なのでした。

今日何人かの友人とその話題になって、口惜しさが募りました。

翁長さんが、「オール沖縄」で知事に当選されたのは、もっと昔のことかと錯覚していましが、わずか4年前でしたね。当時の記事を探ってみましたが、わずかこんなことを書いていただけでした。

島人(しまんちゅ)の念(おも)い凜(りん)たる小春かな

沖縄県知事選挙の結果は、辺野古移設ノーの、民意の再三の表明でしたね。
那覇市長選挙も、駄目を押しました。
以前、1月の「沖縄の方々の気持ちにより添うってどういうこと??」「大寒や沖縄に春いちはやく」という記事で述べたことを、再度繰り返して強調したい思いです。

正直言って、当時私は翁長さんという方を十分には存じ上げず、長く自民党に属してきた保守政治家という立場への先入観から、事の成り行きで「辺野古移設反対」を掲げてはいるが、状況の変化によっては、多くの先例のごとく、いつ豹変して自己保身をはかるかも知れない。そうさせないためには、オール沖縄の結集と、それを支援し連帯する本土の運動の発展が要となるだろう、などといっぱしの評論家的な感想を抱いていたのだったかも知れません。でもそれは、大変僭越な見込み違いでした。

知事在任中のすべての言動と判断、一挙手一投足が、徹頭徹尾「沖縄の心」に基づくものであったことを、痛いほど伝えてくださったのでした。

そして、アベ政治の無法とたたかい、癌と闘いつづけて、決してひるむことのなかったその生き方そのものが、勇気と誠実に満ちた励ましのメッセージでした。

「琉球新報」のこの記事(2018年8月9日)は、や、「沖縄タイムズ」のこの記事(2018年8月9日)は、私たちに、志半ばで倒れた翁長さんの無念を改めて思わせるとともに、その遺志をいずくんぞ継がざるベからざる、の思いを抱かさずにはいません。

8日午前、翁長雄志知事の後援会会長、国吉真太郎さんが、浦添総合病院に翁長さんを見舞った。枕元に青い帽子があった。青は、11日に開かれる辺野古新基地建設断念を求める県民大会のテーマカラーだ。翁長さんの頭に青い帽子を載せると、顔がほころんで見えたという。

 国吉さんは先月27日の「撤回表明会見」が強く印象に残っている。同日午前10時半ごろ、県庁6階の会見場に翁長さんが姿を現した。頬はこけ、2カ月余り前の退院時よりさらに細くなっていた。カメラの放列を前に、背筋をすっと伸ばす。表情には強い決意がみなぎっていた。

 「20年以上も前に決定された辺野古新基地建設を、見直すこともなく強引に推し進めようとする政府の姿勢は、到底容認できるものではない」

 名護市辺野古の新基地建設を「あらゆる手法で阻止する」と繰り返してきた。中でも埋め立て承認の「撤回」は工事を阻止する「伝家の宝刀」と位置付け、自身の口で表明したいとの意思を周囲に示していた。

 会見では手ぶりを加えながら、撤回に踏み切った理由や政府への不信感を語った。3年前の県民大会では「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」と述べ、(きょうじ)を示した。

 会見の直前、翁長さんはエレベーターに乗る直前に歩けなくなり、十数秒間、壁にもたれて休んだという。国吉さんは「政治家として言うべきことを凝縮した最後の言葉だったのかもしれない」と振り返る。会見の3日後、翁長さんは緊急入院した。(琉球新報)

生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は2013年1月、那覇市長として参加したオスプレイ配備撤回を求める東京行動だったのではないか。「沖縄の総意」を示そうと銀座をパレードした県内全市町村長らが、沿道から「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」などの罵声を浴びた▼東京のど真ん中で体感したむき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という。翌年の知事選に「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げて出馬した際、動機の一つとして繰り返し語っていた▼政府と鋭く対立して一歩も引かなかった背景にはあの日の屈辱があったはずだ。15年、辺野古新基地建設反対の県民大会での「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー」の言葉は多くの県民の心に響いた▼6月の県議会でやせ細った姿で懸命に机の縁につかまって歩いていた。本来は治療に専念すべき病状だったのだろう▼7月27日の埋め立て承認撤回を表明した会見。基地建設阻止の公約の実現性を疑問視する質問に一瞬笑みを浮かべ、気色ばんで反論した。「何十年先も沖縄は振興策をもらって基地を預かったらいいですよ、などというのはとても容認できない」。最後の公の場となった▼沖縄の知事が在任中に亡くなったのは初めて。志半ばでこの世を去った無念さは想像に余りある。ご冥福を祈りたい。(田嶋正雄)(沖縄タイムズ)

アエラ・ドット(2018.8.9 11:35)の記事は、改めて翁長さんの「本物ぶり」を伝えています。


新基地建設反対の信念は最後まで揺るがなかった。闘う知事を支えた妻の樹子さんは、過去に「万策尽きたら夫婦で一緒に(辺野古基地前に)座り込むことを約束している」と明かしたこともある。
16年に「朝日ジャーナル」のインタビューに応じた翁長氏は、この“約束”について問われている。そのときは、言葉を選びながらも「座り込みについて妻が言ったことは、話が違うわけではありません」と否定せず、さらに「辺野古移設阻止が挫折して、一人間、一市民、一県民に戻った場合に何をするかは、沖縄県民のみんなと一緒です」と語っていた。
06年には胃がんの手術ですでに胃を全摘していた。だが、知事になってからの苦労について聞かれても「沖縄のご先祖は、私らよりもっと苦労している」と話していた。

残念至極。でも嘆いてばかりはいられません。歌手の阿室奈美恵さんが、公式ホームページでコメントを寄せておられる由。

《安室さんのコメント全文》

翁長知事の突然の訃報に大変驚いております。
ご病気の事はニュースで拝見しており、
県民栄誉賞の授賞式でお会いした際には、お痩せになられた印象がありました。
今思えばあの時も、
体調が優れなかったにも関わらず、
私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました。
沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、
これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております。
心から、
ご冥福をお祈り致します。
安室奈美恵

そのほか、様々な著名人から。続々とツイートが寄せられているそうですね(琉球新報より)

8日に沖縄県知事の翁長雄志さんが死去したことを受けて、各界の著名人が同日夜から9日にかけて「肝心(ちむぐくる)を忘れない」と追悼の言葉をツイッターなどで発信した。

 県出身ユニットKiroroはツイッターで「県民のことを想い、声なき声に耳を傾け、尽力してこられた姿。忘れません。沖縄の未来が優しさで溢(あふ)れますように」と追悼した。

 唄者の上間綾乃さんはツイッターなどで「命をかけて守り抜こうと闘ってくれていた事、忘れません。同じこの島に生まれた事を誇りに思います。私達も肝心忘れる事なく、皆が願う世を求め続けます。負けません」と記した。

 自身も喉頭がんで闘病した経験があるお笑い芸人の小波津正光さんはブログで「今僕らがやるべきことはなんだろ? 抗がん剤つらいっすよね」と闘病しながら公務に尽力した翁長さんに思いをはせた。


 精神科医の香山リカさんは「命を賭した翁長知事の思いが沖縄のみなさまの底力となりますように。私たちはいつもみなさまとともにあります」と連帯の意を示した。ロックバンドMONGOL800のキヨサクさんは「MESSAGE ご冥福をお祈りいたします」とツイッターに投稿した。基地問題を題材に映画「人魚に会える日。」を監督した仲村颯悟さんも訃報記事に対し「紡ぐからね。紡ごうね」とツイートした。

脳科学者の茂木健一郎さんは「沖縄のことを想い続けられた人生だったのだと思います 翁長知事、どうか、安らかに」とツイート。お笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんは「翁長さんは沖縄のために生きて死んだ。それがなぜか、知りたいし考えたい。沖縄の知事になってくれてありがとう」と記した。

 ジャーナリストの津田大介さんは、昨年の沖縄全戦没者追悼式で翁長知事らが安倍晋三首相を厳しいまなざしで見つめる東京新聞の写真のリンクを張り、「改めてこの写真と昨年、今年の慰霊の日のスピーチに思いを馳せる。翁長知事はどんな思いを抱えて亡くなったのか…」と記した。

 ロックバンド「MONGOL800」のキヨサクさんはツイッターに訃報記事のリンクを載せ、「MESSAGE ご冥福をお祈りいたします」と投稿した。

安らかにお眠りください。そして、どうぞ、見守り続けてください。



朝散歩の途中、カメラのシャッターを押すと、「記憶容量が足りません」と表示されます。メモリースロットからSDカードを取り外したままでした(涙)

記憶容量が足りないのはカメラばかりではありません。わが灰色の脳細胞ときたら、記憶容量が足りないだけでなく、過去の記憶そのものが再現できません。「メモリーが不正です」という衝撃的な警告が、しばしば表示されます。情けないことです。

その折々のできごとや思いは、やっぱりlogに記録しておかなくてはなりませんね。

とりあえず、昨日の散歩の写真です。

ツバメが群れて飛翔と休憩を繰り返しています。

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ちょっと涼しい田園の朝です。
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鶏頭の花。
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我が家の玄関前の朝顔。何年か前に採った種を蒔いたら発芽したので、育ててみています。
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今日はこれにて。



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秋立つや32度なら凌がるる、の巻 [今日の暦]

今日は立秋。

昨夕、実に久しぶりに雷雨があったせいか、朝方は、少しだけ涼しいかも知れません。

東の方では、激しい雨が心配の様子。ご用心ください。

今朝の散歩風景です。

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思えば、毎年同じような画像と同じような記事を載せています。ちょっと探った限りでも、、、。

秋立つやなまあたたかきかぜなれど
秋立つや白きひかりのなほ白き
プライベートビーチの昼下がり、残暑と言うには余りの暑さ、の巻
野分のまたの日、の巻
↑去年の8月7日の記事です。引用します。

まだまだ、秋は遠い、と毎年同じようなことを書いています。2014年の記事を引用します。
秋立つやなまあたたかきかぜなれど

 そういえば、台風の影響もあるのでしょうが、今朝は少し涼しく感じます。実際、朝8時の気温は26℃と、散歩中も快適でした。。日中の最高気温も、31℃~32℃と予想されており、真夏日とはいえピーク時からは随分しのぎやすくなりそうです。

もちろんまた、暑さのぶり返しはありましょうが、だんだんに秋に向かっていることは間違いなさそうです。
散歩中に出会う蝉も、最も暑い頃が発生のピークというクマゼミの姿が薄れ、やや涼しさを好むとされるアブラゼミの比率が増してきたようです。
(中略)
今日にちなんだ歌を一つ。

秋立つ日よめる
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる  藤原 敏行

【解釈】  暦の上では立秋の今日、「秋がやってきた」と、目にははっきり見えないけれど、吹く風の音にはっと気づかされることだよ。

(中略)

「おどろかれぬる」は、動詞「おどろく」+自発の助動詞「る」+完了の助動詞「ぬ」がつながったものです。

古語の「おどろく」には、①目が覚める。②はっと気づく、③びっくりする、などの意味があります。ここでは②の意味です。

助動詞「る」には、①受身(~によって~される)、②尊敬(~なさる)、③可能(~できる)、④自発(自然と~される)の用法があります。④が、この語の本来の意味だったようです。この歌の場合も、④です。

(中略)
古典文法入門のお時間はここまで。お粗末でした。

 この歌は、古今集に収められている藤原敏行の歌で「秋立つ日よめる」と詞書(ことばがき)にあるとおり、立秋の日に詠んだ歌です。
ですからありのままの実景を詠んだと言うよりは、「立秋」というお題にこと寄せて、頭の中で考えて「理屈」で作り上げた歌と言うべきでしょう。このような傾向は、「理知的」「論理的」と称される古今集の歌風の特徴ともされます。

とはいうものの、肉眼には見えない秋の訪れが、一瞬の聴覚のはたらきによって、はっきりと感じ取られるという繊細な季節感覚は、う~んと、納得せずにいられません。「う~ん、参った」という感じですか。

独断かも知れませんが、視覚よりも聴覚、聴覚よりも嗅覚が、より生理的、より原初的、より直感的な感覚であるように思えますから、まず聴覚で季節の推移を感じるというのは、よくわかります。


黄色く色あせた古びたノートを元に授業する老教師の風情ですな。だが、その老教師はのたもうたそうな。「真実は一つ」。
今日は、午前中エアコンなしで凌げました。室温計を見ると32℃~33℃をさしています。
連日の酷暑に慣らされて、風があれば「涼しい」と感じる始末です。
ここ数日の気温がこんな具合でしたから。
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昨日も昼間は37℃という暑さでしたが、小学生を連れて深山公園で遊びました。木陰ですので、少しは涼しいですが、少し遊んでお弁当を食べたら、さすがに午後の日射しに耐えかねて、もう「帰ろう」となりました。
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目にした鳥は、スズメ、キジバトの他にはヤマガラ1羽。
チョウは活発に吸蜜しています。
ツマグロヒョウモン♂
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これ、キアゲハですか?
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暑さに負けず、元気いっぱいなのは蝉。
家の近所では、クマゼミとアブラゼミが席巻していますが、少し環境が違うのか、ツクツクボウシがよく鳴いています。声のする方にj目を凝らして、小5の孫が発見しました。
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下は、近所の散歩道のアブラゼミ。
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空蝉のアップ写真。
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これは今朝の散歩道で見つけた光景。
クマゼミがもがいていますが、逃れられません。
ゆっくりと近寄ってくるジョロウグモ。
大きな獲物です。
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最後の写真は、3歳の保育園児。
姉妹ともに、ばっさり髪を切りました。
「これなあに?」
「どうするん?」
内にでも興味を示します。
この望遠鏡、金星大接近をとらえたくて久しぶりに引っ張り出したのですが、うまく観察できません。
むかし、 土星の輪も観察できたこともあったのですが、、、。
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今日はこれにて。

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